九
「巫女宮様!」
少女の呼び声に振り返る。
「あかせ!いい所に来ました!」
藁にもすがるとはこのことを言うのだろう。
操は今世紀最大の危機に陥っていた。
「あれ、その子は?」
あかせがつま先立ちして操の腕の中を覗き込む。
危機とは、まさに今操の腕の中で体をのけぞらせて火を吹いたように号泣する幼な子のことだ。
「私の姪の凛姫ですよ」
「巫女宮様の姪御様ですか!?」
「ええ。訳あって、今日からここに住まうことになったのですが、どうしたら良いものか…」
「ど、どうしたら良いのでしょうか…」
おろおろおろおろ。
おろおろ。
「はっ、おしめでしょうか」
「そうかもしれませんね!」
操が手近な部屋に入りおむつを見る。
「…違うようですね」
二人はがっくりとうなだれる。
その時一人の巫女が通りかかった。
「巫女宮様?」
「まき殿!」
「そのお子を見せて下さいませ」
まきが凛に近寄る。
凛は火のような泣き声こそ収まったものの、ぐずぐずと機嫌が悪い。
「あかせ、粥を。姫様はお腹が空いておられるのです」
「はっ、成る程!では早速!」
台所へ行き、急いで穀物をすり潰して水に浸して火にかける。
そうしている間にまきは凛を抱いて様々に話し掛けた。
「もうすぐ準備出来ますからね」
「いい匂いがしてきましたね」
「ご安心下さい。お唄でも歌いましょう」
など、言っている間に凛の機嫌はすっかり元に戻りつつあった。
「出来ましたよ」
まきは凛を膝の上に乗せたまま、粥を匙ですくってふーふーと息を吹きかけた。
その様子を凛もじっとみている。
「どうぞお食べ下さい」
熱々の粥が少し冷めたところで凛の口元に運ぶと、ぱくっと小さな口が匙に食いついた。
その様子にきゅんと胸をときめかせるのは、操とあかせである。
「か、可愛い…」
「宮様、私ご飯三杯はいけます…」
威厳も何も無い二人組である。
「それにしても何故、姫の思っている事が分かるのです?」
操はまきに聞いた。
子育てなど生まれてこの方経験のない操には不思議でならなかった。
「以前、幼かった妹の世話をよくやっておりましたので」
対するまきは苦笑いだ。
これくらい何でもない事だと言いたげに。
「貧しい百姓の村では、兄や姉が妹や弟の子守りをするのは当たり前でした」
「まき殿は百姓の出でしたね」
「覚えておいでで嬉しゅうございます」
百姓の出とは思えない落ち着いた物腰のまきは、まるで本当の母親のようだ。
粥を全て平らげた凛の目はすっかり蕩けていた。
「眠たくなったのですね。寝床へ行きましょうね」
まきが凛の口を拭い、抱いて寝所まで移動する。
その後ろを軽鴨の様な二人が続く。
「宮様ってば…」
そわそわするのはまきだ。
巫女宮とまで登り詰めた若者の姿としては威厳もへったくれもない。
凛がすっかり寝付いてしまうと、操もあかせもどっと疲れたようだった。
慣れないことに気力を使い果たした様子だ。
けれど操はすぐにまきににっこり笑いかけた。
「まき殿は本当に素晴らしい。是非弟子にして下さいな」
屈託ない笑顔でそんな事を言ってのける。
「え、ええ〜!?」
どぎまぎするのはまきの方だ。
「決して邪魔はしませんから。ね?」
操らしい提案だ。
権力に執着せず、権力を振りかざそうとせず、誰とも対等に関わる操。
だからこそ、皆が信頼し、親しみを持とうとするのだ。
「わかりました。まきにお任せ下さい」
勤勉で、陰でどれ程の努力をする若者か、気づいていないのは本人くらいなもので社の皆が知るところだ。
力になれるものなら喜んでなろう。
冬のかぜが吹き抜ける室内で、まきは密かに誓った。