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c-1.【幕裏】マリア様は今日も呑気

後書きが長いですけど、読んでおいて下さい。





 エトルリア連邦王国の総代表都市、フローレンティアは今日も平和で活況だ。道行く人は誰もが笑顔で、子供たちは広場を駆け回り、その母親たちはカフェでお茶など楽しんでいる。

 商会の脚竜車や辻馬車などが通りを忙しなく行き交い、市場へ荷を卸した帰りだろうか、郊外の農夫と思しき平民が空荷の象馬(ぞううま)車をのんびり歩かせている。


「うーん、今日も平和だなあ」


 マリアはひとり呟く。

 若い女性が独り歩きしていても、絡んでくるチンピラもいなければ路地裏に連れ込まれる事もない。

 まあ、若いと言ってもそれは見かけだけで、実はもう30歳を越えているのだが。だが黙ってればバレないし、わざわざ本人もそんな事は口にはしない。


「あっ小父(おじ)さん、串焼きひとつちょうだい!」

「あいよ!マリアちゃん今日も可愛いから大きめサイズにしといてやるよ!」

「ありがとう、小父(おじ)さん太っ腹!」

「なあに、美人にゃあサービスしたくなるってもんよ!」


 広場の屋台の匂いに釣られて、一本買って受け取る。歩きながら頬張ると、よく焼けたタレ付きの朝鳴鳥の胸肉がプリップリでジューシーだ。


「ん〜!美味しい!」


『朝っぱらからよく食べるよねマリアは。さっきも朝食食べたばっかりじゃないか』


 幸せそうに頬張るマリアのすぐ横から声が聞こえてきた。見るといつの間にか、小柄で活発そうな男の子が隣を歩いている。藍色の半ズボンに白いシャツ、ズボンはサスペンダーで留めていて、首元にはラメの入った藍色の蝶ネクタイ。そして短く切り揃えた(そら)色の鮮やかな髪が風に揺れている。

 一方のマリアは、飾り気のない真っ白なワンピースに白い外衣(ローブ)、白い靴。その出で立ちのなか、長い黒髪を後頭部でシニヨンにまとめたその頭部だけが際立っている。カラフルな街並みの中ではかえって目立つが、彼女はいつもこの恰好なので特に誰も気にはしない。


おやつ(・・・)は別腹だもん!」

『……太っても知らないよ?』

「太らないようにこうして(・・・・)運動(・・)してる(・・・)じゃない。それに、ちゃんとお祈りする(・・・・・)から大丈夫よ!」


 お祈りする先は健康を司る黒加護の神だ。だがそんな些細なことで祈らないで欲しい。


『…………今度会ったらチクっとこうかな』

「あっひどい!ジズの意地悪!」


 呆れたように呟くジズと呼ばれた少年の仕草に、マリアが頬を膨らませて抗議の意を示す。ジズは肩をすくめてその抗議を黙殺した。


『それで?今日は(・・・)なんの(・・・)()なの?』


 代わりにジズはマリアへ質問を投げかける。


「ん?いや特に何も?」


 あっけらかんとマリアは答えた。


「強いて言えば、今日も街が平和か見てみようと思ってて。で、独り歩きは(・・・・・)寂しい(・・・)じゃない?」

『………………そんな事で宙竜(ボク)を呼び出さないで欲しいんだけどなあ』

「でも呼んだら来てくれる(・・・・・)じゃない」

『まあそれはそうだけどさ』

「だったらいいじゃん!付き合ってよ!」


『…………はあ。まあ仕方ない』


 宙竜(ジズ)は天を仰いで嘆息する。

 この子はいつもそうだ。生まれた時からずっと変わらない。

 まあ、生まれつきこう(・・)だから巫女に(・・・)なった(・・・)のだけど。


『ところでさ、いつもながら抜け出してきて大丈夫なの?』

「大丈夫よ、アグネスが誤魔化してくれるもの」

『いつもいつも留守番させて、可哀想に。酷い巫女様だなあ』

「うん。だからね、次は一緒に(・・・)行こう(・・・)って約束してるのよ」


 いやいや待って欲しい。ただでさえ巫女が神殿を勝手に抜け出して街ブラしているだけでも問題なのに、次は次期巫女候補ともども脱走してくるとか気軽に言うことじゃない。


 そういう非難を視線に込めつつ見つめてくるジズに、マリアはあっけらかんと言い放ったのだ。


「大丈夫よ〜!だって誰にも(・・・)バレないし(・・・・・)!」



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



 マリアはイェルゲイル神教における、唯一の“巫女”である。巫女は同時代に唯ひとりしか生まれないとされ、生まれれば神託によって知らされる。そしてその子が10歳になればフローレンティア近郊にある中央大神殿の教団本部に連れてこられ、修行を経たのち前任者の死去をもって巫女の座を引き継ぐ。

