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「会いたかったわ、ジェラルド」
「なんのつもりだろうか、夫人」
「大丈夫よ、ねえ、私、いい考えがあるの」
うっとりと見上げた顔は、相変わらずクラリスの好きな顔をしている。
なんて素敵なんだろう。
これは、今から私のものだわ。
「いい考えとは」
「ええ、とっても素敵な話よ。これが実現すれば、あなたは私を手に入れられるんですもの!」
嬉しさがこみあげ、クラリスはくすくすと笑う。
ジェラルドは、意味が分からない、という顔をしている。
「分かるわ、この私が手に入るなんて、思ってもみなかったのよね?
でも、私はやり遂げたわ。
あなたのために。
これで、私は自由。
これからは、あなたと私、二人で幸せに暮らすのよ」
「現状が分かってないようだな、夫人。
君は今、捕らえられようとしているんだ、現実を見ろ」
おかしくなって、大声で笑う。
「ふふふふふふ、あははは、大丈夫、まかせてって言ったでしょう?
確かに、私は捕まるわ。
でもね、こうすればいいのよ」
クラリスは、女優のごとく、不意に真面目な顔を作る。
「はい、はい、ごめんなさい、私が国の技術や人材を横流ししました。
この私──メレディア・シェルラインが」
目を見開くジェラルドに、口元がゆるむ。
「ね、名案でしょう?
あなたはどこかで私とあの女を入れ替えるの。
シャルロッテの力を借りましょう。
貴族の権力があれば、出来ないことなんてないんですもの。
ちょっと牢屋を開けて、私を出して、あの女を放り込むだけ。
そうすれば、私はあなたの妻になれるし、邪魔なあの女は牢屋に閉じ込めておける」
「……破綻している。
メレディアを遠ざけたとて、あなたがグランティエール夫人であることは変わらないだろう」
クラリスは何も分かっていないジェラルドが可愛く、いとしく思え、その輝く黒い髪をそっと撫でた。
「馬鹿ね、全部考えてあるのよ。
私はさらにこう言うの。
これらすべては、マクシム・グランティエール公爵の指示でございます。
証拠の帳簿が、執務室に隠してあります……ってね」
クラリスは、ジェラルドの胸に顔をうずめた。
安っぽい香水の匂いがするが、大丈夫、自分が妻になれば全て取り変えさせる。
もっと質の良い服を、もっと似合う髪形を、自分が整えてあげられる。
「……君は、彼女と自分がどんな関係なのかを、知っているのか?」
ぎり、と奥歯を噛みしめた。
「知っているかですって?
……もちろんだわ、ええ、もちろん。
小さなころから、私はずっと言い聞かせられてきたんですもの。
もう一方をもらって来ればよかった、もう片方にすれば可愛がれたのに、ってね。
私が双子だったことは、耳が腐るほど繰り返された事実よ。
そのくせ、顔立ちがはっきりしてくると、私の美しさを高く売ったわ。
高位貴族に顔をつなぎたい家に、養子に出されたのよ。
美貌で姻族になることをただただ求められながらね。
私は四つの家を渡り歩いた。
どこも私を必要としなかった」
だから、メレディアを見た時にすぐに気づいた。
生き別れた姉妹。
身分差はあれど、二人は驚くほどに瓜二つだった。
その頃からだ。
あの女の情報を集めに集めた。
穏やかだが抜け目がないと有名な、商人である父親、庭いじりの好きな快活な母親、おっとり気質の姉妹、そんな笑いの絶えないありきたりの家族に囲まれていた。
ありきたり?
いいや違う。
それがどんなに幸運だったのか、あの女は分かっていない。
私が彼女だったら。
あの日、私ではなくあの女が先に貰われっ子になっていたら。
挙句の果てに、あの女は、クラリスの初恋の男と結婚すると言う。
私が彼女だったなら。
あんなふうに幸せな人生だったなら。
私が。
私が彼女だったなら。
「だからね、私が彼女になることにしたの。
あなたも、私の代わりだったあの女から、本物と夫婦になれるんですもの、嬉しいでしょう?
ねえ、一晩か二晩、取り調べを受けるわ。
あなたのために、我慢するわ。
それで自白をして、終わったら上手く入れ替えてちょうだい。
そしてお互い、相手の瑕疵を理由に離縁するのよ。
自由!
それが全て!
簡単なことだわ。
そうでしょう?」
ジェラルドの暖かな手が、クラリスの肩を掴む。
いいわ、抱きしめて、今こそ、私を。
「クラリス・グランティエール。君を拘束する」
ぐい、と引き離された。
少し驚くが、クラリスは優しく笑って見せた。
「そうよね、あなたたちは抱擁し合うような間柄ではないものね。
人が見ている前で、妻を抱きしめるなんて、しないわよね。
分かってるわ。
じゃ、二日後にね、ジェラルド。
あまり私を待たせないでね?」
ジェラルドの合図で、男たちが歩み寄ってくる。
紳士的に、しかし、逃げられない力で、両側を固められ歩かされた。
クラリスは平気だった。
だって、今捕らえられ屈辱的な姿勢で縄をかけられているのは、自分ではない。
あの憎い女だ。
もっともっと、きつく縛り上げるがいい。
こみあげる笑いを抑えることもせず、クラリスは馬車に乗り込んだ。
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取り調べ責任者のセラヴィは、じんじんと痛む目の間を、ぐいと揉んだ。
この自白室には、もう何日続けて出入りしているだろう。
目の前には、かつて同じように拘束した女性と、非常によく似た女がいた。
「話を聞いているの?
