1-1.いつもの日常(1)
あけましておめでとうございます。
新規投稿です。よろしくお願いします。
「けははははは!!」
〈黄金の杯〉亭に、朝からけたたましい笑い声が響いていた。
「でね!でね!」
満面の笑みで話をしているのは蘇芳色の短髪に朱色の瞳の、片手剣を腰に佩いた小柄な女の戦士だ。少女と見まごう体格だが、こう見えても立派な大人である。はずだ。
「そこでアタシがブイーンって剣を振り回したらね!“灰熊”の首がちょんぱー!ってね!ちょんぱー!って!」
さも笑い話みたいにおかしそうに話しているが、灰熊と言えばかなり大型の獣で熟練冒険者でもひとりで立ち向かうのに勇気がいる強敵だ。魔獣でさえないただの獣だが、森で会ったらすぐ逃げろと言われるヤバい相手である。
それに立ち上がられると大柄な男よりも大きいので、少なくともこの少女…小柄な女性が剣を振り回したところで首になど届こうはずもない。
「えええっ!?すごいですね!」
この少女…女性の実力を知らなければ多分に誇張かホラにしか聞こえない話なのだが、話を聞いている少年は目を輝かせながら大袈裟に感動している。
まだ新人の冒険者であろうか、革鎧も着慣れていないようであちこち不恰好である。先輩冒険者の武勇伝はとりあえず褒めとくのがセオリーだが、どうも本気で信じ込んでいるようだ。
「相変わらず朝っぱらから騒々しいの、フリージア」
「あっざんでぃすー!おはよー!」
「おはよう、じゃないわい。新人捕まえて遊んどる暇があるんなら、サッサと依頼を受け取って来んかい」
彼女に声をかけてきたのは、岩妖精とも呼ばれるドワーフ族の戦士だ。小柄な体躯に岩のようながっしりした筋肉を全身に備え、髪と髭を豊かに蓄えるのがドワーフの特徴だ。戦士になる者が多いが、こう見えて敬虔な者が多く法術師、いわゆる聖職者を志す者も多い。冒険者でなければ鍛冶師や武器職人、宝飾などの細工師が多いという。
彼個人としてはオールバックにした紺色の髪とくすんだ黄色い瞳が印象的だが、それよりも何よりも目立つのは背中に背負っている自分の身丈ほどもある巨大な戦斧だ。まさかと思うが、それで戦うのだろうか。振り回したら逆に振り回されやしないか?
フリージア、と呼ばれた女性冒険者はたしなめられた事に文句も言わず「はーい!」と元気よく返事して奥のカウンターの方に走って行った。
「あやつの戦い方や武勇伝は参考にならんでの。話半分に聞いとく方がいいぞい」
「えっ、あっはい。そうなんですか」
ザンディス、と呼ばれたドワーフの大斧の戦士が新人にそう声をかけ、それで新人くんもようやく我に返ったようで神妙に頷いている。
実際、フリージアの戦い方と言えば、敵を見るやとりあえず突っ込んでスピードと瞬発力にモノを言わせてかき回し混乱させ、その隙に後続の追撃を待つというもので、信頼できる仲間がいなければ成り立たないのだ。そして信頼できる仲間であるところの“大斧”のザンディスは、いつも彼女の尻拭いをさせられているのだった。
「ざんでぃすー!今日は“黒狼”の群れだってー!」
「お前さん解っとるのかの?“黒狼”ならお前さんと相性最悪じゃぞ?」
黒狼、というのは群れで行動する大型の狼だ。とても素早く群れで組織的に戦うので、敏捷性で勝負をかけるフリージアの戦法が通じない可能性が非常に高い。
「なんとかなるっしょー!けはははは!」
とはいえフリージアは全く動じた風もない。黒狼もまた魔獣ではない普通の獣であり、その程度の相手に遅れを取るようなら彼女はとっくにどこかで命を落としているはずだ。
「やあフリージア。今日も元気そうだね」
と、そこへまた別の男が声をかけてきた。
くたびれた革鎧に使い込まれた片手剣。年齢も中年に差し掛かろうかという雰囲気で、一見してベテラン冒険者の趣きがある。短く刈って無造作に撫でつけただけの洒落っ気も何もない淡い黒髪と、くすんだグレーの瞳はどちらも没個性に過ぎて、逆に印象深くすらある。
