十六
年の瀬に近づき、いよいよ巫女たちの忙しい時期がやってきた。
すっかり体調がよくなった操も巫女たちと御守りを縫い、正月飾りや、組み紐や破魔矢などを作る。
また、大晦日には祭りがある。
村人が集まり、神に捧げる餅をつくのだ。
作り物が終わればその支度にも追われるだろう。
凛は縫い物をする操たちの部屋にいた。
興味深く巫女たちの忙しく器用に動く手元を見ていた。
近くには、遊んでいたのであろう人形や毬が転がっている。
「今年は去年より積もりましたね」
巫女の一人が外を見てそっとため息を吐いた。
「初詣までには雪かきしないとね」
「腰がいくつあっても持ちやしないわ」
若い巫女が名案を思いついたか調子よく喋っている。
「村の男集に声を掛けてみたら?」
「素敵な出会いの一つや二つあるかもよ?」
「もー、やめてったら」
操はそんな彼女達の会話を微笑ましく聞きながら、はっと障子の方を振り向いた。
耳の奥で、凛とした鈴の音が鳴ったような気がしたのだ。
それと同時に、話に花を咲かせる巫女たちの部屋の障子が静かに開けられる。
他の巫女たちも、はっとなって障子の方へ向かい、居住まいをただした。
「巫女宮」
物忌の巫女は温度の感じられない声色で、目で、操を見た。
ただそこに立っているだけで浮いたような、異様な雰囲気を醸し出す彼女は、やはり感情のない表情で端的に言葉を紡ぐ。
「来なさい」
操は他の巫女たちに会釈して物忌の巫女の後に付いて行った。
物忌の巫女が向かう先には大巫女がいる。
年老いた小柄な老女がしわくちゃな目元を細めて操を見た。
「随分と、勉学に励んでいるようね」
「才能のない私には、座学より他、鍛えようがありませぬゆえ」
「そなたの持つ見鬼は類稀なるものですよ」
「大巫女様の足元にも及びません」
大巫女は少し切なげに笑み、そしてその曇りのない目で操を射抜いた。
「そなたはそう遠くない未来、私の跡を継ぐことになります」
(そう遠くない未来)
操はぞくりと背が粟立つのを感じた。
「何を知っておいでになられるのですか」
いずれ継ぐだろうと思い、覚悟していた。
けれど、それが急に近いものに感じて操の胸は動悸を打った。
そっと大巫女が操の頬に触れた。
細い細い目を優しく和ませて。
「…ちょっとした穢れがついていましたよ」
その言葉に微かに瞠目する。
緋陰の事を悟られていたかと、動揺するも、すぐに目を閉じて一礼する。
「巫女宮は何故この八尺瓊と、鎮守の森が隣同士にあるのか知っていますか」
「あちらとこちらの均衡を保つ為ですか」
「その通りです。今も、鎮守の森には古の妖たちが身を潜ませています」
大巫女はその霊力故に大巫女となった。
鎮守の森について、操より多くを知っていてもおかしくはない。
「彼らは血に酔った妖を狩る」
その言葉に、返り血を浴びた緋陰が脳裏をかすめた。
彼らがいるから、血酔いの妖から人々は守られている。
だが、
「されど、また一つ村を失ってしまいました」
その言葉は氷のように、操の胸に冷たく突き刺さる。
血酔いの妖に襲われ、人々は皆無惨な姿になってしまったという。
「彼らも万能ではなく、また私達もまた、出来ることが限られています。彼らには居てもらわねばならぬのです」
操はぎゅっと拳を握った。
「玫瑰神楽は今は冬眠に入っています。だから冬の間あれらは大人しくしている。されど今、恐るべきものは他にあります」
「恐るべきもの?」
「荒神です」
「荒神…?」
「その名の通り、荒ぶる悪鬼たちを統べる神」
その声は水面のようだった。
「その荒神が幾百、幾千の悪鬼を引き連れて京を、倭の国を飲み込まんとしている。その兆しが既に出ています」
「なんと」
「我らが出来ることは、それらが起こらぬために防ぐこと、備えることくらいしかありはしません」
大巫女の口調は穏やかであるのに、目は笑ってはいない。
「それほどまでの荒神とは一体なんなのですか。それでは村の者達は、京は、兄上たちはどうなりますか」
「巫女宮、出来ることは限られています。最善は尽くすつもりです」
大巫女は多くを語らない。
「私は……無力なのですね」
操はぎゅっと拳を握った。声は掠れていた。
「いいえ。貴方にしかできぬ事があります」
操の手を大巫女がそっと包み込む。
皺だらけの節くれだった手の温もりを感じて、操は微かに力を抜くことが出来た。
「それは何でしょうか」
操は静かな目で大巫女を見つめた。
「時が来るまでに、神器を揃えるのです」
八尺瓊神社が祀る神器八尺瓊の勾玉、八咫神社が祀る八咫の鏡、草薙神社が祀る草薙の剣。
それらがいわゆる神器と呼ばれるもの。
つまりは神の御力を借りるということ。
操は居住まいを正し、頷いた。
大巫女も口角をゆっくりと上げ、穏やかに微笑む。
「ところで、凛姫は健やかにお過ごしであられますね」
操は活発で愛らしい幼子を思い浮かべて微笑んだ。
「はい」
「決して」
背中がぞくりとする。
「決して結界の外に出さぬ事です」
まさか、結界から出てしまったことへのお咎めがあるとは思わず冷や汗がダラダラ出る。
「き、肝に銘じます」
「下がりなさい」
腰が折れそうなくらい低く、低く頭を下げ、それ以上の追従がこないうちにそそくさと操は部屋を出たのだった。