16.道具屋と錬金術師の女
満天の星空が自由都市国家ラプトロイの上空に広がり、柔らかくも優しい光で街中を照らしてくれているので、街灯など不要と思えるほどの夜であった。
今日は二つ月が大地に姿を隠す日ではあったが、彼女達は眷属達に自分の仕事を替わってこなすよう、ちゃんと伝えていたようだ。
その日ラプトロイの裏路地にある「道具屋」は深夜遅くまで、具体的に言えば、向かいの食堂兼酒場「ハブスの店」が閉店した後でもまだ開いていた。
ただし、道を行く人は「道具屋」の天窓から灯りが漏れている事も、扉に掛けた札がまだ「開店」になっている事も気付いていない、というより見えていない。
現在、「道具屋」には強力な結界と隠蔽魔法が掛けられていて、どんな腕のよい魔法士でもその存在を認識することは出来ないであろう。
そんな「道具屋」の店内では、いつも通り店主のロウがカウンターに立ち、対面する腰高の単脚椅子にはこの辺りでは見慣れない一人の女性客が座っていた。
カウンターに座る女性の隣には、ロウの使い魔ミスリルスライムのハクが人型となって座り、不思議そうにその女性を見ている。この女性が入ってきてからすっと、いつも手にしている笛を吹こうともしなかった。
また、客がいるというのに珍しくティルはカウンターの上でゆったりと寝そべっている。ディルとも旧知の仲なのか、女性もディルがいることを気にしている風でもなかった。
普段の「道具屋」ではありえない光景だが、店内は穏やかな空気に包まれていた。
今日は特別な日である。
ロウは女性の前に硝子製の容器を置き、ひとかけらの氷を入れてからそこに琥珀色の液体を注いでいく。
そしていつものように笑顔を見せながら、女性に柔らかい口調で話しかけた。
「蒸留酒の二十年物です。促進熟成させてみました。」
カウンターに座っている女性は艶な微笑を浮かべてロウを見詰めかえしている。
この辺境では珍しい漆黒の長い髪が、魔導ランプの仄かな光を反射して艶やかなに光っている。上下がつながったワンピースで作られた服も真黒でゆったり目だが、それでも彼女の女性らしい起伏を隠すことは出来ていない。
身長は座っているので分からないが、高の単脚椅子に座っても床に足が付くのだから、いつも同じ椅子に座る探索者のシモンと同じくらいはあるのだろう。
彼女は軽く髪を掻き上げてグラスを口元まで運び、薄い唇の中に少しだけ蒸留酒を流し込んだ。
「ふんふん、あら、美味しくできてるじゃない。八十五点。」
「やはり自然熟成と促進熟成では円やかさに差が出てしまいます。難しいです。」
「だから八十五点なの。もっと精進しなさい。」
「はい。」
この女性はロウの師匠で、現在は隣国ハウンドール王国の王都サイトスに拠点を置き、世界各国を飛び回っている錬金術師サキである。
見た目は二十歳前後と若いのだが、彼女も人間族のコードミア種であり、さらに妖精族の血も混じっているらしいので寿命は長く、本当の歳は長く師事しているロウにもわからない。
二人の出会いからもうどれ程の時がたったか、それを数えるのも億劫なほどだが、未だに彼女が師匠でありロウが弟子であることには変わりがないのである。
「でも、使い魔のハクちゃんは上出来よ。発想と実行力、そして結果。うん、九十二点。」
「むう、中々満点がもらえません。」
「当り前よ。満点なんか取ったらその先は無くなっちゃうじゃない。そんなつまらない人生は嫌でしょ?」
カラカラと笑う師匠の言葉にロウは苦笑しながら、いつの間にか空になっていた硝子製の容器に蒸留酒を継ぎ足した。
カウンターにはおつまみになるような木の実や新鮮な野菜、ディルの為の串焼きなどが並んでいて、そこはまるで場末の酒場のような情景であった。
弟子ロウが師匠サキと対面する時はいつもこんな感じである。
サキは年に一、二度、弟子の様子を見にロウの店へとやって来る。
事前の知らせなどこれまでも一度も無かったが、彼女特有の魔力なのか、長年慣れ親しんだ魔力だからか、彼女が街に近付いてきただけで、ロウはその存在を感知できるのである。
◆
