マラソン
5キロぐらいまでは順調にピッチを刻んでいた。先頭集団ではないにしろ、第2、第3集団当たりではレースを進めれていたのではないかと思う。しかし、5キロを過ぎて、そろそろ慣れたかと思ったころあたりから、集団のペースに合わせるのがきつくなった。
そして、7キロを通過するあたりで、集団の他の選手と接触した。何とか転倒は免れ、体の方も異常はなく、問題はないかのように見えた。だが、気持ちはそうではなかった。集中が切れた。それまで夢中で走れていたが、急に周りが気になり、そして周りを気にしている自分を自覚して、さらに焦り始めた。
このままのペースでゴールまで走り続けることができるのか。
そもそも、どうして私は走っているのか。
次第にそんなことが頭をよぎり始めた。そこで私は、後ろを走っている集団に飲み込まれて、引っ張ってもらおうと考えた。ここから立て直すために、一度休憩したかった。しかしきつくなって、そんなことを考え始めた時にはもう手遅れである。集団に飲み込まれて1キロほど走ったが、次第にそのペースすらきつくなった。
急激にペースダウンし、ポジションもずるずると後退し、そして9キロを通過したころには、最後尾すら後方に見え始めた。まだ4分の1すら過ぎていないのに、という焦りがどんどん募ってきた。
最下位まで堕ちるなんて、スタートして、6キロぐらいまででは到底考えられなかった。何より、下位で走っている奴らを心の底から軽蔑していた。自分はスタートの時点で恵まれていて、上位に位置していたし、スタミナもスピードも他のランナーより自信があった。だがどうだろう、私は、今まさにどん底を走っているではないか。そのことを自覚することがたまらく嫌だった。
何とか一歩ずつ脚は動かしているが、脚を動かすごとに差が開いていく。体が思うように動かないことのもどかしさはもちろん、自分がこの位置にいること、さらに、もう上位に戻ることはないという絶望感に打ちひしがれた。マラソンにおいて、立て直すことの難しさは、先人たちが教えてくれた。
マラソンにおいて、最もきついのは30キロを過ぎてからなんて言われる。だが私は、わずか10キロでこのざまである。私は残り30キロ余りをどういうモチベーションで走ればいいのか。どうやって、脚を動かせば良いのだろうか。残された距離を考えると、絶望しかない。
プライドの高い私には、途中棄権をするという選択肢はない。ちょっと小ずるい奴なら、失格覚悟でショートカットをしようとするかもしれないが、それもできない。いっそコースアウトしてしまえば気が楽になるかもしれない。しかし、数少ないが、確かに私を応援してくれている親兄弟のことを思うと、そんなことができるはずもない。
ゴールが見えず、コースアウトもできない、途方もない残りのマラソンコースをどうやって走り切ればよいのだろうか。