 神教教団の公式見解として、巫女は生まれや出身地を問わず、世にひとりしか存在しない。そしてイェルゲイルの神々と交信して“神託”を得ることができるのは巫女だけだ。その巫女を囲いこむことで教団は神々との交信を独占し、神教をこの西方世界で最大の宗教にまで押し上げたのだ。


 ゆえに巫女の地位は神教教団の中でも特別なものになる。具体的には教団トップである主祭司徒に次ぐ、事実上のNo.2と言っても過言ではない。なにしろ神々からの神託を得られるのは巫女だけで、神教はその神託を元に信者を増やしてきたのだから。


 巫女が神々から得る神託は多岐にわたる。災害や飢饉、豊作などの天候情報から、戦乱や魔物氾濫(スタンピード)、魔王の誕生などの災厄はもちろん、神の怒りに触れる物事の情報や神が褒め称える人物の情報などももたらされる。

 その他にも暦の変更や世界の(・・・)切り替わり(・・・・・)を伝えてくれるし、巫女候補が生まれればそれもきちんと教えてくれるし、こちらからの疑問にもある程度答えてくれるというのだから、神様って実はマメで親切だ。


 巫女が神託と称してデタラメを吹聴しているわけではないのは一目瞭然だ。だって、巫女が神託を得たとして語ったことは全て実現しているのだから。

 それでも、神教の長い歴史の中では巫女の力を疑われることも幾度もあった。だがそのたびに、神を(・・)名乗る(・・・)()が実体を持って(あらわ)れ、疑った者たちを断罪した記録がいくつも残っており、だから疑う者ももはや無い。


 神はこの世に確かに実在し、巫女はその神の声を聞いているのだ。



 イェルゲイルの神々がなぜ直接この世に姿を現して、言葉を人々に届けないのか。その疑問にも、神託は応えた。

 神々は、現世への過度な干渉ができないのだという。できることは巫女を通した情報(・・)提供(・・)と、現世へのアクセス手段である巫女を直接守ること。その程度らしい。そのほか、法術の[請願(せいがん)]や[招願(しょうがん)]によって現世に顕現した際には、限定的ながらも権能が(ふる)えるようになるという。

 神々がなぜ現世へのアクセスを禁じられているのかは、明確な回答をもらえた試しがないという。だから誰にも分からない。



 そんなわけでマリアは当代唯一の巫女として、普段は神教の中央大神殿に隣接した巫女神殿に篭り、日々祈りと神託を乞う生活をしていなくてはならない。今日みたいに勝手に抜け出して、街で買い食いとかしていて良いわけがないのだ。


「えっ、いやよ。なんでそんな引きこもり(ヒキニート)生活しなきゃなんないのよ」


 冗談じゃないわ、と引き気味でマリアは言う。


「これでも私、前世はワーカホリックで有名だったのよ?なのにそんな食っちゃ寝のぐうたら生活送れだなんて、それ死刑宣告されてんのと一緒なんだけど?」

『いや働かなくても食べていけるって最高の贅沢だと思うよ?』

「最高の贅沢ってのはね!思うままに好きなだけ存分に、やりたい事をやるのがそうなの!やりたくもない事を延々やらされるなんて拷問でしかないじゃない!」


 ぐうの音も出ないほど正論である。


「だから私は働くのよ!世界のために、人々のために、馬車馬のようにいつまでも!」


 でもその熱い決意だけは間違っていると、声を大にして言いたいジズである。



  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇



「お帰りなさいませ、巫女さま」

「ただいま〜。はいこれ、アグネスにお土産」

「まあ。いつもありがとうございます」


 街ブラから戻ってきたマリアを、唯一の付き人であるアグネスが出迎える。そんなアグネスにマリアは街で買ってきた串焼きや飴菓子を気安く手渡してゆく。


「でも、あの……巫女さま?」

「うん、なに?」

「今からこんなに食べたら、わたしお昼が入らなくなっちゃいます……」


 というかお土産に食べ物を持ってくるのは本当に勘弁して欲しい。ただでさえ少食なのにと歎息するアグネスである。しかもマリアが買ってくる食べ物はどれも巫女神殿では絶対に食べられないものばかりで、こんなものを手に入れて食べているなどと知られれば、どう考えてもまずいことになるのは分かり切っている。だからといって形に残る物を買ってこられても、それはそれで隠蔽が難しい。

