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 夜会の翌週、メレディアはマゼラン夫人のサロンにいた。夫婦で招かれた夕食会は、夜も更け、紳士達はシガールームへと消えている。残った婦人たちは、噂話に花を咲かせている。


 メレディアとジェラルドが結婚して独立したことにより、二人はそれぞれ、子爵家、男爵家の一員ではなくなった。しかし、血縁であることに変わりはない。

 メレディアは少数の稀少商品を扱う商いを、ジェラルドは長兄の片腕としてタウンハウスの管理を、それぞれ今まで通りに行うことになった。

 そして、その両方に都合が良いと、そのタウンハウスの別棟に住まわせてもらっている。


 二人はまだ、夫婦ではない。

 もちろん、書類上はすでに妻と夫である。けれど、その実情は、単なる同居人というのがせいぜいのところだ。

 メレディアは失望していない。予想通り、というところだ。自分に求められているのは心のつながりではなく、妻と言う役割であり立場だ。

 だから今、メレディアはここにいる。


 今日のメンバーは、皆メレディアよりも年上だ。気安い仲なのか、遠慮なく菓子をつまみながら賑やかに笑い合っている。



「まあまあ、お孫さんが?」

「ええそうなの、半年後には私もおばあちゃんだわ」

「おばあちゃんに見えなくて、赤ちゃんが混乱するのではなくって? いつまでも若々しくてうらやましいわ」

「お上手ね!

 でも、もし少しでも本気でそう思ってくださるなら、白粉(おしろい)を変えたからだわ」


 夫人の何人かが身を乗り出す。


「やっぱりそうですの!

 実は気になっておりましたの、お肌の艶がとてもよろしくなったって!」

「どちらの白粉ですの?」

「東方の輸入品よ。グランティエール公爵夫人が使っているという触れ込みの」


 メレディアは笑顔を保つのに多少苦労した。思わず耳を澄ましてしまう。突然に出てきたクラリスの名前が、シガールームの夫の耳まで届いていないだろうか?

 そんなはずはない。分かっている。

 シガールームはエントランスを挟んで向こうにある。たとえ大声を出したって、届きはしない。

 それでも。

 彼女の名ならば、どんなに小さくても聞き逃さないのではないかと。


「メレディアさんはご存じ?」


 商人として鍛えた外面が、すぐさま笑顔を作る。


「公爵夫人が使っていらっしゃるお品については存じ上げませんが、東方の白粉といえばあれでしょうか、半練りタイプの、しっとりした質感の商品が最近入って参りました」

「ええ、ええ、それだわ。固いクリームという感じなのだけれど、するっと伸びるのよ」


明らかにヨレも崩れも少ない夫人の肌を、皆が食い入るように見ている。

 その目がそのまま、メレディアに向いた。


「そのお品、買わせていただくことは出来るのかしら?」

「そうですね、多少ならば。ただ……」

「なあに? ちなみにここには8人いるわ。数の問題なら、カードで勝負をつけましょうよ!」

「あら、負けないわよ!」


メレディアは、高貴な人々の意外な明るさに、思わず笑った。


「まあ、ようやく笑ってくれたわね」

「あ……申し訳ありません、緊張して、私、お気を使わせてしまいました」

「いいのよ、新婚さんで、妻としてうまくやらなきゃって感じが目いっぱいして、とっても微笑ましいわ」

「ええ、ええ、思い出すわ、私もそうだったわあ」

「あら、初めてのお茶会でタルトのお代わりをした方が何を思い出すっておっしゃるの?」

「んなっ、う、……そうだわ、何か言いかけてる途中だったわね、ごめんなさい話の腰を折って。ただ、何かしら?」


 笑いをこらえながら、メレディアは口を開く。


「今は数が少なく、東方での価値より高く値がつけられております。が、ひと月もすれば十分な量が輸入される予定ですから、だいぶ下がるでしょう。

 皆様に値の話など逆に失礼と分かってはおりますが、商売人として言わずに済ますわけには参りませんので、一応」


 ホストのマゼラン夫人は、肯き、そして片目をつぶってみせた。


「ええ、そして商人ならば分かっているわよね? 希少なうちに、高価な値段で手に入れることに、貴族としての意味があるのだ、って」


 とうとうメレディアは笑ってしまった。


「はい、ご希望の皆様に、明日中にお届けいたしますわ」


 夫人たちは全員が手を上げ、そしてその手でメレディアの二の腕に優しく触れる。暖かく受け入れられ、それぞれの自宅につながりも出来た。

 妻として上々の出だしだろう。




 やがて、お開きの時間になり、メレディアはジェラルドと連れ立って馬車に乗り、家へと帰った。

 翌朝すぐに、注文の品を各家に届けられるよう、頭の中で段取りを組む。そうしているうちに、すぐに自宅へと到着した。


 メイドが湯を使うかと尋ねる。

 ジェラルドは、シガーとアルコールの匂いに辟易した顔で肯いた。メレディアも、客用浴室を開けてもらう。


 さっぱりとした後、少し考え、お茶を淹れた。

 ジェラルドは簡単な確認があると執務室にいた。ノックをして、返事を待ってから扉を開けた。


「お茶、いかがですか?」


 メレディアは考えた。妻の役割を果たすならば、家庭を維持する努力が必要だ。家族の関係は希薄であってはならない。

 それは、自分が育ってきた環境も、ジェラルドが育ってきた環境も、同じ暖かな家だったから、目指すべきはそこなのだ。


「ああ……そうだな」


 やや戸惑った様子ながら頷いたジェラルドに、お茶を注いで手渡した。図々しかな、と思いつつも、自分のカップも持参し、テーブル横の椅子に座った。


 黙ってお茶を飲む。

 ふと、ジェラルドが自分を見ている、と気づいた。

 そういえば、ふろ上がりの、簡素な寝間着にガウン姿だった。自宅ではいつもこうだったから、何も考えずに来てしまったが、なれなれしかっただろうか。

 

 ジェラルドが目を細めている。

 ぽん、と思わず膝を打った。


「……どうした」

「あ、いえ。その、明日の段取りでちょっと。思いついたことがあって。はい」


 適当なことを言ったが、本当は違うことを思いついていた。

 自分が家族の前で無防備だったように、幼馴染同士もやはり、幼い頃は気安く付き合っていただろう。

 ジェラルドがメレディアを通して誰を見ているか、分かっているはずなのに。時々忘れてしまう。忘れたいから。目をそらし、忘れたふりをする。逃げられないのに。


 自分が存在している限り、ジェラルドはクラリスを忘れない。なんというジレンマ。


 メレディアはお茶を飲みほした。


「では、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 夫婦の寝室に入り、ベッドにもぐりこんだ。冷えたシーツが、夏の体温を少し奪う。どうせすぐにぬるんでしまうが、寝入りばなには心地よい。


 ベッドの残り半分は、朝までずっと、冷えている。












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― 新着の感想 ―
[一言] 再開ありがとうございます。 メレディアさんのひたむきな想いが切なくて、何かすれ違いのようなものがあるのではないか、クラリスさんに心を残したままであっても少なからずメレディアさんに心を寄せてい…
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