10.道具屋と薬師の姉妹
自由都市国家ラプトロイは、一定額の税金さえ収めれば誰でも自由に住む事が出来る国である。
税金を払えなければ防護壁の外へ行くか、貧民街に住むしかない。
しかしそんなところでも、商工組合が国営の壁外の農園や開拓地での労働、街内の清掃から娼館勤めまで幅広く仕事を斡旋するので、真面目に働けば壁内への移住も可能なのだ。
また、この国では子供を何より大切にする。建国の勇者様が特に力を入れたのが、孤児院の設立と学校の設立であった。
四つある孤児院は全て国営で、成人する十五歳まで居住可能であり、生活費や教育費は全て国の予算である。
また、子供達は七歳から十一歳までの五年間を「ギムキョウ」として学校に強制就学させられる。
十二歳から十四歳は学費を払ってさらに上位教育を受けるか、家業の手伝いや職人への弟子入り、商工組合で斡旋される小仕事を請け負っていく者などに分かれる。
他の国に比べると、毎年収める税金は若干高いのだが、その分民への先行投資が行き届いており、将来的には自分の身に還元されているのだ。
なにせ今も拡張を続けている都市国家である。優秀な人材は幾らいても余ることは無いのである。
◆
裏路地にある「道具屋」は今日も暇であった。
ハブスの店から注文があった二本の包丁は昨日までに納品を終え、その後の仕事はゼロである。
だが、この店の店主ロウは全く焦っていなかった。
この一、二カ月で注文製作の剣が一本、店売りの剣が一本売れている。
それだけでも奇蹟なのに、魔力回復薬も全部売れて品切れ状態だし、メルミラの杖の件では探索者組合から結構な額の製作費を頂いたのだ。
さらに、「魔境」で仕留めた森林牛鬼は銀貨十五枚(150,000ギル)で売れたので懐は温かい。
そんな訳でロウは店のカウンターに座り、珈琲を飲みながらいつもの分厚い本を読んでいた。
ロウが一杯目の珈琲を飲み終える頃、珍しくも入口の扉につけた呼鐘が鳴り響き、開いた扉の隙間から小さな影が入り込んできた。
「師匠!おはようございます!」
「ああ、おはよう、シャイナさん。」
元気いっぱいに店に入って来たのは、この都市国家で薬師をしている女の子シャイナであった。
この店で扱っている回復薬や治療薬はすべて彼女の作品であり、ただ今自分の店の開店準備中のシャイナは薬師組合や知り合いの店に薬を卸して日銭を稼いでいる。
もっとも、それら薬のレシピは全てロウが教えており、薬を入れる硝子製の特性容器も、ロウが考案した魔獣の魔核の粉末を練り込んだものを使っている。
この街は魔獣の魔核は比較的安価で手に入るので、知り合いの町工場で作らせているものである。
「魔力回復薬の納品に来ました!確認をお願いします!」
//////
シャイナは五つ下の妹と二人暮らしである。
彼女の父親は優秀な薬師であったが、二年ほど前、薬草採取のため「魔境」の端部に入ったところで魔獣と鉢合わせしてしまい、殺されてしまったのだ。
母親も早逝していたので、未成年のシャイナと学校へ行き始めたばかりレーナは、一家の大黒柱を失い、収入を断たれてしまったのである。
幸い小さいながら住居兼店舗と僅かばかりの蓄えがあったので、父親から薬師としての教育を受けていたシャイナは、自分で回復薬を作り父の伝手を頼って何とか収入を得ようとした。
しかし、まだまだ未熟な彼女では品質が安定せず、次第に卸先が離れていき生活が怪しくなってしまったのである。
蓄えも底をつき、その日に食べる食事にも困る程になっていたところをロウに救われたのだ。
その日、シャイナは自作の魔力回復薬を置いてもらおうとロウの店に飛び込みで入ってきた。
薄汚れた服を着て血色も良くない子供が作った品質の悪い回復薬。
オドオドした態度でロウの顔色を伺う様子に、少女の境遇を察してしまったロウは、その回復薬を買う条件として全ての事情を話すよう持ちかけたのである。
「では、君が薬師としてやっていけるまで、私が教えてあげましょう。」
全てを聞き終えたロウが、シャイナに言った言葉であった。
それからロウは、一旦姉妹を自分の店の三階の空き部屋に引っ越しさせ、まるで彼女らが弟子であるかのように薬師の知識を叩きこんだのであった。