彼はその瞳にとても穏やかな笑みを浮かべていて、その優しげな顔だけ見ればとても冒険者とは思えない。気のいい第一町人発見、と言われても納得してしまいそうだ。
「あっあるべるとー!おはよー!」
「お前さん人の名前はもっとハッキリ発音できんのかの…」
にこやかに元気よく挨拶するフリージアと、小言を言うザンディス。アルベルトと呼ばれたベテラン冒険者は苦笑しつつ、「まあまあ、聞き取れるから俺は構わないよ」と言って穏やかに場を収めようとする。
「あるべるとー!黒狼が出てるんだって!」
「そうなのかい?じゃあ俺も気を付けないとな」
「あるべるとも、黒狼やる?」
「うーん、依頼が出てれば受けるけど、どうかなあ?」
「そうだねえ、あるべるとが黒狼やっちゃうと、“薬草殺し”じゃなくて“黒狼殺し”になっちゃうもんね!」
「これフリージア!」
「…みゅ?」
屈託なく話し続けるフリージアの口から出た単語にザンディスが過敏に反応する。フリージアは何を咎められたのか解っていない様子で小首を傾げている。
「すまんなアルベルト。どうか許してやってくれんか」
「ああ、構わないよザンディスさん。そう言われてるのは事実なんだし」
だが言われた当人はケロッとしていた。
穏やかな笑みを崩そうともしない。
「…全く、どこのどいつが言い出したのか知らんが、人を敬う心も持てん馬鹿者が多すぎるわい」
ひとつため息を吐くとザンディスは小柄なフリージアの首根っこを捕まえて、集まってきていた他の仲間も連れて酒場を出ていった。
それを見送り、アルベルトも依頼受付のカウンターの方へと歩いていく。
「おい坊主」
それを何と声をかけていいか分からず立ち尽くして見送るだけの新人くんに、後ろから大柄な男が声をかける。両腰に2本の曲刀を提げた、いかつい戦士風の男だ。
「あっはい」
「間違っても、あんな奴を手本にすんじゃねえぞ」
それがアルベルトと呼ばれていたベテラン冒険者のことを言われているのだと気付くのに、新人くんには少し時間が必要だった。
“薬草殺し”と呼ばれていた彼の背を睨みつけながら、この双刀の男は忌々しげに吐き捨てるように言ったのだ。
「野郎はこのラグの面汚しだ。冒険者のくせに薬草しか狩れないような臆病者の真似なんざ、死んでもすんじゃねぇぞ」
「あ…はい、分かりました…」
「おい、何やってるガンヅ。ガキのお守りしてる暇なんてあるのか?そんなのは“薬草殺し”にでもやらせとけ」
「あっハイ、スンマセン」
ガンヅと呼ばれた双刀の男は一転して卑屈そうな笑みを浮かべると、新人くんの前から小走りに去って行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アルさんおはよう」
「うん、おはよう。アヴリーも元気そうで何よりだね」
「…毎日顔合わせてるのに、その挨拶、いる?」
アルベルトが向かい合う依頼受付カウンターの向こうにいるのは、ギルド受付嬢兼給仕娘のアヴリーだ。〈黄金の杯〉亭は朝は冒険者の酒場としての営業をやっていないので、彼女も朝は冒険者ギルドの受付嬢として本業に励んでいるのだ。
「そりゃ要るでしょ、毎晩遅くまで酒場で酔っ払いの相手しているのに毎朝こうして出てきてるんだから。
ていうかニースの姿が見えないね?」
「あの子また二日酔いで寝込んでるわ。だから客に誘われるまま飲むなっつってんのに」
「ははは。まああの子も入ったばかりだし、おいおい分かってくるんじゃないか?」
ニース、というのは今年入ったばかりの新人給仕娘だ。まだ1ヶ月ほどなので覚えるべき仕事も多いのだが、しょっちゅう酒場の客と盛り上がっては二日酔いで寝込んでいる。
〈黄金の杯〉亭は冒険者ギルドなのだから、それじゃ困るんだけど…とアヴリーは頭を振ってため息を吐く。それに合わせてうなじで無造作に束ねただけのくすんだ亜麻色の髪がなびき、深い青色の瞳が憂いに揺れる。
