43.道具屋と独善と自由と
鐘三つ刻(鐘一つ刻は九時、鐘二つ刻は十三時、鐘三つ刻は五時、鐘四つ刻十七時くらい)を過ぎたあたり、自由都市国家ラプトロイの街では、いつもと同じように多くの人々が通りを歩いている。
早朝のこの時間でも、大通りは多くの商売人達が売り物を運び、肩がぶつからんばかりの賑やかさで、探索者達も今日の稼ぎを求めて街の外へ向かっている。すこし路地を入っていった所でも、職人達や通いの店員達が工場や店へ向かう姿が多く見受けられた。
そして、少しずつ建物と建物の間に陽の光が挿し込んで来るのにつれて、人や物が動くだけの騒がしさは一段落つき、今度は街全体が目覚めたような、生命力あふれる人の気配が満ちてくるのだ。
ラプトロイに住む成人した民で、働いていない者は殆どいない。
賃金の高い低いはあっても、職を求める人を上回る求人があるためで、働く意欲さえあれば、その日一日を暮らすだけの金が手に入るのである。
この日、鐘一つ刻になっても、裏路地にある「道具屋」は閉店の札がかかったままで、開店時間を過ぎても、いつもの様に人型スライムが扉を開けて背伸びをする光景は見られなかった。
店の主であるロウは、いつものように白シャツと黒ズボン、そしてフード付のローブを羽織り、肩掛けの鞄の中に黒蛇、フードの中には白金色のスライムを収めて、東地区の入り組んだ路地裏をすり抜けるように歩いていた。
この時間になると「職人町」と呼ばれている東地区では、鉄工所や石工所から響いてくる金属がぶつかり合う音や、木を削る木工所の音、機を織る縫製所の音があちらこちらから聞こえてくる。
他所から来た者には騒音ともとれる音であるが、この地区で働いているロウの耳にはとても心地よく響き、思わず口角が上がってしまう。
しかし、南地区に入ってくるとそこは探索者達の町であり、彼らが塒として使っている「宿屋」が立ち並んで雑然とした風景に変わってくる。
この辺りの宿屋は夕食が付いて一泊が二千ギル(大銅貨二枚)程度と安く、ルーキー以下の若い探索者達が多く連泊しているため、皆が仕事に出てしまったこの時間は人の気配が感じないほど閑散としていた。
ここまで来ると、先ほどまでの気分とは真逆にロウの気持ちは重くなってくる。それが無意味な事だと理解しつつも、今すぐ進む向きを変え店へと戻りたい気分だった。
ロウは数日前まで「魔境」に入っていたのだが、店を留守にしている間に探索者組合から呼び出しがかかっていたので、組合がある南大通りに向かっている途中であるのだ。
組合からの呼出し理由は、ラプトロイ迷宮で発見された転移魔法を記した魔法陣の件で、再び魔法士組合が探索者組合に対して何事か言ってきたのだという事は予想が付く。
ロウに直接的な接触が無かったのは支部長のお陰だとして、それでもこうして呼び出してくることを考えると、魔法士組合も相当な執着を持っていることが伺える。
つらつら考えながら歩いていると、程なくしてロウ達は探索者組合の建物に到着し、いつも開け放たれている扉を潜り、余り人気の無い建物の中を真直ぐ一番奥にある受付まで進んでいった。
「ダンドール副支部長から呼ばれてきました。道具屋のロウです。」
「はい、道具屋さんね。ええっと・・・二階の第四会議室ですね。先に副支部長に伝えてきますのでここでお待ち下さい。」
受付にいた男性職員が応対し、そのまま奥へと引っ込んでいった。間もなくしてダンドール副支部長が姿を見せる。
「こんにちは、ダンドール副支部長。」
「ロウ、時間を取らせたな。魔法士組合からは三人ほど来ている。中々頑なな御仁でな、何度断りを入れても明くる日にはやって来る。」
「いえ、仕方がないとは思いますが・・・、何も出ませんよ?」
「わかっている。我々もこれで終わりにしたいと考えてお前を呼んだのだ。迷惑だというのは承知だが付き合ってくれ。」
二人で第四会議室へ向かう。
八人掛けの卓が置かれた部屋では、すでに魔法士組合の者が待っていた。男二人に女が一人、ともに同じようなローブを身に着けている。
魔法士組合に所属する魔法士には、探索者と同じような五段階の階級があり、ローブの縁取りで上位から紫、藍、朱、灰、白となっている。全員が藍色の縁取りという事は、それなりに高位の者を寄越したようだ。
魔法士組合とは、その名の通り魔法を使う者達「魔法士」達が集まって作った互助会のような組織で、新しい魔法や魔道具の研究開発、古の魔法の研究、そして適性に応じた魔法士の動向管理などを行っており、世界の国々から多大な援助を受けて活動している。
