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 文化祭の日がやってきた。一年生から三年生まで一丸となって取り組んで、この上なく学校が賑やかになる日。校内開放の時間まで段取りの確認や着替えなど、皆大忙しだ。

「恭平、調理室にケーキ届いてるって」

「よし、取りに行くか!」

 恭平も皆に引けを取らず、いつもより気合が入っていた。それがなんだか面白くてつい笑ってしまう。

 文化祭で使われる食品類は全て調理室にて管理される。おばさんからの連絡通り、私たちのクラスのスペースには沢山のケーキが届いていた。それとは別に注文した和菓子なども置いてある。

「これを運べばいいんだな」

「あ、一度にそんなに運んで大丈夫?」

「お前じゃあるまいし落とすかよ」

「……はいはい」

 効率性より慎重さを優先した私は、恭平とは対照的に入れ物を一つだけ抱え上げた。恭平の腕には三つの入れ物が抱かれている。

「運び終わったら着替えないとね」

「春花のダッサいメイド姿見せられる人が可哀想だぜ」

「煩い! 玲奈とか、他の子は可愛いから平気です!」

「自分がダッサいのは否定しないのかよ」

 歩きながら、恭平が目線を此方に向けて言う。

 否定したいのは山々なんだけど、出来ないのだ。昨日衣装を着て鏡の前に立ったら、何というか物凄く違和感を覚えてしまったから。何がおかしいのかは分からないしもしかしたら着慣れないせいかもしれないけど、何か、何か変だった。悲しいことに。

「……私が着ても似合わないんだもん」

「今更だな。俺は超似合うぜ」

「自分で言いますか……」

 完璧な内装が施された教室に到着するともうほとんどの子が着替え終えていて、とても華やかな空間となっていた。女子も男子も、おかしな着方をしていないか友達と確認し合っている。そんな中でも、男子が女子の姿を盗み見たりその逆だったりといった光景は、見ていて凄く微笑ましかった。

「あはは、皆可愛いなぁ」

「そこに今から春花が水を差すわけだな」

「もういいでしょその話は!」

 私たちは運んできたケーキを指定の場所に置いた。教室の南西部分は他のスペースとは暗幕で隔てられていて、カフェの裏作業が出来るようになっている。

「春花と立原くんも、着替えてきていいわよ」

「あ、玲奈。でもまだ調理室に……」

「私と野際くんでやっておくから」

 既に黒いメイド服を着た玲奈が私たちに声を掛けてくれる。黒レースのカチューシャに、ふわふわした白いパニエが用いられたミニスカートがなんとも愛らしい、玲奈のメイド姿。大人っぽい玲奈なのにフリフリの服も似合っていて、本当に何を着ても絵になるなと感じた。こんな可愛いメイドが実在したとして、命令出来るご主人様なんているんだろうか。

「ふふっ」

「……なに笑ってるのよ」

「玲奈、すっごく可愛いなぁって」

「う、煩いわね。早く着替えてきなさいよっ」

 顔を真っ赤にした玲奈がそっぽを向いてしまう。もう何もかもが可愛くて抱きしめたくなる衝動を抑えながら、私は恭平と別れて更衣室へと向かった。

 他のクラスの子たちも混ざる更衣室は賑やかだ。もたもた着替えるのも恥ずかしいからさっさと衣装を着て、更衣室を出る。トイレに入ってカチューシャの位置を調整してから、意を決して教室に戻った。

 うう、恥ずかしい。恭平に見られたら、何て言われるか。

「あっ、高倉!」

「や、山口さん」

「ふふ、何それ。コスプレみたい」

 山口さんは私の格好を見て吹き出した。私は胸元の大きなリボンを手で隠すようにして、山口さんの視線から逃れる。

「だ、だって、コスプレだもん……」

「子供が益々子供って感じね。少しはあたしを見習ったら?」

 山口さんはそう言って、パニエの裾を摘んでふわりとさせた。確かに山口さんは玲奈に負けず劣らずメイド姿が似合っている。見ためは可愛い女の子なのに話したら少し気が強いところも、ギャップが出てお客さんにウケそうだ。

