9.道具屋の大親友
自由都市国家ラプトロイには「民の休日」というものが存在する。
探索を行う者、商売を行う者、勉学に励む者、様々な営みを行う中で、人々は余裕のある時には体を休め、明日を生きる銭が足りなければ休みなく馬車馬のように働くのが当たり前だ。
しかし、この街を作った異界の勇者様は、定期的に休日を設けるよう民に強要したのである。
具体的には十五日ごとに一日を休日とする法であり、休む日は自由というものだ。
もちろん探索者には適応されな無かったし、兵士達も交代制が採られたのだが、概ね全ての民に受け入れられ、現在に至るまで継承されている。
休日という文化は、外食や目的物の無い買物、仕事ではない自分のための作業など、国民にこれまでにない行動パターンをもたらし、結果的に多大な経済効果を生み出したのである。
◆
ロウが樹王の杖を完成させてから二日目、養成所が休日であるこの日に杖修理の依頼主であるリンセルが付き添いのリクソンと共にロウの店にやって来た。
杖が出来上がったその日の内に探索者組合へ報告に行ったので、それほど時間も掛からずにリクソンへ伝わったようだ。
二人がやってきたのは開店直後、鐘一つ刻(九時くらい)を過ぎたくらいだった。
今日は探索者養成所は休日だそうで、二人とも革鎧などの防具は身に着けておらず、普段着のベルトに長剣や短剣を腰に挿している簡素な格好である。
「ロウさん、探索者組合から連絡があってやって来た。思っていたよりずっと早かったんでびっくりしたよ。」
「おはようございます、リクソンさん、リンセルさん。どうぞ、こちらにおかけ下さい。」
ロウは二人をカウンター席に誘い、予め用意していたのか手早く紅茶を入れて二人の前にカップを置く。
紅茶の香りが天窓から差し込む光と交じり合うようかのように店内に漂い、穏やかな空間を生み出した。
「早速ですが、まずお二人に謝罪しなければなりません。古代樹の杖の修理は叶いませんでした。」
「え?そうなのか?いや、てっきり直ったのかと・・・。」
「・・・そうでしたか。なんとなく、解っていたのですけど・・・。」
「申し訳ございません。少し長くなりますが、あの杖を直す方法から説明させて下さい。」
ロウは預かった杖を直す方法、つまり同族のエルダーエントに取り込んでもらい、元の状態に戻すしかないということを話す。
二人はエルダーエントという魔獣の名前を聞いただけで驚いていたが、さらにロウが「魔境」に入りエルダーエントの生息地まで行ったと知り、目を見開いてもはや言葉すら出なかった。
ロウは淡々と話を続ける。
古代樹の杖は思惑通りエルダーエントに取り込まれたこと、しかし、エルダーエントは取り込んだ杖をただの杖ではなく、同族のエルダーエントとして蘇らせるため、しばらく体内に取り込んだままにすると言ってきたこと。
「結果的に古代樹の杖を失ってしまうことになりました。これが謝罪の理由です。」
「い、いや・・・しかし意思を持つエルダーエントとは、ロウさん、あんた一人でそんな危険な魔獣を相手にしてきたのか?!」
「あ、あの!ロウさんは杖を直すために「魔境」へ入ったのですか?お一人で?!」
「そうなりますね。探索者組合のジャイムル副支部長には話しを通してありますので、問題はありません。」
「問題大ありだろう・・・。」
二人とも杖を失ったことよりも、目の前の優男が「魔境」の奥地まで単身で入り、そして無事に戻ってきたことに驚愕している。
中堅探索者のリクソンですら「魔境」の奥地など行ったことは無いのはもちろん、行って生き残ることなど出来るかと問われれば無理と答えるしかない危険地帯なのだ。
「ただ、古代樹の杖を取り込んだエルダーエントは、古代樹の杖を置いていく代わりに自分の身体の一部を渡してきました。ええ、新しい杖の材料として。」
「なっ!」
「そ、そんなことって・・・」
「古代樹の杖を失った代わりに新しい杖を作りました。それでご容赦頂きたいのです。」
「ま、待ってください!!それじゃお婆ちゃんが言っていたあの杖を作った大親友の職人さんって、ロウさんだったのですか!?」
