28.道具屋の仮説と見返り
迷宮や魔境で活動する探索者にとって最も重要な事が「生き残る」ことである。
それを何度も死地を潜り抜けることで憶える者がいれば、養成所や先人たちに教えられ、常に安全マージンを確保して回避する者もいる。
いずれにせよ、探索者の評価はこの「生き残る」ことが出来た者ほど高く、命を落としてしまった者にはだれも見向きもしない世界なのである。
迷宮に現れた魔法陣によって「深淵」なる場所へ転移させられたロウ達は、無事に第十五階層の小部屋に戻る事が出来た。
そこにはすでに猿型魔獣が復活していて直ぐに戦闘となったのだが、シモンはどうやらこのことを予想していたようで、視界が戻るとすぐに黒雷を使いビックエイプを全て瞬殺してしまったのだ。これが探索者最上級まで登り詰める者の心構えと実力なのだろう。
一応、ロウが調べたところ、この部屋の魔法陣は消失しており、あの深淵にもう一度行くことは出来ないようだ。
この小部屋の魔獣を何体か倒したら魔法陣が浮かぶとか、魔獣の中にトリガーがあるのか、何らかの仕掛けがあるのかもしれない。
ロウももう少し調べたいような表情をしているが、今は迷宮から出ることが先決だ。小部屋を出た三人は十五階層から十二階層を一気に走り抜け、来るときも野営した第十一階層の広場で休息を取った。
翌日、即ちロウ達が迷宮に入って四日目、朝から行動を開始した三人と二体の従魔は「大脈道」だけを通って出口に向かっている。
不思議な事に下の階層から上の階層に抜ける道は「試練の間」を迂回しており、そこに守護魔獣の姿はないので戦闘無しで戻ることか可能だ。稀に魔獣がいる場合もあるが、下の階から来た者には興味を示さないのだという。
そして呆気なく第一階層を走破して迷宮の外に出ると、ちょうど夕暮れ時 多くの探索者が広場に集い。今日の戦利品部分配や武器の整備を行っていた。
ロウもシモンもこれまで何度も迷宮探索を行い、長くなれば二十日以上も連続で潜った事があるのに、今回は強敵との死闘を終えての生還なので、見慣れた風景を見ると一層安堵感が湧き上がってくる。
「これから組合まで行かなければならないのか・・・面倒だな。」
今回の探索は組合の依頼である以上報告義務があるし、何より行方不明扱いになっているであろう自分達の捜索隊などが編成されても少々困る。
一行は疲れ切った身体を引き摺って探索者組合のある南大通りへと向かった。
◆
この時間の組合内は今日の戦利品を換金しに来ている探索者でごった返している。
そんな喧騒の中へシモンを先頭にロウ達が入って行くと、騒がしかった建物内が徐々に静かになり、やがて蜂の巣を突いたような騒ぎに変わった。
三人が転移魔法で何処とも判らぬ場所へ飛ばされた、という噂は街中に広がっており、組合から正式な通達も無いこの二日間は、「蒼天」での仲間割れ説、魔法士組合の転移魔法実験失敗説、果てやシモンとロウの駆け落ち説など、様々な憶測や仮設が飛び交っていたのだ。
そんな事など知る由もないロウ達は、次々と帰還を喜ぶ他の探索者達から声を掛けられても、ここまでの騒ぎになる異常な状況が理解できず、困惑気味に立ち竦んでいた。
やがて二人の元に人を掻き分けながら組合職員が飛んできて、受付に向かうまでもなく、二階の会議室へ入るよう誘い、他の職員に騒ぎを抑えるよう声を掛けて自らが案内に立った。
案内されたのは初めて顔合わせを行った時と同じ会議室である。職員が出て行くと三人とも溜息をつき、傍にある適当な椅子に座って大きく伸びをする。
「まぁ、ちょっとした騒ぎにはなっていると思っていたが、これほどのバカ騒ぎとは予想外だな。」
「一体何があったのですかね?」
「簡単な事だよ。我々の身に起きた事を組合が正式にコメントを出していなかったのだろう。だから噂が妄言を呼び、騒ぎが大きくなった、というところだな。」
「な、なるほど・・・」
「組合も前例が無いことだから対応が遅れたのさ。そんな時に渦中の者がひょっこり戻ってきた。」
シモンの言は正鵠を射ており、この騒ぎの現況は組合の対応が遅かったからである。
迷宮の転移魔法陣で行方不明になった者は誰一人帰ってきていない、ということは探索者ならほとんどの者が知っている都市伝説のようなものだ。