まず、回復薬を作るにあたって重要なのは、原料となる薬草の知識と前処理法である。それを知らなければ薬など作ることは出来ない。
失った魔力を回復させる魔力回復薬の効果は(マララ草>マリル草>マサナ草)
状態異常に陥った精神を癒す精神回復薬の効果は(テンプリ草>センナ草)
所謂回復薬と呼ばれるもので一般的なのはこの二つで、五種類の薬草を元に生成される。
傷付いた身体を直す傷治療薬の効果は(ヒルヴァ草>ヒルビナ草>ヒツカブ草)
体内に入った毒物を無効化する消毒薬の効果は(トンガ―草>ガジル草)
治療薬と言割れているのがこの二つで、五種類の薬草を元に生成される。
もちろん、人体の欠損した部位まで再生する万能薬や、老化を止めたり若返りができる霊薬などの製法も記されている古文書もある。
もっともこれらを作るための原材料が、世界樹の若芽やヒュドラの魔核、ドラゴンの体液、迷宮奥深くにあるという月光草など、とても手に入れられる物ではないうえ、配合も失われているのだが。
「薬草の種類によって配合も効果も変わります。ちゃんと覚えるように。」
「「はい!」」
「次は薬草の下処理ですね。」
これらの薬草を採取する時は、鋭利な刃物を使い、地面から銅貨一枚を立てた程の高さで刈り取り、同じ草の葉を一枚使って切断面を保護する。
持ち帰った薬草はなるべく早く乾燥させなければならない。何故なら、天日乾燥のように時間をかけてしまうと、薬草が持つ魔力が大幅に失われてしまうからだ。
即ち、急速に薬草内の水分を抜かなければならない。
「ここで必要になるのが【錬成】能力です。」
対象物に対し、融合/圧縮/分離/分解/乾燥/抽出を行う魔法を【錬成】といい、この能力がないと薬師にはなれない。
ずっと父親の手伝いをしていたおかげで、シャイナは【錬成】能力を持っているし、レーナも今の内から練習しておけば近いうちに習得できるであろう。
「この能力を使って薬草に含まれている水分を抽出するのですよ。」
ロウは手持ちの薬草を使って下処理作業を実践する。
トレイの上に目の荒い網を敷き、新鮮な薬草をのせて魔法を発動させると、トレイの中の濃い緑色の水と、一瞬で色と瑞々しさを失い乾燥した薬草に分離した。
分離した水分を不純物が入らぬよう密閉容器にいれ、バリバリに乾燥した薬草を、専用器具を使い粉末になるまで根気よく磨り潰す。
完全な粉末にしないと植物の匂いと苦みが残り、飲むのが大変なのだ。
「ここでも手を抜いてはいけません。品質の悪い薬が出来るのは、こうしたところで手を抜いている証拠です。」
先程分離させた水分と出来上がった粉末とをもう一度混ぜ合わせ、一晩寝かせておく。すると抽出水の苦みもたいぶ無くなるのである。
「その間に作っておくのが魔力水です。」
原料となる水は飲料になるものであるなら特に制約がない。
不純物が極力少ない水を作ればよいので、薬師達は蒸留器を使って水を煮沸し純水を作っているのが一般的である。
ただ、ロウの作り方は全く異なるものだった。
「人族は水の中では苦しくなって生きられませんよね?」
「「はい。」」
「地上で苦しくないのは大気があるからです。この大気の中には魔素があって魔法の元になっているのは知っていますか?」
「はい!学校で教わりました。」
「はい。この大気の中には魔素だけではなく水も含まれているんですよ。」
「「ええ?」」
ロウは少し大きめのガラス容器を持ってくると、何も入っていない容器に手を翳し【錬成】を発動させる。
すると何も無い空間から透明な水が湧き出してきたではないか。
「「!!」」
「この水を使うと回復薬の「持ち」が良くなるのですよ。ここ、他の人には内緒の所ですからね。」
「「はい!師匠!」」
「それと、もう一つの秘密がこの粉末、スライムの魔核をすりつぶし粉末にした物です。」
「「ほえええ・・・」」
「何故かこれを混ぜると効果も持ちも良くなるんですよ。不思議ですねぇ。」
純水にスライム核の粉末を「適量」入れ、自分の魔力を水に込めていくのだが、ここで重要になるのが「魔力操作」だ。
魔法を使う者ならば、必ず魔力操作を覚えなければなければならない行動で、自分の内包魔力をいかに具現化するかで効果に違いが出てくる。
