42.道具屋の知人は軍人
季節の変化が乏しい辺境地域であっても、外の気温が少しだけ下がったように感じられて、街行く人々も服の上にマントやコートなど外蓑を身に着けている者が多くなった。
北の山から吹く風がすこし強くなるからで、雨が降る日が少なく空気が乾燥して普段より寒く感じてしまう。
この時期になると、自由都市国家ラプトロイには沿岸部の塩田から大量に塩が持ち込まれてくる。何でも、多少気温が低くても日照が多くて風が強い方が、良い塩が出来るのだとか。
塩作りとその輸出はラプトロイの貴重な収入源であり、建国の勇者様が最も力を入れた事業である。
勇者様が考案した、干し枝に繰り返し海水を掛け続けて水分を蒸発させながら濃い塩水を作る製法によって、ただの天日乾燥製法よりも効率よく塩を作ることができるようになり、今では他国にも供給できる程生産量が上がっている。
出来あがった塩はこの街から辺境各国に運ばれるのだが、中央からも多くの商人がラプトロイまで買い付けにやって来る。
物流が生まれれば人も動く事になるのは当然のことで、探索者達には迷宮や魔境での探索のほかに、「商人の護衛」という仕事が増えてくる。
街道沿いに魔獣や盗賊が出てくることは滅多にないが、それでも全くないという訳ではない。
辺境大脈路と呼ばれる主要街道のうち、辺境都市国家連合が管理している辺境縦断道は、国軍が定期的に魔獣の討伐と警らを行っているので比較的安全が確保されているが、近隣国が管理している辺境横断街道は、魔獣の討伐もおざなりで、森から溢れ出た魔獣が餌を求めて街道まで出没してくる場合もある。
一方で、街道の商隊を襲う野盗や盗賊集団が出てくるようなことはほとんど無い。他から奪うだけで防護壁の外で生きていけるほど、この世界は甘くはないからだ。
魔獣が跋扈する「外」で生きていくにはそれなりの大人数でいる必要があり、自分達の食料の買付けや運搬、奪った商品を卸すルートの確立、いつ来るとも分からない獲物を魔獣がいる森での待ち伏せ行為などの制約は、小規模な集団が対応できる問題ではない。
何処かの国では、過去に百人規模の盗賊集団が形成され、村々を襲い略奪を繰り返した事はあったそうだが、情報があった翌日には国軍と傭兵、探索者合同で二千人規模の「討伐軍」が編成され、あっという間に全員が処刑されてしまったという。
各国とも、たとえ小規模の賊であっても、国内に犯罪集団がいるとわかればすぐに軍を動かして山狩りを行い、拠点を発見するまで徹底的に調べ上げ、これを殲滅するのである。
それでも「万が一」という事は起り得る。危険と隣り合わせの行商だからこそ、商人たちは「護衛」という保険を掛けるのである。
中央からやって来る商人が雇う護衛の探索者の多くは、大抵が片道しか請け負っていない。探索者達は護衛の仕事でラプトロイにやって来てはしばらく滞在し、迷宮や魔境に入って小遣いを稼ぎ、また中央に戻る商隊の護衛依頼を探して戻っていくのだ。
そんな「余所者」が増えるので、自由都市国家ラプトロイの迷宮や近接する魔境では、人死や様々な事故、探索中のトラブルが多くなる。
ラプトロイに腰を据えて活動している探索者ならば、行く場所について事前の情報取集をしっかり行い、常に安全マージンを確保して動くのに対し、余所者の中には事前調査もしないで迷宮や魔境に赴き、自分の力量に合わない領域まで潜ってしまうのである。
不用意に魔境に入り道に迷って帰って来なかった者、迷宮ではより深い階層まで降りようとして「試練の間」に挑み、階層守護魔獣から返り討ちにされてしまう者、大怪我で済めばよいが最悪は命を落とし、死体さえ見つからない。
場所の取合いや獲物の奪い合いのようなトラブル起こす程度ならまだしも、驕りや見栄で自らの命を落とすようでは、遅かれ早かれ探索者稼業で生きてはいけない者であったということであり、そんな事件すら直ぐに忘れ去られてしまうのである。
◆
他国から来た探索者達が通りに溢れ、自由都市国家ラプトロイの街中は何となく尖った空気になっている。
しかし、そんな雰囲気は大通りから数ブロックも奥に入った場所にある「道具屋」には届いてこない。いや、来ないはずであった。
