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その部屋に集っているのは、4人だった。
メレディアとジェラルド、メレディアの父、そして、ラインハルト王弟殿下。
そう、ラインハルトは、現王の弟だった。
いまだ王位継承権を持つが、本人はどこ吹く風、もしものためのスペアだよ、と笑う。
事実、第一王子であるエルアンベール殿下がまもなく立太子するという話は、公然の秘密である。
だから、万が一のために王家に籍を残しているというのは本当だろう。
それでも、メレディアにとっては雲の上の身分だ。
本来なら、震えるほど緊張していてもおかしくないのだけれど。
「お茶は? そう、じゃあちょっと待ってて。
いいからいいから、私が淹れたいんだ、いつものことだから、黙って座って。
美味しいって評判の店から色々見繕ったんだ、君はどんなのが好きか分からなくてね。
好きなものをお食べ。
残ったら持ってお帰りよ」
にこにことポットから紅茶を注いでいるラインハルトに、メレディアはくつろいで答えることができた。
理由は明快だ、彼と自分は、同じ魔力をまとっている。
「頂戴いたします、殿下」
「堅苦しくしないで、ああ、君たちも勝手にお食べ」
おまけ扱いされた父と夫は、無表情で紅茶をすすった。
「さて、メレディアだけを呼んだのだけど、何か話があるんだって?」
さりげなく嫌味のようなことを言い、ようやくラインハルトが正面の席に座る。
身分は下だが年上であることを考慮したのか、ジェラルドではなくゴーシュが口を開いた。
「偉大なる殿下にご挨拶申し上げます。
メレディアの父、でございます」
「養父殿の活躍は耳にしているよ」
「……」
「……」
ごほん、とゴーシュが咳をする。
「高貴なるお方のお時間を何度もおとりいただくのに忍びなく、一度ですませてしまおうと思いまして」
「ふむ……続けて」
「さて。まず、隣国ノイマールに戦争の気配が漂いましてございますのが、事の発端でした」
まるで小説みたいね、と、メレディアはのんきに考えていた。
事件ものの物語では、最後に探偵がみなを集めて「さて」と言うのだ。
「かの国はその準備を秘密裏に進めておりましたが、当国に間者を放ち、人材や知識、農作物を中心とした技術を不当に搾取していることが発覚し、そこから推論したものでございます。
そして、その間者と通じているスパイとして、我が子メレディアの名が挙がりました」
「なぜ?」
「姿を見たものが多くいるのでございます。
目撃者同士はつながりがないにも関わらず、似顔絵を作ればみな、一様にメレディアに似ていた。
それで、国からの監視がついていたのです」
ふん、と鼻を鳴らした殿下は、意味ありげにジェラルドを見た。
当の夫は、素知らぬ顔だ。
「しかし、そんなことは露も知らぬ当家は、先日、メレディアを渦中のノイマールに買い付けに行かせてしまった。
メレディア自身が戦火の匂いをかぎとり、予定を変更して帰って来たこともあり、監視が外れた隙に、愛国者を名乗るならずものどもに襲われてしまったのです。
当然、我らはそのものどもを警ら隊に引き渡した。
しかし結局は、やつらには逃げられ、メレディアはその時間に行われていたという裏取引の手引きをした容疑で捕まってしまいました」
「そこを私が助けたんだね」
にっこりと微笑まれたので、メレディアもぎこちなく笑い返した。
正確には、官吏の暴力から助けてくれたのであって、獄中から救い出してくれたのは、首領の首を取りに行ったファシオと、そこから手下たちを探し出したジェラルドだったが、もちろん反論はしない。
「我らは本格的に調査を始めました。
その一環として……この子の、生家を訪ねました」
つい先日の訪問を、メレディアは苦い気持ちで思い出す。
ボンド家の当主はすでに息子に移っており、ゆえに、のんびりと暮らしていた先代夫婦に面会するのは難しくなかった。
