29(おまけ 前)
ジェラルドの心情を掘り下げてほしかったとの感想をいただき、おまけを前後編で追加。
メレディアが嫁いで来てから、一カ月が経った頃のこと。
実家の敷地内にある離れとはいえ、夫婦の新居となった屋敷の部屋数はゆうに10を超える。
庭もあり、使用人の数はそれに応じて準備されていた。
給金は、リャナザンド家の専売品である薬草の実質管理、および家業に貢献した割合に応じての手当てから払われている。
今まで実家暮らしで貯まるばかりだったその金が、独立を通して市場に回り始めたということだ。
さらにそこに、妻への配当金も含まれることになる。
とはいえ──彼女自身も自らの収入があり、散財とは程遠い人物だ。
「もう少し使ってほしい」
「なるほど」
領民から集めた金を還元する意味でも、必要にして十分な額を使っているとは言い難い現状に苦言を呈すると、彼女は察したようにうなずいた。
「分かりました。考えます」
何を?
そう聞こうかと思ったが、その前に、脇から伸びてきた手にぐいと引かれた。
実家から借りている家令だった。
ジェラルドが生まれた頃から家にいる彼は、にっこりとメレディアに笑いかけると、そのまま廊下にジェラルドをひきずって出た。
「坊ちゃま」
「旦那様と呼べ」
「奥様に贈り物をしたことはございますか?」
にこにこと聞かれた。
長い付き合いだから、笑っているけれど、彼が怒っているのだと気づく。
「……花とか」
「パーティ用のコサージュでございましょう。ええ、覚えておりますとも。あとは?」
「……菓子などを」
ぐっと、二の腕を掴む手に力がこもる。
「言い訳は結構。ろくに贈り物をなさっていないということは分かりました。
……聡い坊ちゃんのことです、わたくしの言いたいこと、通じますでしょうね?」
そのまま無言で、二人、メレディアのいる居間へと戻る。
「君は……今日は暇だろうか」
「え。ええ、はい、特にこれといって用事はありませんわ」
「では。出かけよう」
「はあ、挨拶回りでしょうか、服装はどのような?」
率直に、しきたりを聞こうとする姿勢だ。
「いや、買い物だな、使い方を見せよう。そのような恰好でおいで。ニーナが分かっている」
彼女は、首を傾げつつ、古参の侍女を探しに出て行った。
ちらりと家令を見る。
厳かに頷かれ、なんだかほっとしてしまった。
彼女と実質的に夫婦でないことなど、家人たちのほとんどは知らない。
だが、ジェラルドの本来の仕事を知っている、地位を与えられた使用人たちはそれを理解しているはずだ。
それら全ての使用人たちに、冷ややかな夫婦関係だと思われていることは、ジェラルドも感じている。
良くないことだ。
知らない者には疑われるきっかけになり、知る者にはメレディアをつなぎ留められない不安を抱かせる。
なにより、メレディア自身が、いつまでもこんな状態をおかしいと思わないはずがない。
しかし……。
夫婦の寝室に入らないことについて、彼女は何も言わない。
なぜなのか分からないが、その状態に甘えていることは確かだ。
信頼される夫になれ、という母の言葉に、応えなければと思うが、向き合うことから逃げている自覚があった。
手を出せば、取り返しがつかない。
いつか別れるかもしれないことを、ずっと想定している。
「お待たせいたしました」
女性の支度としては異例の速さで、メレディアが戻って来た。
化粧は控えめだが、たっぷりとしたドレープのスカートに、繊細なレースの大きな襟をつけた、若々しい姿だった。
ふと笑う。
「まあ。変ですか?」
家令に睨まれた。
「いや、違う。初めて会った時とは、ずいぶんと違うなと思っただけだ」
「あれは……、もう、それは当たり前ではありませんか!」
「中身は同じだな。着るものなど、君にとってはたいした違いではない」
その瞬間、メレディアの頬が染まった。
ふと顔をあげると、控えていたメイドたちも、顔を赤くしている。
家令は家令で、あきれた視線だ。
それで初めて、自分の発言が閨事を匂わせるような意味合いを持つと気づく。
ここで慌てた様子を見せては、ますますいたたまれなくなる。
ジェラルドは何事もなかったかのように、メレディアを外へと連れ出した。
馬車の中で、メレディアはあっという間に平静に戻った。
それを少し、惜しいと思う。
「これと、これ。この二つと、それぞれ同じカラー、同じクラリティの石を出してくれ」
ジェラルドが注文する横で、メレディアは熱心にデザイン画を眺めている。
どうせ、流行を読み取ろうとでもしているのだろう。
自分がつけることなど、想定しているかどうか。
「気に入ったものは?」
「ええ、たくさん」
「ではそれを全部作らせる」
メレディアは眉をひそめた。
「駄目ですね。合うドレスを持っておりませんもの」
「それはこれから作る」
彼女が意味を掴みかねている間に、カウンターの向こうにいたデザイナーが、にんまりと笑う。
「あらあら、私のデザインに合わせてドレスを? 光栄でございますわ。
奥様、先ほど旦那様のご注文なさった石は、別のデザイン画のほうが似合います。
少々お待ちくださいませ。
ふふふ、よろしいわねえ、大変に、ええ、素敵な贈り物ですわね!」
メレディアは、少しの間、珍しくぼんやりしている。
「どうした。疲れたのか?」
「あ、ええ、いいえ。なんだか。そうですね。なんでしょう」
首をかしげる。
それから、目を細め、何か思いついたような顔をして、そして。
彼女は笑った。
「思えば、自分のものは全て自分で選び、自分で買っておりました。
あれですわね。
いいものですね、贈り物をしていただくというのは」
私から商品を買うお客様がいつも笑顔な理由が、分かった気がします。
彼女はそう言ってまた、笑った。
その瞬間、ジェラルドは、メレディアが間諜だという疑いについて、ばかばかしい、という感想を抱いた。
彼女は、無実だ。
自分の仕事柄、決してあり得てはいけない、ただの直観による判断だった。
説明は難しい。
もしかしたら、ただ、無実であってほしいという願いのようなものかもしれない。
ふと、デザイン画に見入る彼女が、ゆらりとかすかな光をまとった気がした。
目を凝らすと、ブロンドの髪から色が抜け、赤茶の瞳が透き通っていく。
なんだ?
目をこすってからもう一度眺めると、ふっとそれらは消えた。
髪色も目も元に戻っている。
「お待たせいたしました」
異なる大きさの宝石を、クオリティをそろえて差し出され、ジェラルドはようやく彼女から視線を外した。
生ぬるい視線が店員たちから送られる。
気まずい思いで、石の質を確かめながら、頭のどこかで、ひっかかるものを感じていた。
なんだろう。
その意味に気づいたのは、買い物を終え、屋敷に戻ってからだった。
あれは……王族の色に、よく、似ている。




