16
ガチャン!と音を立てて、大きな閂がかけられた。
しばらくこちらで過ごしていただきたい、と連れてこられた部屋は、その物言いとは相いれない雰囲気だ。明らかに牢。
窓がないどころか、扉には鉄格子がはまっている。
「はぁ……困ったわね」
困ったどころではないが、なんだか実感がわかず、とりあえず呟いてみた。
怒っても泣いても、事態は変わりそうにない。メレディアは、考えることにした。
一脚だけ置いてある木製の粗末な椅子に腰を下ろし、頭の中を整理する。
「まず……おかしなことだらけで何から始めていいか分からないけど、ひとつ分かっているのは、私は悪くないってことよね。何もしてないもの」
それなのに、こうして罪人のような扱いを受けている。
理由は、明確だ。メレディアの姿が、隣国の侵略行為に関係している、と思われているから。
ため息しか出ない。
その時だ。
ドアの外から、ためらいがちなノックが聞こえた。
「はい」
返事をすると、鉄格子のはまった小窓が数センチ開き、そこから澄んだ青い目がのぞいた。はっとして椅子から立ち上がる。
「ジェラルド様……」
「メレディア」
「申し訳ありません」
迷惑をかけていることを自覚しそう謝ると、彼は、黙り込んだ。
「けれど私は無実でございます。何か……間違いが起こっているとしか思えません」
「間違いとは、何を指しているんだ」
ドアに近寄り、メレディアは考え込んだ。
「考えられるのは、『私を陥れようと誰かが嘘をついている』か、『見間違い』か、そのどちらかでしょうね」
「誰かというのは、誰だ」
「分かりません」
「……では、そのような罠にかけられる心当たりはあるのか?」
「いいえ」
話にならない、とでも思ったのか、ため息が聞こえる。
まあそれも仕方がないだろう。雲をつかむような話だ。信じて欲しいと言っても、難しいことは分かる。
「私に関しては、ただの元男爵家の小娘ですから、失脚させたとしても誰にもなんの得もないように思えますが。
そうですね……。
ノイマールは開戦の準備をしています」
「なんだと?
なぜ……そう思う」
ああこれは、予兆を感じていたのだ。戦争の気配ではなく、メレディアがそれを知っていたことに対して驚いている。
「つい今朝までおりましたから。商売の動き、鉱山の様子、人々が何を買い何を売るのか、そんなところから推察したまでです。
ただ、当国とノイマールは、少なくとも国家間レベルでは良好な関係を築いておりますわね。
現王弟の奥様は、元々ノイマールの貴族ですし、輸出入のバランスも悪くない。
国境での小競り合いなどもなく、それぞれに利益を得ているといって良い間柄ですわ」
「……そうだな」
「つまり、ノイマールが敵国として想定しているのは、別の国でしょう。
おそらく、海洋都市を抱える南国あたり」
ジェラルドは黙っている。
「あの、お忙しいのでは?
詮無い話をお聞かせしてしまいました、どうぞお仕事にお戻りくださいませ」
「馬鹿な、君がこうして捕まっているのに、何を言っている。
というか……こんな状況で、君はそこまでいろんなことを考えているのか」
「昔おっしゃいましたわ。そういうところが良い、と」
返す返すも申し訳ない。
「それより、ノイマールは、敵対するつもりもないのに、この国に対して侵害行為を繰り返している。
矛盾しているだろう」
「あら、まあ、もちろん、お金ですわ」
メレディアはきっぱりと言った。
「戦争にはとかく、お金がかかるものです。そのための資金を、開戦までに必死でかき集めているのでしょう。
同時に、鉱山を中心とした資源に頼って来た国策は、それ以外の物資を輸入に頼っているため、弱点となることを危惧した。
そこで、平地がちで農業大国ともいえる当国のノウハウを盗み、食糧自給率をあげようとしている。ついでに、苗も盗んだ」
メレディアは、指先をあごに宛てた。
「いつか尽きる、と……気づいたのかしら。あるいはすでに……」
資源は有限だ。少しでも考える頭があれば、そう気づいている。
「どこかで国内生産を補うために、豊富な海洋資源をもつ南国をまるごと、接収しようとしているのでしょうね」
なんにしろ、メレディアにはなんの関係もない。
「そういえば」
ふと思い出した。
「国境を越えたところで暴漢に襲われたと申し上げましたでしょう?
