文化祭準備
六月に入って、文化祭当日まで秒読みとなった。自分の班の準備に加えてクラスのまとめ役もこなさくてはいけないから辛いけど、玲奈、そしてクラスの皆のためだと思えたら頑張れる。そう意気込んでなんとかここまで来た。あと、もう少しだ。
今日は放課後、恭平と一緒に、私たちの家の近所にあるケーキ屋さんへ足を運んだ。私たちの班は食品担当で、メニューに揃える甘い物や飲み物を手配している。目玉になるケーキは、私が幼い頃からお世話になっているお店に頼んだ。常連だからと快く引き受けて下さって、本当に有難い。
「さあさあここに座って。今メニュー表持ってくるわね!」
ケーキ屋のおばさんがお店の奥に通してくれる。私と恭平はソファに座って、おばさんが戻るのを待った。
お店に漂う素敵な香りはここまで広がってきている。ケーキ屋さん独特の、あの匂いだ。様々なケーキやマフィン、マカロンのとろりとした甘さを思うと、それだけで頬が落ちそうになった。
「懐かしいな。ここ来るの何年ぶりだ?」
「恭平はそうかもね。私はもうずっと通わせてもらってるけど」
恭平は周りを見渡してそわそわと落ち着かないようだ。
小さい頃から甘い物が大好きな恭平は、地域の商店街の中でもこのケーキ屋さんが特にお気に入りの場所だった。毎日のように私を誘って押しかけて、図々しくケーキをせびっていた。おばさんも人が良くてでタダで試食させてくれたりして、今考えると申し訳なかったと思う。勿論、きちんとお金を払った時もあるけど。
「はいはい、これがメニュー一覧ね!」
おばさんがクリアファイルに収められた資料を持ってきてくれる。そこには様々なケーキの名前と写真、アレルギー成分などが事細かに書かれていた。
「何種類でも好きなの選んでね。春花ちゃんのお願いならおばさん何でも聞くから!」
「あはは、ありがとうございます!」
どれも魅力的で美味しそうで、目移りしてしまう。ケーキばかりを出すわけにもいかないから四つ五つくらいに絞らなくてはいけないのに大変だ。
あれも良いこれも良い、こっちも、なんて恭平とメニューを見ながら話をしていると、おばさんがニコニコとしながら私に言った。
「ところで春花ちゃん?」
「はい?」
「隣にいる子は彼氏なのかしら?」
「ええ!?」
突然の質問に素っ頓狂な声を上げてしまう。その動揺を肯定と捉えたのか、おばさんは更に笑みを深く湛えた。そんなおばさんに、私よりも先に恭平が否定する。
「違いますよおばさん! 俺、恭平です。覚えてません?」
「恭平……? あらま、まさかあの恭平くん!?」
「あのかどうか分かりませんけど、そうです。立原恭平です」
恭平の言葉に、おばさんが感心したように頷いた。恭平の場合、小学生の頃とは身長は当たり前のこと顔つきも変わってるから、分からないのも無理はない。私も入学式では分からなかったわけだし、その感覚はとてもよく分かる。
「恭平くんなら恭平くんって早く言ってくれればよかったのに! もうすっかりイケメンになっちゃってー!」
「あざっす」
「それでまた、春花ちゃんと同じ学校で同じクラス?」
「偶然ですがね」
イケメンと言われて調子に乗ったのか、恭平は無意味にカッコつけて言った。思わず失笑してしまったのを、恭平が聞きつけ睨んでくる。
「お前今鼻で笑っただろ!」
「べ、別に笑ってないけど……?」
「ぜってぇ笑った! すっげぇムカつく!」
私と恭平がいがみ合うのを見て、おばさんは止めることもなくニヤニヤと私たちを見ていた。そんな視線が気になって、私はおばさんを向く。
「おばさん、どうかしました?」
「運命って……やつなのかしらね……」
「へ?」
「貴方たちよ! 幼馴染と偶然再会なんてドラマの世界だけだと思ってたけど、本当にあるものなのねぇ」
おばさんの目が完全に恋話を語るお母さんのそれと同じで、私は苦笑いを浮かべるしかなかった。そういえばおばさんとお母さんは、度々恋愛ドラマをあれこれと語り合っている友達だった気がする。
「残念ですけどおばさん、運命なんて綺麗なもんじゃないです。こいつなんて憎らしさと馬鹿さ加減だけが増してて、可愛気の欠片もないんで!」
「なっ……それを言うなら恭平だって精神年齢があの頃と全然変わってない子供じゃない!」
「俺のどこが子供なんだよ!」
「あらもう、その喧嘩の仕方もそっくりだわ! 貴方たち変わってないわよ。見てて微笑ましいったら!」