 他の子と比較する度に自分が憐れに思えて仕方ない。シフト制だからずっとお客さんの前に立たなくていいことだけが、唯一の救いだ。

「本当、何であんたみたいなのが立原くんの幼馴染なのかしらねぇ」

 山口さんが私から視線を外す。そして後ろに振り返った山口さんの目を追うと、恭平がいた。恭平も着替え終わっていて、皆に囲まれている。

「な、何あれ」

「あたしも立原くんのところ行こうっと。じゃあね高倉!」

「あ、山口さん!」

 山口さんに置いていかれた私は、一人その場に立ち尽くした。

 皆の真ん中で笑っている恭平は輝いている。タキシード姿も、悔しいくらいに似合っていた。単に自信過剰なだけでなく実も伴ってしまうのが、恭平の厄介なところだ。目を背けたくなるほどに眩しくて、私には出せないオーラを、恭平は出していた。

「はは、凄いよね立原は」

 ふと、執事服を着た伊藤くんが、ぼんやりとしていた私に声を掛けてくれた。恭平ほど強いオーラを出していないとはいえ、伊藤くんも衣装が様になっている。

「本当にね。どこ行っても何やっても皆の人気者になっちゃうんだもん。それに比べて私はこんななのに」

「え? 高倉さんも可愛いよ、その格好」

「え、ええ!?」

 爽やかな笑顔で言い放つ伊藤くんは、照れた様子もなく私を見ていた。

 よもや私のメイド姿を褒めてくれる人がいるなんて。それも、相手が伊藤くんだなんて。さらりとあまりにも自然に言ってくれるから、そんなことないって否定するタイミングも失ってしまった。もしかして、こういう人のことを天然タラシと呼ぶのかな。相沢くんという人がいなかったら、簡単に好きになってしまったかも……。

 そこまで思考が巡った時、ハッとして辺りを見回した。でも、幾ら探しても相沢くんの姿は見当たらない。

「い、伊藤くん! 相沢くん知らない?」

「相沢? さあ、そういや今日は朝見たっきりだな」

「そうなんだ……」

 どこに行ってしまったんだろう。相沢くんのことだからサボるなんてあり得ないと思うけど、でももう学校開放の時間が迫っている。

「伊藤くん、私相沢くん探してくるねっ」

「あ、高倉さん!」

 急いで、私は教室を飛び出した。

 相沢くんが行きそうな場所といえば、心当たりは一ヶ所しかない。そこにいなかったらもうお手上げだけど、とりあえず行ってみなければ。

 校舎が開放されたのち封鎖されることになっている、図書室。私はそこに迷わず走っていった。ドアを開けると中はいつも以上に静まり返っていて、しかも薄暗い。

「相沢くーん……?」

 全く人気が感じられない。間違ったところに来てしまったのかと思い、引き返そうとした瞬間、本棚の陰からぬっと人が現れた。

「……なに、高倉さん」

 そこにいたのは、執事姿の相沢くんだった。

 黒いジャケットに、第一ボタンまで閉めてきっちりと結ばれたネクタイ。ズボンは制服をそのまま着ているはずなのに、どこかいつもと違って見える。

 図書室の中はぼんやりと日光が当たっているだけなのに、相沢くんの周りだけキラキラ、華やいで見えた。恭平も、どんな男の子の執事服も、相沢くんの前では霞んで消えてしまうんじゃないか。そう、思った。

