人を欺き続ける男
困っていた相浦を見付け、男の脳裏に浮かんだのは、使えるという三文字だった。
「ねぇ、君何歳?俺は二十八歳なんだよね。君から見れば、もうオジサンだよなぁ」
相浦は男の言葉に笑顔を見せた。そして、下げていた鞄からおもむろに手帳とペンを取り出した。
「ん?どうかしたの?もしかして、君は幼いながらにして新聞記者とかをしてて、俺に是非インタビューしたいとか?」
相浦は男の言葉を聞きながらペンを走らせ、書き終えるとそれをその男に見せた。
『私は相浦仁巳。十四歳です』
「えっと、何々?相浦仁巳、十四歳?あっ!まさか仁巳ちゃん、言葉が喋れないの?」
相浦は首を縦に二回振った。
「そうなんだ……話をするって言うのはとっても素晴らしいことなのにそれを出来ないのは悲しいね。俺の名前は―――」
人を欺き続ける男、塚矢琢磨。
狐のような細い切れ目が特徴的なだけで、その他にはこれと言って挙げられる特徴はない。
塚矢は言葉を巧みに操り、数多の人を騙してきた。塚矢の言葉を聞き入った者で、騙されないようにすることは困難だろう。
それに加え、塚矢は人の心理についても長けている。相手の心理を見抜くことや、心理の裏をかくことなどは朝飯前である。
この二つの特技を生かし、毎日楽して生きてきた。例えば、大物を装っていきつけの料理店で高級料理をタダで食べたり、色々な店でそのサービスを受けたりなど。
ただ、塚矢には塚矢なりのポリシーのようなものがあり、他人から金品を奪うことはせずに全てタダになるようなことしかしない。
しかし、逆を言えば塚矢はそれほどの力を持ちながら、決して大それたことはしないと言うことだ。
塚矢は警察から【百面】という名を付けられた。その巧みな話術で、幾多の人間に成り済ましてきたことから、言葉だけで百の人物に成り済ませるという意味合いだった。
それに加えてもう一つ、言葉通りの意味もあった。
それは―――――
そして今も、タダでこのオーシャン・シップに乗り込もうとしていた。
船へ繋がる階段の前で係員がチケットのチェックを行っていて、そこには何人かの行列ができている。相浦は思い出したように手帳に何かを書き始め、それを塚矢に見せた。
『言い忘れてたんですけど、私はチケット持ってないんです』
「そうなんだ…まぁ、俺も持ってないし。じゃあ、作戦変更だな」
思考を巡らせている塚矢を余所に相浦は行列の最後尾に並んだ。
「よし決めた!そっちじゃないよ。ちょっとこっちに来て」
相浦は疑問を口には出せない為に表情に出したが、塚矢はそのことを介さなかった。塚矢は相浦の手を引き、仕事を真面目にこなす係員まで歩み寄った。
「ちょっといいか?」
唐突に塚矢の口調が変化を見せた。
「誰だ、お前は?」
「私は船長にこの船である十周年パーティーを企画した船舶開発部部長の田中だ。通してもらってもいいか?」
塚矢の表情は厳しいものを映し出す。その服装が簡素なものの為か、係員は疑いの眼差しを向ける。
「あっ、そうですか…少々お待ちになっていただけますか?今、確認してまいりますので」
この場を後にしようとした係員の腕を塚矢は掴んだ。
「その必要はない。パーティーの招待客は皆さん後で乗船するはずだが、私は船長に話があるので、先に乗船させてもらいたいんだ。それに出席者の中に私の名前を探しても無駄だと思うぞ。服装のことを気にしているのなら、気にすることはない。既に船内にスーツを用意させてある」
塚矢は係員から手を放した。
「何故です?」
「私は元々別の仕事で欠席するはずだったのだが、その仕事が思ったより早く済んだのでな、出席することにしたのだ」
「そうなんですか……では、招待状か何かはお持ちですか?」
「持っておらん。招待状自体は我々、開発部で制作したものだからな。わざわざ、自身の招待状を作る馬鹿はおらんだろう?」
「は、はい。そうですよね……分かりました。では、お通りくださって結構ですよ」
係員は道を空け、塚矢と相浦はその横を通り縋って階段を上ろうとする。
「あっ、ちょっとすみません!」
係員の声がそれを制止した。塚矢の顔に僅かな焦燥が浮かび、二人は振り返った。
「なんだ?」
「あの、その子は……」
係員の視線が相浦に向けられる。
「この子は私の娘だ。何か問題あるのか?」
「そうでしたか。いえ、確認の為です」
「では、失礼するぞ」
塚矢と相浦は階段を上り、乗船した。そこで相浦が手に持っていた手帳に何かを書き、それを塚矢に見せた。
『ありがとうございます』
「いや、気にしないで。別にたいしたことしてないから」
相浦は更に手帳にペンを走らせた。
『塚矢さんってすごいんですね』
「そうかな?そんなことないと思うけど……」
塚矢は照れながらもその表情には嬉しさが見える。
「まぁ、これで船には乗れたから良かったね」