崩壊
どこが壁か天井かもわからない暗がりの中で、目を覚ましました。鼻の奥で煙臭さを感じて、思いっきり咳き込んでしまいます。
ここがどこかはわからない――。けれど、土のようなものに背中を預けてもたれ掛かっていることは、感覚的にわかります。
「――お目覚めですか、お嬢様」
この声と毎朝の同じ台詞は、エリカだ。――でも、天蓋付きベッドじゃない。
嫌な予感がして、声の鳴ったほうへ右手を差し伸ばします。
「おいっ、エリ――、カ……?」
すると暗闇へ差し伸ばしたほうではなく、地面に触れていた左手に、ヌルリと嫌な感触を覚えました。
ただの水じゃない、ベトつき。
私の体は所々で痛むけれど、強く打ちつけたような痛み。どこかが欠損しているとか、何かが刺さっているとか、鋭利なもので切れたとか、そういう感覚は一つもありません。
でもこれ――――。多分、大量の血です。
「エリカ!?」
「よかった……。リタ様に何かあっては、領主様に怒られてしまいます……」
暗闇で響く言葉に、いつもの力強さや余裕がありません。
「ちょっと待ってて! 今、光を――ッ」
「おやめください。下手に触れては、崩れてしまうかもしれません」
多分、あの爆発が近くでも起こって、建物の下敷きになった。
建物はレコで作られていて、レコは土のような感触だったから…………。壊れて、土に戻った?
いえっ、でもレコは軽いはず。
「ふっ――――!!」
座ると頭にこすれる程度の高さの天井を、両手で思いっきり押し上げてみる。
硬く重い土を押した感覚はなく、ある程度の重みは感じるけれど、頑張れば持ち上げられないこともない。
よかった。これなら――
「…………え?」
ちょっと待って。
あの大きなレコ一つで、コップ一杯くらいの重さしかなかったんだよ?
それが『頑張れば持ち上げられないこともない程度』って……。
力尽くで押し上げると、確かに土は動きます。全力で持ち上げたら、膝が経つぐらいまでは押し上がりました。――けれど。
「……どうしよう。土の量が多すぎる……」
多分私たちは、大量の土の中。きっと数メートルは掘り進まないと外に出られないようなところで、埋まっている。
校舎は四階建てで、授業を受けていたのは一階。頭上の床や壁、天井――。あらゆる構造体が全て土に戻ったと仮定すると、ありえない話とは言えません。
でも、どうしてここにだけ空間が……?
光が欲しい。
何も見えないんじゃ、何もわからない。
エリカが今、どんな状態なのかさえ……。
下手に触って傷口だったらと思うと、声がするほうへ手を伸ばすことさえも、怖い。
「エリカ、怪我してるんでしょ?」
「……この暗闇で、わかりましたか。……さすがです」
「わかるわよ!! 何年一緒にいると思ってるの!?」
「はは……。そうです……ね。いくら私でも、これを誤魔化すのは、難しそうです」
「――そんなに酷いの?」
私の質問に、エリカは答えてくれなかった。
もし大したことが無いなら、私より先に動いて、解決策を探っているはず。エリカはいつも私を守ってくれていた。
「そうだ! 横に動かせば――!!」
試しにやってみると、グッと力を込めれば、動くには動きました。でもすぐに上の土が落ちてきて、押し込んだ手の上に降り注いでしまいます。
下手に動かせば崩落する――。そうなれば重さで潰されなくたって、息ができなくて窒息死してしまうでしょう。
「じゃあ、上に向かって掘る――ッ!!」
横に行くよりは、天井を掘ったほうが崩落の危険は少ないはず。――でもレコは、軽くても、立方体を保てる程度には硬いもの。
スライムを接着剤とするだけで、千年を超えて欠損無く耐える構造体です。泡のように軽いから泡のようにふわふわだとは、限りません。
ちゃんと切りそろえたはずの爪に、割れるような痛みが走りました。
「上も無理…………なの?」
救助を待つしか無い――。
そう覚悟した瞬間、スラックスの端を、エリカが握ってきました。
「どうしたの?」
「…………少し、お話をしませんか?」
弱々しく言われて、ああ、きっとエリカは『怖い』んだ――と察しました。
どんなに素晴らしいメイドとして振る舞っていても、中身は私と同じ歳の、女の子。暗闇の中で身動き一つ取れず、痛みに耐えながら、私が目を覚ますのを待って――。
普通なら、気がおかしくなっても不思議じゃない。
「うん。いいよ」
それから私たちは『外がどうなっているか』『救助されたら何がしたいか』『夕飯は何を食べたいか』――――そんなお喋りを、できるだけ普段と変わらないように、しました。
「――私、今はじめて、リタ様とお話しできた気がします」
「そんなこと――。ずっと一緒にいたじゃない」
「いいえ……。リタ様はいつも、思うように話すことのできない……もどかしさを、抱えているように見えました。――でも今は、そういう感じがしません」
…………そういえば。一人称もボクじゃなくなっているし、口調も女の子っぽく喋れています。
思ったこととちょっと違うことが口に出るなんてことが、ありません。
――私はこれまで、前世の記憶があることを誰にも打ち明けてきませんでした。それを話してしまうと、妄想癖とか虚言癖とか、そういう方向へ心配されてしまうだろうと、勝手に思っていたからです。
「…………ねえ、エリカ。――――――――――――あと、どれぐらい話せそう?」
「――――わかりません。もうそろそろ、お終いかもしれないです」
エリカは怖がっている。