「……何って言ってるの、聞こえなかった?」

 つい見とれてしまっていた私は相沢くんの言葉に答えることが出来なかった。そんな私を相沢くんが怪訝そうな表情で見る。ハッとして、慌てて言葉を探した。

「え! あ、えっと……も、もうすぐ文化祭始まるよ、って……」

「知ってる。遅れて行くことはないから安心して」

 そう言うと相沢くんは再び本棚の奥へと入っていってしまう。どうしよう、と思っていた時、思いがけず図書室のドアが開いた。

「春花」

「きょ、恭平?」

 予想外すぎるその登場に面食らっていると、恭平は私の方へと歩いてきた。

「な、何でここにいるの?」

「お前が教室出てくのが見えたから」

「見えたって……」

 あんなに皆に囲まれていたのに。私になんて気付いてないと思っていた。

 恭平が私の頭からつま先まで、目を動かす。ジッと見つめられているのが気になって、私は恭平に背を向けた。

「な、何!?」

「いや、その……」

「似合ってないって分かってるし、わざわざ言わなくていいからね!」

 恭平が考えていることなんて大体分かる。どんな言葉で私をからかおうか、思案していたのだろう。

「に、似合ってねぇどころか目に毒だな!」

「毒って……何もそこまで言わなくてもいいじゃないっ」

「うっせ、やっぱブスがメイド服なんて着るもんじゃねぇんだよ」

「べ、別に恭平に見てほしいなんて頼んでないでしょ! 恭平は玲奈とか山口さんとか、可愛い子のメイド服見てればいいじゃない!」

「は!? んだよそれ、人がせっかく……」

「あのさあ」

 またもや自然と口論に発展してしまった私たちの間に、相沢くんが顔を出した。その顔は思いきり不快感を示していて、見る者を萎縮させる力があった。

「仮にもここ図書室なんだけど。喧嘩するなら場所を弁えてくれない?」

「相沢っ、何でお前がここにいるんだよ!」

 相沢くんの存在には気が付いていなかったらしい恭平が、すぐに噛みついた。私がなだめる間もない。

「何でって、僕はずっとここにいた。後から来たのは君や高倉さんの方だ」

「チッ。春花行くぞ!」

「えっ……!」

 相沢くんを置いて行きたくなくてもたついた私を、恭平は無理矢理引っ張っていった。振りほどけないほどの力で腕を掴まれなす術がない。相沢くんが遠ざかっていく。

「恭平、痛いってば!」

「何しに行ったかと思えばあんな奴に会いに行ったのかよ……!」

 恭平には私の声が聞こえていないようで、一向に放してくれそうになかった。それどころか物凄く怒っている。私の顔を見向きもしないで、廊下をズンズン進んでしまう。

 そんなに、そんなに相沢くんが嫌なの? 相沢くんだって、別に恭平が気に食わないからああ言ってるわけじゃないのに。目の敵にしてるのは、むしろ恭平の方だというのに。

「恭平っ……」

「勝手に一人でどっか行くな! 面倒くせぇから!」

 恭平は大声を出して、私に振り返った。握られていた腕は解放されて自由になる。

「勝手にって……別に恭平は私の保護者じゃないんだし、私が何しようがいいじゃない」

「うるせぇ! お前は俺の言った通りにしろ!」

「な、何それ!? どうして私があんたの言うこと聞かなきゃいけないのよ!」

「嫌なんだよ!」

 恭平は頬を赤くしながら、手の甲を口許に当てていた。怒っているのか照れているのか分からない、恭平らしくない仕草に、私は困惑した。

「あ、あいつとっ、二人きりになるな!」

 どうして、なんて尋ねる隙もなく、恭平はまた私の手首を掴んで歩き出した。今度は私が何を言っても全く無反応で、口をきいてはくれなかった。そのまま私は教室に押し込まれ、恭平は私を放って野際くんのところへと行ってしまった。

「……もう!」

 勝手なことをやってるのは、一体どっちよ。

 それから五分ほどすると、相沢くんも教室に戻ってきた。そうしていよいよ、文化祭の幕が上がった。


 ***


 私たちのクラスの執事とメイド融合喫茶は、思った以上に反響を呼んだ。男性層にも女性層にも受けること、提供するお菓子や飲み物が美味しいとどんどん評判が広がっていったことなど、理由は複数ある。元々うちのクラスに美形が多いことも、勝因に繋がっているのは確実だ。

「いらっしゃいませ、お嬢様」

 その中でも恭平は、女性人気で一番だった。流れるようなエスコートに自然な笑顔、女性が喜ぶ言葉を違和感なく言っていたりと、遠くから眺めているだけでも凄かった。悔しいことに、恭平の執事役は見事に嵌っている。

「お、お帰りなさいませ!」

 それに引き換え、私はグダグダだ。ぎこちなくお客さんを通してしまったり注文の時に噛みそうになったり。ただでさえ似合っていないメイド服を着ているのに、これではお客さんもがっかりさせてしまう。本当に情けないし、申し訳なかった。

 隙を見て、裏に回り一息吐く。そこには、お客さんに提供するためのジュースをグラスに注いでいる玲奈がいた。

「玲奈」

「あ、春花。何してるの? 貴女今は接客係の時間帯でしょう?」

「うー、そうなんだけど……」

「山口さんたちにお客さん取られちゃったとか?」

 そう言って玲奈は表の方を覗いた。

 山口さん、森田さん、吉岡さんの三人はいつにも増して輝いていた。お客さんとの接し方が凄く上手で、まるで緊張した様子もない。それどころかお客さん以上に今を楽しんでいる感じがする。三人とも可愛いから写真を撮りたがるお客さんも多くて、山口さんたちは常に人に囲まれていた。

