前哨_運命の出会い
「暇だぁー!」
三階の二等客室に一人でいた和達は暇を持て余していることを意味もなく大声で言葉に変換した。
「あっ、そうだ!甲板に行かなきゃ。ついでに海でも見てこよう!」
思い立った次の瞬間には部屋を飛び出し、甲板に向かって走っていた。しかし、夜になれば甲板で見られる風景は暗闇のみということには気付く筈もない。
何故か急いで甲板に向かい、辿り着いた時に和達はまず深呼吸をした。
「うーーん。気持ちいいなぁ……って、あれ?暗すぎて海なんて全然見えないじゃん」
頭の中で描いていた風景とはまるで違い、肩を落として落ち込んでいた。そんな時に伴場が甲板に出てきた。
風が流れるように僅かに吹いていて、伴場はなびいていた長い髪を指で耳に掛けた。そして、目を瞑って潮風を感じていた。
目を開くと、目の前に見覚えのない和達が立っていた。伴場はそれに驚き、一歩後ずさった。
「残念だけど、海は見えないよ。もう、真っ暗でなんにも見えないんだ」
「えっ?」
伴場は和達の言葉の意味を理解できずにいる。いや、正確にはわかっていたが、この男が何故そんな言葉を発したのかが分からなかった。
和達は伴場を自分と同じように海を見にきたと考えていた。
「だって、甲板に来たってことは海を見に来たんでしょ?僕もそうなんだけど、全然見えなくて落ち込んでたんだ」
和達の言葉を理解した伴場は和達が何かの冗談を言っているのかと思った。夜になって海を見ようなんて考える人間は夜の海人間か、余程の馬鹿ぐらいだ。
しかし、和達はその余程の馬鹿に当てはまる人物であるということを伴場は知らなかった。初対面であるから知らないのも当然なのだが。
「面白い方ですね」
「そうかな。ハハハハ!」
知らず知らずの内に伴場は馬鹿にしていたのだが、和達は自分が褒められたと勘違いをし、照れながら頭の後ろに手を当てている。
「あっ!そう言えば、自己紹介がまだだったね。僕は和達朔って言うんだです。よろしく」
和達の言葉は一部敬語のような、妙な言葉遣いだったのだが、伴場はそれを聞き流した。
「私はクルーエルよ。よろしく」
伴場はどんな人間に名乗る時も出来るだけ本名は避け、この異名を使っている。
「くるーえる?もしかして、外国人なの?それとも、ハーフとか?」
和達は首を傾げ、子供のような純粋で無垢な瞳を伴場に向ける。
「これは私の異名。皆からはそう呼ばれてるの」
「そうなんだ。なんかカッコイイね」
和達は異名という言葉の意味を知らず、名前と勘違いをしていた。間違っていないと言えば、確かにそうなのだが、意味合いが変わってくる。
「そうかしら。あまりいい意味じゃないのよ。クルーエルって」
「どんな意味があるの?」
「そうね。残酷とか無慈悲とかかしらね」
伴場は自分自身のことを隠さず、正直に話した。しかし、この馬鹿には無慈悲は勿論、残酷という言葉さえ知識になかった。しかし、その言葉の意味を和達は深く考えずに流した。
「そうなんだ」
「私はね、お金さえ払ってくれればどんなことでもしてきたの。女子供も殺すし、お金の為にいろんな人を不幸にしてきたわ。だから、誰かにお金を払ってもらって貴方を殺せって言われたら、殺すわよ。つまり、便利屋みたいなものね」
伴場の口が笑みのように歪む。その笑みは妖艶とも不気味とも見て取れた。
「………………」
和達は黙り、ただ伴場を見詰めている。
「あら、怖くないの?たかがお金の為に貴方を殺してもいいって言ったのよ。それに、便利屋って言うよりは殺し屋に近いかしら。仕事の大半を占めるのが殺しの仕事だから」
伴場がこの話をする時、普通の生活を送っている人間は大抵が怖がるか、逃げるかの行動を取ってきた。この話をするのはそういった普通の人間に絞ってはいるのだが。
しかし、和達は伴場が今まで聞いたことのない、それでいて予想だにしない言葉を放った。
「怖い?なんで怖がるの?だって、クルーエルはそんな風に僕には見えないから。もっと優しくて綺麗な人に見えるよ」
「……………」
和達の身勝手な言葉に伴場は明らかに虚を突かれている。
「だから、僕は今のクルーエルの言葉は信じないよ」
伴場の心に数秒の空白が生まれていたが、すぐに気を持ち直した。
「脳天気な人なのね、和達って」
「そうかな?なんか照れるよ、クルーエル」
