講義3 水の女神
配布された資料を手に椅子へ座って、机の上でそれを開きながら、再び女性講師の話を聞きます。
「先ほどの授業では大地の女神『アリアナ』についてお話ししました。皆さんに実物を見て頂いた『レコ』ですが、果たしてブロック状の軽い土であるレコがそのまま、千年を超えて形を変えない堅牢な建造物になるでしょうか?」
そこなんだよね。
あれほど軽いもので作られた建造物、人の重さも支えきれないだろうし、下手をすれば軽い強風ぐらいでもバタバタ倒壊すると思う。じゃなきゃデコピン一発で破壊だよ。
はてさて、どんな方法を使えば、あれがコンクリートやセメントを超える強固な建造物になるのでしょうか?
DIY本を読み漁っていた身としては、とても気になるところです!
「わかりませーん」と前のほうで座る生徒が言うと、先生は軽く得意げな感じで語り始めます。
「実はレコ単体では、構造物にはならないのです」
ほうほう。
「そこで登場するのが、水の女神『アムール』となります」
再びの、ふぁんたじぃーっ♪
「そして神の化身とされる『スライム』」
…………ん?
まあ王道、だけど。
スライムって、一番弱いモンスターじゃないのかな。モンスターって要するに、魔物だよね?
「スライムは生命の始祖とされています。星が生まれた頃の海はまだ有毒であり、生命は誕生し得なかった。そこへ水の女神アムールが現れ、大量のスライムを世界に解き放ち、海を浄化していったのです」
んん…………。
ま、まあ、それなら凄く良い存在だし、魔物どころかむしろ、女神様の使者ってところかな。
天使みたいな。
私が想像するネバネバネヴァーなオモチャスライムとか、ツノ持ちのあの子とは違うのかもしれない。
「今日は実物のスライムを連れてきております」
そう言って、先生は教壇の上に可愛らしい水色の生命体を、ぶよんと載せた。
ツノがあって、つぶらな瞳。
…………うん。思っていたよりスライムらしいスライムだ。
ゲームだったら今この場は、楽しい授業じゃなくて戦闘シーンになるんじゃないかな?
たたかう
にげる
ぼうぎょ
どうぐ
…………。
→たたかう
「うわーっ」
「かわいー!」
「触ってみたーい♪」
うええ!?
私の感覚は、前世の記憶持ちならではなのかな。
固定観念を捨てないと……っ!!
――、……うーん。
つぶらな瞳は愛らしく、透き通った美しい水色には神聖さすら感じ……なくもない。
あっ、見慣れてくると、確かに可愛いかもっ。
水の女神様の使者だもんね。
差し詰め『水の天使』――ってところかなぁ。
でも…………、どうしてでしょうか?
生徒の興味を引きつけた先生が、すごく困った顔をしています。
「えー……、確かに、可愛いのですが」
ですが?
「海の浄化という役目を終えると、スライムは『レコの接着剤』となるための存在へ、役割を変えました」
はえー。スライムが接着剤になるんだぁ。
…………ん?
「そのためには木槌で潰し、切れ切れとなった破片を拾って擂り鉢で、粘り気が出るまで摺り下ろさなければなりません」
おおぅ……ば、う゛ぁいおれんす……。
ファンタジー、甘くなかったです。
私以外の生徒もドン引きじゃないですか。
――いえ、むしろ私のほうが『スライムは倒すもの』という固定概念があったから、まだ驚きが少ないのかもしれません……。よーく見ると、ブルブル怯えている生徒までいらっしゃいます。
「ドロドロになったスライムでレコと大地を接着すると、レコは大地と一体化し、星の一部となります」
ほほぅ。このめちゃ軽ブロックが山とか岩盤みたいになる――ってことかな。それは強固なはずだ。
でも女神の使いにそんなこと、してもいいのかな? 信心深い人も多いでしょうし……。
バチとか、当たらない? 擂り鉢だけに……ゲフンっゲフンっ。
私は挙手をして、質問する。
「先生、スライムを擂り潰すことで、宗教上の問題などは起こらなかったのでしょうか?」
この世界にも多くの宗教があると聞きます。この町はそれほど信心深いほうではないようで、実利主義――という感じかな。
主な資源が人材。その上、町の中で暮らす人間には農家と商家が多い。その影響かもしれません。
「――――二千年ほど前、木や草、藁を使って家を作っていた人類は、スライムを擂り潰しレコの接着剤に用いることで、文明を一気に開花させました」
うーん。スライムと書いて犠牲者とルビを振りたい気持ちになるなぁ。
「むしろ宗教においての扱いは、スライムを擂り潰さなかったことを『神の使いを理解できなかった人々の罪』――と見ています。神が使わせたということはつまり、元々、擂り潰すための生命だったわけです」
スライムに生きる権利を!!
スライムに生きる権利を!!
スライムに生きる権利を!!
「しかし人間とは業の深い生き物です。五百年ほど前にはスライムを乱獲し尽くしてしまいました。まあ、その頃には人間が生活するに困らないだけの建造物ができあがっていたわけですが――。そのためスライムは、現在ではほとんど存在していません」
狩り尽くされちゃってるじゃん……。もう可哀想すぎて聞いてられないよぉ……。
「多くの宗教では、この事実を『神の使いをきっちり使い終えた』――と好意的に解釈しています」
宗教、都合良すぎじゃないかな!?
それにスライムが減っちゃったら、もう――。
私は再び挙手をする。
「しかし、それでは新しい建造物が作れないのでは?」
「ええ。ですが『作れない』のではなく、『作る必要がない』と表現するほうがより正しいでしょう。神の使いを使い終えたことはつまり、人類が建造物を作り上げる必要から解き放たれたことを意味するのです」
えーっ。
理屈的には理解できるけれど、DIY好きにとって最大の夢は『自分の家を自分で作ること』なわけです。
作る必要がないとまで言われちゃうと、ちょっと切ないなぁ。
いや、まあ、私は未だに釘一本打ったことないんですけれど。
「むしろ百年ほど前なら、神の教えに背く行為と見なされ、異端審問にかけられた可能性もあります。現代では宗教が多様化してきているので、恐らくそういうことはないと思われますが」
怖いなあ、宗教。
――って、神様的な御方は、私に趣味を満喫できる人生を与えてくれたんじゃなかったっけ!?
本当、電動工具も無いし、男の子になりたかったはずが男装ボクっ子にされちゃうし、全然希望叶ってないじゃん!!
……まあ男の子の件に関しては、私の伝えかたも悪かったんでしょうけど。神様的なことができるならそれぐらいのこと、察して欲しかったなぁ……。死んだばかりの人様に向かっていきなり世界の均衡とか時空が云々かんぬん言い出すぐらいだから、察するのは苦手なのかも。
趣味のほうも、もしかして違う勘違いをされちゃったのかな? もう十五年も前のことだし、一語一句思い出すのは難しくなってきたよ。
「嘆かわしいことですが、宗教の多様化によって、神の導きを否定する者も現れています。彼らは世界中の建造物を破壊することを善としていますが――」
ふーん。テロリストみたいなもの、かなぁ。
――――――なんて、昼下がりの講義に暢気な解釈を加えている瞬間、だった。
ドンッッッッ!! と爆発音のようなものが鳴って、開放された窓から嫌な風が強烈に凪ぐ。同時に地震のような揺れと地響きが教室を襲いました。