ウラ_所有者
三階 廊下
一つの死体が静寂に取り込まれていた。
その静寂を切り裂くように一つの足音が歩を進めていた。
しかし、静寂を切り裂いたのはその足音ではなく、空気さえも騒ぎ出すようなその存在感だった。
天井の電気は既に落とされている為、漆黒に包まれているその男は光の少ない廊下で暗闇に同化しつつある。
外套を纏う男、眞田が歩を進めたのは先程までは和達という人であったものだ。
そこで丁度足を止めると、地に伏した和達を見下ろした。そして、眞田が投げ掛けた言葉は弔いの言葉でもなく、絶対に死体であるものに向けることのない、有り得ないものだった。
「起きろ」
やはり、反応する筈がなかった。それも当然である。そんな言葉を発するのはまだ死という概念さえ理解できない物心がついたばかりの子供くらいだろう。この男がその子供に該当するとは到底思えない。
しかし、言葉は眞田の口によって繰り返される。
「起きろ」
当然、その死体に成り下がったものは起き上がる筈がなかったのだが―――――不意に死体の腕が動き出し、自身の目を擦り始めた。
「ふぁーあ……あれ?煉君じゃない?」
「あぁ」
死体である筈の和達は広がりかけた視界に映る眞田に疑問を持ちながらも言葉を紡ぎ出した。心臓を失ってもなお、頭も打ち抜かれてもなお動くその和達の存在はあまりに異様だった。
「なんでここにいるの?」
「それは、お前がここにいるからだ」
和達には理解が届かずに首を傾けた。しかし、それでも和達の頭の中で思考が始まることはなかった。
「まぁいいや。よいしょっと」
和達は立ち上がり、穴の開いた自分の胸に視線を下ろすと、驚愕の表情を浮かべた。しかし、頭にも開いた、同じような銃痕には気付くことはなかった。
「あぁ!!僕の胸が穴開いちゃってるよ!ねぇ、人って胸に穴が空いてても生きてられるの?」
和達は誰でもわかる疑問を考えもせず、眞田にぶつけた。
「そんな訳があるか。お前が今、心臓を失っても生きていられるのは代償の絵の力だ」
眞田は呆れることもなく、和達の疑問に答えた。
「ねぇ、こんなんじゃ格好悪くて歩けないよ。どうにかしてくれない?」
「前にも教えただろう。代償の絵はその所有者の思考に連動して発揮されるということを。つまり、お前が今、自分の胸に開いた穴が塞がっていくイメージを思い浮かべれば、代償の絵が再生してくれるだろう。ついでに言っておくと、お前は頭にも穴が開いてるぞ」
「嘘ぉ!?」
和達は自分の側頭部を手で触る。その掌は確実に穴が開いているということを感じ取った。
「本当だ。どうしよう……」
和達は既に眞田の言葉を忘れ、狼狽している。この男はわざとそうしているかのように見られるのだが、それがこの男の本当だった。
眞田はそのことを知っているからこそ、和達の態度に呆れることはなかった。
「さっきも言った通り、代償の絵はイメージが大事だ。自分の体が再生される様子を頭の中に思い浮かべてみろ」
「そうだったね。でも僕、考えるのって苦手なんだよなぁ……」
「いいからやってみろ」
眞田の言葉に和達が頷き、目を瞑って思考を始める。
「うーーん……」
和達が自分の体が再生する思考を始めて数秒、和達の胸と頭に開いた穴はみるみるうちに塞がっていった。
その光景は今の和達の存在と同様、異様なものだった。しかし、眞田はその光景を目の当たりにしても、眉一つ動かすことはなかった。
眞田にとって、その光景は既に何度も見てきたものだったからだ。
「もう大丈夫だ」
眞田の声に和達は恐る恐る目を開き、自分の胸と頭を確認し始めた。
「本当だ!ありがとう、煉君」
「俺は何もしてない」
「そんなことないよ。体が治ったのは煉君のおかげだよ」
「それは前にも一度教えただろう」
「そうだっけ?」
「まぁいい」
「それよりも着替えないとなぁ。上着に穴開いちゃってる」
眞田が振り返ると、廊下の向こうから走ってくる一つの人影があった。
「和達!!」
慌てて走ってきていたのは伴場だった。息を荒げて眞田の脇を通り、和達のもとに行き着いても伴場に落ち着きはなかった。これだけ取り乱した伴場は普段の姿からは想像もできないものだ。
「大丈夫!?大丈夫なの!?」