 だから毎回「お土産は要らない」と言っているのに、それでもマリアは買ってくる。


「えーでもアグネスだって食べたいでしょ?」

「食べたくないかと言われれば、それは食べたいですけど……」

「でしょ?朝鳴鳥の照り焼き(それ)、貴女の好物だもんね!」


 まあ確かに神殿に上がる前まではよく食べていたし好きだった。でも神殿に迎えられる際に、使者の人からは禁欲を言い渡されているのだけれど。


「あっ、私はもう食べてきたから。だからアグネスが全部食べていいからね〜」


 でも一番禁欲せねばならないはずのマリア自身がこの調子である。


「……はあ。では、頂きます」

「うん、召し上がれ!」


 神に愛されたとまで謳われる美貌のマリアに、満面の笑みで頷かれて断ることなどできようか。いや無理だ。だから渋々とアグネスは串焼きを頬張った。

 うん、やっぱり美味しい。冷めても美味しいなんて本当に反則だと思う。







次回更新は5月10日です。



【法術について】

 作中における法術師、いわゆる聖職者ですが、他作品にはない独自の術式体系を設定しています。それが“法術”と呼ばれるもので、これは魔術でも、ましてや魔法でもありません。

 法術師が法術によってなすこと、それは「神の権能を現世に顕現させること」です。法術師は自身の霊力を媒介にして神々にアクセスし、その力を借り(・・)()ことで様々に奇跡を起こします。それを“法術”と称するのです。



【三種の法術】

 神教における法術の術式は「神異(しんい)」を借りることで実践する。神異とは神の力つまり権能のことであり、神々が住まうとされる“どこにもない楽園(イェルゲイル)”は神異で満たされた「神異世界」であると言われている。神々の信奉者たる神教の法術師たちは自らの信仰心を霊力によって神々に届け、慈悲を乞い、その力(神異)を授かり、それを行使する。

 基本的に魔術のように気軽に使える便利な力ではなく使える術者も限られるが、魔術では不可能と思われるほど大きな力も可能になる(例えば死者の蘇生など)。その代わり、法術の行使には多大な霊力が必要となるため、日にそう何度も使えるものではない。本来は神殿の中で他になんの憂いもない時に行使するのが前提であり、作中でミカエラが魔術ばかり使ってちっとも法術を使おうとしないのはこれが原因。

 ちなみにミカエラは魔術だと休憩無しで56回発動できる(使う術式によっては多少回数が減ったりする)が、法術だと霊力満タンの状態でも3回までが限度。霊力9のマリアでも4回で霊力が枯渇する。


 法術の体系は大きく分けて「請願」「招願」「祈願」の三種類に分類される。


請願(せいがん)

 請願とは、神に請い願うことでその神異を借りる法術。これによって現世に顕現するのは神々の持つ神異のみで、神々自身が顕現することはなく、また神々の意思や御言葉などももたらされることはない。

 基本的にどんな内容でも請願できるが、不発する(却下される)ことがある。請願が発動したその時点で「神々に願いが聞き届けられた」ということであり、発動した瞬間には願いは叶えられている。

 五つの加護それぞれに独自の、そして固有の請願が存在し、それは他の色の加護では扱えない。なぜならば神々もまた加護によって分類されているからで、同じ加護の者のみに神々は力を貸すからである。


招願(しょうがん)

 招願とは、神々を招いて願いその神異を借りる法術。実際に神の力の一部を自身の身体に下ろす(・・・)ことで、神々の神異を法術師が代理執行する。

 平たく言えば憑依である。ただし人の身に神々の力は扱えないので、人が耐えられる程度に限定され縮小化された神異しか与えられない。それでも魔術よりは遥かに強大な力であり、通常ならば成し得ない様々な奇跡を一時的に行使できるようになる。

 請願とは違って神自身とリンクするため、その意思もある程度は術者に伝わることが多い。また術者の口を介して神の御言葉が直接もたらされることもある。


祈願(きがん)

 基本的に巫女にのみ行使が可能な法術。祈願する神は加護を問わずどんな神にでも祈ることができ、巫女自身の霊力をもって神々に人の言葉や願いを届けることで、その返答を得ることができる。

 とはいえ「祈ること」自体は誰にでもできることで、実を言えば必要な霊力を持っていて正しく祈ることさえできれば誰にでも(法術師でなくとも信仰心さえあれば)使えてしまう術式だったりする。

 神々からの返答が巫女に限定されているのは、神々のほうでそう決めているからだが、それは巫女を含めて人間たちの知るところでない。

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