そのアヴリーは18歳の頃から勤続12年、〈黄金の杯〉亭の従業員では一番の古株だ。ニースに密かに「お局さま」「オバサン」と呼ばれていることを、彼女は知らない。
「でね、今日の依頼だけど、いつものやつ」
アヴリーが出してきた依頼書はいつもの薬草採取の依頼だ。神教ラグ神殿からアルベルトに名指しで出される依頼で、ほぼ毎日のように送られてくる。
だからこれがアルベルトの主な収入源になっている。
神教というのは、“どこにもない楽園”と呼ばれる楽園に住まうという神々を信奉する、この西方世界でもっとも信者数の多い宗教だ。“ラティアース”と呼ばれるこの世界の森羅万象を構成する根源要素となる、五種類の魔力に対応した五つの宗派を持ち、人々に多くの恵みと安らぎをもたらしてくれる。
総本山はエトルリア連邦の代表都市フローレンティアにあり、この“自由都市”ラグにも都市神殿を構えている。怪我や死亡事故の多いラグの冒険者たちも大半が一度はお世話になった事があるだろう。
どういうわけかそのラグ神殿の神殿長がアルベルトのことを気にかけていて、それで彼を名指しで神殿で使う薬草や香草の採取を依頼してくれるのだ。
アルベルト本人はもちろん依頼を仲介する立場のアヴリーも、神殿長がアルベルトを名指しする理由を知っていたが、そうした詳しい事情を知らない外野から見れば「えこひいき」にも見えなくもない。ただでさえ冒険者というのはその日暮しで、どうやって依頼を受けて報酬を得るかが問題なのに、報酬が安いとはいえ安定的に依頼を受けられるアルベルトはやっかみの対象でもあるのだ。
そうした嫉妬のひとつが“薬草殺し”の呼び名である。薬草採取をメインの仕事にしているのをあげつらって「薬草しか殺せない」と陰口を叩いているわけだ。
「薬草と香草と、今日は毒草も。それぞれ3種類ずつだから確認して」
「うん、いつものやつだね。全部ラグ山で採れるやつだよ」
ラグ市は“竜翼山脈”の南端からやや離れた独立山稜である“ラグ山”の麓にある。竜翼山脈の南に広がる“竜尾平野”の北西に位置する都市だ。竜尾平野に点在する各都市はどこの国家にも属さない“自由都市”で、一帯は周辺国が軍事行動を起こさないように協定ができていて、“中立自治州スラヴィア”として事実上独立している。
この肥沃な平野には確固たる国家組織がなく、小さな都市国家が乱立していた。そのため、かつてはこの地を支配下に収めようと周辺の大国同士が争っていたという。西のエトルリア連邦、北のアウストリー公国、北東の王政マジャルに東のヴァルガン王国、そして南のイリシャ連邦などだ。
だが戦乱が続き疲弊するばかりのスラヴィア地域の各都市の住民たちは、このままでは蹂躙され滅ぼされるのを待つばかりだ、と危機感を持ち、ついには各々が武器を取って立ち上がったという。
そうして彼らは各国軍と戦い実力で追い出したのだ。
指導者もなく、ひとつにもまとまらないままに。
以来、周辺各国はこの地を「不戦地域」とすることを決め、それでスラヴィア地方の各都市は“自由都市”を名乗っていて、それぞれ領主として辺境伯を戴く都市国家の体裁を取っている。中でも最初にその名を勝ち取ったラグ市には自由を求める冒険者たちが多く集まるようになり、それで今や「冒険者の街」として西方世界で知らぬものもない。
一説によれば約1万人の住民の過半が冒険者とその家族だというから、いかに冒険者が多いか分かろうというものだ。
そしてラグには「冒険者の宿」「冒険者ギルド」が林立することになった。中でも双璧と言える老舗ギルドがこの〈黄金の杯〉と〈竜の泉〉亭であった。
「邪魔だ“薬草殺し”、さっさと退け」
不意にアルベルトの後ろから声がかかる。
腰に2本の曲刀を提げた戦士、ガンヅだ。
「おっと、悪いねガンヅ。すぐに退くよ」
アルベルトは気にする風もなく場所を譲ってやった。そのまま依頼書の控えを手にカウンターを離れていく。
「ガンヅ、アンタねえ。アルさんをそんな風に呼ぶなって私前にも言ったよね?