「う、うん。僕は大丈夫だよ。でも、そんなに慌ててどうしたの?」
和達は伴場が自分のせいで慌てているということに気付いていない。
「それは……貴方のせいでしょ!?」
伴場はヘラヘラした和達の返答に苛立ちを感じたのか、怒鳴り散らした。既に伴場は冷静沈着で感情を表に出さないクルーエルとしての姿を完全に失っている。
そこにあるのはただ一人の人を心配する普通の女性の姿だった。
「そっか!僕のこと心配してくれてたんだ。ありがとね、クルーエル。そうそう、僕が大丈夫なのはそこにいる煉君の―――」
伴場の後ろにいた筈の眞田の姿は既に消えていた。
「ってあれ?煉君、どこ行ったんだろ?」
和達は首を左右に振り、辺りを見回すが、その視界が眞田の姿を捉えることはなかった。
「どこ行っちゃったんだろうな……」
和達は僅かに心配そうな表情を浮かべたが、伴場は意に介せずに話を始めた。
「ねぇ、和達。今から私の言うことを聞いてくれる?」
「なんで?」
「貴方がこの船から生きて降りる為に必要なことなの」
伴場は和達の両腕を掴み、更に話を続ける。
「まず、一つ。この話が終わったら、第三甲板にある貨物室まで急いで行って、そこで隠れてて。私が後で必ず迎えに行くから」
和達は伴場の鬼気迫る勢いに押されたのか、何度も首を縦に振った。
「う、うん」
「それと、もう一つ。これは和達の判断に任せたいんだけど、貴方代償の絵の所有者でしょ?」
「代償の絵?うーん…どっかで聞いたことあるなぁ」
和達は自分が代償の絵の所有者であるという自覚はなく、その言葉を聞いたとしても反応は薄いものだった。
「だから、貴方が普通の人よりすごい力を発揮できる刺青みたいなものが体のどこかにあるんじゃないのって聞いてるの!!」
和達は返答せず、無言のまま考え込んでいるが、この男は思考そのものが信用できそうにない。
しかし、和達は五分が経つ前に思考の答えを導き出した。
「あっ!分かった!もしかして、これのことかな?」
和達は振り返り、伴場に背を向けた。上着の穴から見える和達の背中には風景画のように彫られている刺青が一部だけ見える。
――本当に和達が代償の絵の所有者だったのね。
「和達、その代償の絵が欲しいの」
伴場は戸惑いが残っているのか、俯いたまま和達の顔を見ようとしなかった。
「この絵を?いいよ」
「えっ?」
伴場はあまりに素直な和達に呆気にとられた。
「うん。だって、クルーエルはこれが必要なんでしょ?それにこれをずっと持ってたって死んじゃうだけらしいから」
和達はこの代償の絵の制約については知っているらしい。寧ろ、この男がそれについて覚えていることは凄いことだった。
「それじゃあ、手を出して」
「ちょっと待って。それがね…」
「どうしたの?」
「その絵が欲しいのは―――――」
「私ですよ」
和達は背後からの言葉に振り返る。そこにいたのは、藤堂その人だった。
「この人は?」
「私の知り合い。私じゃなきゃダメかしら?」
伺いを立てるように問いかける伴場に、和達はまったく気にも留めなかった。
「全然気にしないよ?この人にあげればいいんだね!」
「では、お願いできますか?」
「もっちろん!任せて!それじゃあ、手を出してもらえるかな?」
「えぇ」
藤堂は和達に言われた通り、左手を差し出した。和達はその左手を両手で挟むように持ち、目を瞑った。
そのまま、数秒。和達の背中に刻まれた刺青は徐々に薄くなっていく。
和達は目を開き、藤堂の右手を軽く叩いた。
「よし、いいよ。これで大丈夫」
和達の背中から代償の絵の刺青が完全に消えている。
「これが代償の絵……ですか」
藤堂はどこかから湧いてくる力に僅かに驚嘆していた。
「クルーエルさん、和達さん、ありがとうございます。これで私は失礼しますね。お二人の邪魔になりますから」
そう言い残し、藤堂はその場を後にした。
「ありがとう、和達。それじゃあ私はまだ用事があるから行くけど、ちゃんと第三甲板にある貨物室に行くのよ」
「あっ、ちょっと―――――」
和達が声をかけようとしたときには、伴場は既にを走り去っていった。
「聞きたいことあったのになぁ……」
立ち去った和達は困ったように首を傾げ、呟いた。
「そもそも、第三甲板ってどこ?」




