4-36.激闘
挟み撃ちされた。
前から振り下ろされる鉤爪を迎撃しつつも、背後に迫る気配を鋭敏に感じ取ってレギーナは内心で舌打ちした。これほど接近されるまで気付かなかったのは濃密にまとわりつく瘴気のせいだが、それでも不覚には違いない。
今少し早く気付けていれば、躱すなり両撃するなりどうとでも対処できたが、タイミング的にもはやどちらかしか迎え撃てない。こうなればもう後方からの奇襲は展開している防御魔術に委ねるしかないが、おそらく前も後ろも黒幕の眷属だろう。となると防ぎきれるか心許ない。
最悪、致命傷さえ防げれば何とかなるだろう。親友の叫び声も聞こえたから彼女は気付いているし、もしも防御魔術を破られるようなら一時的にせよ戦線離脱するのは避けられないが、あとは彼女に任せるしかない。
刹那のうちにそこまで覚悟を決めたというのに、背後からの痛撃はついに訪れなかった。レギーナは振り下ろされる鉤爪をかろうじてドゥリンダナで受け止め、弾き返しざまに“開放”して敵の全身を斬り刻んだ。
眷属と思しき敵は断末魔の叫びすら上げられず、そのままクレアの浄化の炎で消滅していった。
「えっ」
そしてそのまま止まることなく振り返った彼女が見たのは、自分に背を向けて背後に割り込んだアルベルトの姿だった。その右腕が動いたのは、得物の片手剣を敵の身体から引き抜いたからだ。次いで左腕が動き、彼の影に隠れていた敵の姿が押されて崩れ落ちる。
祭官長のサメートンだった。敵の黒幕がその身から抜けて、すっかり亡き骸が転がっているだけだと思って油断していたが、要するに身体を乗っ取られた際に眷属に堕とされていたのだろう。
サメートンは心臓を一突きされ、完全に事切れていた。元が人間だったから、心臓を破壊されれば物理的にも活動できないということなのだろう。
「間に合って良かったよ」
立ち上がり、振り返りながらアルベルトが笑う。
「あ、ありがとう。その、助かったわ」
勇者らしからぬ失態を見せたという気恥ずかしさもあり、やや顔を背けながらもきちんとレギーナは礼を言った。大国エトルリアの王女でもあり、いつもは少々傍若無人なところもある彼女だが、助けられておいて礼も言えぬほど傲慢でもない。
「お礼は後だよ」
だがアルベルトの表情が引き締まる。
「次が来る」
「⸺!分かったわ!」
クレアの[浄炎柱]は相変わらず燃え盛っている。だがその額に玉のような汗がいくつも浮いているところを見ると、維持に苦心しているようだ。魔方陣で強化した上に彼女の持てる全霊力を注ぎ込んだというのに、それでも敵の無効化に対抗するので精一杯なのだろう。
つまりこの先の戦いにクレアの魔術支援は期待できない。それどころか無防備に立ち尽くす彼女を守りつつ戦わねばならない。彼女の[浄炎柱]がもしも無効化されてしまえば、瘴脈という魔力タンクが付いた状態のレギーナと同等以上の強敵に、対抗する手段がどれほど残っているものか。
『消せぬ!消せぬだと!?この儂が、炎を操れるこの儂が!』
黒幕の忌々しげな声が響く。どうやらクレアの方が勝ったようである。
『ええい!かくなる上は⸺』
だが喜びも束の間、黒幕の怒りの籠った声が響いた。
『[焼塵]ンン!』
瘴脈を中心に、炎の波が立ち上がり全方位に向けて拡がってゆく。イリュリアの首都ティルカンの地下通路の奥でクレアが放とうとしてミカエラにキャンセルされた、炎系最強の広範囲殲滅魔術だ。
「吸引⸺」
『なっ……!?』
だがレギーナたちがそれに飲み込まれるよりも早く、クレアの一言とともに炎の波は浄化の炎柱に取り込まれてしまう。
「燃料ありがとう。少し楽になった」
玉の汗を額に浮かべたまま、クレアが口角を上げた。要はどちらも魔術で起こした炎であるため、取り込んでしまえばそのまま魔力に変換されて増強されるのだ。そしてどちらが取り込む側かといえば当然、先ほど無効化の攻防に勝ったクレアの方である。
