十五
鎮守の森の深部。
一人歩いていた緋陰は柳の木の前で立ち止まった。
「柳」
「なあに?天狗」
ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべて顕現した妖は緋陰をぎゅっと抱きしめる。
「俺…変だ」
「どうしたの?天狗はいつもの天狗だよ?」
頭の弱い柳には理解が及ばないだろう。
一線引いた場所から人間を見ていた。
人間から自分は見えない。
深く関わったところで、彼らに自分は見えない。
興味は持てど、それまでだった。
けれど、ざくろは初めて自分を見つけた人間だった。
ざくろは緋陰の姿を見て恐れなかった。
興味が沸いた。
知りたい、この人間のことを。
純粋な好奇心だった。
まさかそんな人間と巡り合う事があろうとは、何が起こるかわからないとは言ったものだ。
緋陰は自分でも気付かない内に芽生えた感情に高揚していた。
「変な天狗」
小首を傾げて柳が言った。
柳の木の化身である柳はいつも優しく少年を包み込む。
少年が幼い雛鳥だった頃からそうだ。
段々活発に、大きくなる天狗の成長を見守ってきた。
なのに最近の天狗は何を考えているのかわからない。
感情に乏しい柳は戸惑いを覚えていた。
「天狗…手が」
ここに来てようやく天狗の腕から血が滴っているのに気がついた。
「大したことないよ」
緋陰はすっと腕を隠すように身を引いた。
「何があったの?」
「別に、何も」
初めて触れたざくろの頬。
見開いた瞳。
焦ったような、心配げな表情。
それを見られただけで十分だった。
口元に笑みさえ浮かぶ。
「ちょっとヘマしただけさ」
そして脆弱な身を案じた。
人は直ぐに死ぬ。
最近のざくろは少々生き急いでいるような感じがした。
何かに追われ、焦っている。
ただ早々に壊れなければ良いと、そう思った。
ーーーーーー
操は見事に風邪をひいた。
緋陰と別れた後、雪まみれになった操を見るなり巫女たちが手拭いを用意して火桶のそばへ引っ張っていったのはいうまでもない。
「御身を大事になさって下さいと何度言えば分かってくださるんですかぁ!!いつもこんなに体を冷やして!!」
紅瀬がぷりぷりと小言を並べると白湯を持ってくる。
「ありがとうございます」
褥に横たわる操はへらりと笑う。
「あたたかい、、、」
かじかんだ手にじんわりと熱が染み込む。
「もうっ!」
頬を膨らませる紅瀬は可愛らしい。
白湯を飲むとほっと体の芯が温まった。
寝不足もあって体が限界を超えたのだろう。
やる事は沢山あるのにもどかしい。
少し咳をしてから紅瀬に笑いかけた。
「少し休めば治ります。心配と御面倒をかけましたね」
その顔に紅瀬は少し切なげな表情を浮かべた。
童女にこんな表情をさせてしまう自分を情けなく思う。
今は体を治す事に専念しよう。
紅瀬の頭を撫でて今度は安心させるように微笑んだ。
その顔を見てようやく少女はほっと安心したようだ。
会釈して部屋を出ていった。
紅瀬の気配が離れてようやく、操は褥に体を横たえた。
『ちゃんと、寝なよ』
彼の助言はあながち間違ってはいなかったのかもしれない。
体が沼に沈むように重い。
意識がぼうっとする。
大巫女の後継者となり、大巫女のように力の無い身で、どうやって役目を果たしていくべきか、重圧を感じていた。
出来ることは、書物を読み、知を得ることしかない。
もどかしい。
力があれば。
そんな考えが過ぎって操はふっと笑った。
そんな事を考え出したらきりが無い。
操は目を閉じた。
そして、思考の渦に吸い込まれるように眠りに落ちた。