おばさんは頬に手を当て笑っていた。そういえば、小学生の時はタダで恵んでもらおうとする恭平を注意してお店の中で頻繁に喧嘩をしてしまっていた気がする。今思えばはた迷惑な話だ。
「この商店街の人たちは皆貴方たちのこと見守ってたのよ。でも恭平くんが突然引越しってことになっちゃったからねぇ。寂しくなるなって嘆いたものよ」
「俺がいなくなって寂しかったんすか?」
「そりゃそうよ! 二人があまりにも仲良いから、将来は結婚までいくかーって話をしてたのにってね」
「け、結婚!?」
そんな話まで出ていたとは流石に知らなかった。行く先々で喧嘩ばかりして面倒を掛けていた私たちだったのに、結婚だなんて。確かに私は恭平が好きだったけど、そんな雰囲気は全くなかったと思うのに。
「ありえねぇ! おばさん、春花と結婚なんて想像しただけで寒気がするし、上手くいくはずないですから!」
「さ、寒気がするって何!? 私だって恭平みたいな短気で馬鹿な男は嫌だもん!」
「はあ? んだよその言い草。本当お前すっげぇムカつく!」
「ほらー! その恭平くんのすっげぇムカつくって言い方もそのまま! 恭平くん、怒ると必ず言うのよね!」
思いがけず指摘を受けた恭平が、言い淀んだ。確かに、言われてみれば恭平が怒る時の口癖みたいなものだ。すっげぇムカつく、は。
「あの頃から夫婦漫才かしらって言われてたんだからねぇ。どうなの、そこらへん?」
「どうなのって、別に何もないですよ。春花より可愛い女子なんて幾らでもいるし、言っちゃなんですけどぶっちゃけ俺選び放題ですし」
「顔だけ良くても恭平のその性格じゃ駄目なんじゃない?」
「ブスに言われたくねぇわ。態度悪いのは女として意識してないお前に対してだけだわバーカ!」
「私の方こそ意識してないし、恭平と結婚なんてあり得ないって思ってるもの! それに私には好きな人がいるんだから!」
私が言い放つと、不意に恭平は私から目を逸らした。いじけたように俯きながら、小さな声で呟く。
「……知ってるっつうの!」
こんな風に、私と言い争う最中急に恭平がしおらしくなることが最近多い。そんなことをされると私も拍子抜けしてしまう。私との言い争いに負けたからだというわけでもなさそうだし、何故なのか未だに分からないのだ。
でもおばさんは私たちの様子を見て、何かを理解したかのように頷いた。
「あらあら。分かったわ、貴方たちの事情が」
「え……?」
「まあとにかく、ケーキを選んで頂戴! 味見させてあげるから!」
「本当すか!」
途端に恭平が元気になる。この変わりようは面白いけど、呆れてしまったりもする。
それから幾つかケーキを選んで、味見をさせてもらった。アレルギー成分などのバランスも考えつつ、当日発注してもらうケーキを決定した。
「じゃあこれとこれとこれと……これもお願いします」
「分かったわ、春花ちゃん」
「ありがとうございます!」
お礼を言って、立ち上がった。お店の方へ出て、お返しにとケーキを買うことにする。ショートケーキ、モンブラン、チーズケーキなど、ケースの中できちんと並んでいるケーキたちを選んでいると、おばさんが私に囁いてきた。
「春花ちゃん」
「何ですか?」
「貴女も、罪な女ねぇ!」
「へ?」
おばさんの視線の先を辿ると、目を輝かせながらケーキを眺める恭平がいる。
「恭平くんも良い男じゃない? どうなの?」
「どうなのって……私も恭平もお互い喧嘩仲間みたいなものですし……」
「そうかしら?」
「それに、悔しいけど恭平の言う通り私より可愛い女の子なんて沢山いますから。恭平は私なんてアウトオブ眼中ですよ!」
自覚はある。自分が、可愛くない女の子だってこと。だからこそ意識してもっと可愛気のある子にならなきゃいけないのに、恭平相手だとどうしても乱暴になってしまうのだ。相沢くんの前だけで女の子らしくしても、相沢くんにはきっとすぐ見抜かれてしまうのに。いや、この間喧嘩しているところを見られてしまったし、もう手遅れかもしれないな。
「そうかしらねぇ? そうとも限らないんじゃない?」
「あの、なに笑ってるんですかおばさん?」
「青春の香りを感じるからよ!」
「おい春花早く選べ! おばさん、会計お願い!」
恭平に呼ばれてレジに行く前に、おばさんは私にウインクを飛ばした。何のことだか分からなくて、私は首を傾げる。
そうとも限らないって、恭平が私を意識するかもってこと?