てか何?依頼受けるつもりあるの?」
不快な表情を隠そうともしないアヴリーだが、ふと意外そうな顔になる。
「なんだ、冒険者が依頼受けちゃいけねえって法はねえだろ」
「いやアンタ、普段はもう全然受けようともしないくせに…」
ガンヅは最近とある冒険者グループに加入して、そちらから仕事を回して貰っているようで、この依頼カウンターに顔を出すのも久しぶりだった。
「…って、セルペンス、アンタまで⁉」
アヴリーがガンヅの後ろにいる男に気付いて驚きの声を上げる。
セルペンスと呼ばれた目つきの悪いスキンヘッドの男こそが、ガンヅが加入したというグループのリーダーだった。
「依頼受けねえとテメエが査定下げるだろうがよ。いいから適当なやつ寄越しやがれ」
「ま…まあそうだけど。
じゃあ…これとか?」
釈然としないながらもアヴリーは魔獣討伐の依頼書を出してくる。
セルペンスはそれを見もせずひったくると「行くぞ」とガンヅに声をかけ、周りに居並ぶ仲間たちと歩き去って行った。
「こりゃあ、明日は槍の雨が降るわ…」
悪い予感に身を竦めながら、アヴリーは呟くしかなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それじゃあアナスタシア、今日も行ってくるよ」
アルベルトが話しかけているのは人ではない。
彼は墓石に向かって語りかけていた。
ラグ市の北門を出たところにある街の共同墓地、その片隅にアルベルトは来ていた。
ここに、彼がずっと世話をしている墓がある。彼のかつての冒険者仲間で、とある冒険で命を落とした少女の墓だった。その少女の名をアナスタシアという。
ほぼ毎日この墓に来て、水を替え花を供えて世間話をして、それから薬草採取の依頼をこなしに山へと向かうのがアルベルトの日課になっている。
朝、山に登る前に声をかけ、採取を終えて山から戻っては声をかけ。そうして足繁く通うアルベルトの姿はこれもまた侮蔑と嘲弄と忌避の対象になっていた。
アナスタシアはラグでアルベルトとともに冒険者として活動していたのだが、生前にその言動から“破壊の魔女”という、これまた不名誉な渾名を付けられていた。今となってはその渾名だけが人々の記憶に残り、それでアルベルトは“魔女の墓守”とも呼ばれていたのだ。
実のところアナスタシアは魔力のコントロールが不得手な魔術師で魔術を暴走させてしまうことが多く、結果として必要以上にあれこれ破壊してしまうから恐れられていただけで本当は魔女でも何でもないのだが、人の記憶など曖昧でいい加減なものである。彼女が死んで18年も経った今となっては、詳しい事情を知らない人々にとってアルベルトは、ともすれば「世界を滅ぼしかねない恐ろしい魔女の墓を守っているとんでもない異端者」とさえ思われていた。
もしも本当にそうなのなら、そんな恐ろしい魔女の墓が共同墓地になどあるはずがないのに。
「今日も精が出るのお、アルベルト」
そのアルベルトに声をかけてきた者がいる。この共同墓地を長年守っている墓守の老人だ。
彼はもちろんアルベルトのこともアナスタシアのこともよく知っていて、だからアルベルトに対する誤解や偏見もない。むしろ彼のことを敬虔な神教徒⸺神徒⸺だと讃えてさえいた。
「おはよう、ユージンさん。
……俺が声をかけてやらないと、もう俺以外に墓参りする人もこの街にはほとんどいないからね」
老人に応えつつ、アルベルトは寂しそうに空を仰ぐ。
「だから彼女を、ナーシャを寂しがらせちゃいけないと思ってさ」
アルベルトは彼女のことを愛称で呼んだ。
今は亡き幼馴染の少女を、愛おしそうにそう呼んだのだった。
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