罪に塗れた男
三階にある二等客車の一室で男は出港を待っていた。その爽やかな印象を抱かせる顔立ちをした男は、目の奥に暗い闇を持っている。
罪に塗れた男、漣剣伍。
漣は父親を早くに亡くし、十六歳まで母子家庭に育った。漣が高校に入学してから一年が過ぎた頃、家に帰るといつもはいるはずの母親はいなく、一枚の置き手紙だけが残されていた。
『もう、疲れた。ごめんなさい。 母』
そう書かれた手紙を見て、最初は信じられなかった。いや、信じたくなかった。
だからこそ、今までと同じ生活を続けて母親の帰りを待った。二日経ち、三日経ち、四日経ち、一週間が過ぎても母親が帰ってくることはなかった。その一週間は漣にとって、人生で一番長い一週間に感じられた。
しかし、一週間が過ぎたこの時に初めて悟った。自分は捨てられたのだと。
それから、満たされぬ何かが胸の奥で渦巻き始めた。何をしても満たされぬ感情。それがなんなのか、漣には分からなかったし、知りたくもなかった。そして、その感情が初めて満たされたのは―――――人を殺めた時だった。
その満たされた感情は快感にも似た、彼を虜にするものだった。
漣は寂しさから逃れる為、感情を満たす為に無心で人を手に掛けた。その度に快感を得ては虚無感を残しながら。
最初は感情を満たしていたかっただけだったのだが、それは段々と間違った使命感のようなものへと姿を変えた。
そして、独りよがりな感情は犠牲者を半年で六十八人という数字まで積み上げた。
しかし、最後の犠牲者の言葉が漣に気付かせた。
自分の罪の重さを。
過ちを。
愚かさを。
壊れそうな自分を抑えたくてやってきたことが、実際は更に自分を壊して、追い込んでいただけだった。
自分が犯した罪からは逃れられないことは知っていた。自分がどんなことをしても、償えないことも知っていた。
それでも、漣はそれからの人生を人の為に生き、人の為に笑おうと決めた。そして、五年もの間に漣はそれを、自分の決意を貫き通してきた。
しかし、漣は最近いつも考えることがある。どうすれば、人の為になるのかということ。
――俺が今までの五年間でやってきたことは人の為になってきたのか。
――殺人者だったこんな俺がした行いなど、良いことには成り得ないんじゃないのか。
――今まで俺がしてきたことはただの自己満足だったんじゃないのか。
そんな思考が頭から離れなくなっている。いくら考えても、人の為ということを証明するのは自分じゃないとわかっていても。
今までやってきたことで、誰かが笑ってくれたことは覚えている。
でも、それさえも嘘だったのではないのか。
自分を恨みたくなる感情と幾多の人間を殺してきた後悔が絡み合い、自分一人ではどうしようもない感情が生まれてくる。
――全ては俺のせいなのに。全てはこの弱さのせいなのに。
なのに、誰かを助ける為でなく、誰かに助けて欲しい。
誰かに縋りたい。
そんなことしか頭に浮かばない。
あの頃から、自分がどうなるかなんて本当はわかっていた。でも、考えたくなかった。
ただ、人を殺して、殺して、殺して、殺して、殺して。
そんな自分が行き着く所なんていい筈がない。
そして、考えたくない通りになった。いや、それ以上だった。
今の自分がそれを感情という方法で嫌という程分からせている。
「……やめよ。こんなこと考えてもきりがないよな。それにしても、これってなんなんだろ?」
漣は手に持っていた二つ折りの紙を自分の視線まで上げ、開いた。それはこの部屋に最初から置いてあったもので、パーティーの招待状だった。
『今回の航海ではオーシャン・シップの十周年を記念したパーティーが行われます。服装にも特別拘らないパーティーなので、是非気軽に参加していただきたいと思います。場所と時間は以下の通りです』
その文章から何行かの間隔を開けて、更に記載されている。
『時間 19:30 場所 一階レストラン』
「気晴らしに参加してみるかなぁ……」