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春の宵、星々さえ装飾にして、城は華やかな様子を隠さない。庶民にはくぐることのできない門をくぐり、メレディアはジェラルドのエスコートで大広間に足を踏み入れた。
人々の視線は、今夜から始まる社交界の噂を探してあちこちをさ迷い歩き、メレディア達の顔にも値踏みするようにとまる。
今夜の装いは、身分相応の贅を尽くした──ように見えるものになっている。
地味な鈍い金の髪が映えるように、ブルーベースの布をドレープをたっぷりとって重ね、上からほんのり黒味がかったレースをかぶせた。飾りは胸元から刺繍でグラデーションを重ねているくらいのもの。首元は、ジェラルドが贈ってくれた碧石の首飾りだ。
どちらかといえばおとなしめの装飾だったが、青布の一部は、最近王都にようやく入ってくるようになった絹だった。二十年ほど前に、辺境よりもさらに東、山向こうと呼ばれる遠い地で編み出された手法により織られた布は、希少価値が高いものだ。
金に糸目をつけない、と豪語したシェルライン男爵でも、ドレスの全てを絹にすることはできなかったほどだ。
分かる人にだけ分かる価値を身に着け、それを頼りにメレディアは立っている。施された化粧と、このドレスが、ため息をつきたくなる気持ちを抑え込んでくれることを期待した。
一方、ジェラルドはごく普通の正装だ。メレディアと揃いの石で仕上げた飾りピン以外、奇をてらうこともなく、そして笑顔もなく、立っている。
まとわりつく人々の視線を叩き落とすような、冷えた顔だ。
ついこの間までは、もったいないとも、笑えば好感度もあがるのにとも、呑気に考えていたメレディアだが、今はとてもそうは思えない。
かたくなであることには理由があるのだし、そしてそれは――誰にも解決できない。
二人並んで、王族方の前にしずしずと進む。型通りの挨拶と共に、メレディアはジェラルドに婚約者として紹介された。
ああ、もう、後戻りはできない。
この数日の葛藤を断ち切られた気持ちがして、一瞬、言葉に詰まった。なんとかかんとか挨拶を述べ、厳格な王の厳格な言葉を頂いた。隣に座る王妃の祝いの言葉は、意外にも心のこもった温かいもので、メレディアはほっとする。
しかし、さて御前を辞そうとした時、急に、横に控えていた男の子が声を上げた。
「その布は、どこのもの?」
十をいくつか出たばかりの、エルアンベール王太子殿下だった。年の割に大人びた口調は、そうした教育を受けているからだろう。
メレディアは驚き、わずかに動揺してしまった。
「はい、殿下。父が今宵のために山向こうから取り寄せたものでございます」
「そう。綺麗だね。いいものだ」
「まあ、お褒めにあずかり光栄でございます。父も喜びましょう」
あまり長く独占はできない。深くお辞儀をして、側仕えの役人に打ち切られる前に下がると、周囲からドレスが注目を浴びているのを感じた。お決まりでないやりとりから、好奇心を刺激されたのだろう。
そして、流行にうるさく敏感な貴族の耳は、王族が褒めたものから乗り遅れまいとそばだてられている。
「メレディア様」
さて、ドレスについて誰かに聞かれるだろう、と考えていたところに、最初に声をかけてくれたのは、シャルロッテだった。
振り向いて彼女を見た時、すぐに気づいた。
彼女の耳元から編み込まれた髪全体にちりばめられている、花を模した髪飾りは、メレディアが選んだものだ。このような場につけてくるほどの高価なものではなく、華やかだとは言え、もっと似つかわしいものがあったはずだ。
これは、彼女なりのメッセージなのだ、と思う。メレディアの告白に絶句したことについての謝罪か、あるいは結婚についての賛否か。
いずれにしても、その受け入れてくれるのだという明らかな意図に、胸が温かくなった。
「ようジェラルド、それが噂の婚約者殿か?」
シャルロッテの横から親し気に声をかけて来たのは、彼女のパートナーだろう。
「こんばんはお嬢さん、俺はダリウス。ジェラルドとは学舎が同じだったんだ」
「お初にお目にかかります、ダリウス様。ネバーロッド子爵には父がいつもお世話になっておりますわ」
「そうなのかい? さては、週末になるたびゴルフで悪だくみをしている相手は、君の父上なのかな」
楽し気に冗談を口にするダリウスは、通りがかったウエイターを呼び止め、四人分のシャンパンを配る。マメなところは、シャルロッテも気に入っているのか、柔らかく笑んでいる。
「二人の今後を祝って、乾杯」
てらいのない笑顔に、素直に嬉しくなった。打ち合わせることはないが、軽く掲げたグラスは泡立ちとともに心地よい香りを放ち、気分を高揚させる。
しばらく四人で話をしていたが、他家に出入りするメレディアに声をかけてくる女性も多く、また実質ハウスをとりしきっているジェラルドもまた、多くの人間と挨拶を交わさねばならない。
人ごみにもまれ、そうしてそれぞれに社交をこなしているうちに、二人の距離は少々離れてしまった。
目の端で彼の姿をとらえつつ、あまり離れすぎないようにと気を付けながらの会話は、なかなかに難しい。視界に入れ続けるのが厳しくなりかけたので、メレディアはさりげなく会話を打ち切り、少しジェラルドの近くへ移動しようとした。
その時、大広間の入り口が少し、ざわついた。さざ波のように人々の囁きが伝わってくる。
やあ、あれはグランティエール公爵じゃないか。
久々のお出ましだな。
隣にいるのが噂の夫人か、あの、ひと月通い詰めて口説いたという。
舞踏会に一度出たきりで見初められ、以来、屋敷の奥深くに隠していたっていう若妻かい?
そうそう、もう三年は拝見していなかったが……どういう風の吹き回しかね。
ざわめきはやがてジェラルドの元へも届く。メレディアは、入り口ではなく、ジェラルドを見ていた。
グランティエール夫人、という言葉が、彼の耳に届いた瞬間が、手に取るように分かった。
鋭く振り返ったジェラルドの顔つきは、横顔だけが見えるメレディアから見ても、珍しく驚きに満ちていた。
やがて。
人々の話題を独占しつつある公爵夫婦が、静かに大広間を横切り、王の前にあいさつへ向かった。それを追い続けるジェラルドの顔が、徐々に全体を見せる。
悲しみとも絶望とも思える様な顔だった。
彼らしからぬひたむきな視線は、求めるようにクラリスに向けられている。
メレディアは、その顔から目が離せない。自分の心臓の音さえ聞こえそうに、意識が彼以外を締め出していく。
今でも忘れていない。そう思う。手の届かないものを求める顔をして。泣いてしまわなければ、いいのだけど。
誰が?
彼と――わたし。
きっと同じ顔をしている。
決して手の届かないものを、黙って眺める脇役の――スポットライトの外れた影の中。