「本当凄いわね、山口さんたち」

「ね……。私なんて駄目駄目なのに……」

「春花だって春花なりに頑張ってるじゃない。向き不向きもあるし、いいのよそれで」

「玲奈ぁ……!」

 玲奈はいつだって私を元気づけてくれる。玲奈の声援がなかったらやり遂げられなかったこともこれまで沢山あった。この学校の受験だって、最後まで玲奈が勉強を見てくれなかったら駄目だったかもしれない。

「でもあれ? 玲奈は接客しないの?」

「……私はいいの、ここで」

「何で? 玲奈が接客したら、男性人気ナンバーワンは間違いなしだよ?」

「ああもう煩いわね! ほら、さっさと戻りなさい!」

 玲奈に背中を押され、裏から追い出されてしまった。

 玲奈、目立つのが好きじゃないから恥ずかしいのかな。と言っても、玲奈は美人だからそこにいるだけで目立っちゃうのだけど。

 それにしても、玲奈の注いでいたオレンジジュース、美味しそうだったなあ。

「すいませーん!」

「あ、はい!」

 お客さんの声が聞こえて、すぐに駆け寄った。表に出てきたからには接客に集中しないといけない。

「えっと、このチョコレートケーキを三つと……」

「はい、チョコレートケーキが三つ」

「……あれ、もしかして高倉さん?」

「え?」

 名札を付けていないのに何故、と思い顔を上げる。そこには、見知った顔があった。

「な、中西(なかにし)くんっ」

「すっげぇ、高倉さんマジでここ受かってたんだ!」

 中西くんは中学時代の同級生だ。三年間私とは同じクラスで、出席番号も近くになることが多く、よく話しかけてくれていた。

「うん、お陰様で。中西くんはえっと……」

「俺はここの一個下かなぁ、館崎(かんざき)だよ」

「そうなんだ……!」

 中西くんもテスト前には私に、彼の得意な数学を教えてくれていた。私よりずっと成績が良かった中西くんじゃなくて私が榛前にいるなんて、不思議な感じがする。

「あ、ごめん注文だったよね。あとミルクティー二つにレモンティー一つで」

「はい!」

 思いがけぬ再会に頬を緩ませていると、中西くんの隣に座っていた二人の子たちにも突っ込まれる。

「ねぇ高倉さん、宮部さんは!?」

「俺も見たい! 宮部さん何組?」

「ああ、玲奈も同じクラスだよ。今裏でジュース作ってるの」

「マジで!? 見に行っていい?」

「たぶん大丈夫だけど……あまり玲奈を困らせないであげてね?」

 二人は嬉しそうな顔をすると、あっという間に席を立っていった。

 玲奈は、言うまでもなく中学の頃物凄い人気があった。故にファンも多いわけだ。玲奈は男の子に全く興味を持とうとしないから、男の子たちは軽くあしらわれてしまっていたけど。

「中西くんは行かないの?」

「俺はいいよ」

「そうなの?」

「うん。俺宮部さんとはあまり喋ってないし。高倉さんの可愛いメイド姿で充分満足だから」

 ニコニコとして何気なしにそう言ってくれた中西くんに対して、私の顔は熱くなってしまった。

 そうだった。彼は学年で最もモテる男の子のうちの一人だった。女の子の扱いが上手くても当然だ。

 それにしても、今日だけで二回も可愛いと言われてしまうなんて。もしかして今日が、人生のピークだったりして。

「春花」

 そんな時不意に、恭平に腕を引かれた。恭平の顔からは、ついさっきまで浮かべていた余所行きの笑顔が消えている。

「恭平!」

「すみません、混み合っておりますので此方のメイドをお借り致します。おい春花行くぞ!」

 中西くんに頭を下げて、恭平は私を引っ張り裏へと導いていった。明らかに苛々としているようで、私を睨みつけている。

「ご、ごめん。混んでるのに世間話しちゃって」

「は? そんなことどうでもいいわ」

「え? じゃあ何で」

「……誰だよ、あの男」

 恭平は腕を組み私を見下ろした。まさか中西くんのことを知りたがっているのだとは思わず、驚いてしまう。

「な、中西くんって言ってね。中学の時お世話になってた友達なの」

「ふうん。それだけか?」

「それだけって……」

「ま、いい」

 恭平の言わんとしていることが分からない。でも恭平は一人で納得したように頷いて話を終わらせてしまった。私だけ状況を理解しないまま、首を傾げる。

「お前、可愛いって言われて照れただろ」

「き、聞こえてたの!?」

「あんなのお世辞だからなバーカ」

「わ、分かってるけど……!」

 お世辞だと分かっていても、可愛いなんて言われたら嬉しいし照れてしまう。皆、そういうものじゃないのかな。それとも私が言われ慣れてないから過剰に反応しちゃうだけなのだろうか。