再び和達は褒め言葉だと勘違いした。和達は基本的には言葉を受け取る時はいい方向に考える癖があるようで、更に学習能力に乏しいようだ。
「ねぇ、クルーエルはなんでこの船に乗ってるの?」
「また誰かを不幸にする為よ。さっき言った通り、私にお金を払う人がいたから、その人が望むことをする為にここにいるのよ」
「じゃあ、また悪いことをするの?」
和達は幼さの見える表情で伴場に聞いた。
「そうね。今回の仕事は大勢の人が死ぬかも知れないわ。でも、私にとっては名前も知らない人なんて、死んでも殺してもどうでもいいわ」
「そっか。でも、確かに皆もそう思ってるかもね。全部の人間とまでは言わないけど、殆どの人間は結局、最後は自分しか大切じゃないって思ってるんじゃないかなぁ」
馬鹿のように見えて、和達はしっかりとした考えを持っている。端から見れば馬鹿に見えるのだが、実際はただ単純なだけなのである。
「貴方はどうなの?殆どじゃなくて、その僅かな方に入ってるの?」
「どういうこと?」
和達は惚けたのではなく、ただ伴場の少し遠回しな言葉さえ理解できなかった。
「あぁ、ごめんなさい。貴方には少し言い方が難しかったかしら」
番場も和達と話している内に、少しずつではあるが和達が馬鹿ということを理解していった。
「つまり、貴方は最後には自分だけが大切な人なの?それとも、そうじゃないの?」
「僕?そうだなぁ……僕はわからないかな。僕にはまだそんな状況になったことがないから、今からどうなるかなんて考えるのも難しいし」
「そう。でも少なくとも、私から見るとどちらでもないのかもね」
「なんで?」
和達はやはり理解が届かなかった。既に和達の頭はこの程度の話で軽く混乱していて、首をこれでもかと言わんばかりに傾げていた。
「はぁ、貴方との会話は少し疲れるわ。いちいち、説明しなきゃいけないから」
「ごめんね。僕、頭悪いから」
今度は褒め言葉だと勘違いしなかった。
「いいのよ。疲れはするけど、貴方との会話は退屈しなくて済むわ」
「良かったぁ。それで、さっきのはどういう意味?」
「貴方はその時によって、変わりそうな気がするの。ほら、和達って脳天気だから」
「そうなのかな?自分では普通にしてるつもりなんだけどなぁ」
先程から和達はあることが気になっていた。
「ねぇ、一つ聞いていい?」
「何かしら?答えられる範囲でいいなら答えてあげるわ」
和達は伴場に顔を近付ける。それは相手の息遣いがわかる程の近さまでだった。
「な、何よ?」
伴場には恥ずかしさや照れなどは感じず、警戒心だけが高まって僅かに身構えた。しかし、和達は再び伴場の予想を超える言葉を紡いだ。
「なんでそんなに悲しい目をしてるの?」
「…………………」
伴場は文字通りに言葉を失った。今度は伴場自身が考えられない行動を起こしていた。和達は突然伴場から離れ、慌てふためいている。
「ごめんごめんごめーーん!僕なんか変なこと言った?言ったよね。本当にごめん!なんにも考えないで言っちゃって……」
伴場には何を言っているのか、全く理解できずにいた。しかし、自分の頬に感じられる水分がすぐにそれを分からせた。
伴場は泪を流していた。
もう何年も忘れていた泪を。
――なんで?
自分でも意味がわからなかった。前に泣いた時には何となくだったが、理由があるような気がしていた。意味がなくてもそうすることが自然で、そうしていたかった。
しかし、今流している泪は意味なんて存在しないだろうし、そうしていたい訳じゃない。それでも、噴水のように溢れ出てくるこの泪は止まってくれそうになかった。
「なんで………」
和達は伴場の頬に流れる泪を手で拭った。
「大丈夫?僕がなんか変なことを言ったなら、謝るから泣かないで。お願いだよぅ。僕まで泣きたくなってくるからぁ」
和達の目は潤んでいて、今にも泣きそうになっている。
「別に貴方のせいじゃないし、私にもなんで泪を流してるのかわからないの。だから、私には止められないの。ごめんなさい」
泪を流しながらも伴場はあくまで冷静だった。
「謝んないで。クルーエルは何も悪くないよ」
伴場は振り返り、和達に背を向けた。
「ごめんなさい。私はもう行くわ」
伴場は甲板から中に戻り、足早に歩き去っていった。
「やっぱり、僕のせいだよね…聞きたいこともあったんだけどなぁ……」
和達は一人で責任を感じ、その場に立ち尽くした。