十二
少し歩くと話し声と、きゃらきゃらと甲高い笑い声が聞こえてきた。
今度こそ聞き覚えのある声にほっと胸をなでおろす。
垣根を分けると、地べたで胡座をかいて座る少年がこちらに気づいて目を向けた。
「ほら、お前の保護者が来たぞ」
その向かいにはお尻をついたままお澄ましして座る幼子がいた。
ほっと肩の力が抜ける。
「もう、心配したんですから…」
へなへなとへたり込む青年に、緋陰は笑いかけた。
「久しぶり。ざくろ」
ざくろ。
しばらく呼ばれていなかった二つ名に、ようやくほっと安心した。
「お久しぶりです。緋陰さん」
風変わりな少年は、急に険を帯びた目で操の目を見た。
「静遠に会ったのか」
「せいおん?」
「黒髪の男の姿をした妖だ」
何故わかるのか、不思議に思っているとそれを察した緋陰は自身の鼻を指した。
「微かに矜持の高そうな匂いがする」
確かに矜持は高そうな男だった。
「なんでもお見通しなんですね」
「大したことじゃないよ。ただ不用意に結界を越えるのはどうかと思うけどね」
それは操の軽率な行動についての批難であった。
彼の言っていることは正しい。
「それに、子どもから目を離すんじゃないよ。見つけたのが俺で良かったものの、他の妖ならどうなっていたか」
操は反省した。
確かに、凛をしっかり見ていなかったこちらの過失だった。
好奇心旺盛で、体を動かしたい盛りの幼子。
「本当に有難うございます」
頭を低く低く下げる操に、慌てたのは緋陰だ。
こんな風に人間に頭を下げられたり、感謝を述べられることなどただの一度もなかったからだ。
赤面する緋陰は実に年相応の少年らしかった。
もっとも、妖に人間の年齢が該当すればの話だが。
「いー?」
舌足らずで愛らしい幼子の声。
「いー?」
幼子は緋陰に呼びかけていた。
緋陰は凛を見つめた。
凛は紅葉のような手小さな手を緋陰に伸ばしている。
緋陰はびくりとした。
操も驚いた。
凛は妖相手に臆する事なく笑いかける。
「いー?」
緋陰は逡巡した後に長い袖の中に隠していた手を出した。
出て来たのは大きな鷹や鷲のような手だった。
ゴツゴツとした皮膚に鋭い鉤爪。
彼は紛れもなく異形の妖だ。
それを見せつけられるかのようだった。
緋陰はそっと凛の頭に手を置いて撫でた。
凛は嬉しそうにその手に手を重ねる。
幼子の屈託無い笑顔に、緋陰の頬も緩んだ。
「それ以上は穢れがつくぞ」
と言ってそっと手を離すと、すっと指で森の出口を指した。
「そこを真っ直ぐ行けばすぐ境内が見えるよ」
そう言って立ち上がった。
服についた枯葉を払い、はらりと打ち掛けを脱いで背を出した。
背を丸め、痛々しい音を立てたかと思うと皮膚が盛り上がり、鷹の翼が姿を現した。
このような姿の妖を書物で見たことがある。
「天狗…」
「半人前だけどね」
皮肉げに笑う少年。
小柄な身体に不釣り合いな大羽根は見事だ。
「雑魚が来ないように妖気を放っておいた。早く社に帰りな」
急かすように緋陰は言った。
そう言えば巫女たちは凛を血眼になって探し回っているはずであった。
操は凛を抱き上げ、一礼して直ぐに社への道を急いだ。
ざくろの背中を見送った後、緋陰はまだ温もりの残る手のひらを見つめた。
「人間くさい」
幼い人間のにおいがする。
「でも」
緋陰はかぶりを振った。
この考えは危険だ。
人間に情を持つなどと。
緋陰は大風を起こして飛び立つ。
空には重く濃い積乱雲が流れて来ていた。
緋陰は面白そうに笑った。
冬の風物詩の到来を感じた。
ようやくこの物語の主役達が出会いました。笑
ちなみに「いー?」は緋陰のことです。
1歳前後の発達として、言葉や滑舌がまだまだ未発達なので「ひー」と発音するのは凛には難しいんです笑笑