疑問を抱えながらじっと恭平を見つめていたら、なんだよ、と睨み返されてしまった。私は慌てて瞳を逸らして、小さく溜息を吐いた。
ケーキの購入を終えると、おばさんに挨拶してお店を出た。恭平はたった今買ったマドレーヌを歩きながら貪っている。
「明日からまたクラスの作業かー。面倒くせぇな」
「玲奈と野際くん、今日二人だけで仕切ってるけど大丈夫かな……」
「まあ、毎回揉め事起こす問題児な班があるからな」
「なによ、その言い方」
「協調性のない奴がいると足手まといにしかならねぇって話だよ」
恭平が言っているのは一班のことで、大道具を担当している班のうちの一つだ。何故この班が問題を起こすかと言えば、原因の一つに相沢くんがあることは残念ながら否定出来ない。完璧主義の相沢くんは、当日が迫って当初の計画を簡略化する班の皆に納得出来ず、衝突してしまっているのだ。やるからにはきちんとやろうとする相沢くんの気持ちも分かるし、間に合わなかったら元も子もないとする他の子たちの気持ちも分かるから仲裁も難しい。いつもは私が何とか収めているけど、今日はどうしているだろう。
「お前が相沢にガツンと言わねぇからいつまでも駄目なんだよ」
「何もしない恭平に言われたくない! そう言うなら恭平が間に入ってよ!」
「無理。相沢に関わりたくねぇし」
「だからそういう言い方しないでってば!」
文化祭まであと一週間もない。何とかそれまでにお互いが納得出来る解決法を見つけ出さないと。当日は、皆が楽しい気持ちでやれるようにしたいから。
「もう少しなんだから、恭平も協力してね」
「春花が相沢のこと甘やかしすぎなんだよ。そういうの贔屓って言うんだぜ?」
「わ、分かってるよ! 分かってるけど……」
相沢くんだから、って思わない時がないとは言い切れないけど、だからと言って相沢くんの肩ばかり持っているつもりもないのに。それとも端から見たら、中途半端な仲裁になってしまっているのかな。もしそうだとしたら、なんて失礼なことをしてしまっているんだろう。
「好きだからって特別視すんなよ。俺みたいに言うときゃは言わないと駄目なんだっつうの」
「え。恭平、好きな人いるの?」
「……なっ!」
口を滑らせたとばかりに恭平が手を口許を当てる。弾みで、ぽろぽろとマドレーヌの欠片が零れ落ちていた。
「なに? どんな子なのよ?」
「お、教えねぇよお前なんかに! つうか好きな奴なんていねぇから!」
「今更誤魔化しても無駄です。いいじゃない、別に誰なのか聞いてるわけじゃないでしょ?」
「教えねぇ!」
恭平はそっぽを向いて、マドレーヌの袋を乱暴に鞄に仕舞った。
怪しい。でも、誰だろう。可愛い子と言ったら、玲奈……ではないよね。野際くんのこと応援してるみたいだから。うーん、恭平と仲良い子なんていっぱいいるし、特定は難しいみたいだ。
「ま、そのうち分かるかな。恭平、分かりやすいし」
「お前には絶対分かんねぇよバーカ!」
「あ、またその言い方!」
こんな憎たらしいのに、恭平には何だかんだできっとすぐ彼女が出来てしまうだろう。顔が良いのは否定出来ない事実だし、私以外の子には優しいみたいだし。それに比べて私の恋は、叶う見込みなんて全くない。
嗚呼、おばさん。私と恭平の間にはやっぱり、恋なんて生まれ得ないです。
***
翌日、いよいよ文化祭まであと三日となった。準備にも益々熱が入ってきている。校内は放課後を過ぎても、あたふたと騒がしい。
「前日には段取りなどの確認をしたいので、内装や必要な物は今日と明日で仕上げるようお願いします」
玲奈が声を張ってクラス中に呼びかけている。最初は自信なさそうだった仕切り役も、だいぶ板についてきた感じだ。野際くんもピリピリしがちなこの空間を持ち前のマイペースさで和ませている。
私と恭平は自分の班の作業を進めつつ、実行委員に頼まれたことを手伝っていた。私たちの班は手配の最終確認が終わると、それぞれバラバラに他の班の手伝いに回った。