「おや、メルミラが僕を大親友と呼んでくれていましたか。優しくて賢くて、誰よりもジルモや家族、我々仲間を愛した素敵な女性にそう呼ばれるとは光栄ですよ。」
本当に嬉しそうに微笑むロウの言葉を聞いて、リンセルの瞳から涙が零れそうになる。本当に慈愛に満ちた優しい祖母だったのだ。
リンセルにしてみれば、藁にも縋る思いで偶然辿り着いた店で、見た目にも若い店主が自分の祖母と同じ時代を生きていたなど思いもしなかった。
また、リクソンはロウがコードミア種だということに思い至り、これまで数々の高性能武器を作りだしたことも、単独で「魔境」に入ったことも、妙に納得できてしまった。
ロウは一旦工房に入り、新たに制作した【樹王の杖】を持って戻ってくる。
「これは【樹王の杖】と言います。「魔境」のエルダーエントは失った杖の元となったエルダーエントより遥かに上位の種でした。この杖の性能も格段に上がっています。」
「す、すごい・・・。こんなに強い杖は見た事がありません。お婆ちゃんの杖よりすごい・・・。」
リンセルは改めて【樹王の杖】をみて、杖から放たれる魔力の強さというか、格の違いに圧倒されてしまった。
杖自体が持つ魔力の濃密さもさることながら、艶やかな薄茶色が映える木目の美しさ、先端部で輝く金属と水晶の程よい主張が全体を引き締め、荘厳な雰囲気を醸し出している。
リンセルが杖を見て言葉もなく立ちつくしていると、ロウはカウンターの上に杖を置き、リンセルに優しくいった。
「メルミラの杖の代わり、などというつもりはありませんが、彼女やジルモへの思いを込めて作りました。受け取って下さい。」
「は・・・、い、いえ、その・・・。」
「まずは、使用者の固定をしましょう。魔力操作は覚えていますよね?この杖の先端の金属部分にあなたの魔力を通して下さい。」
「は、はい。」
ロウの言葉に流されるまま、リンセルが杖に魔力を通すと一瞬だけ杖が淡く輝いて、そして直ぐにその光は消えてしまった。
「はい、持主固定は完了です。これでこの杖は貴女が望めばその手の中に戻ってくる転移能力が機能します。」
「ええ!す、すごい・・・。」
「て、転移魔法だと!失われた魔法じゃないか!なぜ・・・。」
「まぁ。落ち着いて下さい。転移と言ってもお二人が考えているような魔法ではありませんから。」
「なんと・・・。」
「正確には物質移動ですから生物なんかは移せない未完全な魔法ですよ。」
余りの規格外、もはや神器とさえ呼んでも良い位の性能を聞かされ言葉を失う二人だが、胸の内にある気持ちはおそらく一緒なのだろう。
しばらく沈黙していたリンセルは意を決したようにロウの目を見て、言葉を区切りながら言った。
「ロウさん、私はまだ見習いで・・・この杖を使うことなんて、とても・・・」
「そうですね。貴女はまだ若くて魔力操作も未熟。そんな人がこの樹王の杖を使えばあっという間に魔力枯渇状態になり、取り返しのつかない事になります。」
「・・・自覚しています。自分がその杖を持つ実力も資格も無いことも・・・。」
リンセルは魔法の才能があるというだけで、確かに有望ではあるが優秀な魔法士とはまだいえない。
それを十分理解しているからこそ、自分の能力を遥かに超えた杖を見て、改めて自分の無力さを思い知ったのだろう。
ロウは【鑑定眼】を使ってリンセルの能力を見る。
名 前:リンセル
種 族:人間族
状 態:弱混乱
能 力:魔法士 見習い探索者
固有能力:【魔力調律(未)】
特殊能力:【水魔法】【治癒魔法】
通常能力:【生活魔法】【鑑定】
実力がないとリンセルは行ったが、ロウが見る限り、彼女は今の段階で四つも能力を所持している。
それは若き頃のメルミラと変わりはなく、未顕現の固有能力が開花すれば優秀な治癒魔法士になることは疑いようのないことであった。
「リンセルさん、勘違いしてはいけませんよ。メルミラは優しいだけではなく、自分を高めるために常に努力する人だった。だからこそ古代樹の杖を使いこなす事が出来たのです。」
「はい・・・、そうですね。がんばらないといけないですね。」
