八人
事件前の町の人口、千二百三十六人。
救出者、私を含めて八人。
死者は――――数えたくない。計算もしない。
私とエリカを助けに来てくれたのは、エリクソン家の令嬢、マリーさんでした。
医師の家系であるマリーさんは医療知識に優れているようで、私の右手を見て爪が剥がれかけていることに気付くとすぐに布を当てて、包帯で巻き、止血してくれました。
それから制止を振り切って、私も救助活動へ参加。
――でも、力及ばず。…………私が、最後の救出者となってしまいました。
スコップやシャベルのような道具さえあれば、土を掘るのは簡単です。何せ、軽いので。
表面の固いところさえ崩してしまえば、あとはもう、発泡スチロールの粉に埋まっている人を救出するような、そういう感覚。
でも……。
とにかく掘っても掘っても『生死に関わらず人が出てこない』。
原因は、エリカの死を目の当たりにした、次の瞬間にありました。
私のはじめての友人は息を引き取るとすぐ、見る見るうちに肉体を土へと変えてしまったのです。
生まれ変わってから一度も人の死を目の当たりにしてこなかったから、知らなかったのですが。マリーさんが言うには、この世界の土は、遺体も遺骨も、すぐに自然へ還してくれるそう。
『人も物も、役目を終えたら、自然へ還る』
それがこの世界、グリフィールドの掟――。
もしかしたら医師家系のマリーさんは、何度もその場面を目撃してきたのかもしれません。
◇◆◇◆◇
夜になって、生き残った八人は孤独を嫌うように身を寄せ合いました。
これまで私たちを守ってくれていた家は全て無くなり、家族も友人も失って、デコボコの大地だけがある状況――。火も熾せませんし、熾したとしてロウソクや油もありません。
「リタ様、少しでもお座りになられてください」
マリーさんが敬語を使いながら、私の身を気遣ってくれる。
昼下がりのガーデンテラスは周りの人から離れているから気兼ねのない喋り口だったけれど、今はそういう状況ではない――という判断でしょうか。
気を遣ってくれるのは、嬉しい。
それでも私は、立ち続けました。
「いい。ボクのことは、気にするな」
どこかで声がしたり、土が動いたり――。そんなことを期待して立っていたけれど、月と星の光だけでは僅かな動きなんて見えないですし、夜というのは虫の鳴く声がうるさくて、細かい音は聞こえそうにありません。
それでも――。
「…………失礼ですが、それは領主――ロメール家の長女としての責任感……でしょうか?」
「――そう、かもしれないな」
私の家も土の山になって、鉄製品を除くほとんどの物品は人体と同じく、すでに土に返ってしまったようでした。
どうやら鉄は、自然に還すことが難しいみたい。
もちろん土を掘って両親の姿を探したけれど、軽い土を崩していった先に待っていたのは、踏み固められた大地。
「そうですか。――では私も、エリクソン家……この町を守護する医師家系の長女として、振る舞わせて頂きます」
言うとマリーさんは、後ろから私の両肩を掴んで強引に後ろへ引き、次いで膝の裏を軽く蹴ってきた。
私は膝から崩れて、ドッと地面に尻餅をつく。
「いた――――っ」
「怪我人は大人しくしてろッ!! 助けが来なかったら、地力で歩くしかないんだぞ!!」
鬼気迫る顔で言われて、私はようやく自分の愚かさに気付かされました。
普段は、領主の娘とか、そういう身分を嫌っていたのに。こういう時だけ領主の娘として振る舞うのは、きっと、正しくない行いなのでしょう。
できる限りの捜索は終わって、次はもう、ここまで生き残った人間が行き倒れたりしないように、一人一人が無駄を慎むべき――。
「…………あ、ありがとう」
水も食べ物も安全な場所さえも確保できず、他の町からの救助も来ない。一番近い町は馬車で丸一日の距離――。静かで長閑な世界にあれだけの爆発音が響いたなら、異変に気付いて駆けつけてくれたっておかしくない気もするけれど……。
移動手段であった馬車は、どこにも見当たりません。馬も車も、きっとエリカと同じように、土に還ってしまったのだと思います。
「――――で、リタ様。明日以降はどう致しましょうか」
「どう――と、言われても。ここはもう、町とは呼べないだろう。マリーが言うように、救助が来なければ移動するほかない。隣町は歩いて……二日か三日もあれば、辿り着くだろう」
助かった八人は、全て同じ学び舎、ハンドメルト校の女生徒でした。
学校には、勉強をするための木製椅子と机が沢山あります。
爆風で飛び散る窓ガラスの破片が、幸運にも当たらず。そして飛ばされた机が上手く重なって隙間ができて、そこに閉じ込められた。
本当に奇跡としか言いようのない組み合わせで助かったのが、この八人。
もっとも、私に関しては――。
