4-39.奇襲
「!?」
一瞬だけ感じた殺気に反応して、レギーナはかろうじてドゥリンダナを半分だけ抜いた。だが出来たのはそこまでである。
キン、という甲高い金属音のあとザシュ、と布と肉を引き裂く音がして、レギーナの左肩から血が噴き出した。
「ぐっ……ぅあ!?」
「レギーナさん!?」
「姫ちゃん!?」
アルベルトたちが気付いたのは、レギーナの肩から血が噴き出してからである。
被弾の衝撃でたたらを踏み、次いで力が抜けたように崩れ落ちてレギーナが片膝をついた。それに慌ててミカエラが駆け寄り、助け起こすと同時にすぐさま[治癒]をかけ始める。
音もなく襲撃してきた影はその時にはすでに飛び退いて、簡単に追撃できないほどに距離を取っている。
「な……だれ!?」
苦痛に顔を歪めつつレギーナが襲撃者を見やる。そこにいたのは人ではなかった。
黄色と銀色の斑の豊かな頭髪が、頭頂部から頬まで覆って背中に流れている。それだけでなく前腕部も膝下も、背中から腰にかけても同じ色の毛並みに覆われていた。着衣は胸部と腰部をわずかに覆っているだけで、見事な腹筋も細いウエストも逞しい上腕も大腿も露わに晒されている。そしてその腰の後ろに、太く長い尻尾が揺れている。
指先は太く、人の指とは全く異なっていて、鋭い爪がそれぞれの指先から長く伸びていた。そう、まるで獣の爪のように。顔つきは人間とさほど変わらないが、頬からいく筋も細く長い髭が何本も生えている。
そして極め付きに、耳の位置が異なっていた。頭頂部に近い側頭部左右に、頭髪と同じ毛色の比較的大きめの丸い耳が、豊かな毛並みの上に突き出ている。本来人間の耳があるべき部分は毛並みに覆われていて、そこに耳があるようには見えなかった。
一見して獣人族であることは見て取れた。だがなんの種族なのか、レギーナには分からなかった。少なくとも見たことのない希少種であるのは間違いない。
身体つきは全体的に細くしなやかで、顔つきや胸部の膨らみ、ウエストの細さから考えても少女のようだった。だがその胸元にあるものを見つけて、レギーナが驚きの声を上げた。
「奴隷……!?」
そう。少女と思しき獣人族の左胸、ちょうど心臓に重なるその位置に、奴隷であることを示す隷印がはっきりと打刻されていたのだ。
奴隷などというものは西方世界の大半の国ですでに廃止されており、奴隷制度を残しているイリシャやイヴェリアスなどの一部の国も、隷印の打刻はもう行っていないはずだった。
そもそも隷印とは魔術の一種で、焼印を打刻することで強制的に[隷属]の術式の支配下に置き、主人に絶対服従を強いるために施すものだ。それが近年では非人道的だと批判が出るようになり、それで今では貴族の所有する馬や脚竜、各国の軍の所有する鎧竜や翼竜など一部の動物にしか施されていないはずである。
『オマエには特になんの恨みもないが』
獣人の少女が口を開いた。だが西方世界のどの言葉でもなく、レギーナたちの誰も理解できなかった。
『主の命だ。勇者よ、その生命貰い受ける』
「まっ、待ってくれ!」
獣人の少女が動いたとほぼ同時に、アルベルトが間に割り込んだ。その声に普段とは違う焦りの響きがあるのにレギーナは気付いた。
次の瞬間、彼女の目の前でそのアルベルトが吹っ飛ばされて宙を舞った。
「⸺くっ!」
慌ててドゥリンダナを引き抜くも、左腕が肩から動かない。そのせいで両手で扱うべきドゥリンダナの切っ先がぶれる。
「姫ちゃん!」
縋るようなミカエラの叫び。きっと逃げろと言っているのだろう。だが手傷を負わされたからには、勇者の沽券にかけても雪辱を果たさなくてはならない。
何者かも分からず、なんの恨みかも定かではないが、明確に攻撃して来たのだから敵である。敵は討ち滅ぼさねばならない。
『きっ、君は虎人族だろう!?だったら朧華さんを知っているはずだ!』
聞き慣れた声が知らない言葉を紡いだ。それと同時に、向けられてきていた殺気が逸れる。
『オマエっ!母をなぜ知っている!?』
レェン・フー?それって確か、あの時話してくれた獣人の…一種…?
