オモテ_命の瀬戸際
「いい加減にしろ。そのまま消えるならば見逃してやっても良かったが、少しやり過ぎたな」
江澤の背後から放たれた言葉の主は江澤を鋭い眼光で睨み据える男、眞田だった。江澤は漣から手を離し、振り返る。
「ゴホッゴホッ…!」
「お前は代償の絵を過信し過ぎだ」
「次から次へと湧いてきやがって……今度は何者だ!?」
その圧倒的な存在感と異様過ぎる服装は眞田がどんな人間であるかということの前に現代に生きる人間であるのかにさえ、江澤の疑いは向けられた。
「お前が知る必要はない」
「気持悪ぃ格好しやがって……この男よりお前が先だ!!」
江澤は動き出したのだが、先程のように目にも留まらぬ速さという訳にはいかなかった。それは常人よりも少し遅い程度の走りでしかなく、江澤はすぐに歩を止めた。
「なんだよ……どうなってんだよ!?てめぇがなんかしたのか!?さっきそこの男を殺せなかったのもてめぇのせいか!?」
「答える義務などない」
「くそっ…クソ野郎が!!」
自棄を起こした江澤は腰に携えていたハンドガンを手にし、銃口を眞田に向けた。しかし、眞田の表情は微かにも変わることなく、無表情を保っていた。
「ふざけるんじゃねえ。俺は最強なんだ。俺が最強なんだ!」
江澤が引き金を引く。銃弾が向かう先は眞田。
銃弾は確かに眞田を貫いたように見えたが、それは眞田が身に纏う外套のみで本体にまでは届いてなかった。
「まだやるか?」
鋭い眼光をより一層強め、眞田が威圧する。
「なっ、どうして…」
一瞬考え込む江澤。その隙を見逃さなかった漣が後ろから江澤の後頭部に蹴りを入れた。強烈な痛みが江澤の脳内を襲い、ふらついた勢いそのままに倒れた。
「お前だけは…お前だけはぁ!!」
漣は江澤の体に馬乗りになって、顔面に何度も拳を殴り付けていった。
この時、漣はこの男を殺す気でいた。相浦に報う為でなく、自分自身の怒りを鎮める為に。あの時のように自己満足の為に。
漣はあの時のような狂気に満ちた姿を取り戻そうとしていた。
「ちょ、ちょっと!やめなよ!」
市ノ瀬はそのことに気付いたのか、漣に駆け寄って腕にしがみ付いた。しかし、漣はそれを簡単に振り解き、更に殴っていく。
江澤は既に気絶しているのだが、それを漣が意に介すことはない。
「もうやめて!そんなに殴ったら、本当に死んじゃうよ!!」
代償の絵があれば死とは無縁でいられるが、眞田が江澤の代償の絵の効力を完全に失わせている為、市ノ瀬の言葉は事実を指していた。
市ノ瀬の言葉は漣の耳に届いていたが、漣は止めようとしなかった。そして、もう何度拳が江澤の顔面を捉えたか分からない何十発目かに漣は突如、横に飛ばされた。
横にはいつの間にか、眞田が立っていた。しかし、漣が殴り飛ばされたのか、蹴り飛ばされたのかは定かではない。
「お前もやり過ぎだ」
そこで我に返った漣を即座に後悔が襲った。
「俺は……俺はまた殺っちまったのか?」
「大丈夫だ。この男にはまだ息がある」
眞田は冷静に江澤を観察し、結論を感情なく言い切った。
「そうか……」
項垂れていた漣の後悔が消えたのか、溜め息を吐いた。
「ねぇ、それより早くしないと仁巳ちゃんが!!」
相浦にもまだ微かだが、息があった。しかし、それは息をしているのかどうか見た目だけでは判断が付かない程のものだった。意識もそれと同様に薄れていた。
市ノ瀬と漣は相浦に急いで駆け寄ったが、医学的な知識が欠片もない二人はどうすることも出来なかった。出来ることといえば、心配そうに見詰めるか、名前を呼び掛けるかのどちらかしか選択肢がない。
「どうしよう……」
「相浦!おい!相浦!!」
不意に眞田が口を開く。
「漣、お前ならその子を助ける手段が分かるだろう?」
「それってなんだよ!?」
「あの時と同じ方法だ」
遠回しな眞田の言い方ではあったが、漣はすぐに見当が付いた。
「そうか!代償の絵だ!!」
「えっ!?」
市ノ瀬は相変わらず話に置いてかれている。
「でも、どうやって権限を移すんだ?」
「俺の持つ救済の絵は権限さえもその効力をなくす。今なら、誰でもこいつから代償の絵を剥奪できる。早くしろ。その子を死なせたくなければな」
漣は相浦を抱え、気絶している江澤のもとまで連れていき、耳元で囁いた。
「相浦。この男触れて、代償の絵が自分の元に来るって考えるんだ。言葉を頭の中に思い浮かべてもいいから」
相浦は朦朧としながらも漣の言葉に従い、江澤に触れた。それが相浦の最後の力を振り絞わせていた。
そして、相浦の意識は遠退いていった。
「おい!相浦!!」
「仁巳ちゃん!仁巳ちゃん!!」
市ノ瀬と漣は相浦の体を揺さ振って呼び掛けるが、返答はなかった。眞田はそれを見届けてから、どこかへと去っていった。しかし、市ノ瀬と漣がそのことに気付くことはない。
「相浦!」
「仁巳ちゃん!」
二人は諦めようとせず、何度も何度も呼び掛ける。そのおかげではないのだが、相浦はゆっくりと目を覚ました。
「私……助かったの?」
この船の乗客になってから、それが相浦の発した最初の言葉だった。代償の絵は確かに相浦に移り、死を免れただけではなく相浦に言葉まで取り戻させていた。相浦の手の甲には代償の絵の紋様が浮かびあがる。そして、不幸と幸福が与えられた。
「相浦、大丈夫か?」
「うん。痛みも感じなくなってます」
腹に開いた穴が塞がったわけではないのだが、代償の絵は痛みさえも消し去っていた。
「良かったぁ。もうダメかと思ったよ。でも、いつの間に喋られるようになったの?」
市ノ瀬は安堵し、そっと胸を撫で下ろした。
「私にも分かりません。ごめんなさい。心配掛けてしまって…」
「そんなことないって。こうなったのも俺のせいなんだから」
「でも、無理を言って付いてきたのは私だし……」
相浦は僅かに俯いた。
「気にすることないって。こうして、生きていてくれるだけで十分だからさ」
「そうそう。終わり良ければ全て良しって言うじゃん」
市ノ瀬も漣の意見に賛同した。
「ありがとうございます。でも、なんで私は助かったんですか?まだ、お腹にはこうして穴だって開いてるのに……」
「それは代償の絵っていう不思議なもののおかげなんだ。代償の絵はその所有者に不幸と幸福を同時に与えるものなんだ。不幸っていうのは一年の寿命で、幸福っていうのは強大な力だ。名前くらいは聞いたよな?」
「強大な力…ですか?」
「あぁ。強大な力っていうのは、人であることを越えるような位、危ないものなんだ」
――それだけの力があれば……
相浦は突然、歩き出した。