つまり、黒幕の得意とする炎系の魔術はその一切が無力化されたも同然だ。[浄炎柱]が発動している限り、全て取り込んでしまえるだろう。
『おっ、おのれ!』
「いい加減姿を見せなさいよ。それとも、そのままそこで浄化されたいわけ?」
悔しがる黒幕の声にレギーナが呆れ声で返す。ちょっとした挑発だが、奴が瘴脈から離れればそのぶんクレアの負担も減らせるし、直接攻撃が主体のレギーナ自身が戦いやすくなる。そして何より、瘴脈という無尽蔵に等しい魔力タンクから黒幕を引き離すだけで勝機が増すのだ。
『ククク……良かろう、そこまで言うなら儂が直接相手をしてやろう』
そして黒幕はその挑発に乗った。
「要するに、浄化の炎に焼かれるのが辛くなってきたから早く出て行きたい、ってところかな」
『そこォ!勝手な意訳をするでないわ!』
「あ、図星…」
せっかく格好つけたのに、身も蓋もなく言い当てられて黒幕が激高した。だが結局、炎の柱の中に人影が現れ、そして悠然とその姿を現した。
黒のタキシードの上下に、裏地の真っ赤な黒いマントを身につけた、浅黒い肌の人型の姿。短い髪も闇の色で、人類ならば白いはずの目も漆黒だ。そしてその中に浮かぶ真紅の瞳がレギーナたちを睥睨する。
「なんともまあ、酷い姿ね」
「やかましいわ!」
だがその姿はなんともボロボロだった。タキシードもマントも焼けて穴だらけで、肌が黒いのは表面が焼けただれているせいだ。髪が短いのも焼けてしまったからだろう、縮れて見るも無残な有様だった。
「このくらいはハンデにしておいてやろう!すぐに血の海に沈めてやるわ!」
「それはこっちのセリフだわ」
言い終えた瞬間には、レギーナが黒幕の目の前に迫っている。そのまま彼女は肩口に持ち上げたドゥリンダナを敵の胸めがけて突き出した。
「ぐっ……!?」
かろうじて跳躍しその切っ先を逃れた黒幕が顔を歪ませる。胸を押さえているところを見ると、完全には躱しきれなかったのだろう。
「小癪な!」
両手を振り上げれば、それを合図に空間内を無数に飛んでいた蝙蝠たちの大半が黒幕に纏わりつき、その身を隠した。それでようやく視界もクリアになってひと息つけたが、その代わりに蝙蝠の眷属たちを取り込んで黒幕が元の姿に戻っている。
漆黒の艷やかなタキシード。真っ白なシャツに黒い蝶ネクタイ。焼けただれた肌もすっかり綺麗に治って、漆黒のサラサラのロングヘアを靡かせる。一方で漆黒の目と真紅の瞳はそのままだ。
「ふはははは!我こそは誰あろう血鬼⸺」
「突き立て、[氷柱]!」
「ぬぐぁ!?」
傲然と胸を張り、声高に名乗りを上げ始めた黒幕のその胸に、いきなり氷の柱が突き立った。
「姫ちゃん!」
「レギーナ!」
蝙蝠の大半が消えたことで、ミカエラとヴィオレが駆け寄ってくる。そのミカエラが駆け寄りながら魔術を放ったのだ。
「お、おのれ!名乗りを上げる際は待つのが礼儀というものであろうが!」
「知らんわそんなん。戦いの最中にそげな勝手なルールば持ち出されたっちゃ通用するわけなかろうもん」
ミカエラはにべもなかった。多分ここまでほとんど活躍の機会がなかったから機嫌が悪いのだろう。
「まあでも」
「そうだね。自分で“血鬼”って名乗っちゃったからね」
「…………ああっ!」
語るに落ちたとはまさにこの事だ。もしも血祖であったなら、さすがに蒼薔薇騎士団といえど全滅も覚悟しなくてはならなかっただろう。だが血鬼であれば、まだ光明も見えてくる。先ほどミカエラが言ったとおりである。
「ぐぬぬ、舐めおってからに!」
血鬼は端正な顔を怒りに歪ませつつ、胸に突き立つ氷柱を引き抜いた。抜いたそばから血鬼の周囲をまだ飛んでいる蝙蝠が傷口に飛び込んで行き、あっという間に元通りになる。
「うーん、やっぱ魔術やのうして物理で杭打ちせな効かんごたる」