「春花」

「な、なに?」

「……ブスって、嘘」

「へ……?」

 ブス、というのは、恭平が私の姿を見て言ったあの言葉だろうか。いやでもまさか。恭平が私への悪態を撤回するなんて思えない。じゃあ何のこと?

「可愛いじゃん」

 へ……!?

 赤ら顔で微笑む恭平を見て、一瞬思考が停止した。

 今のは空耳? だってあの恭平が私に可愛いと言うだなんて信じられない。でも確かに恭平の口はそう動いていた。可愛いじゃん、と。

 何で、何で何で何で? 何で急に、しかも恭平がそんなことを言い出すの。明日は大雨か、それとも雪でも降るの?

「……ふ、服がな!」

 でも、恭平はそう言って明後日の方向を見てしまったのだ。

 な、なんだ、そうだよね。恭平が私を褒めるなんてそんなこと、あり得ない。あり得ないもの。でもなんだかホッとしたような、少し残念だったような。

「つうか俺もう交代の時間だわ」

「え、交代?」

「ほら、もう次の奴ら来始めてるだろ?」

 慌てて表を覗く。そこでは確かに、今までいなかったはずの子が接客を始めていた。

「ま、お前も交代まで精々頑張れよ」

「あ、あそこ!」

「は?」

「相沢くんが来た!」

 相沢くんはばっちり執事姿でレジ打ちをしていた。やっぱり、立っているだけで雰囲気がある。私なら、例え大勢の中に紛れていたとしても、後ろ姿だとしても、相沢くんを見つけられる。それほど、相沢くんは見慣れているのに見飽きない。

「じゃあ私行くね。恭平もお疲れ様!」

「おい、春花!」

 私も休んでばかりはいられない。そう思って表へ踏み出した。相沢くんが同じ空間にいる。それだけで頑張れる気がする。

「ありがとうございました」

 レジに近い位置にいるわけでもないのに、相沢くんの声は私の耳によく入ってくる。ジュースやケーキを運んでいる時も、お客さんから注文を受けている時も。凛とした、冷静なんだけどどこか温かい、独特の声だ。

「高倉さん」

「あ、中西くん」

 中西くんたちはもう帰るようで、最後に私に声を掛けてくれた。

「じゃあね高倉さん。美味しかった」

「ありがとう中西くん。あのケーキね、三丁目のケーキ屋さんのものだから、今度是非買いに行ってみて下さい」

「はは、了解」

 中西くんの後ろにいる二人は、思いきり肩を落としている。きっと原因は玲奈だろう。

「二人とも玲奈とどうだった?」

「全然話してくれねぇよ宮部さん!」

「それどころか俺たちのこと覚えてないって!」

「あはは、まあ玲奈だから」

 女の子には普通なのに、男の子には少々棘がある。それが玲奈なんだけど、そう考えるとやはり野際くんは凄い。あの玲奈を、むしろ自分のペースに乗せているのだから。

「春花……か」

「え?」

 中西くんが小さく私の名前を呟いたので、何事かと彼を見つめた。中西くんは友達に向かって先に出ていくよう促すと、私に微笑みかけてくれた。

「結局俺は一度も、そんな風には呼べなかったなって」

「え……」

「ねぇ高倉さん」

 中西くんの唇が、私の耳許に寄せられる。息がかかって、こそばゆい。

「俺、高倉さんのこと好きだったかもしれないって言ったら、どうする?」

「え、ええ!?」

「はは、そんな驚かないでよ。冗談だって」

 あっけらかんと中西くんは笑って、私の耳許から離れた。

 じょ、冗談。そうだよね、中西くんなんてそれこそ女の子選び放題って感じだったし、私を好きなんてあり得ないよ。

「でもさ、さっき高倉さんを連れていった子、大切にしてあげなよ」

「え……」

 さっきって、恭平のこと? でもどうして、中西くんがそんなこと。

 目を丸くしていたであろう私を見て、中西くんはふっと吹き出した。

「やっぱり、何にも気付いてないんだ。相変わらず鈍感だなあ、高倉さんは」

「な、中西くん……!?」

「一途なのもいいけどさ、もっと周りにも目を向けてあげな。じゃないと、俺みたいな可哀想な奴で溢れかえっちゃうよ」

 中西くんはそれだけ言い残して、帰っていってしまった。中西くんの言葉だけが私の頭に響き続けて、悶々としてしまう。

 どういうこと? 俺みたいにって……まさか本当に中西くん、私のことが……?

