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シーズンの開始を間近に控えた温かい時期を迎え、シャルロッテ嬢はますます快活だった。彼女の趣味は乗馬で、それが解禁される春にはいつもこんな風に、ご機嫌な様子になるらしい。
「わざわざありがとう、メレディア様」
「とんでもございません」
今日持ってきたのは、乗馬服の胸元に飾るピンだった。万一の際にも刺さらないよう、丸みを帯びた石を使い、さらに縫い付けるようにできている。
「こちらで見せてちょうだい、どうぞ」
シャルロッテの案内に従って歩き出そうとしたとき、背後でノッカーが鳴った。訪問が重なってしまったことに、自分が間違えただろうか、と足を止めてしまう。
しかし、シャルロッテもまた、不思議そうに首をかしげている。
「あら、今日のお客様って他にいらしたかしら?」
「いえ。予定では」
慌てて脇に避けるメレディアの横を通って、執事が玄関を開けた。侍女らしき服装の、しかし仕立ての良い身なりの女が、礼を尽くしたお辞儀と共に先触れのカードを執事に渡す。
奥で受け取るのが慣例だが、万事、効率を重視するシャルロッテが、大胆にもそれを直接執事から受け取った。
そっと透かし見ると、なんと、きらびやかな馬車からはすでに客らしき女性が降りてくるところだ。主の許可も出ていないのに、断られるとはみじんも思っていないということだろう。
そして事実、カードを読んだシャルロッテは、
「まあ、クラリス!」
そう叫ぶと、ドアを大きく開けて、そのタイミングで到着したその女性と親し気なハグを交わしたのだ。
「こんにちはシャルロッテ。ごめんなさいね、不作法と分かってはいたけれど、会いたくなって」
「確かにびっくりしたけど、嬉しいわ! だってもう本当に……とっても久しぶりね!」
クラリス、という名前と、馬車は侍女や当人の豪奢な仕立てを鑑みると、グランティエール公爵夫人のような気がする。しかし、あんな大貴族の奥様が、先触れもなしに侯爵家を訪ねるだろうか。
「近くでの用事が急にキャンセルになってしまったの。時間があいてそして思い出したのよ。あなたのおうちの近くだって」
「入って、少しはゆっくりできるのでしょう?」
客の顔は、差し込む春の日差しで逆光になり、よく見えない。
はしゃいだようなシャルロッテの声に引き入れられて、彼女がようやく、屋敷に足を踏み入れた。ゆっくりとその顔があらわになり、メレディアは驚いた。思わず、マナーも忘れてその顔を注視してしまう。
その視線を感じたわけでもあるまいが、ホールの端に控えていたメレディアを、彼女の目が捉えた。そして彼女もまた、驚いた顔をする。
視線を追ったのか、シャルロッテが、目を合わせてお互いに驚いている二人を交互に見ながら、笑顔になっていった。
「やっぱり、前から思っていたけれど、二人はとっても似ているわ!」
約束もなしに押しかけたのはこちらだから、というおっとりとしたクラリスの言葉に押し切られるように、三人はそれぞれの侍女と共に応接室に落ち着いた。とはいえ、メレディアは荷物が多い。侍女が商品を運び込み広げる間、お茶が振る舞われた。
お互いの素性が紹介され、彼女はやはり、グランティエール公爵の夫人だと分かった。あまりの身分差にどう接していいか分からないメレディアだったが、二人はとても気さくだ。生まれながらに高貴である、というのは、こういうことかもしれないと理解させるような態度だった。
「実はね、私たちは幼馴染なの」
シャルロッテがクラリスの手を握りながら言う。
こんな風に、人を妬むようなことなどひとつもないような立場にある者という余裕は、各種お茶会で散々にメレディアを蔑む発言を繰り返す娘たちには、百年かかっても身には付けられまい。ということは、メレディアには千年かかっても無理だろう。あまりに境遇が違いすぎて、比べることすら出来ない。雲の上を覗くような気持ちでお茶をすする。
「わたくしも見せてもらってよろしいかしら?」
「もちろんでございます、グランティエール夫人。気になる品があれば、お申しつけくださいませ」
「なんだかどれも素敵ね」
シャルロッテが、大きく頷いてくれた。
「ええ、メレディア様が持って来てくれるものは、いつも、お仕着せじゃない可愛らしさがあるの。外国の石や、古い伝統的な意匠もあれば、斬新な色使いもあったりして」
「実用性だけではなくって、見た目も愛らしいものが多いわね」
褒められすぎて恐縮してしまう。
確かに、メレディアはいつも、店舗を持つ商会との差別化をはかってきた。流行を作るために同じデザインをいくつも売るのではなく、一点モノや他にはない商品を選ぶ。ほとんどの家では、先祖代々付き合いのある店は決まっているものだ。そこに割り込むには、常套手段では難しい。
「とはいえ、乗馬関係ばかりね。シャルロッテったら、まだ馬を乗り回しているの?」
「もちろんよ、今年の鳥撃ちには、最近不調の父に代わって私が参加しようと思っていますの」
「まあ、馬鹿な子ね、侯爵がそんなこと……いえ、あの方ならば、娘のおねだりを受け入れてしまいそうですわね……」
優し気なリャナザンド侯爵の顔を思い出し、確かに、と思う。が、さすがにそれは許可されないだろう。若干二十歳の小娘が、男の遊びに受け入れられるはずがない。