錬金術師サキの錬金術は他に類を見ないほど稀有なもので、その根本には古代魔法という存在があった。
錬金術にとって【魔法陣】はなくてはならない要素で、魔法陣を描くのに使う古代文字は古代魔法と密接な繋がりがあるからなのだ。
詠唱だけで発動する通常の魔法とは違い、複雑な命令系統が必要な錬金術はその系統を補うため、詠唱と共に「文字」を使用した魔法陣を発動媒体として使わなければならない。
その追加する系統のことを錬金術師達は【魔術】と呼んでいるが、法を術と言い換えることにあまり意味はなく、元々は単に研究論文の発表時に混乱を避けるための措置であるらしい。
この「文字」には様々な形があり、単純に現代の共用語で綴っても魔法は発動しないのである。
魔法陣で魔法を発動させるためには、複雑な図形文字や象形文字を使わなければならず、最も有効なのが古代文字と呼ばれる、起源が特定できないほど古い時代の文字であることが解っている。
古代文字とは「神」が人族に与えた最初の文字であると云われているが、当時の人々ではその組合せの複雑さを理解できた者が少なく、同時期に象形文字が使われ始めたため、いつの間にか闇に中へ消えて行った文字とされている。
また、「神」は文字と同時に魔法も与えたのだが、この魔法が古代文字を使った魔法陣を介して発動する古代魔法だった。
しかし、古代魔法はこの世界の歴史で、ほんの一時期使われていただけであっという間に衰退し、伝承する者がいなくなった。
魔法陣に描かれた文字を言葉にするだけで、威力は落ちるがちゃんと魔法が発動したからである。詠唱発動は魔法陣よりも遥かに少ない魔力で発動したことも衰退の一因であるともされていた。
魔法陣の衰退と共に錬金術も衰退していく。
逆に詠唱発動魔法の発展はめざましく、より効果的な詠唱や発動までの時間を短縮する詠唱が生み出され、魔法士達の地位はこの世界で確たるものになったのであった。
時代に埋もれてしまった古代魔法であるが、歴史上稀にではあるがポツリポツリ古代魔法の使い手が現れている。
古代魔法を使ったのは「古き者」と呼ばれ、その姿は人族であったり魔獣であったり、種族という枠に捉われず突然この世界に現れているのだった。
魔法発動体となる魔法陣を描く時は、皮紙や木版に染料で描く場合と魔力そのもので描くものと二通りあるが、古き者は何も無い空中に魔力を使って魔法陣を描く。
古き者も何故この世界で生を受け、何故古代魔法の知識があるかは記憶には無く、この世界で自我を持った時から古代魔法が使える状態だったという。
◆
これが現存する歴史書において古代文字と古代魔法を最も詳しく記した文章である。要するに古代文字や古代魔法に関しては全てが謎であり、発動条件や発動方法などなにも解っていないのである。
もっとも創世の古文書を読めばもう少し詳しい記述があるのだが、どれも古代文字で書かれているので詠む事すらできないのだ
もちろん、これらを研究する者も多いが、「古き者」が表舞台に出てくることがなかったためにどの時代にも痕跡が少なく、現代まで一向に解明されていないのが実状であった。
この古代文字と古代魔法に関する研究の第一人者が、「黎明の錬金術師」の二つ名を持つロウの師でもあるサキなのである。
サキは古代文字で綴る魔法陣が錬金術の可能性をもっと広げてくれると考えており、数少ない資料を基に古代文字の研究に取り組んできた。
古代文字の翻訳、象形文字や図形文字への変換、それらを組み合わせることで出来上がる全く新しい文字を使った魔法陣は、錬金術の世界に新たな風を起こしたのであった。
だが、サキはそれで満足することは無く、古代文字は元より古代魔法まで対象を広げて研究に没頭していく。
何も無い空間に魔法陣を具現化することで発動する古代魔法は、眉唾だのお伽噺だのと認識されていて、サキの周囲にいる人族で、その魔法を実際に見た者はいなかった。
それほど「古き者」は謎が多い個体なのである。
だが、天の采配か己が生まれ持つ幸運か、サキは「古き者」に出会ってしまう。
それが、魔境」の最奥部の水場で、無造作に魔法陣を空中に具現化し、属性魔法や召喚魔法を使っていた、当時はまだ名前が無いロウだった。
