8.道具屋の帰還
魔獣達の楽園「魔境」は、測りきれないほど広大な大地が100mも沈下した、いわば巨大な森の湖のようなものだ。
魔素溜りと呼ばれる高濃度の魔素が充満する低地や、未発見の迷宮などが数多く存在するため、たとえ弱肉強食の世界であっても魔獣は確実に増え続けている。
増え続けてしまった魔獣は、いつか人族達の領域と「魔境」の境界を越えて溢れ出し、辺境の村や町を襲って人族に甚大な被害を与える大災害となる。
このため、自由都市国家ラプトロイのように「魔境」に近接している国々は、定期的に討伐部隊を派遣し魔獣を「間引き」しなければならない。
国にとっては負担となるが、この「魔境」での討伐作戦は軍にとって戦闘訓練であり、魔獣の素材を得ることで資金を確保するための手段でもある。
探索者にとっても、魔獣の素材を得るためだけならば「魔境」へ向かう者が多い。魔獣の素材も迷宮産より魔境産の方が性は良く、探索者組合での買取り価格が高くなるのだ。
生息場所の情報さえあれば、高額で取引される魔獣を効率的に狩ることも出来るので、ある程度慣れた者なら身入りは大きい。
一方、迷宮ならば事前情報もあり無尽蔵に湧いてくるので、安定した収入を得る事が出来る。
また、人型の魔獣が持つ武器や稀に発見される魔道具なども高値で取引されるため、一攫千金も夢ではない。
そんな宝の山が眠る「魔境」をラプトロイに向けて移動途中のロウ達であるが、上位種であるディルの感覚が高級食材の森林牛鬼を捉えた。
この魔獣の肉はたいへん美味しいうえ、滅多に出回ることもないため希少価値も高い。
ディルも大好物な食材を見つけ、腕に抱えたロウに断りも入れず森林牛鬼に向かって行った。
森林牛鬼は隠蔽能力を持ち、気配を消して周りの景色と同化するように擬態するため中々発見されることはないのだが、本気モードのディルの前では何の意味も成さなかった。
ロウとディルはあっさりと高級食材を手に入れ、ホクホク顔で再びラプトロイへの帰路についたのである。
◆
森林牛鬼の狩りと血抜きで時間がかかってしまったため若干行程が遅れてしまったが、翌日の何とか陽が落ちる前に自由都市ラプトロイの第四防護壁が見えてきた。
見る者を威圧するような高い防護壁であるが、「魔境」から九日ぶりに戻ってきたロウにとっては、無事に家に戻ってきたという安堵の感が大きい。
東門で入国審査をしている列の後ろに並び、自分の番になるのを静かに待つ。
商人や農民など一般人の出入りは殆ど西門で行われ、探索者位しか利用しない東門には、それほど多くの人が並ぶことはない。
首に巻きつく黒蛇を見て露骨に顔を顰める者もいるが、当のロウはどこ吹く風である。
それほど時間をおかずにロウの順番が来たので、顔馴染の衛兵に身分証を提示する。
「おや?蛇使いの道具屋じゃないか。魔境に入っていたのか。」
「はい。材料の採取がありまして、しばらく森に入っていました。」
「まったく、単独行動は危険だといっているだろうが。本当に気を付けて行動してくれよ。」
「ありがとうございます。あまり奥まで行かないようにします。」
「そうしてくれ。入っていいぞ。」
言い方はきついのだが、探索者達が無事に帰ってくることを祈っていつも注意を呼びかけている優しい男で、探索者達の間でも評判が良い。
ロウが第四防壁の門をくぐると、農作業を終えた農民や探索者が東大通りに溢れており、これまで全く人気のない「魔境」にいたロウは、一瞬たじろぐように立ち止まった。
しかしすぐに立ち直ると、今度は活気ある街の姿を楽しむように笑みを浮かべて歩いていく。
第三防護壁の門では入場審査はないが衛兵は付いており、ここでも顔見知りの兵士を挨拶を交わして居住区へと入っていった。
夕暮れ時の目抜き通りは、露店主や店舗の店員が今日一日の売り上げを少しでも伸ばそうと、街へ帰ってきた者を相手に声を張り上げて商品を売り込んでいる。
ロウが自分の店に辿り着いた時には、すでに辺りは暗くなっていた。
裏の勝手口の鍵を開けて中に入り、二階へ行く階段を上る。
「はぁ・・・やっと帰ってきました。もう今日の夕食はハブスの店で済ませましょうか。」
旅装を解いたロウは、短槍とフード付きマントを片付けてから二階の窓を開けて新鮮な空気を入れ、再び階下へ降りて行った。
◆