「お前、昨日は衣装班に言ってなかったか?」
作業中に出たゴミの分別作業をしていると、内装の組立てを手伝っていた恭平に問われた。私は作業の手を止めずに答える。
「今日はこっちに来たの」
「何でだよ。まだあっちの方が大変だろ?」
「それは、そうなんだけど……」
衣装作成から簡単な雑用作業に回ってきた理由。察して、と思ってしまうのは流石に我儘かもしれない。
「……私がいると、逆に作業進まなくなっちゃうから」
「は?」
「だから! その……仕上がりがみすぼらしくなっちゃうの。私が作ると……」
恭平から目を背けながら答えると、一拍置いて大笑いされた。一瞬、クラス中の注目が私たちに集まる。
「ぶはっ、そういや春花は底なしの不器用だもんな!」
「そ、底なしって……!」
「昔っからそうだったわ。家庭科も美術もてんでセンスがねぇんだよなお前!」
私が言い返せないのをいいことに酷い言い様だ。頬が熱くなってしまっているのが、自分でよく分かる。
私は工作とか裁縫、料理など手先の加減が物を言う作業が、本当に苦手なのだ。例えば公園の砂場で遊んでいる時、恭平は立派なお城を作っているのに私は何を形にしてるのか自分でも分からなくなるくらい下手くそで、その度からかわれていた。直そうと思ってお母さんに習ったりしてみても結局上手くいかなくて、途中で投げ出してしまうのがいけないのだけど。
「やっぱり、そろそろ本気で直さないとだよね……」
「いいんじゃね? 不器用じゃねぇ春花なんて春花じゃねぇし」
「……なんかそれ、凄く複雑」
本当に私、何も取り柄がないんだな。何だか悲しくなってくる。
一旦作業が終わったところで玲奈に報告する。玲奈は教卓の前で、自分の班作業とクラスの総括資料まとめと、慌ただしそうにしていた。
「玲奈、これ」
「ああ。ありがとう、春花」
「大丈夫? 私も何かやるよ」
「悪いわよ。春花には一班の仲裁とか全部任せちゃってるし……」
「そんなの全然苦じゃないから! あ、そういえば昨日どうだった? 一班の人たち」
「それがね……」
玲奈が口を開きかけた時、バン、という大きな音が突然教室中に響いた。驚いて目を向けると、そこでは一班の伊藤くんと相沢くんが対峙している。二人の間には、今までにないくらい険悪な雰囲気が流れていた。
「お前さ、いい加減にしてくれよ!」
「…………」
「もう時間がねぇんだよ! そんなことしてたら間に合わねぇからこっちだって仕方なく計画変えてんの分かるだろ!?」
教室の皆が静まって二人を見守っていた。間に入って落ち着かせなきゃと思うのに、何て声を掛けたらいいか分からず、足が動かない。
「立てた時は出来ない計画じゃなかった。本気でやれば出来る」
「出来ねぇから言ってんだろうがよ! 何でいっつもお前は班の邪魔するんだよ!」
「別に邪魔してる覚えはないよ」
「お前が口出すだけで邪魔なんだよ。お前がいると作業が進まねぇんだ!」
その言葉を聞いて、流石にまずいと思って駆け寄った。クラスの団結が必要なこの時期にクラスメイトをいらない存在だとするのは、行事の失敗にも繋がってしまうような気がして。
「ま、待って伊藤くん。落ち着いて。ね?」
「高倉さん……。でも、相沢がっ」
「……僕がいない方が、良いんだね?」
相沢くんが呟いた。私は、ハッと相沢くんの方を見る。相沢くんはあくまで冷静な表情を崩していなかった。
「僕がいない方が作業が進むんでしょ?」
「ああそうだよ!」
「い、伊藤くん! そんな言い方っ……」
「分かった」
相沢くんはそう言うと、自分の鞄を持って教室を出ていった。しばらく、沈黙が教室を支配する。
追いかけなきゃ。自然にそう考えて走り出そうとした時、誰かが私の腕を掴んだ。恭平だった。
「恭平……!」
「ほっとけあんな奴。少し頭冷やした方が良いんだよ」
「でもっ……」