この世界、殆どの人族は魔法が使えるのだが、魔法の【適性】を持ち職業として【魔法士】を名乗ることが出来る者は少ない。
適性とは属性魔法や治療魔法、精霊魔法などをいい、魔力消費が少なくて汎用性が無い生活魔法や錬金魔法、鍜治魔法などの職業魔法は魔法士の範疇には含まれないものである。
優秀な魔法士が多ければ国力が上がる、と言われるのはこの世界の常識であり、各国とも優秀な魔法士を集めるのに余念がない。魔法士は対人の戦争であれ、対魔獣の討伐であれ、戦闘には欠かせない存在であり、勝敗の行方を左右する重要な存在なのである。
しかし、過去には多少強引な手法で招聘したり、犯罪をでっち上げて罪人としてこき使う国まであったため、当時の魔法士達は魔法士達の尊厳を守るため、組合という組織を立ち上げたのだ。
魔法士組合は、こうした国家の思惑から魔法士達を保護するために作られた対抗組織であり、魔法士としての『身分』を国に保証させるために闘い、長い年月を経て魔法士組合と国家は密接な結びつきを築いたのである。
現在は優秀な魔法士を国や探索者組合などに斡旋すること、または開発研究成果を供することなどでも運営資金を稼ぎ、探索者組合と同様に各国に支部を置いてその精力を拡大させていた。
もちろん、こうした組織を是とせず、自由気ままで柵のない生活を望んで探索者や傭兵となり、一人で、あるいは仲間と共に世界中を駆け巡るという独自の活動を行う魔法士達もいるが、その数は半数にも満たないであろう。
そんな二大組合組織が卓を挟んで対面した。探索者組合側からは、副支部長と秘書官、そして当事者たるロウの三人。
ロウは相手の魔法士に対して【鑑定眼】を使う事も考えたが、魔力感知に優れた者がいた場合厄介なので、自分の身に【隠蔽】だけを纏って席に着いた。
逆にロウが部屋に入った途端、魔法士の女が【鑑定】を使ったようだが、ロウの隠蔽はそう簡単に無効化できるものではない。果たして彼女は一瞬だけ眉を寄せる仕草を見せた。
簡単な挨拶と自己紹介もそこそこに、早速魔法士組合の方から本題を切り出してきた。話しかけてくるのは真中に座った女魔法士セブレインである。彼女が三人の中では一番高位という訳か。
「我々がここに来た理由はもう分っていると思いますが、あなたが迷宮で使ったという転移の魔法陣について、詳細を教えて頂けませんか。」
物腰は丁寧だが、凛としてロウを見詰める瞳には強い力がこもっている。何としても聞き出そうというという思惑が見て取れた。
この件に関して、ロウの気持ちを汲んだ支部長が、転移魔法陣は公開することは出来ない旨を、その理由も含めて魔法士組合に伝えていた。しかし、魔法士組合はそれに納得するどころか、魔法技術の独占行為だと糾弾し、連日探索者組合に押し掛けてきたのである。
「すみませんが、あの事件からだいぶ時が経っています。もう魔法陣の形状なんて憶えていません。」
「そんなはずはないと思いますよ?あなたは一瞬で魔法陣を暗記してしまったと聞きました。それほどの記憶力をおもちなのに忘れたなどと・・・。」
「あの日以来、私は少なくとも二十以上の魔法陣を描いています。当然、人の描いた魔法陣なんて忘れてしまいますよ。」
「・・・何かに書き写すとかしていない?何も残していないと?」
「あたりまえです。あんな危険な術式など自分の傍に置いておけるわけがありません。」
「そんなはずはない!転移魔法は人族にとって、まさに夢を実現する魔法です!それをむざむざ忘れるなど!ただの隠蔽でしょう!!?あなたに人族の可能性を、将来性を奪う権利などない!」
どうやら彼女達魔法士組合の連中は、転移魔法の危うさを知ろうともせず、ロウが転移魔法を独占しようとしていると、そればかり勝手に思い込んでいるようである。
「将来も何も・・・あの時迷宮で使った魔法陣は一か八か、本当に帰る事ができるか「賭け」だったのです。私の記憶が少しでも違っていれば、どこか別の場所か、或いは空間の狭間に囚われて身体がバラバラになっていたか、非常に危険なモノだった。運が良かっただけなんです。」
「そんなことは!」
「転移した場所が、元居た迷宮の第十五階層であることが分かった時、体中の力が抜けてしまったほどです。魔法陣の記憶と共にね。」