彼らも、私に対して暴言を吐いたのですが、やはり、言ったのです。
『売国奴』と」
それは、さきほどサムソンにぶつけられた罵りと同じだ。または、取り調べをした人々の、厳しい目に込められていた感情と同じだ。
つまり彼らも、メレディアを粛正しようとする正義の行動だった?
ジェラルドは考え込んでいる。やがて、顔を上げ、
「分かった。君はむしろしばらく、ここにいたほうが安全なのかもしれない」
「ええー……」
「これを」
彼は、鉄格子の隙間から何かを差し出してきた。受け取ると、それは、赤い石のついた華奢なネックレスだった。
いいものだわ、と、つい癖で鑑定してしまう。
「我が家に伝わるお守り石だ。身に着けておけ」
「ええっ、そんな大事なもの、困ります!」
「な、なぜ」
「私はこの先どうなるか分からないんですよ、壊れたり奪われたりしたらどうするんです?
困ります、お返しします!」
差し出すメレディアに、彼はあきれた顔をした。
「ここは司法のど真ん中だ、何がどう、分からないというんだ。
壊れても別に構わない、それは君にやる」
そう言うと、ジェラルドは、ネックレスを突き返そうとしていたメレディアの手を握った。
エスコートの場面以外で手が触れることなどなかったのに、と、反射的に引いてしまう。
するりと抜けた手を、ジェラルドは、無言で見ていた。
「旦那様……?」
「メレディア」
「はい」
「こんな場所に残して行きたくはないが、ある種安全と言える。
だから、しばらく辛抱するんだ。
すぐに……出してやる」
そのまま、彼は立ち去った。
メレディアは、かけられた言葉に呆然とするばかりだった。
その夜。
椅子に座ったままうとうとしていたメレディアは、かすかな音で目を覚ました。それは明らかに、扉の閂が外れる音だ。
全身が緊張する。
月も天頂を超えたような時間に、忍ぶようにやってくるなんて、ろくな相手ではない。
無意識に、首から下げたネックレスを握る。
扉を開き、ゆっくりと入って来たのは、男だ。薄暗く顔は分からない。
安全だと言ったのに、と心の中でジェラルドに悪態をついてみる。
「何用です?お一人ですか?取り調べならば、複数の立ち合いが必要なはずです」
立ち上がって言うと、彼は後ろ手でドアを閉め、つかつかと早足で寄って来た。
男は、手持ち燭台に、火をともす。
浮かび上がったのは、サムソンの顔だった。
そして、平手でメレディアの頬を打つ。
痛みと熱さ、同時に、くらりとする。
「なんだその目は」
「生まれつきですわ。下がってください、近寄らないで」
「黙れ!」
もう一度振りかぶった手が、反射的に避けようとしたメレディアの顎先に当たる。さっきよりも強い眩暈に、ふらついた。
思わず座り込んだメレディアを、サムソンは憎々しげに見下ろしている。
「この魔女め、お前の罪は、人をたぶらかす気質だ。その目……その顔……」
男は、メレディアの顎を掴む。無理やり引き上げられた顔が、お互いに近い位置で対峙した。
「悪は美しいと聞くが、その美こそが、お前の犯罪の証拠だ。卑しい商売女め、父親の金で着飾り、夫の権力に浸かりきった乞食女が!」
全く道理の通らないことを言い、男は、ひひっ、と笑った。
「俺が躾をしてやる」
「下がりなさい!」
「ははっ、気の強いところも、なんとも不愉快だ。だが見ているがいい。お前はすぐに、俺に跪き、許しを請うだろう」
突き放され、よろけるメレディアの胸元に、男の手が伸びる。