エリカの体の向こう側には、壊れた机が折り重なっていました。もしもエリカの傷がガラスではなく木片によるものだったとしたら……。私が助かったのは偶然や奇跡なんかじゃなくて、大切な友人に救ってもらったことになります。
…………絶対に、生き残らなくては。
助かった人の多くは二階以上を使っていた上級生で、マリーさんを含む三人は、地力で土を動かして脱出できたそうです。
「では明日、全員で移動を開始しましょう」
片腕に裂傷がある人、腕の骨が折れている人――。私より重症に見える人は、います。
けれど全員、足は動きました。
窓ガラスが腰より高い位置にしかなかったから、傷も上半身に集中した……かもしれません。でもそれは足を守ったけれど心臓や頭部は守らなかったはずで、きっと、幸運と呼んではいけないのでしょう。
「……ああ。そうだな」
頷くと、急に後ろからポンポンと肩を叩かれ、私は少しの驚きを交えながら振り向きました。
「あの――、これ……」
蚊の鳴くような声で、あまり見覚えのない女の子が一つの根菜のようなものを持ってきてくれています。小柄で、見るからに人見知りをしそうな人です。
「これは……?」
「割ると――、水……スープみたいな……」
「水分が出てくるのか?」
「はい――」
折角渡されたのだから、と受け取って、どうやって割ろうか考える。
この状況での水分は貴重どころか命を繋ぐものです。私だけで飲み干すわけにもいかないでしょうけれど――。
見た目は丸い大根……、いや、カブ……かな?
考え込む私を、マリーさんが意外そうな目で見てきます。どうやら彼女はこの根菜を知っているようで、「リタ様はご存じないのですか?」と訊いてきました。
「見たことがないな」
首を軽く傾げて答えた私に対して、二の句を継ぎます。
「これは『ココ』という果実の一種です。地中で育つ作物の中で唯一、果実に分類されていて、殻の中にスープのような水を溜め込むんですよ」
「へえ……。貴重なものなのか?」
「そうですね。千年以上前には『放っておけば育つ』とまで言われていたようですが、町中では育たないですし売り物にもならないので、今では中々育てている農家がありません。――しかし、確かココは一度根を生やすと、周囲一帯で収穫できるようになる――という話です」
芋とか、そんな感じなのかな。あれも大抵の環境で収穫できるって、聞いたことがあるような。
再び肩が、ポンポンと叩かれます。
振り向くとさっきの女の子が、すぐ下の土を掘って、新しいココを探り当てていました。
「ここ、ココの群生地かも……」
「「本当か!?」」
私とマリーさんは男の子っぽい調子で声を合わせました。
他の子も一緒に土を掘ると、大量のココが出てきます。
レコの残骸だから土も軽くて、救出作業用に持ち寄った誰のものとも知れぬ鉄製のシャベルさえあれば、簡単に掘ることができました。
「リタ様、ココはこうやって割るんですよ」
マリーさんはスコップを裏返して、ココをコンコンと強めに打ち付ける。
するとヒビが入って、そこに両手の親指を入れて上下に分離させました。
卵みたいだ。
「わっ――。良い匂い――だ。……いただきますっ」
中身のスープを一口、コクリと飲んでみると、仄かに甘くてミルクっぽい、じゃがいものポタージュのような味でした。
「美味しい……! これ、なんで売り物にならないんだ?」
「土から出すとすぐに濁って、飲めなくなってしまうんです。掘りたてはこの通り、美味しいのですが」
「そうか――。………………ボクは、この世界のことを、何も知らないのだな…………」
家の敷地から出ることをあまり許されていなかったから――かもしれない。それでも私は、この世界について疎すぎる。
そもそも、あの爆発は一体――?
この世界で爆発物の話は、聞いたことがありません。この領が属する国はもう三百年以上戦争のない、平和な国ですし。犯罪も少なく、人々も温厚だと思います。
もしダイナマイトのようなものが作られたとすれば…………。三百年の平和が、簡単に脅かされてしまうのでは……?
――この町のように。
そう考えると、やっぱり、隣町だってどうなっていることか。
「マリー。提案があるんだ」
それから私は、生き残った八人を『隣町へ向かう四人』と『この場所で当面生きていくためにできることを探る四人』の、二手に分ける案を伝えました。
徒歩なら二日か三日でも、馬車なら一日の距離。隣町が無事であったなら、あとで迎えに来てもらえばいいでしょう。ココで水分が摂取できるなら、それぐらいの日数は生き残れそうです。
でも、もし隣町が無事でなかったなら――。
地図も持たずにどこまでも歩くよりは、ここを拠点にしばらくを生き凌ぐほうが現実的――かもしれません。