血鬼や血祖といった吸血魔に対抗する手段のひとつが、その心臓に杭を打ち付けることとされている。その杭が刺さっているうちは、奴らは身動きを封じられると言われているのだ。
だが今突き立っていたのはミカエラの魔術で、魔術だから[魔術防御]の影響を受ける。おそらくそれで効きが悪かったのだろう。
「じゃあどうするのよ。持ってないわよ杭なんて」
レギーナが苛立つ。さすがに用意のいいアルベルトの背嚢にもそんな物は入っていない。
だがアルベルトは落ち着き払っていた。
「杭なんていらないよ。それで充分」
「えっ?」
アルベルトが指し示したのは、レギーナが手に持つ愛剣ドゥリンダナだった。
「いえ、これは手放すわけには⸺」
「違う違う、斬れば効くから。上の層で俺の[破邪]がかかった時のままでしょ?」
「何をごちゃごちゃ言っている!」
「くっ!」
胸の傷を塞ぎ終えた血鬼がレギーナに踊りかかり、レギーナはそれをドゥリンダナで防ぐ。血鬼はその刃を躱しつつ、高い身体能力を見せつけるかのように鋭い手刀や蹴りを繰り出し彼女を翻弄する。鍛え抜かれた勇者の敏捷性と反応速度をもってしても捌くのに苦労するほどの連撃で、しかも膂力は明らかに彼女を上回っている。
「そりゃ斬れば効くでしょうけど!」
「そこは頑張って!」
「簡単に言ってくれるわね!」
「儂の攻撃を捌きつつ会話するとは余裕ではないか!ええ、勇者よ!」
「くぅっ!」
極限の攻防だったが、疲労の色が見え始めているレギーナのほうがわずかに手数で負けた。戦いつつ会話しようとしたことも影響したのだろう。
腹を蹴りぬかれてレギーナが吹っ飛んだ。すぐさま飛び起きるが、その時にはすでに上段を取られている。
「[拘束]!」
その血鬼の身体を青い光の環が囲んだ。「効かぬわ!」と声を上げて血鬼がそれを引き千切った時には、すでにレギーナは距離を取って態勢を立て直している。
「レギーナさん!」
再び血鬼と接近戦を始めたレギーナの背に、アルベルトが声をかけた。
「俺の[破邪]はユーリ直伝だからね!」
「それがなに⸺!」
咄嗟に言い返しかけたレギーナの言葉が止まった。動きを止めずに全身で血鬼に対抗しつつも、その顔に余裕の笑みが浮かび始める。
「ああ、そういうことね」
アルベルトはユーリと同じ白加護で、[破邪]の術式もユーリから教わったと言っていた。そしてユーリは血祖を討伐した経験があり、その場にはアルベルトも共にいたのだと彼は語った。
つまりユーリの[破邪]は血祖にすら効いたのだ。だったら血祖よりも総合能力値で劣る血鬼にそれが効かないはずがない。その術式をアルベルトは会得していて、そしてそれはドゥリンダナの刃に[付与]され[固定]を施された。つまりまだ効果が乗っているのだ。
「じゃ、やっぱり斬れば終わりね!」
「吐かしおったな!やれるものならやってみるがいい!」
精神的に余裕を持ち直したレギーナと、ここまで優位に戦いを進めて余裕たっぷりの血鬼。両者の戦いは激しさを増してゆく。
いつもお読みいただきありがとうございます。
四章の執筆がようやく完了しました!全44話で完結です!……今のペースだと5月末まで四章が続く……だと……!?(((゜д゜;)))
えっ去年の7月に始めた四章だけでほぼ1年使っちゃうの!?マジで!?Σ( ̄□ ̄;
もしもお気に召しましたら、継続して読みたいと思われましたら、作者のモチベーション維持のためにもぜひ評価・ブックマーク・いいねをお願い致します。頂けましたら作者が泣いて喜びますので、よろしくお願い申し上げます!
【お知らせ】
四章35話の後書きで書いた吸血魔の種類の項で紹介した、血霊を題材にした短編『ローグとフィオーラ』(https://ncode.syosetu.com/n3552if/)を公開しています。もし宜しければそちらも読んで頂ければ有り難いです。




