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 不意に、そっと右手を支えられ、ひどく驚いた。

 ジェラルドから視線を外し、脇に立った人物を見る。無表情なシャルロッテだった。


「グラスが落ちそうだったから」


 どうやら、意識が彼に向きすぎて、グラスを持った手から力が抜けかけていたらしい。


「ありがとうございます、人並みに酔ったようですわ」

「分かるわ。私もよ」


 シャルロッテの顔つきは厳しい。メレディアの言い訳が嘘だと知っているのだろう。それでいて、まだメレディアの手を握ってくれている。

 それが優しさと感じて、ふと目の裏が熱くなる。本当に泣いてしまいそうだ。けれどまだ泣くわけにはいかない。

 シャルロッテは、気づかれないように陣を立ち上げ、目の端に浮かんだ涙を消し去った。何が悲しいわけでもない。ただ、シャルロッテの気持ちが嬉しかったような気がする。



 舞踏会はますます熱を帯び、挨拶も一通り済んだ会場は、踊る者、酒を酌み交わすもの、お喋りに興じる者とが入り混じり、うねりのように音が動き満ちている。

 シャルロッテは、やって来た侍女に呼ばれて、父親の元へと行ってしまった。



 メレディアはあちこちにそれとなく注意を払い、必要がある人には挨拶を欠かさないようしばらく忙しく立ち回った。

 やがてそれもひと段落した頃、メレディアの元に戻って来たジェラルドは、すっかり元の冷ややかな顔を取り戻し、無口な男として立っている。


 シャルロッテは戻ってくるだろうか。彼女にあまり気を使わせてはいけないと思い、出来れば今のうちに帰ってしまおうかと考えた。

 ジェラルドはもう先ほどから誰と話すわけでもなく、何かを考え込んでいる。


「ジェラルド様」

「なんだ」


 思わず笑う。考え込んでいても、周囲に気を張り詰めてでもいるのか、即座に反応があったことに、馬車の中を思い出したからだ。


「もうご挨拶はすまされたようですので、そろそろ失礼しようかと思うのですが」


 逸れていた彼の目が、メレディアを見た。その目が微かに細められる。

 何かと比べているのか。

 内心に吹き荒れるものを抑え込み、笑顔のままで待った。


「いや」

「え?」

「まだ踊っていない」

「はい?」


 そういわれてみれば、その通りだ。一曲二曲は踊るものだが、別にそうでなくとも構わない。しかしジェラルドが踊るというのならば、何か必要があるのだろう。



 グラスを置いた彼に手を引かれ、ちょうど始まった曲に合わせて、無難に踊る。腰に触れるジェラルドの手は骨ばって大きく、父のふっくらとした手以外はあまり身近に感じたことのないメレディアの顔を赤くさせそうだ。

 それでも、澄ました顔で踊る。


 意外なことに、ジェラルドはリードが上手かった。ステップも確実で、メレディアは実に軽々と踊ることができて、大変に助かった。

 姉妹が三人とも、ダンスは得意ではない。

 最低限の動きは覚えているが、優雅かといえば、やや微妙である。



 気づけば、なぜか、徐々に中央に寄っている。メレディア程度が出て行けるような場所ではないが、余裕のような顔をして内心必死でついていくだけの自分では到底、それを止めることなどできない。ジェラルドは意図をもって、そこへ向かっているようだった。

 やがて丁度中央を通る、という時、彼の顔がメレディアの耳元へと寄った。


「上を見ろ。俺の顔を見るふりをして、素早く」


 吐息が耳にかかり、もう抑えようもなく顔が熱くなったが、言われた通りにさっと目を真上に走らせる。

 ひときわ大きなシャンデリアが、幾重にも輪を重ねた形である。高い天井のその、きらめきを放つ明かりの中央、大小の輪の中心が一点、真上まで突き抜けているそこに隠されるように、きらりと光るものがあった。



「まあ……」


 この距離からでも分かるほど、大きな美しい宝珠だった。金剛石だろうか、とんでもない大きさで予想もつかないが、国宝級の石に、下から見て光が届くようカットが施されているようだった。

 国宝級、というか、あれは――。


 一瞬のことで、見えた、と思った時にはもう、位置がずれて、宝珠はシャンデリアの輝きの中に埋もれてしまった。

 視線をジェラルドにまじまじと移す。


「見えたか」

「……ええ、はい、あれは、ルティーナの瞳ですわね?」

「ああ。王の遊び心だそうだ」

「国宝をお戯れに使うとは、なんて器の大きさなのでしょう」

「本当のところは知らぬ。君の方が知っていそうだったが」


 相変わらずのそっけなさに、なにかを含む様子がある。


「……伯爵のお屋敷で広間に忍び込んだことをおっしゃっているのね? いくら私でも、お城の噂話までは知りませんわ」

「そうか」

「そうですわ」


 だが、彼は半信半疑のようだった。


「王太子に親しく声をかけられていたのに?」

「この布が珍しいものだったからで、そうでなければとてもお話などできる立場ではございません」


 ジェラルドの目が、初めてドレスに向いた。検分するような彼の視線の先で、絹の部分が光沢をもって揺れ動く。


「珍しい……のか?」

「ええ。イレニウス辺境伯の領地のさらに向こう、剣山の先からやってくる商人から買い付けるものです。目にしたことのある者のほうが少ない、それほど希少なもの。

 ですが王太子様はどこかでご覧になったことがあるのね、きっと。そうでなければ、質の良い物だとまではおっしゃらないはずですもの」


 緊張で頭が回らなかったが、今思い返せばそんな疑問もわく。


「……不思議な女だ、君は」

「え?」

 

 くるりとターン。

 考え込みそうになっていたメレディアは、思いがけない言葉に現実に引き戻された。


「ほんの一言から、君はいろいろな思惑を巡らせる。意図を探り、意味を知ろうとする。普通の女はそんなことはしない。自分の興味の範囲意外にはな」

「お気に障りまして?」

「いや。何も考えぬよりは、はるかに良い」


 その一言は、メレディアをはっとさせた。彼が妻に求めるものは、それなのだろう。

 もう後戻りはできない。王の前で婚約を披露してしまったのだから、メレディアは彼に嫁ぐ。心に誰かを住まわせている彼の元に嫁ぐのならば、そこに求められるのは愛ではない。

 シャルロッテのところへ養子へ出ることを、非公式とは言え拒否した彼は、いずれどこかの領地を貰って分家する。そこを切り盛りする器量が、今の自分に求められているものだ。


「どうした、真剣な顔をして」


 新たな決意を見透かすように、ジェラルドが問う。


「あなた様の足を踏まぬよう、必死なのです」


 嘘とも言えない軽口を叩けば、彼はそれを鼻で笑う。初めて会った時のような、小ばかにした笑い方に、ちくりと心が痛んだ。


 自分と同じように、好意をもってくれたのではないかと考えたことを、愚かな妄想だったと恥ずかしく思う。婚約にこぎつけるまでにそれでも、多少なりと好意的な笑顔を見せてくれたはずだが、思えばあれも、餌のようなものだったのだろう。

 ぶら下げられた餌を追って、メレディアは彼の家に嫁ごうとしている。


 悲しい、という感情は、いずれ消えてしまうに違いない。日常に紛れ、いつか。

 その日が来るのを、彼の横で待つ。


 いつか、を、待つ。











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