早くジェラルドを呼びなさい」
目の前で喚いているその人は、隠された宝石とも、秘密の薔薇とも呼ばれた、グランティエール夫人だった。
手入れのろくにできない牢暮らしで、髪はくすみ、目は淀んでいるが、貴族然とした気位の高さはまだまだ健在である。
「グランティエール夫人」
「やめて、私はメレディアよ、メレディア・シェルライン。二度と間違えないで。
私の夫を呼びなさい、命令よ」
ふと哀れな気持ちを抱く。
「夫人。おかしな話ですな。
あなたはリャナザンド卿の妻を自認しながら、自らの姓を旧姓でしか名乗られない。
どちらなのです?
あなたはメレディア様だと思ってほしいのか、そうでないのか」
「な……私は、私はただ……」
慣れない牢での扱いは、彼女を想像以上に疲弊させている。
それでも、一週間以上、自分はメレディアだと言い張る気力は、たいしたものだ。
「夫人の強いお願いに、私どもも慣例を曲げて、リャナザンド卿への伺いを立てた。
あなたを呼んでおられるがどうするか、とね」
「遅いけれど許しましょう、彼は、いつ来ると?」
「卿は……いらっしゃいません」
「は?」
彼女はみるみる、目を吊り上げた。
「そんなわけないわ、何を言っているの、お前。
彼は私を迎えに来るのよ。
そう決まっているの」
「来ない、と明確に返事がありました。
すでに、奥様と旅行に旅立っておられます」
「妻は私よ! この私が、妻なのよ!」
「そして!」
喚き声が耐えがたく、セラヴィはやや強引に彼女の話を断ち切る。
「夫人の夫、グランティエール公爵からも伝言をいただいております。
実家を通じて、正式に離縁を求める。
数日中に認可されるだろう、とのことです」
「……いいわ、どうでも。
それに、あの人、捕まるでしょう?
主犯だもの」
首を振る。
「いいえ。公爵に疑わしいところはございませんでした。
取り引き帳簿は確かに見つかりましたが、それを隠したという証言をリャナザンド卿が聞いておられたこと、そして帳簿の字体が屋敷のどの人間とも違ったことから、冤罪であると断定されました」
大声を出そうとしたらしいクラリスは、息を吸ったところで止めた。
それから小声で、
「ジェラルドが証言を?」
「はい。あなた様が卿の夫人と入れ替わるつもりであったこと、主犯を夫に仕立て上げようとしたこと、全て」
「そんな……馬鹿な」
「また、夫人の部屋の隠し扉の奥から、本物の帳簿と、取り引きで得た報酬が発見されました。
重大な証拠であり、これを持って、あなた様を裁判にかけることとなります」
「あの隠し扉が普通に探して見つかるわけがないわ!
メイドか誰かが余計なことを言ったのね……絶対に許さない、全員クビよ!
……いえ、待ってそんなことどうでもいい……ねえ、嘘でしょう?
ジェラルドは?
ジェラルドは、私が欲しいはずよ?」
「夫人。かの方は、奥様と睦まじくお暮しです。
あなたのお気持ちは、届かぬものなのですよ」
クラリスは、拳で机を叩いた。
それから、ぶつぶつと何かを言っている。
「……いいわ、ちょっと失敗したみたいね。ええ、いいでしょう。
でも私は諦めないわ。
ここを出たら、すぐにジェラルドのところへ行かなくちゃ。
だって、私じゃなきゃ彼はダメなんだもの。
彼は私のものよ。
私のものは全部、手元に置いておかなくちゃ」
ふっと顔をあげる。
「もういいわ。ここに用はないもの。
聞きたいことがあるなら聞きなさい、全部話すから。
そうしたら、私は帰るわ。
いつになるかしら?」
なんと哀れなのだろうか。
セラヴィは、この何も与えられずに生きてきた女に、心から同情する。
美しいが、ただそれだけの人間。
メレディアの、真っ直ぐな美しさを知らないのだろうか。
自分自身がこんなにもくすんでいることを、知らないのだろうか。
セラヴィの目に、二人はまったく似ているようには見えなくなっていた。
「夫人。あなた様は、取り調べと裁判を経て、おそらく、有罪となりましょう」
「どうでもいいわ、結構かかるのね、いつ出られるのよ、黙って聞かれたことだけ答えなさい」
「罪状は、国家反逆罪。おしなべて等しく──斬首刑にございます」
ひきつったような呼吸のあと、高く、長い悲鳴が響いた。