 ないない、あり得ない。それにその解釈を取ると、まるで恭平が私を好き、みたいなことにもなるじゃない。

 恭平、が。

「あり得ない。絶対、絶っ対あり得ない……!」

 やっぱり違う。何か別の解釈があるんだ。頭の良い中西くんらしい、もっと深い解釈が。

「ちょっと高倉! こっち手伝いなさいよ!」

「や、山口さんっ。ごめん!」

 ぼんやりとしていたら、山口さんに怒鳴られてしまった。気が付くとお客さんの出入りも先程より激しくなっている。私は交代の時間まで、右に左に注文を取りジュースを運び続けた。

「これとこれで」

「ありがとうございます!」

 あちこちから幾つも注文を受け、裏へと急ぐ。仕切りのカーテンを開け中に入ろうとした瞬間、目の前に現れたのは相沢くんだった。

「あ、相沢くん!」

 思わぬ偶然に身を固めていると、相沢くんは言った。

「高倉さん、そこどいてくれないと」

「あ、ご、ごめんね……」

 私が端へよけると、お盆にジュースを乗せた相沢くんは表へと出ていった。その背中を見つめても、相沢くんの瞳は私を捉えない。

 高倉さんくらいだよ、と言った相沢くんのあの言葉は、今も胸の中で響いている。それでも相沢くんは遠くて、私はただこうしてその背中を見つめることしか出来ない。

 この前は、相沢くんの中で何か特別な存在になれたかも、と思った。でも後から考えたら私は、特殊なだけであって特別ではない。簡単なことなのに、そして当たり前のことなのに切なくなるのは、それは相手が相沢くんだから。

「相沢くん……」

 ああ駄目、私。友達になれればよかったはずなのに、あの日からどんどん欲深くなってる。もっとずっと相沢くんのそばにいられるようになりたいって、そう思ってしまうんだ。


 ***


「じゃ、文化祭お疲れ様でしたー! 乾杯っ」

 無事に文化祭を終え、皆すっきりとした顔をしている。教室は喫茶店の内装のままだ。そこに全員で集まって、野際くんの乾杯の音頭でグラスを合わせた。疲れているはずなのに皆、賑やかだ。