向かいの店、食堂兼酒場の「ハブスの店」はカウンター七席、四人掛けの丸机が八卓あるこの辺りでは一番大きな店である。
元探索者の夫婦が営むこの店は、この一帯に住む者達の憩いの場となっており、昼夜問わず店には人の姿が絶えない。
当然、ロウも毎日のように利用している。
いつも黒蛇ディルと一緒なので、他の客が嫌がらないように店の中では一番目立たない席に座るか、外のテラス席で食事をしている。
ロウは気を使っているのだが、この店の常連たちはディルがいることはもう当たり前と認識しており、寧ろ横からジッと食べ物をねだる愛らしい姿に愛着すら感じているのだ。
この日も店に入った途端に顔見知りから、挨拶を受けたり、ディルは焼肉をもらったりと、奥の席に行くまで結構な時間が掛かってしまったものだ。
ロウが席に座ると、早速従業員のヨナが声を掛けてきた。
「ロウさん、いらっしゃい!久しぶりね!」
「はい、今晩は。お腹がペコペコです。何か魚系の定食があればお願いします。ディルにはブロック肉とレモンケーキを。」
「はい!飲み物は良い?」
「じゃ、食後に蒸留酒を一杯だけ下さい。」
「はいはい~!ちょっと待っててね!」
ヨナは猫人族で貧民街の孤児だったが、五年前にハブス夫婦に引き取られてからずっとこの店で働いていて、今ではみんなから大人気の看板娘だ。
持ち前の明るさと、猫獣人の可愛らしさから、彼女目当てで店に通う客も多いが、彼女の親代わりでもある主のハブスが睨みを利かせているため、手を出そうとする者はいないそうだ。
「はいー!お待ちどうさま!ディルちゃんもいっぱい食べてね!」
それほど待つこともなく、ロウの焼き魚定食とディルために焼いたブロック肉が運ばれてくる。
早速ロウはブロック肉を切り分け、机の上まで首を伸ばしたディルに食べさせてやり、合間に自分の焼き魚を食べ、美味しい夕ご飯を堪能した。
食後に出てきた蒸留酒を飲んでいると、筋肉隆々厳つい顔の店主ハブスがやって来て向かいの席にどっかと座った。
「デバ包丁とヤナギバ包丁がほしい。最近魚の注文が多いんだ。」
「おや、これはありがとうございます。合金と魔鉄、どちらで作りましょうか?」
「合金で頼む。刃は20cm前後かな?」
「その位で作ってみます。形が出来たら一旦持ってきますよ。」
「おお、頼むな。」
ディルも久しぶりに甘いケーキを食べて満足そうである。
元の姿ならいざ知らず、黒蛇の姿のままケーキを食べる姿は何とも滑稽で、その姿を見た者は笑顔になってしまうのだ。
厳つい顔のハブスの顔も何となく緩んでいる。
「ところでハブスさん。」
「ん?何だ?」
「・・・森林牛鬼、仕留めました。」
「っ!・・・エレンの店に卸してくれ。全部買う。」
「ディルにも少し・・・。」
「分っている。ディルが仕留めたんだろう?ヒレの良い所食わせてやる。」
「毎度あり。」
こんな密談をした後に、美味しい食事に満足したロウとディルは、旅の疲れも飛んで店を後にした。
◆
翌日。
定時に店を開けたロウは、店番をディルに頼み、工房でエルダーエントの古枝と対峙していた。
依頼品であった古代樹の杖は、古き者のエルダーエントに吸収されたあと、回収できなくなってしまったので手元には無い。
それは商人としては最悪の行為であり、紛失した事については依頼主に徹頭徹尾謝り続けるしかない。
とにかくリンセルに渡す新しい杖を作らなければならない。
新しい杖の構想は既に決まっている。
見た目が何の変哲もないただの木の棒切れだが、属性魔法と治癒魔法の威力を底上げする魔法能力を付与する。
古代種が元々持っている能力がどれほど影響するか、作ってみなければ分からない部分はあるが、いずれにせよ高性能の杖になることは間違いないだろう。
エルダーエントの古枝といっても長さが3m、枝廻りも50cm以上あるので、このままでは人が持つことなど出来ない。
木杖ならば素材を杖の形に削り出して形を整えるのは簡単だが、それでは削った部分の魔力は失われてしまう。
散々悩んだ挙句、ロウは魔法で物質圧縮を施し、素材をなるべく傷めないで理想の形にすることにした。
まず、古木から能力【錬成】を使い、分離させる不純物を古木内の「含有水分」として少しずつ飛ばして、乾燥している状態に加工する。
