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その日は、突然に

 翌日、マルシアちゃん御一行が帰路に就こうとしているところで、急にマリーさんが私たちを一カ所へ集めました。

 そしてバッと頭を下げられます。


「すまない。私は今日でダリア領へ行くことになった」

「え……?」


 私だけではなく、周囲の、恐らく全員が疑問を呈します。

 だって彼女が旅立つ日はちゃんと予定立てられていて、まだ遠かったはず。


「昨日、マルシアに相談したんだ。彼女の目で見てこの場所が大丈夫だと思えたら、私を連れて行ってくれ――と」

「なっ……。どうしてそんなに急いで!?」

「それは――」


 彼女は唇を()むと、覚悟を決めたような目を私へ向けて、理由を言葉にします。


「私には、ここにいる資格がないと感じているからだ」

「資格? そんなもの、いつ必要になった!?」


 どうしても声が荒くなります。

 だって、本当に納得できていないのですから。


「リタ……。きみは本当に強い。リオネロ領でドナテルドを追い詰めたとき……。もし私がきみの力を持っていたら、きっと――。いや間違いなく、殺していた」

「それは――っ。ボクだって、そういう気持ちが湧かなかったわけではない!」


 言い合いのようになってしまいます。


「しかしドナテルドを今でも殺したいほど憎んでいるわけでは、ないのだろう?」

「……人を憎むというのは、それだけで(つら)いことだ。ボクはあんな人間に縛られたくないという、ただそれだけで――」

「それが強さだ。今でも、あの時に殺しておけばよかったと夢に見る私とは、違う。きみだけじゃない、みんなも……。本当に笑って、楽しそうに町の復興をしている。…………だが私はどうだ? 元の町の姿が頭にチラつく。あの崩壊がドナテルドの手で起こされたと思うと、本当に笑って楽しむなんて、できるわけがない!」


 …………私は、少し後悔をしました。

 笑顔で、未来だけを見る。

 それが私の心にも、みんなの心にとっても、最善であると信じていました。だってそうじゃないと、こんな状況ではすぐに下を向いてしまって、もっと辛くなる。――泣きたくなる。

 でもきっと、マリーさんはそのせいで……。


「ボクたちが追い詰めてしまった……のか」

「そんなことはない! ただ、私は――っ。これほど過去に(とら)われて人を恨む自分に医師を志す資格があるのか、不安になった。それだけだ」


 きっと、マリーさんの決意を変えることはできない。

 そもそも医学に進む彼女を笑って見送ろうと決めたはずで、それまでの時間が短くなったという、だけの話。

 思い起こすと、毎日のようにニーナへ狩猟技術を伝えていたことも、そこへターシャを巻き込んで食肉解体を教えていたことも、全ては一刻も早くこの場所を去るための準備だったのかもしれません。

 私は一度、周りにいる全員の表情に目を配って、その心情が一色ではないことを察しました。


「――わかった。みんな、マリーを笑顔で送りだそう。元々そのつもりだったのだから」


 するとマリーさんと最も濃密な時間を過ごしたであろうニーナが、苦しそうな表情で不安を吐露します。


「でも……。マリーは、帰ってくるっていう話で……」

「それはマリーが決めることだ。ボクたちが決めることではない」

「そう……、そうさー……ね」

「――ボクはマリーの未来を、縛りたくない」


 これは本音であり、でも、全てではありません。

 複雑な胸中でいることはもう、全員が同じ事だと、十分に伝わってきています。

 私はマリーさんへゆっくり歩み寄って彼女の右手をバシッと(つか)むと、そのまま少しだけ引き寄せて両手で包みこみました。

 ――――女性としては少し太くて、傷の多い、手のひら。

 彼女は危険を冒す狩猟をする中で、小さな()()を何度も負っていました。


「ボクたちは止めない。そして、止まらない。()()で築き上げたこの町の基礎を、どこまでも発展させていく」

「――――――ありがとう。暮らす場所は遠く離れても、ロメールの成功を祈っているよ」


 低く響く、私よりも男性的で、優しくて、暖かい声。

 しばらくはこの声が、聞けなくなるんだ……。


「でも、一言だけ言わせてくれ」


 私は一度唾を飲み込んで、背の高い彼女をすぐ下から見上げました。

 感情が爆発するのを堪えるにも、限界があります。


「全部私たちに黙って一人で決めるなんて、水くさいじゃないですか、バカっ!!」

「ば、バカ……?」

「そうですよ! 私たちはあなたを信頼していたから、誰一人疑わずに、来る日までを精一杯生きて過ごそうとしていたんです! それなのに……、バカ……。バカあぁぁ……っ」


 胸に飛び込んでギュッと体を抱きしめて……涙で、声が震えました。


「……『私』、か。きみが本来の言葉になるのは、エリカくんが亡くなったときと、ドナテルドを追い込んだときだけ……だったな。――――ありがとう、そこまで(おも)ってくれて」

「本当に、なんで一人で苦しんでいたんですか……っ」

「すまない。――本当に、すまない」


 (ひと)(しき)り泣いたあと。

 気付けば私以外のみんなもマリーさんを囲むように立っていて、それぞれに別れの挨拶を済ませていきました。

 泣いた人、本当に笑顔で送り出せた人、必ず帰ってきて欲しいと願う人……。


 そしてマリーさんは、マルシアちゃんの一行へ合流して鑑定士の兄妹と同じ馬車に乗ると、ちょっとした衣服だけで特にこれといって持つ物もなく、旅立っていきました。

 馬車が一つずつ走って行って、マルシアちゃんとメイドさんの乗る二人用の馬車が最後に出立しようとします。


「マルシア、頼んだぞ」

「必ず、医学を学べる場所まで連れて行くことを約束します。医師を志す者には元々国の手厚い保護が与えられますが、ダリア領としてエリクソン家のご令嬢には、そうして振る舞えるだけの金銭の補償もしましょう」

「助かる。あと、これを――――」


 私はせめて、ロメールのものを何か一つでも持たせたいと思って、木のコップを渡しました。

 工芸品として売っているものとはひと味違って、荒く彫られたコップ。

 マリーさんが最初に仕上げたものです。


「直接お渡しになられたほうが、よろしいのでは?」

「感傷的になりすぎると、引き留めたくなってしまう。ボクが大丈夫だとしても、きっと誰かが――」

「…………それほどまでに大きな存在でしたのね。――わかりました。あとで渡しておきます」


 その会話を最後に、馭者が馬を走らせて、マルシアちゃんの乗った馬車も遠景へ向いて小さくなっていきました。


「――――みんな、一つだけ約束をしよう。……いや、ここが国なら、法律を作ろう」


 そして私たちは、あまりにも規模の小さなロメールを国と認識して、最初の法律を作りました。


『辛いことは、追い詰められる前に誰かへ相談する』


 遅きに失した最初の法律が、生まれた瞬間でした。

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