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辺境の道具屋  作者: 丸亀四鶴
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1.道具屋のある辺境


空が限りなく近い。

身も心も無条件で包んでくれそうな青だけを見ていると、背中に伝わる大地の鼓動や鼻腔をくすぐる青草の臭いも己の「感覚」の中から消えていき、フワフワと漂う胞子になったような気分になれるらしい。


山の頂から陽が顔を見せてからそれなりに時間が経つのに、いまだ空には雲が一つも見えない。

時折鼻先を掠めるそよ風だけが、唯一自然というものを認識できる事象であった。


芝生のように短い草で覆われた小高い丘に人族の男が寝転んでいる。

彼がこの場所に腰を下ろしてからすでに数時間が経過していた。彼は常々何もせず、何も考えず、こうしている時間が大好きなのだと言っている。


肩上まで伸びているくすんだ銀色の髪は、お世辞にも手入れされているとは言えないくらいボサボサに乱れ、毛先なども自分で切っている為なのか鋸の刃のように揃っていない。

背丈は至って普通で、痩せている分少しは高く見えるのだが、反面健康的には見えず頼りない印象を受ける。しかし、シャツの開いた胸元や捲れ上がった裾から覗く体を見れば、無駄な筋肉も贅肉もないしなやかな体つきであるのが分かる。


肌の色は白い。まるで雪のようである。

種族的特徴なのか、それともただ陽に焼けていないだけなのかは分からないが、何故か病的だという印象は受けず、むしろ細身のその身体に最も合っている感がある。

年齢を掴みにくい顔立ちで、彼が若いのか、あるいはそれなりに年を重ねているのか、パッと見は分かりづらいが、双瞼に光る金色の瞳は思慮深さを湛えていた。


「さて、行こうかね。」


そう言って彼は腹筋だけの力で上体を起こし、軽く息を吸ってから起き上がると長い腕を天に向けて伸ばし大きく伸びをする。

すると、何処からともなく体長1m程の黒い蛇が近付いて来て、彼の脚に取り付いてスルスルと上って肩までくると、身体を回してマフラーの如く彼の首に巻き付いた。

そんな黒蛇の事を気にする風でもなく、彼は傍らに置いてあった大きなつば広帽子をかぶると、先ほど吸い込んだ空気を全部吐き出し、眼下に広がる広い草原を西に向けてゆっくりと歩いて行った。



この世界の人族の版図を考えると、ここは辺境と呼ぶのが相応しく、ここから先は南に向えば海、北に向えば雪の冠を被った山々、東に進めば獣たちの楽園『魔境』しかない。

この先には人族の手で開拓できる自然など無く、この場に留まっていれば圧倒的な力を持つ自然に逆に飲み込まれてしまうであろう。

特に『魔境』にいる獣たち、人族は彼らの事を「魔獣」と呼んでいるが、あれらにとって脆弱な人族はただの「餌」でしかない。自分たちの領域に迷い込んできた者には容赦なく襲いかかり、自分の棲家へと引き摺り込んで行くのだ。


だがそんな人族の中枢から離れた危険地帯にも街が存在した。


自由都市国家ラプトロイ。

人族で最も早くこの街に辿り着き、拠点を構えた者の一族が治める国である。


幾重にも魔獣除けの高い防護壁で覆われた都市で、こんな辺境地にも拘らず約二十万人もの人族が5km四方の壁の中で暮らしている。

広大な領地は持たず、防護壁を外へ外へと広げながら成長していく国、壁の向こうにあるのは人族の方など通用しない弱肉強食の世界、それが都市国家である。


このような僻地にも拘らず人族が集まって来るのにはもちろん理由がある。


この街に人が集まってくる理由の一つが『魔境』の存在である。


『魔境』にすむ獣、魔獣を倒す事で得られる毛皮や硬い骨、武器の素材となる牙や角、薬の素材となる内臓器官は高値で取引される。また、人族を見れば敵として襲ってくる魔獣の間引きの意味もあり、魔獣を狩り、これを倒して素材を得る仕事が途切れることは無い。

