むかしむかしのものがたり
物語の始まりはいつもこの言葉。
それは遠い昔、昔々あるところにーー
「ふぁーー、眠い………」
今朝はいつもより早く目が覚めたらしい。
睡魔を引き寄せる布団から未練を絶ちきると、父親から譲り受けた釣具を腰元につけて外へ出る。
年は20代前半といったところか。
日本人特有の黒髪と端整な顔付きをしている。
両親が亡くなってからと言うもの、代々受け継がれている漁師生活を続けていた。
他の仕事など漁師には考えようもない。
商人などの仕事も憧れていたが、漁師は漁師としての仕事を続けていくことを決めた。
答えは単純、嫌ではないからだ。
家から歩き始めて5分も経たないうちに潮の香りが鼻をつく。漁師の子供として産まれてから自分にとって見慣れた浜の景色だ。しかし、季節は春。透き通った快晴の空に、富士の中腹には白い雲。砂浜を濡らす海水。
「綺麗だなあ、この景色はいつみても変わらない」
鼻を衝く生臭い香りも、肌に張り付くこの海風も嫌いではない。
漁師はこの景色が気に入っていた。
産まれた村から外へ行けなくても、この景色があれば十分だった。
暫く浜を散策しながらいつもの定位置につくと、漁師は釣りを始めた。
少しもしない内に、漁師は視界の端をきらきらとした衣が揺れていることに気がついた。
漁師はパチパチと目を瞬き、目を擦ってみたが、きらきらとした煌めきは変わらなかった。
「なんだ、あれ?」
誰かの忘れ物か?
しかし衣が光るなんて見たこともない。
そう考えると漁師は気になり始めた。
まだ釣具に獲物が引っかかる様子はないし、少しだけなら近くでみてもいいのでは。
ゆっくりと漁師は釣具を岩場に固定すると腰をあげた。
まるで生き物のようにゆらゆらと風もなく揺れていた衣は、近づく度に美しさが増していた。
――――少し、だけ触ってみようか。
触ってみたい。漁師は躊躇いながらも自分の欲求が抑えきれず、手を伸ばしたその時。
「…………………」
「………………」
「……………………」
「………………………………」
人の話し声が聞こえた。
複数はいるであろう、少し低めの優しげな声。