恭平の目は真っ直ぐだった。いつになく真剣な様子で、本気なのだと分かった。それでも私は相沢くんを放っておけなくて、恭平のその手を振り払う。
「春花っ」
「ごめん。やっぱり私、相沢くんを追いかける」
そう言ってから、先程相沢くんが出ていった方のドアへ駆け寄った。足を廊下へと踏み出しかけてから、言っておきたいことを思い出して、一班の子たちに振り返る。
「伊藤くん」
「なに、高倉さん。俺間違ってるなんて思ってねぇから」
「うん。伊藤くんが言いたいことも凄くよく分かるよ。文化祭を成功させたいって思ってくれてることも。……でもね」
これは私の推測に過ぎないけど、でもきっと相沢くんはそう思ってくれているはずだ。だってあの時、中学の時、黒板の前で困っていた私に気付いて助けてくれた相沢くんだもの。
「相沢くんもね、皆と一緒なら出来るって思ってるからああ言ったと思うの。皆のことを信じてるから、ちょっと無茶なことも、言っちゃったんじゃないかな」
相沢くんが皆のことを見下してるなんて、そんなはずない。相沢くんは皆のことを認めているからこそ、時に大変なことも要求してしまうんだ。何となくだけど、そう思う。きっとそうなんだよ。
「行ってくるね」
教室の皆にそう告げてから、相沢くんを追いかけた。鞄を持っていったことからすると、家に帰ろうとしているのでは思い、下駄箱の方へと走る。玄関に着くと既に相沢くんは外を歩いているのが見えて、慌てて靴を履いて飛び出した。
「相沢くん!」
声を張って呼びかけると、相沢くんは立ち止まって私の方へ振り返ってくれた。おかげでどうにか追いつくことが出来る。
「高倉さん……?」
「相沢くん待って、ちょっと話そう?」
切らした息を整えながらそう伝える。相沢くんは少し眉をひそめていた。
「何で高倉さんと話さなきゃいけないの?」
「そ、そんなこと言わないで、ね? お願いしますっ……」
頭を下げると、間を置いて相沢くんは了承してくれた。ベンチのある中庭まで歩き、微妙な間隔を空けて二人腰掛ける。
ああ、クラスの皆のための真面目な話をしなければいけないのに。相沢くんが隣にいると思うと、それだけで緊張して心臓が破裂しそうになる。本当にもう、情けないんだから。
「何で、僕なんか追いかけてきたの」
何から切り出そうか迷っていると、相沢くんがポツリと言った。
「学級委員だからって君が責任感じる必要ない。皆のところに戻りなよ」
「そんな……出来ないよ。相沢くんを置いていくなんて、出来ない」
「……何で?」
問われて、答えに困ってしまった。
相沢くんが皆に誤解されたままでいるのが嫌だった。それが本音だけど、本人の前で言ってもいいことなのか分からない。
「僕に同情でもしてるの?」
「ち、違うよ! あの、私ちゃんと相沢くんの考えを聞いてなかったから、聞きたいなと思ったの。駄目、かな?」
完全に本心というわけではないにしても、この言葉も嘘ではない。相沢くんの考えを理解することが、分かり合うことにも繋がっていくと思うから。
相沢くんからの返答を待っていると、不意に風が吹き抜けた。六月の風は、もう夏の匂いを帯びている。生暖かくても、鬱陶しさは感じない風。それが、緊張で固まる私の心を溶かしてくれた。
「……いつも、ああなんだ」
相沢くんが、静かに言った。
「計画通りにやろうとしないことが許せなくて、行事のたびに皆と衝突する。少なくとも僕が関わって立てた計画は、出来るはずのことしか取り入れてない。それなのに皆、どんどん簡単な方へと進んでしまう」
「相沢くん……」
「皆の言ってることが分からないほど馬鹿じゃない。でも楽して妥協して、そんなのじゃ例え間に合ったとしても、最終的には何も得られないのに」
思った通り、相沢くんは相沢くんなりに真剣に参加してくれていた。皆とやれば出来るはずだからとしっかりとした計画を立ててくれて、実行してくれようとした。皆の力を、皆を信じていてくれた。でもそれが、すれ違いを生んでもいた。