だが、話がメレディアの出生に及ぶと、彼らは知らぬ存ぜぬを押し通そうとしたのだ。
ゴーシュは商談の手腕をいかんなく発揮した。
手を変え品を変え、なだめたりすかしたりしながら、目をそらし続ける夫婦から話を聞きだした。
メレディアの母、すなわち、彼らの娘が襲われたというのは、──嘘だった。
いや、粗暴な酔っ払いに馬車を襲撃されたのは本当らしい。
しかし、その際に暴行されたというのは、作り話だというのだ。
娘を助けたゴーシュの父も、もちろんそれは知っていたはずだ。
知っていて、嘘をついたということだ。
「そのお嬢様は、名を、カレンと」
ラインハルトが目を閉じる。
「彼女は子を孕んでいた。もちろん酔っ払いの子などではない、当時の恋人の子です。
しかし、彼女は身分が低かった。
正妻の子ではなかったのです。
ゆえに、正妻が戸籍に入れることを渋り、引き取って育ててはいたものの、まだ養子には入っていなかった。
そんな身分で一体どこで知り合ったのか分かりませんが、お相手の身分は相当に高く、とてもまともに結ばれるとは思われなかった。
カレン嬢は体調を崩し、子を産んだ後に床上げ叶わず儚くなってしまわれた」
そして、と、ゴーシュは言いづらそうに間をとったが、メレディアが励ますようにうなずいて見せると、ふうとため息をついた。
「血は繋がっているが、またも身分が定かでない赤子が生まれてしまった。
今更、その子を養子に入れるわけにもいかない。
平民を直接養子にするには、先代夫婦の家は伝統がありすぎた。
そこで……望まぬ妊娠の末の子だと偽り、平民の家に下げ渡した」
将来の爵位推薦を餌にして。
ゴーシュの父がその話に乗ったのは、その辺が理由だろう。
当時すでに商才を発揮していたゴーシュが、いずれ爵位に足る功績を残すだろうと予想した。
その手助けをした、というつもりなのだろう。
嘘を真に受け、その子がどんなに母を憐れみながら人生を送るか、知りもしないで。
メレディアは五歳まで祖父母の元にいた。
腫れ物に触るような、というよりは、遠ざけられながら育った。
貴族としてのふるまいはおざなり程度に与えられ、誰からも望まれず、そして、最終的に平民にもらわれる。
母もお前も望まなかったのだと言われ、最後は目も合わせず放り出された。
シェルラインの家で初めて愛を知る。
けれどメレディアは、役に立つことをいつも考えている。
無償の愛など、身近になかった。
だから、信じていないのではない、知らないのだ。
いつでも誰かの役に立たなければならない。
自分自身には、なんの価値もないのだから。
視線を感じて目を上げると、ラインハルトがメレディアを見ていた。
そして、ひどく真面目な顔で言った。
「私は、カレンを愛していたよ」
愛を知らない娘に語り掛けるように、彼は、そう言った。
部屋に風が吹き荒れる。
みなが慌てているのが、遠くに見えた。
メレディアはぼんやりとその様子を眺めていた。
ため込んだ自分の魔力が暴走しているのだと気づいたのは、誰かに抱きしめられてからだ。
「メレディア」
耳元で呼ばれ、同時に、胸元が熱くなった。
物理的に、だ。
鎖骨の間ほど、そこにあるのは、ジェラルドが獄中で放ってよこしたペンダントだった。
制御しきれない魔力が、どんどんそこに吸い込まれているのが分かる。
そうしてようやく、自分を抱きしめているのがジェラルドだと気づいた。
「大丈夫だ、全部俺がなんとかしてやる」
「駄目ですそんなの」
何でも自分でやらなくちゃ。
「駄目じゃない」
「なんですか、それ……」
「駄目なことなどない。君は俺の妻だろう?」
すうっとペンダントが冷える。
部屋の中は静まり返り、おろおろする父だけが動いていた。
メレディアは、固まっているラインハルトを見て、言った。
「ちょっと、感情が乱れてしまいました。ごめんなさい……お父様」