「お疲れ様、玲奈」

「春花お疲れ様。大変だったわね」

「うん、でも楽しかった」

 恭平や山口さんたち、それに相沢くん、クラスの皆の色んな姿を見ることが出来て新鮮だった。団結力もしっかりしていて、仲も良くて、本当に良いクラスだなと思う。

「そういえば、中学の同級生っていう子たちが私のところに来たんだけど……」

「ごめん、それ私。皆が玲奈に会いたいって言うから裏にいるよって教えてあげちゃって」

「もう、そんなことしなくていいから」

 ジュースを飲む玲奈に怒られてしまう。

 そうだよね。同級生っていっても玲奈はほとんど関わりなかったし、そんな子たちが急に来ても驚いてしまうよね。反省だ。

「本当ごめんね。……あ、そうだ。中西くんは覚えてるよね? たまに私に数学教えてくれてた子」

「ああ、春花と仲良かった子でしょう? どうかしたの?」

「中西くんも来ててね。ここ入れたんだねって褒められちゃった」

「へぇ、良かったじゃない」

 へへ、と笑う。中西くんの最後の言葉は、玲奈にもなんとなく言えなかった。

「宮部さーん!」

 呼びかけられて、玲奈が振り返る。そこには満面の笑顔の野際くんがいた。後ろに恭平も立っている。

「野際くん」

「宮部さんお疲れ様! 一緒にお菓子食べてもいい?」

「別に構わないけど……」

「やったー! じゃあここ座るね!」

 野際くんは文字通り手を上げて喜んで、玲奈の隣に腰掛けた。恭平は何も言わずに私の隣に座る。

「あーもう、宮部さんのメイド姿ほんっと可愛いね!」

「あ、えっと……」

「いやいつも可愛いんだよ? 可愛いんだけど今日は特別可愛い!」

「……ありがとう」

 野際くんに玲奈はタジタジだった。

 やっぱり、野際くんは凄い。そして野際くんの無邪気な笑顔も、玲奈に負けず劣らず可愛かった。

「あー疲れた」

 ぼやくように恭平が言う。差し出された恭平のグラスにジュースを注いであげながら、私も笑った。

「本当お疲れ様、恭平。大人気だったね」

「当たり前だろ? 俺だぜ、俺!」

「はいはい。でも凄かった、恭平意外と接客上手いんだね」

「意外とは余計だっつの」

「あはは」

 恭平と下らないことを言い合うのも、結構気が休まるものだ。

『さっき高倉さんを連れていった子、大切にしてあげなよ』

 不意に、中西くんの言葉が蘇る。私はハッとして、恭平の横顔を眺めた。

 勿論、大切にしない、つもりはない。どんなに憎まれ口を叩き合ったって、恭平は私の唯一の幼馴染だから。何だかんだ恭平のことはよく知ってるつもりだし、これからもこんな距離感でいられたら、きっと毎日、楽しいと思う。

 それから、恭平と玲奈と野際くんと下らないことを言い合った。どんなお客さんがいただとか、他のクラスの出し物がどうだっただとか。お菓子を摘みながら笑い合っていると、なんだか今この瞬間が凄く充実したものに思えた。

 そんな時だった。目線を動かした先に映った相沢くんが、教室を出ていくのを見てしまったのは。

 どこに行くんだろう。そう思って、自然に立ち上がっていた。すると、恭平に手を掴まれてしまう。

「おい、どこ行くんだよ」

「あの、相沢くんが出ていったから、どこ行ったのかなって」

「んなのどうでもいいだろ」

「でも……」

「お前は俺と喋ってんだろ? 勝手にどっか行くんじゃねぇ」

 恭平の言う通り、会話の途中でその場を離れるのは良くないことだ。でも相沢くんも放っておけなくて、考えると、閃いて恭平の肩を叩いた。

「そうだ、恭平も行こう!」

「はあ? 相沢に近付くのなんか嫌だっつうの」

「そんなこと言わないで、ほら!」

 私は無理矢理恭平を立たせて、教室の外まで引っ張っていった。廊下には他のクラスから漏れる賑やかな声が響いている。

「どこ行っちゃったんだろう……」

「知らねぇよ。ほっとけって言ってんだろあんな奴」

 遠くの方まで目を凝らして見る。すると、今の時間は使われていないはずの学習室から、微かに明かりが零れていた。もしかしたらあそこかもしれない。

「行こう!」

「ふざけんなよお前……!」

 そう言いながらも、恭平は付いてきてくれた。

 ドアの外から学習室を覗くと、そこには確かに相沢くんがいた。一人で、本を読んでいる。

「相沢くん……」

「こんな時まで一人で本読んでんのかよあいつ。バッカじゃねぇの」

「教室は、楽しくないのかな」

「楽しくねぇから出てきたんだろ。もう戻ろうぜ」

 恭平に再び手を掴まれるけど、そこを引かれる前に私は学習室のドアを開けてしまっていた。相沢くんが顔を上げて私たちを見る。それから、相沢くんは眉をひそめた。

「なに?」

「あの、えっと……何で教室を出たのかなって」

「何でって言われてもね」

 相沢くんは本に栞を挟んでから、そっと閉じた。

「俺らがうるせぇからだろ」

「恭平!」

「それも、ないとは言えないけど」

 相沢くんは真っ直ぐに私たちを見ていた。その強い瞳に、心臓が脈打ってしまう。

「ああいう場にいると、大体僕のせいで雰囲気が壊れるから」

「え……?」

「僕がいない方が皆楽しめるだろうと思ったまでだよ」

 とても辛いことを言っているはずなのに、相沢くんは悲しそうにもせずにいた。

 相沢くんがそんな風に考えているなんて、知らなかった。でも相沢くんが言うのだから、今まで何度かそういう経験をしてきたのだろう。相沢くんは自分が嫌だからじゃなくて、皆のために一人になったんだ。

 私は、ぎゅっと胸を押さえる。

 でも相沢くん、それは違うよ。たった一人でもクラスメイトが揃っていない打ち上げや行事なんて、楽しいはずがない。そんな状態で良い思い出なんて作れるはずがないよ。相沢くんがいなければ悲しい思いをする子だって、いるんだよ。少なくとも、ここに一人は。

