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代償の絵  作者: 水芦 傑
25 years later
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善悪を知らない女

紫村達の最後尾で順を待っている女は空を見上げていた。その女は紫村の組織の人間ではなかった。

女は気品溢れる顔立ちに腰まで伸びた金色の長髪、それは金持ちのお嬢様のような印象を与える。服装も胸元や背中を惜し気もなく露出した上品な赤いドレスを身に纏っていて、似合うものとなっている。

善悪を知らない女、伴場初音ばんばはつね

伴場は【クルーエル】という異名で裏社会では名が知れていた。

クルーエル―――――それは残酷、無慈悲などという意味。

昔、両親が多額の借金を残して心中した。親戚夫婦に引き取られた伴場は毎日のように虐待を受け、その夫婦から忌み嫌われてきた。

借金の全てがまだ子供の伴場に背負わされ、学校にも行かせてもらえず、毎日ただ殴られることと雑用ばかりを繰り返す日々。

寝床は一畳しかない押入れ。しかし、押入れには無駄なものが多く散乱し、自分のスペースはその半分もなかった。それは横になることさえ満足にいかず、睡眠もろくにとれなかった。

食事も空腹を満たすにはあまりに少な過ぎた。それだけではなく、出されるものは人が食材として扱うには、人が食すものからはかけ離れたものだった。

人間としての生活の底を掘り起こしたような生活。いや、それは既に人間としての生活の限度を遥かに超えていて、生きていることさえ不思議な程の生活だった。

それでも、泣いたことは一度もなかった。子供ながらにして、泪を流すという行為はなんの解決にもならない、無駄な浪費、とわかっていたから。

そんな毎日が何年経ったかわからなくなっていた。その最低の生活と時の流れは伴場から感情というものを次第に奪っていった。

体が成長し、女らしい体つきをしてくると、旦那は伴場を犯し始めた。しかし、それがどんなことか、伴場にはもう考えることもしなかった。いや、できなかった。

そんなある日。

既に夜を迎えた和室で伴場は血で濡れた包丁を手に佇んでいた。目の前には親戚夫婦の見るも無残な死体が横たわっている。

言葉も思考も忘れそうになっていた伴場は、ここに来て初めて人らしい行動を取った。

それは思い出すという行動。

今、自分が何故こんな状況に陥っているのか。

しかし、何年も使っていなかった脳がうまく働いてくれない。

忘却しか自分の意思が通らなかった生活のせいか。

何時間も掛け、漸く思い出せたのは起こった出来事ではなく、怒りという感情だけだった。

人間らしい行動で思い出した感情は次に人間らしからぬ行動を取らせた。

既に息絶え、無残に切り刻まれている親戚夫婦の死体目掛けて手に持っていた血塗れの包丁を―――――振り下ろした。

刺しては切り刻んで、切り刻んでは刺して。

グチャ、グチャ、と肉を叩く音が部屋中に木霊する。

何度も、何度も、何度も。

もう戻らない何かを、いや、その全てを取り戻そうと。

そのどこまでも純粋な『殺意』のみが伴場を動かしていた。

自然と泪が零れていた。それでも、その眼が映す感情に悲しみはない。

そして、家という形をした悪夢から抜け出した伴場はそれから生きていく為に手段を選ばなかった。

窃盗、恐喝、詐欺、強盗、傷害、殺人。

明日を繋ぎ止める為、あらゆる法を犯しては逃げ続ける毎日だった。伴場には逃げなければいけない理由は分からなかったが、伴場にとっては容易なことであった。

伴場は銃器の扱いと格闘に関しては天性の才能を持っていたからだ。つまり、簡単に言えば、殺しの天才ということだ。

いつものように逃げていた時、五、六人の警官に銃を向けられて囲まれたこともあった。しかし、伴場は一人、また一人と警官を血祭りにし、難なくその場を血で染めていった。

いつしか、伴場はその冷徹無比なやり方にクルーエルという異名が囁かれるようになった。

しかし、それも仕方なかった。

伴場には常識というものが存在しなかったからだ。何が正しくて何が悪いのかという善悪の概念とその基準を知らなかった。

その為、伴場の判断基準はあの日に親戚夫婦を殺した時のものになっていた。あれが認められるなら、こういうことも認められるだろう、という具合に。

自分に常識を教えてくれた人間もいた。伴場はそれをしっかりと理解していたのだが、罪の意識や命の尊さというものを重く考えることはなかった。

そして、伴場は今依頼人である紫村に雇われここにいる。

 紫村の組織の人間が全員乗船の手続きを済ませ、伴場の番が回ってきた。

「チケットを拝見させていただけますか?」

「分かったわ」

 伴場は先程紫村から受け取ったチケットを係員に渡した。係員はチケットを確認すると、すぐに伴場に返した。

「では、良い旅を」

「えぇ、ありがとう」

 伴場は係員に微笑みかけてから、階段を上っていった。階段の先には紫村が一人で待っていた。

「何か用なの?」

 紫村は伴場に嫌悪感の籠った目を向ける。

「てめぇのことはまだそんなに信用してねぇもんでな。一応、待ってたんだ」

「あら、信用なんて必要ないじゃない。貴方は私にお金を払い、私は貴方に言われた仕事をこなすだけ。そこにどんな信用が必要だって言うのかしら」

 伴場はそのまま紫村の横を通り過ぎた。紫村はその後を追うように歩き始め、伴場の横に並んだ。

「確かにてめぇの言う通りだ」

「あら、賛同していただいて嬉しいわ」

 感情の持たない伴場の言葉は皮肉にも聞こえる。

「今日の夜にあるパーティーまでは問題を起こすな。わかったか?」

「そう。気を付けるわ」

「今はそれを言いに来ただけだ」

 紫村は歩を早め、先に歩いていった。


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