迫り来る死の恐怖に、怯えている。
「……死ぬの、怖い?」
「………………怖くないはず、ないじゃないですか」
――――よかった。
私は今、はじめて、エリカに頼られている。本音のエリカとお話ししているんだ。
ありったけの勇気を振り絞って、手探りで、エリカの手を探し出す。
想像していたよりも遙かに、冷たかった。
他の世界から生まれ変わった――。そんな話を一からしている余裕は、ないのかもしれません。
「ねえ、エリカ――。――――死ぬのは、怖くないことだよ」
「……リタ……様?」
「死んだら、神様みたいな人が待っているの。そこで今までの人生を振り返って、次の人生に何が必要かを、訊かれるんだ」
「――――意外、です。リタ様が、そんなお伽噺みたいなことを……」
「本当のことだよ。私はね、前の人生で死んだ後、『男の子みたいな人生』と『友達と沢山遊べる人生』をお願いしたの」
「…………ああ。……それで、そんなに凜々しく…………」
「酷いよね! 本当は男の子になりたくて『男の子みたいな人生を――』って言ったのに、言葉のとおり『男の子みたい』にされちゃった!」
「……ははっ……。…………神様も、間違いを犯すの、です、ね……」
「ほんとだよ! 友達と遊べる人生って言ったのに、全っ然、友達と遊んでなんかないし! エリカには、何度も振られるしさぁ……」
「ああ。……それであんなに、お友達に――――と」
「そう!」
答えるとエリカは、少しの間、沈黙を作りました。
急にシンと静かになったけれど、なんとなく、これはエリカが考える間を作っているんだ――、と察せます。それほど長い時間を一緒に生きてきました。
数秒でしょうか。
もう少しだけ待つと、エリカは再び喋りはじめました。
「…………私たち、六歳の頃から、ずっと一緒でしたね」
「――うん。朝起きたらエリカがいて、お昼もエリカといて、お夕食の時だけエリカはいなくて、寝る前にもエリカは――。そんな生活が、もう九年」
「そうですね。…………リタ様が硬いボールを投げて、領主様の頭にぶつけてしまった日は、一緒に謝りました。…………ランチでリタ様が苦手なお野菜を残すと、私がこっそり処分していました。…………二人で木に登ったけれど降りられなくなって、リタ様が泣くのをずっと宥めていたこともありましたね」
「うっ――。なんかそれだと、私ばっかり迷惑かけてるみたいだよ。――――エリカだって、昔はお裁縫が苦手でさ……。取れそうになったボタンを切り取ろうとして生地までハサミで切っちゃったけど、怒られないように『私がやった』ってことにしたじゃない」
あれ……。私、なんで死にそうなエリカに、こんなこと喋ってるんだろ。
「他にもさ。卵がキレイに焼けなくて焦げ焦げになっても、私、全部食べてあげたし」
でもこれ、思ったことが口に出ないわけじゃない。
「…………そうでしたね」
「カーペットに紅茶を全部こぼして、慌てて拭き始めたと思ったら雑巾じゃなくて、私が一番お気に入りの服だった、とか!」
「……懐かしいです」
私が喋りたくて、喋ってるんだ。
完璧に見えて実は不器用なところのある、めちゃんこ可愛いメイドさん。
エリカ。
こんな私と、ずっと一緒にいてくれた人――。
「リタ様。――――神様は嘘なんて、仰らないですよ」
…………そっか。
「だって私たち、沢山楽しいことを、一緒にやってきたじゃないですか」
「――――うん。楽しかったね」
実は、私の願いって――。
「一緒に何かを楽しむことができたら――。それはきっと、言葉に出さなくても…………」
「うん。そうだよ……ね。沢山…………数え切れないぐらい、沢山…………二人で、一緒に、……笑ったもんね」
私はずっと堪えていた涙を、ついに溢してしまいました。
叶ってたんだ。私のお願い。
――――お友達と沢山遊べる、人生に。
ずっと、叶い続けてたんだ。
「ねえ、エリカ?」
「……はい」
「男の子みたいな私と、今の私、どっちのほうが好き?」
「………………本当のことを……言っても、よろしいです……か?」
握った手が、はじめて少しだけ、握り返された気がした。
「――――リタ様は、私にとってはじめてのご主人様で……。はじめてのお友達で……。そしてはじめて、恋い焦がれた御方です」
「うん。――――そっか」
エリカの恋心のようなもの。あれも冗談じゃなくて、本当だったんだ。
「もう一度、お顔が――――」
言われた瞬間、天から、か細くも力強い一条の光が差し込んだ。
私は思わず光のほうへ振り向きます。
「あぁ――。そのお顔です。いつ見ても、凜々しい…………」
その言葉を最後に、握り返す手は力を失って、急にだらりと重くなりました。遠くで「いたか!?」と叫ぶ声が聞こえたけれど、私は外よりも、エリカを――。
「エリカ!!」
「…………泣かないで。…………いつも、みたいに……笑って……………」
最後に見たエリカの顔は、半分乾いた血に染まって――――。でも、微笑みながら静かに眠っているようで、まるでお姫様みたいだ――と思わされるほど、綺麗。
私とお話しをしたことで、この顔をして眠ってくれたなら、私にはもう、何も言えることがありません。
だから最後は、今までと同じように一緒に笑って、見送りたかった。
…………………………でも。
私が最後に見せた泣き顔は、ちゃんと、笑えていたでしょうか。
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