21
その頃。
メレディアは、倒れこむようにして寝た翌朝に、祖母の襲来を受けていた。
父方の祖母である。
「この恥知らず!」
いきなりひっぱたかれて、寝不足だった頭がすっきりする。
目の前では、祖母が卒倒せんばかりに目を吊り上げており、その後ろではファシオが剣のつかに手をかけている。
「……ごきげんよう、おばあ様」
「あなたにおばあ様と呼ばれる筋合いはないわ。
まったく、善意からあなたを引き取ったというのに、こんなふうにあだで返されるなんてね!
しょせんは下賤の生まれだわ。
ちょうどいい、嫁に行ったのだから、あなた、この家とは縁を切りなさい。
二度とこの家の敷居をまたぐことは許しません、今すぐ出て行くのよ」
顔をゆがめる祖母がわめきたてる間に、ファシオがそっと部屋を出て行くのが見えた。
メレディアはため息をこらえ、にっこり笑って見せる。
「あらおばあ様、善意だなんて。
おっしゃっていたじゃありませんか、私は、おじい様の遺産だ、と」
祖母がわずかに怯む。
目を泳がせ、
「あ、あなた……覚えて……」
「当たり前ですわ、もう五歳だったのですもの。
私の出自は、私が一番分かっております。
けれどおばあ様、この家と縁を切るかどうかは、お父様のご意向に沿うつもりです。
今すぐ出て行くつもりはありません」
「なんという……私をなんだと思っているの、あなたは私の言うことをきけばいいのよ!」
その時、バン!と貴族の家とは思われない音を立ててドアを開け、すごい勢いで入って来たのは、母のミレディだった。
素早く、メレディアの前に立ちふさがる。
「まあお義母様、先ぶれもなしにどうなさいましたか?」
先制パンチとばかりに無作法を遠回しに咎める。
祖母はぐっと詰まりながらも、睨みつけてきた。
「慌ててやってきたのよ、決まっているでしょう。
この娘が、犯罪を犯して捕まったときいたのよ!
なんてことなの、我が家に傷をつけるつもりなの!?
とんでもないことだわ。
あなたたちには言いにくいことを、私が代弁してあげているのよ、感謝なさい!
さあ!
出て行くのよ、この……」
「何を言うつもりですか、お母さん」
背後から、父と、それからファシオが入ってくる。
祖母を斬り捨てるより両親を呼びにいくことを選んだファシオに、やるわね、と目線を送った。
むっとしたままの彼は、早足でメレディアの後ろに回る。
「それ以上はお控えください」
「な、ならあなたが言えるというの、ゴーシュ!」
「何をです?
私が我が娘にかける言葉は、いたわりと感謝の言葉以外にはありませんよ。
メレディアは無実だったのです」
「はっ、分かりませんよ、そんなこと!」
「なるほど、国家機関の取り調べを信用なさらないと?
ではそう進言していらっしゃるといい。
ここではなく、メレディアを無実で解放した官吏たちに」
祖母は、顔を真っ赤にして黙り込んだ。
そんなこと、出来るわけがない。
なぜなら、祖母は貴族ではないからだ。
「分かりますね、お母さん。
この家のことは、男爵である私が決めることです」
「そ、その爵位は、お父様のおかげで得たものでしょう!?」
「だからなんです?」
メレディアの父ゴーシュは、どこか貴族を気取った、抜けた男のように見える。
しかし、その実態は、国で一位二位を争う商家の商会長だ。
人が良いだけの訳もなく、優しいだけの男でもない。
息子が醸し出す、上に立つ者の空気に、祖母は口をつぐんでかすかに震えた。
「わた、私は……」
おどおどとする祖母に、父はふっと笑って見せた。
「もちろん、お母さんが心配してくれる気持ちは分かります。
息子として、それを聞く義務があることもね。
さあ、私の部屋へ行きましょう。
朝早く、お疲れだったでしょう?」
「ええ、ええ、そう、そうね……」
祖母と父が出て行くと、全員がふうっと息を大きく吐いた。
「大丈夫、メレディア?」
「ええ、お母様、来てくださってありがとう」
「当たり前でしょう。そうでもなければ、お義母様の命が危うかったわ」
肩をすくめ、ファシオを見る母は、真面目な顔だ。
起きだしてきた姉と妹とともに食事を取り、お茶を飲んでいると、ようやく父が顔を出した。
「おばあ様は?」
「お帰りになったよ」
「まあ、ご挨拶しなかったわ」
「ああ、いい、いい、私が帰したんだ。それより……」
父のために淹れられた紅茶を一口飲んで、メレディアを見る。
「明日、父さんと一緒に出掛けよう」
「どちらへ?」
「……お前の……実のおばあ様のところへ」
全員が動きを止めた。
「……ゴーシュ、相手方のお名前は聞かなかったのでは?」
「ああ、それが爵位の条件だったからね。
だが、私は、あの抜け目ない父が、それを唯々諾々と受け入れたとは思わなかった。
きっと何か手がかりを残したに違いないと」
「まさか、おばあ様に?」
「そんな訳がないと思うかい?
母は傲慢だが、その傲慢さは全て、『家』を守ることに向いているんだよ。
だから父が、絶対に言うな、と言えば、それは固く実行される」
「ではどうやって聞き出したのです?」
「もちろん、家を守るためだ、と説得したのさ。
今までは黙っていることが父のため、家のためだった。
そして今、事実を告げることこそが、家を守ることになるとね」
もちろん時間はかかったが、と、ひょうきんな顔をして見せる。
「お前の夫から、訪問の打診があったが、断っておいた。
おそらく、殿下のところへ行くのだろうからね。
私たちはまず、情報を得なくては」
「分かりました」
母が、メレディアの手を握る。
「この子を連れていく必要はあるのですか?
決して……楽しい訪問になるとは思えないのですが」
「そうかもしれないね。
だが、メレディアの姿を見せることこそに意味がある。
頑張れるね、娘よ」
メレディアは、父と母に肯いて見せた。
「ごめんね、お父様お母様。
やっかいごとを持ち込んで」
「いいさ、いつかはこんなこともあるだろうと思っていたからね。
爵位を得たことで資産を増やした分、どこかで苦労もある。
当たり前のことだ。
たいしたことではない」
微笑あったところで、おずおずとした声がした。
今までずっと黙って隅っこで話を聞いていた、妹のハンナだった。
「ねえ……衝撃なのだけど、お姉さまは、実のお姉さまではない、の?」
驚愕の顔のまま固まっているハンナに、両親は、あ、と口を開けた。
「あらやだ、言うの忘れてたわ」
翌朝、メレディアと父は、地方に向けて出発した。
ボンド家。
訪問の意向に、異例の速さで返事が来たのは、いかなる意味だろうか。
「ボンド家……さて、いい思い出はないわね」
メレディアは心晴れないまま、大きな屋敷へと到着した。