そして、脆弱な人族が武器を携え防具を纏い、仲間と共に強力な力を持つ魔獣に向かって行く理由、それは彼らが獣ではなく魔獣と呼ばれる所以でもある「魔核」の存在である。


この世界で魔素と呼ばれるものは大気中含まれる物質と言われ、この世界に住む者にとってその生命活動を維持するために必要不可欠なものだとも云われているものである。

さらに魔素は一部の個体が使う「魔法」と呼ばれる現象の元となっているのでもあり、その存在は空気のように当たり前とされているものだ。


だが、濃度の高い魔素、即ち「溜り」が起っている場所に長くいる生物は体内に魔核が生成され、飛躍的に身体能力が増す反面、理性が破壊され残虐性が増すのだ。『魔境』の生物が殆ど魔獣と呼ばれる所以である。

濃度の高い魔素の影響は植物にもおよび、食虫植物が巨大化して人族を襲ったり、木や草が魔力を帯びて薬草や毒草になったりと、ありとあらゆる生物に影響を与える。もちろん「人族」も含めて、である。


つまり、魔境のような魔素濃度が高い場所で魔獣化した獣の体内には、必ずこの「魔核」が生成されるのだ。


この魔核は人族が普段生活するうえの必需品で、魔核の供給が途絶えると人族の一般生活に多大な影響を及ぼすほど重要な物である。

人族はこの魔石に様々な魔法術式を転写し、「生活魔法」として万人が使う事が出来る魔法媒体を作るのである。火を起こしたい時は火の魔核を、水を張りたい時は水の魔核を、という具合である。

この魔核を手に入れる事が出来る場所が『魔境』なのである。


そして、もう一つの理由が『迷宮』の存在である。

そう、この街が出来る以前から、この場所の地下に広がる『迷宮』があるからこそ人族はここに集まってきた。


『迷宮』は幾つかの階層に分かれていて、階層ごとに通路や行き止まり空間が一本道で繋がった地下構造物である。

このラプトロイの迷宮は地下二十二階、第二十二階層まで探索の手が及んでいるが、その先は何処まで続いているのか、人族に知る術は無い。


迷宮の中は濃度の高い魔素で充たされており、外とはまた違う強力な魔獣達が跋扈する世界となっている。

その魔獣達がどこから来るのか、倒しても倒してもまた同じところに現れる魔獣は数を減らすわけでもなく、かといって一定数以上増えるわけでもなく、永遠に迷宮内を彷徨い続けるのだ。

当然、人族であっても六十日も連続して迷宮内に籠れば魔獣化してしまい、もはや人ではなくなってしまう。それ故、人族達は【魔素遮断結界】の魔道具を身に着け、体内へ入り込んでくる魔素を極力少なくして迷宮探索を続けているのである。


迷宮探索の旨みはなんといっても迷宮で生み出される数々の宝、希少鉱物、魔力を帯びた武器防具や道具類である。

これらの殆どは迷宮内にある小空間で発見されるもので、元々はこの迷宮で命を落とした人族の持ち物だったという説や、迷宮の最深部にいる迷宮創造主が創り出した物だという説もある。

いずれにせよ、迷宮で発見される物は高値で取引されるし、倒した魔獣の魔核は通常の者より大きく透明度が高い。「実入りが良い」迷宮に潜る者達、探索者と呼ばれる者達が後を絶たないのだ。


ただ、『迷宮』に住まう魔獣は外にいるモノに比べて格段に凶暴で強い。どんなに場数を積んだ探索者でも、ほんの些細なミス、油断で命を落としてしまう場所なのだ。

それ故、迷宮に入るには資格が必要で、その技能を認められた者しか入る事が出来ないのである。


しかも、迷宮内の魔獣は、倒して暫くすると迷宮の床に沈んでしまうため、長い時間をかけて解体し素材を得ることは難しい。

探索者達が「迷宮に喰われる」と呼ぶこの現象は、生命活動をしていないモノを何でも取り込んでしまうもので、持ち込んだ道具類でさえその辺に置いておけば数時間後には無くなってしまうとう現象である。


一説にはこうして迷宮に喰われたモノが魔獣になったり、魔道具や武器になって再び迷宮の中で出現するといわれているが、それも噂の類でしかないほど迷宮というものは謎が多い。


いずれにせよ、『魔境』であれ『迷宮』であれ人族にとって多大な富をもたらす場所であることには変わりはない。勿論、「富」を「危険」と置き換えてもそのものを示す代名詞には変わりはないのであるが。



都市国家ロブトロイの一番の特徴は多種多様の種族が住みつき、人種の坩堝とまで言われる場所である、ことであろう。


この世界で人族に括られる種族は、人間族ではアッシミア(通常種)とコードミア(変異種)、獣人族の狼人、虎人、狐人、兎人、竜人、妖精族ではエルフ、ダークエルフ、ドワーフ、ノーム、フェイ、魔人族の魔人、妖人に細分される。