「全く!余所者はこれだから困るんだ!なんで軍が探索者の後始末までつけに行かなければならないんだよ!」
「は、はぁ・・・それは大変な事で・・・。」
「何処の国の貴族だかなんだか知らないが、魔境を甘く見過ぎだ。ただの坊ちゃんが身の程を知れと言いたい!」
「はあ、おっしゃる通りで・・・。」
朝の開店と同時に店にやって来てカウンター席に陣取り、勢いよく捲し立てているのは東地区を管理しているラプトロイ正規軍「東虎軍」の軍人である。
軍の制服を着てカウンターに座っているのは二人。探索者の不始末に愚痴をこぼしている男と、表情を変えることなく、静かに珈琲に口を付けている女で、両人ともロウの店に何度か訪れた事がある。
因みにラプトロイ正規軍とは、二つの騎士団と四つの軍で編成され、国民の安全を確保するために日夜厳しい訓練を行い、外敵の脅威に備えている戦闘集団である。
近衛騎士団:三百
護城騎士団:二百
東虎軍:千 (一軍二軍)
西竜軍:千三百(一軍二軍三軍)
南鷹軍:千三百(一軍二軍三軍)
北狼軍:千三百(一軍二軍三軍)
徴兵軍:五千(有事の際に国民から徴用)
傭兵軍:数百(有事の際に国内外で採用)
正規軍五千四百は完全な職業軍人であり、一軍が完全な戦闘集団で場外の警らおよび魔獣の討伐を担当し約九百人、二軍は戦闘と工作、武器防具の整備、事務、雑務を担当し約百人、三軍は防護壁内の警備を担当する約三百人である。
つまり西南北の三軍合計九百人は防護壁内の治安維持が主な任務であり、住民からは「衛兵」や「憲兵」と呼ばれている。
徴兵軍は十五歳から三十歳までの一般人で、年間二十日程度の有償軍事訓練に参加する義務がある。
西竜、南鷹、北狼の各軍は、防護壁内の拠点と防護壁の外には大きな砦を持っていて、多くの兵士が詰めて街道の警備や魔獣の討伐、外敵の侵攻に備えている。
軍の砦といっても常時千人もの人族がいるので、防護壁の中には商店や酒場まであるうえ、様々な事情でラプトロイの街に入れない一般人まで集まってきて、もはや小規模な町と言っても過言ではない規模になっている。
一方、東虎軍は迷宮と魔境を管理し、迷宮入口のある南東角に砦を持ち、有事の際は真先に対応する事になっている。東虎軍は兵の訓練も魔境や迷宮で行うため、一番練度は高いといわれている。
国家間の戦争が少ないこの世界で、小国であってもこれだけの戦力を保有しなければならないのは、まさに食物連鎖の頂点に君臨する魔獣への対策であり、人族が生き残るために必要不可欠な備えでもあるのだ。
さて、カウンターの椅子に座ってロウが淹れた珈琲を飲む彼は、近衛騎士団を除けば、ラプトロイ正規軍の中でもっとも精鋭とされる東虎軍に所属し、その一軍で旗下に百人の部隊を従える第三中隊隊長という身分である。
東虎軍は『魔境』から湧き出してくる魔獣討伐と、迷宮管理が主な任務なので、当然探索者組合とも繋がりが深い。彼自身も探索者登録をしていることから、ロウとは探索者組合で知り合ったのだが、彼もロウが作った剣に惚れ込んだ一人でもある。
たとえ軍に所属していても、隊長クラス(大隊、中隊、小隊)になると国が支給するモノ以外の装備を着用することが許されている。探索者階級でいうと彼はセンター上級であり、国庫に頼らずコツコツと自分で稼いだ報酬で装備を揃えたのだ。
実はこの男、現ラプトロイ王の次男で今年二十歳になる「王子様」コジロー殿下である。
国家運営に於いて、本来ならば王族には家の血筋を守るという重要な役割があり、血筋の者が外の世界へ出るなどということは容認し得ないことなのだが、そこは建国の勇者の家風「自由」を実践している青年であった。
後継である第一王子は生まれつき病弱で現王程の武勇はない。しかし、戦略の知識と少ない情報で状況を読む洞察力は相当のものだと噂されている。事実、現王も諸外国との交渉に当たる際、長子に意見を求めるらしい。
第一王子本人は、自分が病弱であることを理由に王位継承を辞退しようと周囲に漏らしている。
それに対し、第二王子は建国の勇者の血を色濃く受け継いだのか、父親譲りで戦闘力は相当高く、人を惹きつけるような覇気に溢れているので、第二王子を次期王位に推す勢力もあるのだが、当人にその気は全くなく、第一王子を補佐する立場を絶対に崩さないのだ。