それなのに、ロウやセルダイナーはともかく、シモンという荒くれ探索者達にとって女神のような存在が行方不明になったのに、組合内部の調整に追われ、外部に対して何の行動も起こさなかったのである。
そのまましばらく待っていると、ダンドール副支部長と数人の組合職員が会議室に入ってきた。すぐにシモンの前に立ち、右手を差し出してくる。
「シモン!よく無事に戻ってきた!それにセルダイナーにロウも。よくぞ生還してくれた!」
「ああ、大変な目に遭ったよ、ダンドール。私はしばらく活動を休止するからな。」
「その話は後だ。一体何があったのだ?いや、転移魔法が発動した事は聞いている。そこから先の話だ。」
目の前に置かれた紅茶を取り、一口飲んでからシモンが説明する。ロウはだたボ~っとしており、セルダイナーは殆ど意識を失っていたので状況は全く分からない。
魔法陣が示した意味のとおり深淵に転移させられ、闇の使徒という名の死霊騎士と戦ったこと、死霊騎士が召喚したスケルトンの死霊兵と戦闘になった事を告げた。
さらに、転送された場所は何処の場所とも判らない地下空間で、そこには出口のようなモノはなく、そこがラプトロイ迷宮の深部なのか、それとも別の迷宮なのか、全く分からなかった事などを淡々と報告していった。
「死霊騎士だと!?厄災級の魔物ではないか!まさか討伐したとかいうのではないだろうな。」
「勿論だ。でなければこの場所にいるわけがない。」
「確かにそうなんだが・・・」
厄災級の魔物を立った三人で討伐するなど、長年探索者の活動に携わったダンドールでもにわかに信じがたい内容である。
なにせ、過去にとある国に出現した厄災級の魔物に対しては、国の最強戦闘集団近衛騎士団を総動員し、傭兵や探索者も作戦に加わってようやく討伐したという記録が残っている。
「つまり、ロウと従魔達が死霊騎士をけん制している間にシモンが百体ものスケルトンを一人で倒し、しかも死霊騎士に止めを刺した、と?」
「うむ、あれで死霊騎士まで相手は出来なかった。」
「まあ、当然だろうな・・・。お前さん達のボロボロ状態を見ても過酷な戦いだったっていうのは分かるが・・・。」
ダンドールが言うように、ロウとシモンの服や装備はボロボロで、もう使い物にならないのではないかというのは一目で分かるほど酷い状態だった。
不思議なのは三人の身体に傷一つない事である。そんなダンドールの考えを読んでいたかのようにロウが助け舟をだす。
「こう見えても黒へび印の薬屋の姉妹は私の弟子ですから。特級回復薬くらいいつも持ち合わせていますよ。」
「まあ、そうだろうな。そうか、回復薬をもっていたのか。」
「私が囮になって逃げ回っている間にシモン様がこう、雷鞭でビシッと・・・。」
「あぁ~、なるほどシモンがな。なるほどなぁ・・・」
「ちょっと待て。君達は何を想像して言っているのだ?話によってはたとえ組合の重鎮でも考えを改めさせなければならないぞ。」
シモンが鋭い視線と威圧を飛ばして来るので、ロウとダンドールが黙り込んだ。
「まぁ、戦いの内容など細かい事は後で報告する。先に進めるぞ。」
続けてシモンが話を再開し、死霊騎士と死霊兵を死闘の末倒し切った後に、第十五階層と同じように魔法陣が生成されたが、それをロウが調べたところさらに深層に行く魔法陣だったので、あえて起動しなかった事も話しておく。
この話は、万が一、同じ事象が起きた場合、無闇に魔法陣を起動させようとする者への抑止力になる。転移先には戻ってくる方法が無いのだと。
「ではどうやって戻ってきたのだ?転移の魔法陣は使えなかったのだろう?」
「ロウだよ。十五階層で床に現れた魔法陣を暗記してくれていたんだ。それを模写して起動させたのだ。」
「魔法陣を・・・暗記だと?信じられん・・・。」
「我々は無事あの場所から帰還する事が出来た。それが事実だ。」
「むう・・・。」
話を聞いてダンドールがしばらく考え込み、三人にこの場で待つよう指示をすると会議室を出て行った。
四割刻(一刻が二時間、二割刻が一時間、四割刻が三十分、八割刻が十五分くらい。)も待たされたであろうか、ようやくダンドールが戻ってきてロウに別の部屋に行くよう指示した。
「ロウ、すまないが支部長のところへ行ってくれ。話し合あるそうだ。」