「全体に行き渡る、というイメージは良くありません。そうですね、私のイメージは・・・」
ロウは透明容器にただの水を入れ、棚の中から真赤な色をした何かの水を取り出してきた。
そして徐に容器の水をかき混ぜて弱い渦を作ると、静かに赤い水を流し込んだ。そうすると、万遍なく赤い水が拡散していく。
「こんなイメージです。分りますか?」
「「はい!分り易かったです!!」」
一晩寝かせた薬草液を取出してもう一度水分だけを抽出したものと、出来上がった魔力水と混合する。 配合は薬草液一に対し魔力水が二だ。
「私の場合、混合するのに【錬成】能力は使いません。これを使います。」
ロウが取り出したのは、二つのガラスの管がらせん状に絡まり「Y」の形になっている器具だった。ロウとガラス職人が共同で開発したオリジナルである。
この器具を木製の占用台に固定し、下の出口に透明容器を置く。
そして予め計量しておいた透明な魔力水と濃い緑色の薬草液を、上の別々の口からゆっくりと流し込んだ。
すると二つの液体が螺旋で一つに交わり、濃い緑から薄い緑、そしてそれが青い色へと変化していった。
「はい。これで魔力回復薬上級の完成です。」
「「ほええ・・・・」」
「製法は皆同じで、作る薬、薬草によって配合は変わりますが、あとで書いておきますから覚えて下さい。」
「「はい!師匠!」」
ロウが作る回復薬は、ごく限られた知り合いにしか売っていない。
一般に売られている薬師組合の回復薬や他の個人商店のものより効果が高く、使用期限も三カ月以上という高品質の回復薬なので、知り合いからも量産してくれと常々懇願されているのだが。
あの時から二年。姉妹はロウの元で薬学と製法を学び、薬師としての腕と経験を磨いていった。
そして安定した品質の薬を作れるようになったので、ロウの薦めもあり、自分たちの店を再建するために戻っていったのである。
//////
「うん、良い出来ですね。」
「よかった・・・。」
シャイナがホッと胸を撫で下ろす。
ロウは【鑑定眼】で今持ち込まれた魔力回復薬の品質を確認してみたが、注文した二十本の魔力回復薬は、どれも同じ品質で性能も良い申し分のないモノだった。
「師匠のお陰で家の改装でお借りしたお金も、すぐに返すことが出来そうです。」
「それはよかったですね。いいですか、何か困ったことがあったらちゃんと相談に来るのですよ。」
「はい!あ!レーナも【錬成】能力を習得できました!」
「おお!それは良かった。」
二年前、姉妹がロウの店に住み込んでからは、二人の店は一旦閉店させていたのだが、間もなくシャイナの店として開店する。
薬師としてシャイナの名が知られるまでは店を開かずに、卸売に徹した方が良いと言ったロウの助言を守ってきたのだが、最近はシャイナの回復薬は評判も良く、固定客も付いてきたのだ。
これならばとロウは店を開く事を許可したのである。
「シャイナさんもレーナさんもしっかり復習しているようですね。感心です。」
「はい!ありがとうございます。」
「うん、良い返事だ。これ、お代ね。」
「ありがとうございます!あれ?多くないですか?」
「今日はレーナさんの誕生日じゃなかったのかい?何か美味しいものでも食べさせてあげて。」
「あ・・・でも・・・」
「いいから、いいから。」
「じ、じゃぁ、何か買ってくるから、レーナをここに連れてきていいですか?」
「ふふふ、そうだね。一緒に誕生日と能力習得のお祝いをしましょうかね。」
「はい!いってきます!」
シャイナが満面の笑みを浮かべて店を飛び出していく。
ロウは苦笑しながら受け取った魔力回復薬をカウンターの横にある棚へ並べていく。
姉妹が作った回復薬は、今後もロウの店で代理販売することになっていた。
もちろんマージンは全くとっていないが、これまで卸していた店からも継続して納品をお願いされているとも聞いている。
この後しばらくして、自由都市国家ラプトロイには欠損以外の傷はどんなものでも治る魔法薬がある、という噂が広まり、わざわざ遠方の国から来て買い求めていく人が増えたとか。
「さて、お祝いなら他にも何か美味しい物を・・・。ハブスの店に頼んできましょうか。」
そう呟くと、ロウも笑みを浮かべながら店の外へ出て行った。