「うん、その通り。そこでリンセルさんに提案があるのですよ。」
「え?」
「まずはこの腕輪です。この腕輪は魔法拡張鞄と同じ能力を持っています。」
「え。ええ?」
「ただし、形が特殊だけに容量は非常に小さい。そう、この樹王の杖を入ればもう一杯なんです。」
そう言うとロウは腕輪の中に樹王の杖を格納してしまった。もはやリクソンとリンセルはロウの行動を見守ることしかできない。
「樹王の杖は暫く腕輪の中に格納しておきましょう。その代わりに・・・。」
ロウはカウンターの下から一本の杖を取り出した。青みかかった金属製の杖で、長さは50㎝程だろうか。
グリップ部分には持ちやすいように赤い革が巻かれており、束の部分には何かのクリスタルが埋められている。
リンセルは思わず【鑑定】能力を使ってこの杖の詳細を見てみると、余りの高性能に思わず声を上げてしまった。
「ええええ!こ、これもロウさんが作ったのですか?!」
「リンセルさんは【鑑定】能力をお持ちですから説明の手間が省けますね。」
名 称:ウォームワンド(魔法杖)
能 力:水属性魔法増幅/魔法治癒力増強/魔法影響範囲増強
状 態:良好
原 料:ミスリル鋼/マンティコアの魔核
この杖も以前ロウが作った魔道具である。
魔力伝導に優れたミスリル鋼を【錬成】能力でさらに純度を高め、材料の持つ特性を最大限に引き揚げて作った杖だ。
さらに、樹王の杖にも使ったマンティコアの魔核と革も使い、治癒魔法能力を底上げできるようにしている。
どんな理由でこの杖を作ったのか、ロウももはや覚えてはいないのだが、樹王の杖を作るときにふと思い出したのである。
「樹王の杖を使いこなせるまでは、代替えでこの杖を使うと良いでしょう。これで依頼の完了とさせてください。」
「え?え?で、でも・・・。」
話はすべて済んだとばかりにカウンターの向こうで笑顔を見せるロウを、二人はただ言葉もなく見つめる他に術がない。
それでも、何とか状況を整理し終えたリクソンが、リンセルにとって最大の懸念を伝えるべくロウに言った。
「ロウさん。すまんがリンセルはこれだけ優れた魔法杖に支払う金は持っていないと思う。俺も多少なら融通できるが・・・。」
「・・・はい、とてもお金が足りません。」
「いえ?杖のお代は頂きませんよ。魔境への脚代は探索者組合から魔境調査の名目で出ますし。」
「そんな!!樹王の杖だけでなく魔法収納やこれほどの魔法杖を無償でなんて!」
「何を言っているのですか。メルミラはどれだけ多くの探索者の傷を癒したのです?その対価を一切受け取っていないのですよ。」
「た、確かにそうだが・・・、それとこれとは・・・」
「さらに私はメルミラの杖を失うという失態を犯しました。それはとても樹王の杖やウォームワンドなんかで相殺できるものではないのです。」
「い、いや、そんな訳は・・・」
もしも、樹王の杖を売ったとしたらどれほどの値が付くかなど想像もできない。
ウォームワンドにしても、ミスリルを原材料として能力が三つも付与されている魔法杖ならば、少なくとも金貨十枚、10,000,000ギルは下らないだろう。
それはリクソンくらいの中堅探索者でも中々払える額ではない。
庶民の日給が凡そ大銀貨一枚(5,000ギル)、宿屋暮らしの探索者なら、銀貨一枚(10,000ギル)もあれば飯三食とたらふく酒を飲んでも一日を過ごす事が出来る街なのだから。
リンセルはカウンターの上に置かれ、蒼白い光を反射するウォームワンドをじっと見詰めている。
「メルミラはいつも言っていましたよ。ありがとうと言われるのが最高のご褒美だと。そんな魔法士がいたらどれだけの人が救われるのでしょうね。」
ロウが言った言葉にハッとして顔を上げたリンセルは、ロウが優しい笑みを浮かべているのを見て、もう一度杖に目を戻す。
やがてリンセルは躊躇いがちに手を伸ばしてウォームワンドを手に取ると、ロウの目を真直ぐに見て声を上げた。
「ロウさん、私立派な魔法士になります。多くの人を救えるように。それまでロウさんの杖を使わせて下さい!」
「はい。楽しみにしていますよ。」
「はい!ありがとうございました!」