12
クラリスはぼんやりと窓の外を見ていた。
夫は出かけている。義理の父母は、夫に爵位を譲った後、領地に引っ込んでしまった。王都へはほとんど顔を出さないため、この家は夫婦だけの生活だった。
手元のベルを鳴らすとすぐに、メイドがノックする音がした。
「入って」
「失礼いたします。お呼びでございましょうか」
クラリスは、ベルを置いた手をそのまま、サイドテーブルへと向ける。そこには、紫水晶の散りばめられた華奢なブレスレットがあった。
「それ、片づけてちょうだい」
「かしこまりました」
メイドはそれを手に取ると、ずらりと棚に並べられた宝石箱へと足を向ける。
「ああ、違うわ」
きょとんとした顔で振り向くメイドに、扉付きのクローゼットを示す。趣味に合わないものやつけるのがはばかられるようなもの、いわゆるお蔵入りの品が押し込められているほうだ。
戸惑いつつも、彼女は素直にそれをしまい込んだ。
そういえば、このメイドは、今しまい込んだブレスレットを買った時、その場にいたのだった。大喜びしながら購入したクラリスの姿を覚えていて、だからこんなに不思議そうなのだ。
クラリス自身が気に入って買ったのに?
そういう顔だ。
「ねえ」
「はい、奥様」
メイドは早足でクラリスの前に戻り、直立する。
「私と、あの娘。本当に似ているかしら?」
あまり聡いほうではないような顔をしたメイドは、その質問の意味をじっくり考えているようだ。そして、やがてようやく、あの娘が誰を指すのか分かったらしい。ぱっと顔を輝かせる。
「シェルライン商会のお嬢さんのことですね?
本当によく似ていらっしゃいました!
姉妹というより、双子のようでしたわ!」
あの時、クラリスは機嫌よく笑っていた。メレディア・シェルラインの持ってきた品を、隅々まで確認した。
そして思ったのだ。
──なんて安っぽい品ばかりなのかしら。
値段の問題ではない。感覚が安っぽい。それを持ってきた女も、同じように安っぽい。下級貴族のような顔をしているが、しょせんは商売人の娘だ。仕草も、話し方も、全くもって安っぽいとしか言いようがない。
そう、と言ったクラリスは、手を振って下がるように命じる。メイドは何も感じない顔で頭を下げた。
「ああ、お前。名前は?」
「え? あ、ダリアと申します」
クラリスは再び手を振り、彼女はにこりと愛想をふりまいて退室していった。
すぐに、入れ替わりで専属侍女のモーリンが入ってくる。
「奥様、本日届きましたお手紙でございます」
お茶会のお誘い、夜会への招待、ご機嫌伺いの様々な商会からのカード。それらを見るともなしに見ながら、
「ねえモーリン。私と、メレディア・シェルラインは、本当に似ているかしら?」
家名をあえて結婚前のものにしたことに、モーリスはすぐに気づいた。そして、にこりとも笑わない顔で言った。
「いいえ、とんでもないことでございます、奥様。奥様の美しさに、いったいあの娘ごときの何が追い付くというのでしょう」
クラリスは満足して笑った。
分かっている。自分とメレディアは似ている。明らかに、似ている。けれど、クラリスはそれを許しがたいと考えている。
モーリスはそれに気づき、ダリアは気づかなかった。
「ダリアというメイドを首にしなさい。愚か者は我が家に似つかわしくないもの」
「承知いたしました」
そうして、モーリスは読み終わった手紙類をすべて回収して出て行った。指示は必要ない。すべて、断りの返事が送られることになる。
夫が同伴する、夫の決めた会合以外、クラリスの社交は禁止されている。つい最近までは、一切が禁止だったから、急に舞踏会に行くぞと告げられた時は、しばらく信じられなかった。
夫のマクシム・グランティエールは、クラリスが常に浮気しようとしていると考えている。
いや……さすがにそこまでではないだろうが、その執着と悋気が尋常ではないことは確かだ。
奥深くに閉じ込められ、領地とタウンハウス、二軒の服飾店、一軒のレストラン、それが、結婚してからのクラリスの世界の全てだった。
それが一年ばかり前から、監視が緩み始めた。
夫の忠実な部下である護衛がついていれば、新たに装飾店が二店、いくつかのカフェに出入りすることが出来るようになった。
さらに、予定にはなかったのに、幼馴染のシャルロッテに会いに行ったことも、事後承諾で許されたのだ。
そこには、メレディア・シェルラインがいた。
シャルロッテが似ていると言った時には、不快な感情を隠すのに苦労したものだ。
ばかばかしい。
だが、自由が増えて機嫌の良かったクラリスは、お世辞を言う余裕さえあったのだ。
そしてあの日、久しぶりに浴びたまばゆい王宮のシャンデリアは、一切の手入れをおこたらないクラリスの肌を美しく彩った。気分が良かった。夫も機嫌が良さそうで、本当に楽しかった。
その感情がひっくり返ったのは、メレディアを目にしてからだ。
なぜか彼女は、クラリスの大切な人と踊っていた。
優雅とは程遠いステップで、たどたどしく、あの人と手を取って。
さらに、図々しくも、フロアの中央を横切る始末だ。
顔には出していない。感情を表に出すようでは、高位貴族などやっていられない。例えばあのダリアのように察しが悪くても駄目だ。
だからクラリスはすぐに理解した。
彼らは婚約している。
そうでなければあんなに目立つようには踊らない。
その日から、クラリスはずっと、気分が悪い。苛立ちがつのり、ふとすれば手にしたカップを床に叩きつけたくなる。とうとう結婚したと聞いた日には、本当に寝込んでしまったほどだ。
あの人は私のものだ。
なぜそれが分からないのだろう。リャナザンド卿も老いたものだ。
かつて子どもだった頃は、あんなにも完成された大人はいないと思っていたが、まさかあの人を男爵風情の娘と娶せるなんて。
やはり、三年も世間から離れていたのは良くなかった。誰もかれも、クラリスの素晴らしさを忘れかけているのだ。
「教えてあげなくちゃ……」
──ジェラルドが本当に愛しているのは、私だって。
くすりと思わず笑う。
「可愛い子ね、ジェラルド。私の代わりに、顔だけ似た女を探し出すなんて……。待ってて、すぐに、あなたを私のものにしてあげるわ。
本物の私が、あなたを助けてあげる……」
三度、ドアがノックされた。
入って来たのは、唯一実家から連れてきた侍女だ。この侍女の実家の爵位は低く、クラリス専属にはなれなかったが、それでいい。彼女の本当の仕事は、クラリスの世話をやくことではなく、クラリスの手足となることだ。
「シェルライン家の男衆が動き出しました。近々、外国への買い付けに行くものと思われます。男爵は道路修繕事業に関わっており、しばらくは王都内にとどまるでしょう。おそらく、出かけるのは娘の方でございます」
クラリスはうっすらと笑った。
「そう。では少し、動きましょうね。手伝ってくれる?」
「はい……なんなりと」
「そうだわ、ねえ、あなたと同じ名前のメイドがいたのよ、知っていた?」
「ああ、はい、半年ほど前に入って来た若い娘でございましょう」
「首にしたわ」
はあ、と、ダリアの名を持つ侍女は、それがどうしたという反応をする。くすくすとクラリスは笑う。
「あなたのためよ。ねえ、だって、誰だって、人と同じものを共有するのは嫌でしょう?」
やはり、はあ、と答える侍女に構わず、クラリスはいつまでも笑っている。