人種の違いによる差別は当たり前のように存在する世界であり、地域によっては他種を人族と認めないという国すらあるが、これら多岐にわたる人種が同じ街に暮らしている場所は、世界広しと言えどこのロブトロイ位であろう。


街は王城を中心視して高さ6m程の四つの壁で囲まれている。

第一防壁が小高い丘の上にある広大な王城を囲みこの国の初期に造られた壁だ。第二防壁は貴族身分の施政者や大商人、教会の高職者が住まう地区を囲んでいる。第三防壁内は一般人が暮らす地区で、この国の六割の人が第二防壁と第三防壁の間に住んでいることになる。

第四防壁内は、国軍の駐屯地、農園、貧民街などがあり、迷宮の入口も南門よりのこの場所にあった。


東西南北どの壁にも門があり、普段使われているのは東門と西門だけである。この門から王城まで広い真直ぐな道が通っており、それぞれ東大通り、西大通りと呼ばれ様々な商店が軒を並べ、人通りが絶えることはない。

目抜き通りとなるこの通りは道幅が30mにもおよび、両側には様々な店舗が立ち並んでいる。


店舗の前は歩道と馬車道になっていて、人や荷車、馬車や獣車が途切れることなく行き来している。

そして道の真ん中、約20mの幅で並んでいるのが露天商だ。屋台で商売する者、シートだけ敷いて商品を並べる者など様々だが、通りを行く者に威勢の良い声を掛けて売り込む姿は万国共通である。


だが、そんな活気のある目抜き通りから四ブロックも入っていくと、様相は一変する。

石造りの建物が隙間なく立ち並び、所々に路地が現れては消え、石段を登ったかと思えばまた下り、といった「雑多」な街並みに変わるのだ。


この辺りは華やかな表通りとは違い、職人たちが暮らす工場や個人の小店舗、一般人達が飲み食いする安直な食堂兼酒場が多い地区なのだが、表通りに比べるとここで商売をするには贔屓目で見ても治安が良い立地とは言い難い。

それでもこの国の住民の殆どは、こうした場所で働き生計を立てているのだ。


そんな裏通りの一角、東大通りから非常にわかりにくい角を曲がって南に入り四ブロック奥へはいった裏通りと、さらにその奥へと続くその路地との角地にその店はあった。

この街では珍しくもない、一階部分が店舗になっている三階建ての建物である。

建てられてからだいぶ年数を経た家だが、元々の造りがしっかりしているのか、灰色の石を積み上げた壁はしっかり目が重なって隙間など無く、剥き出しの柱材もきちんと防腐剤が塗られて劣化は見られない。


建物は10m四方の正方形で、通りに面した建物の壁の真ん中付近に店の入り口があり、頑強そうな木製の扉が鎮座していた。重厚、と言わないまでも頑丈に造られた扉は表も裏も毎日磨かれてつやつやと光沢をもっている。

大きな窓は無く、壁には明かり取りの天窓が三つ並んでいるだけなので、店の中の様子を窺い知ることは出来ない。

ただ、狭い表通りに張り出すような形で取り付けられた黒鉄の梁に懸けられた看板には、ただ「道具屋」と下手な字で書かれている。その看板には何の飾り気もなく、家の間を吹き抜ける風にゆらゆらと揺れていた。


道具屋。

なんと不親切で愛想の無い名前であろう。

看板を見ただけではこの店が何を取り扱っているのか、武器なのか、防具なのか、それとも魔核などを売る魔道具屋なのか一切判らないのだから。


ふと、通りに「からん」という乾いたベルの音が響き、道具屋の内開きの木製扉がゆっくりと開けられた。


「はぁ・・・今日も良い天気ですね。さて、真面目に働きますか。」


そう言って店の外に出てきたのは、あの時何処かの草原で寝そべっていた銀髪の男であった。

相変わらずボサボサの髪を右手で掻きながら天を仰いでいる。

少し大きめのボタンが付いた白い高襟のシャツに黒いズボンという簡素な服装だが、足元だけは魔獣の革で作った頑丈そうな長編みの半長靴を履いている。


男は両手を伸ばして大きく伸びをすると、満足げに頷いて店の中へ入っていった。


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[気になる点] 人族はこの魔〝石〟に様々な魔法術式を転写し 人族はこの魔〝核〟に様々な魔法術式を転写し
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