始めてみる古代魔法にサキは狂喜した。そしてその古代魔法を使っていた「古き者」ロウと意思疎通を図るため、危険な魔獣が跋扈する「魔境」に何日も居座り、ロウを追い掛け回し、時には戦い、呆れるほど長く共に過ごしたのである。
ある日、最初の接触から相当の日数が過ぎて、さすがに疲労が溜まって動きが鈍ったサキに、森の王者オーガの上位種が率いる一団が襲い掛かった。
サキは錬金術師で当時は研究者という肩書でありながら剣術や魔法にも秀ていて、探索者としての階級はリミテッドである。
だからこそ「魔境」の最奥部でロウを追跡する事ができたのだが、疲弊したサキにはオーガの集団と渡り合う力は残っていなかった。
瞬く間に包囲され、一、二体は何とか倒したものの、まだ十数体が無傷でいることに変わりはない。これで終わりかと諦めた時、突如オーガ達が青い炎で焼かれ、あっという間に消し炭となってしまったのである。
サキは青い炎など、これほど強力な炎など見たことがなかった。その美しさに魅了されたといっても良いだろう。
窮地に陥っていた彼女を救ったのは、これまで散々彼女が追い回していた相手、倒木の上に座って、金色の瞳でジッと自分を見つめているロウであった。
◆
カウンターを挟んでお酒を酌み交わしながら、離れている間にロウが作ったモノを一つ一つ聞いていき、厳しく評価していく。
「魔境」に入り古き者の樹王と逢った事を話したときは流石のサキも表情を変えたが、会話だけで戦闘にならなかったと聞き、また穏やかな表情に戻っていた。
「まぁ、鍛錬は怠っていない様だから、今回も合格ね。」
「ありがとうございます、師匠。もっと精進します。」
「ふふん!まだまだ負けないわよ!私だってそれなりに頑張っているんだからね!」
「はは、師匠は師匠ですよ。これからも変わることなんかあり得ませんから。」
「だからこそよ。師匠が弟子に劣っては立つ瀬がないじゃない。それはそれで嬉しいのだけれど。」
そう、師匠の訪問はロウが独立してやっていけるかどうかの試験でもあったのだ。今回、使い魔を生み出すことに成功したと聞いて、早速彼女はやって来たのである。
もし、生み出した使い魔が危険な存在であった場合、それを消し去るためでもあった。
そんな会話が続く中、サキは隣に座るハクがジッと自分を見つめている事に気が付いた。
何を想ったのか、サキは掌を上にしてハクに右手を延ばし、小首を傾げるようにして微笑むと、驚いたことにハクが手に持っている自分の笛を、初めて他人に預けたのであった。
笛を受け取ったサキが曲を奏で始めると、透明感のある音が優しく店内を包み込んでいく。
ハクがずっとサキの事を見ていたのは、サキが上手に笛を吹く事を分っていたからなのか、それともベルの理由があったからなのか。
おそらくハクはサキの奏でる曲を覚えたいのだろう。ミスリルスライムのハクがサキの奏でる音楽に何を感じたのか知る由もないが、全身全霊で覚えようとしている様子が主であるロウに伝わってきている。
ロウは師匠にこんな才能もあったのかと驚き、全く奥が見えない自分の師匠を改めて尊敬の眼差しで見ていた。
「ねぇロウ、笛はもっと作っていないの?」
「ちょうど昨日一本だけ作ってみたのです。今持ってきます。」
ロウは工房に入り、作業台の上にあった魔水晶の縦笛を手に取って、また店へと戻ってきた。すると早速サキの鑑定が行われ、今日の最低点を言い渡された。
「う~ん、ハクちゃんの笛を上手に真似てるけど繊細さが足りないわ。これは六十五点。」
サキは笛を受け取るなり早速厳しい評価をしながらも、借りていた笛をハクに返し、出来上がったばかりの笛を吹き始めた。
それは指の動き、音の強弱、息継ぎなどをハクに教えながら、断片的に奏でる曲だったが、ハクはそれを真似てどんどん新しい音を覚えていった。
裏路地の「道具屋」の店内に流れる微妙に異なる笛の音色が、何処となく安穏の雰囲気を醸し出していく。
そんな真夜中の小さな演奏会は、もうしばらくの間続くのであった。