固有能力である【鑑定眼】を使い古木の状態を確認しつつ、分離した水分と古木の重量を比べながら、錬成作業を続けること十数回。十分に乾燥した木材が出来上がった。
次に、乾燥した古木を一旦熱湯に潜らせてから樹皮を剥いていく。
エルダーエントの樹皮は、煮出して木杖の表面保護材にしたり、魔獣避けの結界装置の材料となるので、次に使うまで再び自然乾燥させる。
お湯から出した古木を乾いた布で丁寧に拭いていく。
そしてもう一度乾燥工程を施したあとに、屑水晶を砕いた粉末で表面を研磨していくと、光沢のある艶やかな木目が浮かび上がってきた。
ここまでで丸一日を費やす。当然、店には客は一人として来なかった。
翌日もロウは工房へ籠る。
今日は昨日加工した古木を、古代魔法の【空間魔法】を使って圧縮し、長さと径を現物の半分ほどにする工程である。
ロウは何の気負いもなく無詠唱で石畳の床に魔法陣を発動させると、加工した古木を魔法陣の中に置いた。
魔法陣の色は透明、ガラスのように透けた魔法陣である。
そしてロウの表情がいつもの穏やで恍けたものから、凛とした真剣な表情に変わる。
ロウは魔法陣の傍に膝を付き、胸の高さで左の掌を翳すと魔法陣か回転を始め、それを見たロウはゆっくりとした動作で腕を目線位置まで持ち上げた。
すると、床に置いた古木も魔法陣と共に1mほど宙空に浮遊した。
今度はロウの右の掌が上下に揺れる。
その動きに合わせて魔法陣も上昇下降を繰り返すが、古木は宙に浮いたままで魔法陣だけが摺り抜けるように動いていた。そして魔法陣が通り過ぎる度に古木は圧縮され、少しずつ形を変えていく。
元々が木の枝であるから、幹側と反対側の先端が細く尖った形になっていく。やがて最後の魔法陣が通過すると、古木は長さ1.3m、外径も15㎝程に圧縮され、ゴツゴツと節の部分が盛り上がった杖の形へと変化していた。
ロウは杖を手に取り、じっくりと観察する。
傷や割れは見当たらないし、圧縮効果で杖自体の強度も上がって表面も滑らかになり、工房に差し込んでくる陽の光を反射していた。
ただ、この状態では、杖自体の質量は変わらないので重量軽減の魔法陣を組み込魔なければならない。
ロウは倉庫に行って薄いミスリル鋼を持ってくると、【錬成】の能力を使って薄い円盤状に伸ばしていく。
そして重量軽減と重心一定の魔法陣を発動させると、滑らかなミスリル鋼の表面に刻んでから板を円錐状に加工し、杖の細い先端部分をコーティングした。
さらに杖の頭の部分、元々幹との接合部だったこの場所は固かったので他の部分より圧縮されず、ゴツゴツとした球状になっているのだが、ここに治癒魔法の才能があるリンセルのためある細工を施す。
ロウの手にあるのはミスリル鋼と一緒に持ってきた、親指ほどの結晶である。
これは自己治癒魔法を使う魔獣マンティコアの魔核の一部で、滅多に出回ることは無いが、教会などで使われている治癒魔法を増強するための魔道具に組み込まれているものだ。
ロウは杖の頭に結晶を当て、【錬成】を発動させてゆっくりと埋め込んでいった。
後は杖本体の表面保護である。
乾燥させたエルダーエントの樹皮を繊維状になるまで細かく裁断し、全ての成分を抽出するまで魔法水で煮詰めていく。
濃い茶色になった樹皮水を十分冷やしてから、杖の表面に薄く塗っては乾燥しまた同じように塗布する、を繰り返すと、杖の表面が艶々と輝いてきた。
ロウは【鑑定眼】を使って、杖の能力を確認する。
名 称:樹王の杖(魔法杖)
能 力:全属性治癒魔法増幅/内包魔力増強/魔力集積吸収/転移/自己再生
状 態:良好
原 料:樹王の古枝(古代種)/マンティコアの魔核
メルミラに渡した古代樹の杖より、遥かに性能が良い魔法杖が出来上がった。
エルダーエントの固有能力である自己再生や、魔法能力、使い手の内包魔力の増強はもちろん、大気中の魔素を吸収して魔力変換能力も継承しているので、魔法発動時の魔力消費を軽減できるはずである。
さらにロウは重量軽減だけではなく、一定距距離を離れてしまうと、魔力を登録した者の元へと戻る転移魔法の魔法陣も組み込んでいた。
「ふむ・・・。神器級の【覇者の杖】に近い能力はありそうですね。及第点でしょう。」
ロウは満足そうに頷いて杖を作業台の上に置き、今日の仕事は終わったとばかり店の方へ戻っていった。