「えええ・・・僕だけですか?ご遠慮・・・」
「お前だけだ。すぐに行ってこい。」
「・・・はい。」
ロウは会議室を足取りも重く出て行く。
ここの支部長は滅多に人前に出ることはなく、探索者達の中で支部長の姿を見たことがある者は数えるほどしかいない。ロウは師匠と共に何度かあった事があるのだが、正直苦手であった。
ロウが会議室を出て間もなく、入れ替わるようにエクスぺリア級探索者パーティ「蒼天」のメンバーが飛びこんできた。彼らはもう一度第十五階層へ向かうため準備をしていたのだが、そこにシモンらの帰還の報が入り飛んできたのだ。
「セル!!無事だったか!!」「馬鹿な事をして!心配したのよ!!」
無事の生還を喜び合うメンバーを余所に、リーダーのカリウスはシモンがいる所へ真直ぐ近付いて来て、そのまま深く頭を下げたのである。
「シモンさん。今回の事は本当に申し訳なかった。どのような罰でも受けるし、可能な限りの補償もするつもりだ。どうかあいつを、セルを許して欲しい。」
「気にするな、無事に帰ってこれたのだからな。いろいろと未知の事象にも触れる事が出来たし、私は満足しているよ。」
「し、しかし!それでは・・・!」
「良いのだ、蒼天よ。ラプトロイ迷宮の攻略には、お前達のような腕の良い探索者が必要なのだ。今後も精進してくれればな。」
そう言ってシモンは笑う。
この笑顔にカリウスはおろか、慌ててリーダーの元へやって来て一緒に頭を下げていた他のメンバーも痺れてしまった。正に女神、それほどの微笑だったのだ。
だが、蒼天のメンバー達は自分達は運が良かっただけなのだ、ということを知らない。
シモンは蒼天が引き起こした今回の重大な過ちを、本来なら烈火の如く怒っていたであろう。しかし、それほどの事態を赦す事が出来る程、ただ単にシモンは機嫌が良かっただけなのだ。
(私の願いは叶ったのだからな。)
◆
探索者組合ラプトロイ支部長兼辺境地区統括監理官 イェンシェイス・ラウリェンヴェルハート。
妖精族エルフ種で妖精族の国フォーレスエルデ国の血筋らしい。世界樹の加護を嫌い外に出てきた変わり種だが、本人はレジェンダリ級の探索者で、四百年前の建国の際にも勇者と共に活動していたとかいないとか。
女性ながらロウよりも背が高く、そして肌も白い。黄金の髪は肩上で短く切り揃えられているので、どこか中性的な印象である。
ただ、蒼く澄んだ瞳の焦点は何処にもあっておらず、ボンヤリと虚空を見つめているだけである。彼女は全盲だ。だが、彼女の目は見えないはずなのだが、話す相手の表情の動きまで読むらしい。
ロウは部屋に入って行くと、すぐに低く冷たい声がロウの鼓膜を突き刺してきた。
「お前が使った転移魔法陣の詳細を渡せ。」
「お断りします。」
「・・・組合から追放することもできる。」
「結構です。お好きにどうぞ。何処なりと圧力を掛けて下さればよい。私が生きていける場所はこの街だけではないのですから。」
「・・・許せ。冗談だ。」
支部長はあっさりと要求を引き下げる。
ロウもこの支部長が追放などという言葉を本気で使っているのではない事ぐらい承知しているし、彼女自身が魔法陣の詳細を求めているのではない事も分っていた。未だ人族が成しえない転移の魔法の可能性を欲しがるところなど、おそらく何処にでもあるだろう。
「分っております。魔法士組合には上手く言っておいて下さい。」
「・・・貸しだぞ。」
「師匠評価八十五点の特製蒸留酒一本。」
「・・・二本だ。明日には持ってこい。」
この支部長と会うたびに繰り返される問答のようなものだ。師匠といい支部長といい、なぜこの世界の女性は強い酒を好むのであろうか。
「それほど危険なモノか?」
「もし、迷宮内で本来使えるはずの無い転移魔法陣を人族が使い始めた時、迷宮に与える影響が予想できません。」
「むう・・・」
「これから迷宮攻略が進めば、自然に転移魔法陣が現れるかもしれない。それが迷宮が定める摂理であり、本来使えぬ場所で使ったとなると・・・」
「迷宮が牙を向くか。」
「その可能性も否定できません。」
「・・・迷宮は、恐ろしいな。」
そう言った支部長が軽く横に頭を振る。その時、彼女の髪が全く揺れなかったのは、ロウの見間違いだったのだろうか。




