25
たっぷり15秒ほど固まったあと、ラインハルトは咳ばらいをし、それから、ひどい有様になった部屋を眺めまわした。
不敬罪かしら、と考えているメレディアの前で、彼は両手を上向け、そこに陣を浮かべると、ふわりと魔力を展開させた。
横倒しになったテーブルやあちこちに落ちている花や絵がいっぺんに浮かび上がり、それから、全てがあるべき場所にすうっと戻っていた。
すっかり片付いた部屋で、ラインハルトは再び咳ばらいをし、
「まあ、座り給え、男爵」
おろおろうろうろしてた父は、疲れたように元の椅子に座り込む。
「怒らせたようだね。
すまない。
けれど、私の話も聞いてもらえるだろうか」
おずおずと言う殿下に、メレディアは頷いた。
「こちらこそ、取り乱しました。
ぜひお聞かせくださいませ」
「ああ……その、私は若い当時から、兄のスペアだと割り切っていてね。
あちこちに留学したり、城下に視察に行ったり、やがて身分を隠してお忍びででかけたりと自由にやらせてもらっていた。
カレンとはそんなときに出会ったんだよ。
私たちがどんな風に恋に落ちたのか、それはいずれ話すとして、今は結果だけを伝えよう。
恋人同士だった私たちは、ある日、カレンが領地に帰ったことで離れ離れになってしまった。
まだ社交シーズンで、タウンハウスに滞在していた彼女は、突然、ご両親に連れられ王都を去ってしまったんだ。
もちろん私は何度も連絡を取ろうとしたが、重い病気にかかりとても会えない、という返事が一度きたきり、すべて門前払いされてしまうようになった。
私はしつこく人を送ったが、カレンは一度も姿を見せないまま、ある日……天に召されたと」
ラインハルトの声が震えた。
「養父殿の話を聞いて、ようやく腑に落ちた。彼女は貴族を名乗っていたが、確かにふるまいは平民に近かったんだ。
察するべきだった。
きっと、養子になる前提で令嬢を名乗っていたに違いない。
しかし、当主夫婦に最終的にそれを反故にされた。
それで……その時すでに子を身ごもっていた彼女は悲観したのだろう。
結婚するつもりだったんだ。
今思えば、彼女はそうやって進んでいく事態と、いつまでも養子を渋る両親の間で、板挟みになっていたんだろうね。
かわいそうに……」
しばらく、誰も何も話さなかった。
メレディアもまた、事態を整理するのに時間が必要だ。
母は、愛されていた?
けれど……自分が望まれていなかったという結果は、変わらない。
「私たちには、そのような心情面をはかることはできない。
ゆえに、現状についての話を進めたく」
物思いに沈みかけた場面を引き上げたのは、ジェラルドだった。
真っ直ぐにラインハルトと向き合い、どうやら、語り手はゴーシュからジェラルドに代わるようだ。
「あ、ああ、そうだね」
「我が妻の、冤罪の件でございます」
「ええと、うん、メレディアにそっくりなスパイの存在だっけ?」
「はい。
私と妻は先日、もう一度、ボンド家を訪ねたのです。
そして今度こそ、正当な権力を以てして、真実を聞き出してまいりました」
「え? 真実?」
「はい、正確には、さらなる真実でございます。
彼女、メレディアは……双子だったのです」
クラリス。
彼女は、メレディアの双子の姉だった。
まるで小説のようだわ、と、メレディアは再度同じことを考えた。
古くから、多産は貴族たちにうとまれた。
複数産むのは獣に近い、という、ばかばかしい価値基準により、古くは片方を産婆がなきものにする、あるいはすぐに他家へやる、というのが定石だった。
今ではそんな古い価値観も薄れてきたが、伝統ある古い名家では、いまだにその迷信がまかり通っているとも聞く。
どちらが残り、どちらが出されたのか。
今となっては基準も分からない。
だが、祖父母は、ただでさえ忌まわしい孫の誕生に、曰くまでついてきたことに震え上がり、すぐにクラリスを外へ出したという。
なぜ自分が五歳まで手元で育てられたのか。
それは、メレディアのほうが王家の色に近かったからだ。
しかし、長ずるにつれ、金髪はにごり、赤目はブラウンに近づく。
もはや王家の落とし種だとばれることもあるまいと、ようやく手元から離した。
時期が違うだけで、クラリスとメレディアは、同じ捨て子に過ぎない。
ただ──クラリスがもらわれた先は、ボンド家の遠い分家であった。
不義の子であると祖父母が告げたという。
ダリアの見立てを考えあわせれば、多分、幸せな子供時代ではなかっただろう。
かろうじて貴族だが、実子でもなく、望まれてもいない。
対して、メレディアは、猫の子のようにその辺にくれてやるわけにもいかず、思い出したのが、カレンを助けた祖父というわけだ。
ある程度の事情も知り、平民で、爵位を餌に黙らせておける。
金はあり、脅される可能性は少ない。
幸運だったんだ、とメレディアは思う。
望まれなかった少女は、拾い上げられた先で、十分に愛された。
愛は内面を磨き、内面の豊かさは魔力を磨いた。
素質を糧に、魔力はどんどんと伸びてゆき、やがて、メレディアの本来の姿をあらわにし始めたのだ。
魔力の濁りが、髪を、目を濁らせていた。
そういう意味では、カレンの両親はメレディアの出自を自覚なく隠す方向に動いていたということだ。
けれど今はもう、隠しきれない。
溢れる魔力が、プラチナの輝く髪をつやめかせ、宝玉のごとき澄んだ深紅を目に宿らせる。
この姿こそが、家族に愛されていることの証だ。
そう考えた時から、メレディアの心は少しずつ変化している。
誰かの役に立つことで愛されようとした自分を、可哀そうに思う。
目を閉じれば浮かぶのだ。
すべてがくすんだ景色の中で、ぽつんと立っている幼い自分。
泣かないくせに、笑いもしない子供は、両足を踏ん張って立っている。
祖父母に背を向けられ、その背中をじっと無表情で眺めている彼女を、今なら、きっと、抱きしめてあげられるだろう。
幼かった自分。
ゆっくりと幸せに近づいた大人のメレディアは、心の中の幻想にそっと触れた。
ぱぁっと、部屋中に光が満ちた。
メレディアから発せられているその光は、本来持ちうるすべての魔力がわがものとなった印だった。
「メレディア……一体?」
ゴーシュが再び、暴走かとおろおろする中、メレディアはにっこりと笑った。
「ラインハルト殿下。先ほどの失礼をお許しくださいませ。
呼称を間違えてしまいました」
「メレディア……私は」
「私の父は、この愛すべき大商人であり、今後とも共に我が国の発展に尽くしてゆく所存でございます。
殿下におかれましては……どうぞ、ご自身の幸福をお探しくださるよう心から祈ります」
何かを言いかけ、口を閉じ、それから、ラインハルトは諦めたように笑った。
「その姿では周囲が黙っておるまい。どうか、私に君を守らせてはくれないか」
「ご心配は無用です」
メレディアは、自らの全身に魔力を巡らせた。
そのとたん、輝く髪色は落ち着いたブロンドに、目の色は若々しいアーモンドブラウンに変化した。
それを見たラインハルトは、今度こそ笑って首をふり、
「色々と考えよう。色々と。
けれど約束するよ、君が今まで通りに暮らすのに、邪魔はしないからね」
メレディアは感謝の意をこめて、礼を取った。
それから、夫であるジェラルドの方を見て、言う。
「ジェラルド様。わたくしと──離縁してくださいませ」
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