何を話しているのか分からないが、どうやらこの獣人も彼の知っている者のようだ。だとしたら、斬り伏せるのはちょっとまずいかも。
ああ、でも、なんだか頭がぼーっとする。なんだろう、そんなに深いダメージを受けたのかしら。
すでに意識が朦朧としていることに、レギーナ自身が気付いていなかった。それでも彼女は半ば無意識に、ドゥリンダナを“開放”していた。
片手で振りぬいたドゥリンダナは力が入らず切っ先も定まらず、だからアルベルトに気を取られて動きの止まった獣人の脇腹を浅く薙いだだけだった。切り返しの斬撃の雨を浴びせることもなく、振ったのはその一度きりである。
「くっ……」
『ぐあっ……!?』
ドゥリンダナの重みに耐えきれず、レギーナはそのままうつ伏せに倒れ込んだ。その視界の片隅で、胴を斬り裂かれ呻いて崩れ落ちる獣人の少女と、胸元を血だらけにしながらも必死に少女に手を伸ばすアルベルトの姿が見えた。
「姫ちゃん!!しっかりし!!」
その親友の悲痛な声を最後に、彼女の意識は閉じた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ミカエラさんお願いだ!この子を[治癒]してやってくれ!」
「知らん!まず姫ちゃんが最優先たい!そんで次はおいちゃんや!姫ちゃんば襲うげな敵の治療やら、なしせんならんとね!」
自身も相当な重傷であるにも関わらず、襲ってきた獣人の少女の生命を救ってほしいと懇願するアルベルトの気持ちが、ミカエラにはどうしても分からなかった。何しろ敵は一撃で勇者の肩を砕くほどの脅威なのだ。そんな者を[治癒]して再び襲いかかられたら、意識を失うほどの深手を負わされた親友を誰が守るというのか。
「早よせな毒の回る!そげな奴よりか姫ちゃんのが急ぐったい!」
「毒!?」
ミカエラの言葉にアルベルトが目を瞠る。だが彼はすぐ、かつて師匠に言われたことを思い出した。
「そ、その毒なら解毒薬がある!」
「マジな!?なら早よ出し!」
レギーナが冒されているのはミカエラにとって未知の毒だった。[治癒]は人体の構造に精通していればその分効果が上がる。毒を除く[解癒]も同じで、毒の成分が分かっていれば除くのも容易だが、未知の毒となると最悪効かないことさえあり得る。だから彼女は焦っているのだ。
そして同じ爪で攻撃されたアルベルトのほうも、まだ意識があるというだけで一刻の猶予もない。
ミカエラの状態が万全であれば、彼女は迷わず法術の[請願]を発動して神の慈悲を乞うたことだろう。神の慈悲は奇跡、即ち魔術などとは比べ物にならない劇的な効果をも期待できるのだから。
だが神に祈りを捧げる[請願]は大量の霊力を消費する。血鬼との戦闘、及びクレアの[浄炎柱]の固定化と封印で霊力の大半を使ってしまっている今の彼女では、上手く神に祈りを届けられない可能性が高かった。それでは助けられないどころか、ミカエラ自身まで含めて3人が死に瀕する事にもなりかねない。
だがアルベルトが、その未知の毒の解毒薬を持っているというのなら。
「ここには無いよ!アプローズ号の俺の部屋にあるんだ!」
残念ながら事はそう簡単にはいかなかった。となると一刻も早くレギーナをアプローズ号へ運び込まねばならない。アルベルトの意識があるうちに解毒薬を探してもらわなければ、最悪ふたりとも生命はない。
「[浄炎]⸺」
「くっ、[氷棺]!」
アルベルトの胸の傷にクレアが浄化の炎を当てて、応急ながら消毒を試みる。ミカエラは治療を一旦止めて、レギーナを氷の棺で覆って一時的に仮死状態にする決断をした。
「上にまだアルタンたちがいるはずだわ!呼んで来ましょう!」
ヴィオレが人手を呼ぶため、階段を駆け上がって行った。そしてすぐに第七の騎士たちを引き連れて戻ってくる。
「どうしたんすか、なんか戦利品でも⸺うわ!?」
促されるままに降りてきたアルタンたちが見たのは、氷漬けの勇者と血だらけのおっさん、そして脇腹から大量の血を流して倒れ伏したまま動かない獣人の少女。
「は、運んでくれ、早く⸺」
「えっ、どこに!?」
「アプローズ号!ウチらの専用車まで!」
「わ、分かりました!おい!」
「「「「了解!! 」」」」
そうして半壊滅状態の勇者パーティは、騎士たちの力を借りて地下から運び出された。だが地上へ戻り、城外へ出て厩舎エリアのアプローズ号にたどり着くまでは、まだまだ気の遠くなるほどの距離があった。
「ククク……これであの忌々しい小娘も終わりよ」
「だが解毒薬があると言っていたぞ。本当に大丈夫か?」
「…………あの奴隷もあの傷では助かるまいし、死ねば我らの仕業だとバレる心配などないのだから問題なかろう」
「なるほど、それもそうだな」
慌ただしく地上へと戻っていくミカエラたちは、その様子を隅の岩陰で窺っている男たちの存在に、最後まで気付くことはなかった。
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次回更新は4月16日です。
ところでこの作品、まだ一度もランキングに載ったことがないんですよね恥ずかしながら。なのでもしも気に入って頂けたなら、評価・ブックマークがまだの方がもしいらっしゃれば、どうか評価頂ければと思います。よろしくお願い申し上げます!