「ねぇ、今度はわたくしのために、宅にいらしていただけませんこと?」
唐突に、クラリスに問われ、メレディアは驚きと困惑で少し詰まった。
「え、ええ、その、もちろんご希望とあれば。ですが夫人、公爵家には決まった店がおありでしょう、その」
新参者が突然に首を突っ込むわけにはいかない。その様子を見て、彼女は微笑んだ。
「どうぞクラリスと呼んで頂戴。メレディア様。あたなはご自分の立場がわかっていらっしゃらない」
「ええ、はい、ですから」
「違うわ。あなたは商人の娘ではないのよ。れっきとした爵位を頂いた貴族の娘なの。たまたま家業のひとつが商品を売るものであっただけでしょう?」
クラリスはメレディアの手を取った。
「その区別をあなた自身がつけていくことで、周囲の意識も変わる。自分の立場を忘れてはだめよ。貴族だという立場を」
ぎくしゃくと頷くメレディアに、彼女も頷き返す。
「わたくしの友人としていらして。その時に、たまたまお品を持っていらっしゃればいいのよ、ね?」
「やだわ、クラリスと私、趣味が似てるんですもの。ねぇメレディア様、ちゃんと均等に訪ねてちょうだいね? ひいきはなしよ?」
シャルロッテが横から、真剣な顔で言う。
思わず笑ってしまった。クラリスも、同じように笑っている。シャルロッテもつられたように笑う。
そして、
「二人はお年も近いし、……いえ、同じ年? 顔だけ見たら見間違えてしまいそうだわ」
「実はわたしくもそう思っているの。だからきっと、宅にきていただくのはとってもいい案だと思うのよ。だって、メレディア様が自分に似合うと思ったものを持って来てくだされば、それで間違いないんですもの!」
小さな応接室に明るい声が響いたのを潮に、クラリスは場を辞していった。
残された二人は、最初の目的だった品選びを終え、喋りつかれたシャルロッテの声でふたたびお茶が運ばれてきた。侍女たちは片づけを始めている。
「クラリスのおかげで随分遅くなってしまったわ。おうちの人に叱られたら、私におっしゃってね。謝りにいくわ」
「とんでもない、うちは私にいろいろ任されておりますから」
「いいわねぇ。私ももっと、お父様に仕事を任せてもらえないかしら」
難しい話題になってしまった。メレディアは合曖昧に笑い、
「クラリス様と、仲がよろしいんですのね」
「ええ、小さい頃から、彼女のおうち、ああ実家の方ね、仲良しだったの。とってもかわいくて優しくて、少し年上なのだけれど、偉そうなところのないほんとにいい方よ」
「分かります」
「分かって下さる? 嬉しいわ。私ね……」
一口、紅茶を飲んで、彼女は言った。
「私とクラリスとジェラルドは本当に仲良しで、私が学舎に入って離れてからも二人はずっと仲良しで、だから二人は結婚するものだと思っていたの」
とくり、と心臓が鳴る。
聞いてはいけないような気がした。けれど、夢見るようにつぶやくシャルロッテを、止めることは出来ない。
「ジェラルドがうちに養子に来て、クラリスをお嫁さんにもらって、そうやってとても近いところで縁が続いていくと思っていたの。
だけど、ある日突然、クラリスは公爵様に望まれて結婚してしまった。ジェラルドからは、はっきりとは言われていないけれど、養子の件について遠回しに考え直したいと書面が届いた。
ジェラルドはきっと、絶望したの。クラリスを取られてしまって、あれ以来、人が変わってしまった。人を信じないような顔をして……」
クラリスは幸せなのかしら、と彼女は呟く。
「少し痩せていたわ。笑顔は昔のように優しかったけど……」
考え込むような間が少しあってから、急に、目の前にメレディアがいることを思い出したかのようにはっとする。
「私ったらお客様にこんな話をしてしまって。クラリスと似て、メレディア様も人に打ち明け話をさせる大らかさが感じられるので、甘えてしまいました。
……メレディア様?」
呼ばれて、呆然としていた意識がようやく少しずつはっきりしてくる。訝し気な顔をしているシャルロッテを、ゆっくりと見返す。
「どうなさったの? 気分が悪い? 人を呼びましょうか?」
「いいえ……いいえ、大丈夫です」
小さく首を振る。少し深く、息を吸う。
「私を親しく感じてくださって、気さくにお話をしてくださったことに私も応えようと思います。
正式な発表までは間がありますが、私とジェラルド様の婚約が先日決まりました」
シャルロッテは、目を見開いた。その表情からは、驚き以外は読み取れない。
しかし、ジェラルドとクラリスの結婚を望んでいたという彼女にとって、低位の貴族の娘が遠縁に嫁いでくることは、手放しで喜ぶような事態ではあるまい。
ただ、メレディアはそこを分かってはいたが、思いやれるほどの余裕はなかった。頭の中を占めていたのは、シャルロッテがもたらした情報が解決してくれた、ある疑問についてだ。
「ずっと不思議に思っていました。なぜ引く手あまたのジェラルド様が、私を婚約者に選んだのか。ええ、とても、不思議でした」
答えが出た。
一瞬、嵐のように強い感情が渦巻き、痛みを引き起こす。だがすぐに、それは消えていった。納得したからだ。
「私とクラリス様は、とても良く似ている。それが答えでした」
固まったように何も言わないシャルロッテの前で、メレディアは立ち上がり、ゆっくりと辞去の挨拶をした。