「……あのね、相沢くん」

「バッカじゃねーの」

 私が口を開く前に、恭平は堂々言い放って相沢くんに歩み寄った。そして相沢くんの腕を引き強引に立たせている。

「恭平……!」

「お前ってさ、人生つまんねぇだろ」

「なにそれ。どういうこと?」

「自分がいねぇ方が良いなんて考え方してて楽しいのかよって言ってんだよ」

 意外な恭平の発言だった。口は悪いけど、言葉自体は相沢くんを思いやっている。

「戻れ。お前一人如きが悪くする雰囲気なんて俺が変えてやる。ついでにお前のことも楽しませてやるよ」

「……どういう風の吹き回し?」

「お前があまりにもムカつくこと言うから反抗したくなったんだよ」

 恭平は素直じゃない。でもこれまでのように二人の間に尖った空気はなく、今はどこかほんの少し丸くなっている。今だけかもしれなくても二人の距離は縮んだ気がして、私はそれが嬉しかった。

「そうだ……!」

 私が声を上げると、恭平も相沢くんも此方を見た。私はポケットからカメラを取り出す。

「しゃ、写真撮らない? 三人で」

「はあ?」

「写真?」

「そう! ほら、せっかく文化祭用の服着たままなんだし」

 訝しげに私を見つめた二人に、取り繕うようにして言う。その中には、相沢くんの執事姿をこの手に収めたいという私の欲が見え隠れしていた。

「悪いけど、僕はいい。撮ってあげるから、立原くんと二人で撮りなよ」

「そ、それじゃ駄目なの!」

 相沢くんが写ってくれなきゃ意味がない。このカメラを用意したのは玲奈のメイド姿を撮影するためと、相沢くんの執事姿を撮影するためなんだから。

「ほらこのカメラね、時間予約出来るからシャッター押さなくても大丈夫なの。だからね、三人で。……どうかな?」

「いいんじゃね。相沢と写るってのはムカつくけどな」

 思いがけず恭平が助け舟を出してくれる。私もその勢いに乗って、教卓にカメラを固定しカメラワークに回り込んだ。

「ほら恭平!」

「へいへい」

「相沢くんも」

「僕は……」

「シャッター切れちゃうから!」

 私が真ん中に立ち二人の腕を引いてカメラに写りこませた。その瞬間にシャッター音が響く。確認すると、しっかり三人とも写っていた。

 恭平はどこか素朴な顔をしてカメラに目を向けている。私は相沢くんに触れているからか、顔が赤くなってしまっていた。それでもきちんと笑えているから良しとする。そして相沢くんはといえば、カメラを向いてすらいなかった。横顔で仏頂面だけど、だからこそどこか可愛くて、愛おしくて、ずっと眺めていたくなる。

「相沢くん、後でこの写真渡すね!」

「そんなことしなくていいよ」

「ううん、あげないと満足出来ないから」

「春花、俺には?」

「勿論恭平にもちゃんとあげるよ」

 相沢くんに渡すのを断られてしまうのは想定の範囲内だったけど、恭平がちゃんと欲しがってくれたことは嬉しかった。

「相沢のところだけ切り取って、思いっきり落書きしてからぐちゃぐちゃにして捨てるわ」

「陰湿な嫌がらせだね。下らない」

「下らなくねぇよバーカ」

「下らないよ。……高倉さんの写真が欲しいならそう言えばいいのに」

「ばっ……! お前なに言って!」

「うん? だからあげるよ、私の写真」

 二人にそう言うと、きょとんとした顔で見られてしまった。それから二人同時に溜息を吐かれてしまう。

「あ、あれ? 私の写真って、私が撮った写真のことだよね?」

「違うよ高倉さん、そうじゃなくて……」

「おいてめぇ言うんじゃねぇよ! ふざけんなっつうの!」

 恭平が相沢くんの口を塞ぐ。でも相沢くんはすぐにその手を払って恭平を睨んだ。

「暴力に走るべきではないよ立原くん」

「は? 元はと言えばお前が悪いんだろうが」

「僕が何をしたって言うんだ」

 いつもの二人の応酬なのに、いつもとどこか違う。何だか友達になるに向けて一歩進んだような、そんな感覚だ。

 やっぱり、行事って人と人を近づける良いものだよね。

 これを機にもう少し相沢くんと皆が仲良くなれていたら、良いな。

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