ロウの言葉に、転移魔法の本質にセブレインらは絶句している。転移魔法の危険性に思い至ったようだが、ここまで言われても、セブレインはロウが隠し事をしていると確信している。
そして、お決まりの脅し、恫喝を仕掛けてくるのは、巨大な組織の枝の下で庇護されている者のもはや習性なのだろうか。頑として情報を渡さないロウに対し、セブレインは予め用意していたと思われるカードを切った。
「この件は魔法士組合本部も承知のことです。本部はこの件が進展しないなら、探索者組合との協力関係も見直すと言っています。そうなれば・・・」
「そうなったら私は探索者を辞めるでしょう。」
間髪入れずロウは答える。こんな脅しもすでに探索者組合のイェンシェイス支部長との間で交わされていた事だ。
魔法士組合は、魔法士達のネットワークの構築、魔力水の生成、魔道具の製作、探索者への魔法士派遣・紹介、怪我人の治療、魔力回復薬購入補助、魔法発動具の貸与販売、複合魔法の開発と、あらゆる利権に絡むため、その恩恵も大きい。
探索者組合とも持ちつ持たれつ、協力しながら組織強化を図ってきた歴史がある。
しかし・・・。
「私はあなた達がやっていることの殆どを一人で出来るのです。」
「なっ!」
「私は元々が商売人ですし、他にやりたいことは山ほどある。探索者でなくても良いのですよ。探索者組合に関係の無い者のことで探索者組合に圧力を掛ける。魔法士組合も随分と無駄な事をする。」
「そ、それは・・・」
「迷宮から脱出した日に探索者組合にも言いましたが、私は何処ででも生きていける。探索者組合や魔法士組合の恩恵など受けなくても、自由にやっていける。」
「な、ならば!」
「では商業組合にも工作しますか?良いですよ、私は商業組合に直に卸しているモノは殆どありませんし、組合費を払っているだけですから。預け入れや借入が出来ないだけで困ることはありません。」
そして、それまで黙ってやり取りを聞いていたダンドール副支部長が口を開いた。
「我々も別に構わぬぞ。そのような圧力は過去に何度でもあった。確かにその度に我々と共闘する魔法士は減った。それと同時に魔法士組合への素材の供給は途絶えたがな。」
「そんなバカな・・・」
「因みに組合の一副支部長が勝手に判断した訳ではないぞ?ラプトロイ探索者組合支部長、いや辺境地区統括監理官様が決めた事だ。」
探索者組合地区総括監理官の肩書は伊達ではない。その肩書を有する者はこの世界に五人しかおらず、あらゆる権力を行使できる高い実用性が伴っている。
その権力とは一国の王をも凌ぐと云われている程であり、その強大な権力を持っているのが、精霊魔法の使い手である【裁きの十字架】イェンシェイス・ラウリェンヴェルハートなのである。
ここにきて探索者組合が本気で魔法士組合への情報供出を拒んでいることに気付き、セブレインらは今度こそ言葉を無くしてしまった。
沈黙が部屋を支配する。事が大きくなり過ぎた、と誰もが感じていた。
◆
「ところで、転移魔法の仕組みとは何でしょうか?魔法士組合では議論されているのでしょう?」
「突然何を・・・空間と空間を繋げ、距離を短縮するのでしょう?これまで生物以外での成功例はあったとされていますが。」
「おそらく魔獣なら転移できます。何故なら【召喚魔法】も、いわば魔法陣を媒体にした転移と同じではないですか。」
「・・・」
「全てはそこからなんですよ。転移魔法を知りたいなら召喚魔法を、つまり古代文字を調べれば良いのです。」
「し、しかし古代文字は・・・」
古代文字については、魔法士組合でも長い間手を付けられていない研究であり、魔法学的には不必要とさえ云われているのだ。
「私なりの見解ですが、転移魔法は物や魔獣にしか使えません。そもそも空間と空間を繋げるなどあり得ない。転移魔法は一旦物質を魔素まで分解し、別の場所で再構築するモノだと思っています、」
「・・・そうかもしれません。そうでないかもしれない。」
「魔獣はいわば魔素が生み出す生命体だと私は考えています。だからこの空間で分解しても戻る。では人族は?」
「それをこれから究して・・・」
「迷宮だったからこそ、深淵への転移が可能だったのかもしれない。それが迷宮の摂理なのかもしれない。私には判断しかねる。」
「・・・」
「そんな分からないことだらけの不完全な魔法なのです。私の曖昧な記憶、根拠ない知識で人を殺すなど御免こうむります。」
ロウは決然と言い切り、これ以上の交渉を完全に拒否したのであった。