第二王子が狙っているのは面倒な王位ではなく、次期近衛騎士団長の役職なのだが、現近衛騎士長が滅法強く、何度挑んでもあっという間にのされてしまうという。
そんな彼は、騎士団の連中には「愛すべき脳筋王子」と呼ばれ人気が高い。権力に興味を示さず、第一王子こそが次の王に相応しいと公言しているのも好ましい。探索者からも持ち前の気さくな態度で人気がある。
本人はただ「自由に生きたい」と自分の心のままに行動しているだけなのだが。
「ロウさん、お馬鹿な探索者達を見分ける魔道具をくれ。」
「そんな魔道具はございません。東門や迷宮の入口で厳しく人物査定して頂くしかないと思いますよ。」
「軍にそんな暇なんかないって!東虎将軍の訓練で毎日毎日汗泥傷まみれになって寝るだけなんだ。あぁ・・・この至福の時間が永遠であれば・・・」
そう言ってコジロー殿下は陶器のカップを持って、二杯目の珈琲に口を付ける。
彼はリミテッド級探索者のシモンに強い憧れを抱いており、本当は苦い味が苦手なくせに彼女が好んで飲んでいる珈琲を飲むようになった。至福云々もシモン嬢の受け売りである。
「隊長、間もなくモドメッサ大隊長の目を誤魔化して得た、貴重な警ら時間が終了いたします。早急に詰所へお戻りください。」
「・・・あと八割刻(一刻が四時間、二割刻が二時間、四割刻が一時間、八割刻が三十分くらい)待って。」
「時間に遅れた分だけ将軍の訓練時間が伸びますが、それでよろしければ。」
「・・・」
ロウとコジロー殿下の会話に割り込んできたのは、東虎軍第三中隊副長のキクである。
白狼族の獣人だが、第二王子が生まれた時から世話をしている年齢不詳の女性であり、常に第二王子の傍にあって身の回りの世話から護衛に至るまでを休みなくこなしている。
王子が入隊した時も一緒に付いて来て、入るや否や訓練、戦闘、事務処理など全ての軍務に於いて頭角を現し、部隊にとってなくてはならない存在となった人物だ。
コジロー殿下は諦めたように溜息をつくと、それまでの軽薄そうな態度を急に改め、背筋を伸ばしてロウに向き合った。
「ロウさん、世間知らずの子供が迷い込みそうな場所に心当たりはないか?オルグの外殻を狙っていたらしいが。」
「・・・オルグですか。最近では北東の岩場に巣があったかと思います。でもこの時期が危険ですよ、産卵期ですから。」
オルグは体長1mほどの昆虫型魔獣で、羽の外殻が美しい翠色をしており、装飾品として高値で取引されている魔獣である。物理的な戦闘力は皆無だが、毒のある鱗粉を飛ばし獲物を麻痺させてから養分を吸い取るという恐ろしい魔獣なのだ。
この時期は産卵期であり、めぼしい獲物を麻痺させては巣へ持ち帰り、体内に卵を植え付けて孵化させるのである。
オルグの麻痺毒は回復薬や魔法で無効化する事ができず、薬草由来の特別な丸薬を飲まなければならない。
「そうか、北東の岩場だな。有力な情報、感謝するよ。」
そう言ってコジローは席を立ち、幾ばくかの金をカウンターに置いて店の出入り口へと向かって行った。
「殿下、お待ちください。」
ロウは出て行こうとする二人を呼び止め、カウンターを出ると店に陳列してある魔道具、二つの首飾りと薄い鉄製の小箱を取り出して二人に手渡した。
「これは風障壁を作る魔道具です。魔力を込めれば起動しますので、オルグの鱗粉が飛んできても体内に入ることは無いでしょう。」
「おお!」
「それと、これは麻痺毒用の丸薬です。黒へび印ですから効果は保障できます。」
「ロウさん!助かるよ!」
「調査に行くなら精鋭小部隊をお奨めします。オルグは獲物が多ければ多いほど大軍で向かってきますから。討伐ならば魔法士部隊を主軸に。鱗粉は風魔法で気流を作り、空に上昇させれば効果はてきめんです。」
「そうだな、そうしよう!魔道具の金は後で届けさせるよ。幾らだい?」
「いえ、返却して頂ければお代は結構です。後で魔道具の使い勝手がどうだったのか、教えて頂ければそれで。」
「・・・いつもすまないな。オルグとは戦ったことがないので、正直どうしようかと悩んではいたんだ。」
「無事の御帰還を。またの起こしをお待ちしております。」
頭を下げるロウにしっかりと頷き、二人はロウの店を出て行った。