「ありがとう、相沢くん」
「何言ってるの、高倉さん」
相沢くんが不審そうな目で私を見る。私はしまったと思ってあたふたと手を動かしながら、言葉を続けた。
「あ、相沢くんが真剣に考えていてくれたことが嬉しくて。それで、ありがとうって」
「当たり前でしょ。クラスでやり遂げることなんだから」
相沢くんは淡々としていた。相沢くんの言葉に、きっと嘘はない。
ねぇ、皆。見下してるような人たちと一緒にやることに、こんなに真剣になって取り組めるものなのかな。私はそうは思わない。相沢くんは皆を見下してなんていない。相沢くんは、正しいと思ったことを通しているだけなんだ。
「もう揉めていられる時期じゃない。僕がいない方が良いならそうしようと思っただけだ。高倉さんも早く戻って自分の作業しなよ」
「ま、待って!」
立ち上がった相沢くんの半袖を思わず掴んで引き止めてしまった。自分が相沢くんに触れていると気付くと、途端に顔が火照り出す。ゆっくりと袖を放した。
「なに?」
「あ、あのね。計画通りに頑張ろうとしてくれる相沢くんも、間に合わなくて中途半端な作りにはしたくない伊藤くんや他の子たちも、皆同じだと思うの……!」
「……同じ?」
相沢くんが再びベンチに座ってくれる。私に向き合って、私の話を聞いてくれた。
「文化祭を成功させたいって思ってくれてる気持ちは、同じじゃないかなって」
皆の気持ちは一つになれている。あとはきっかけさえあれば、必ず分かり合えるはず。そのきっかけを提供することが、私に出来ればいいのに。
「だから、もう一度話し合ってみてはくれないかな? そうすればきっと……きっと大丈夫だから」
誰にも悪気があったわけじゃない。中途半端な気持ちで衝突し合ったわけじゃない。だから相手のことが分かれば、解決策も見えてくるはず。
「お、お願いします!」
私は頭を下げながら手を合わせて、相沢くんに嘆願した。私なんかのお願いを聞く義理なんて相沢くんにはないけど、クラスを思ってくれている相沢くんなら、きっと。
「あのさ、何か誤解してない?」
「へ?」
あっさりとした相沢くんの語り口に、一瞬思考が止まってしまった。もう一度相沢くんを見ると彼は腕を組んでいる。
「僕は別に話し合いたくないわけじゃないし、むしろそうした方が良いとは思ってるよ」
「じゃ、じゃあ……」
「でも僕がいない方が良いと言ったのは伊藤くんたちの方だ。そんな彼らが僕と話し合う気になるとは思えない」
「そ、そんなことないよ!」
ああ、ついまた根拠のない否定をしてしまった。相沢くんには見抜かれてしまっているだろうな。
「どんなに自分は悪くないって思ってても、やっぱり胸の奥底にはもやもやとしたものが残ってる。私もそういう経験あるから……皆もたぶん、そうじゃないかな。相沢くんから行ってあげたら、解決の足がかりになると思うの」
私ったら、何を相沢くんに偉そうなことを言ってるんだろう。
いやよく言った、私もやれば出来るじゃない。
頭の中では色々な私が、ああだこうだと声を上げている。クラスの皆に落ち着いてって言ったくせに、一番落ち着けていないのは私だ。
「い、嫌なら引っ張ってでも連れていきます!」
私が言うと、相沢くんは深い溜息を吐いた。しまった、でしゃばりすぎてしまったか、と後悔する。でも相沢くんは、言ってくれた。
「分かった。戻るよ」
「相沢くん……!」
「引っ張って連れていかれるんじゃ困るからね」
相沢くんは立ち上がると、真っ直ぐ玄関へと戻り始めた。私も遅れないようにと付いていく。
「ありがとう、相沢くんっ」
「高倉さんもよくやるよね」
「え?」
「僕のところに直接お願いに来るような子、君くらいだよ」
それを聞いて立ち止まった私を置いて、相沢くんはさっさと玄関へ入ってしまった。
これって、褒められてるの? いや、そんな感じではないか。でも。
『君くらいだよ』
相沢くんのその言葉が、私の中でいつまでも響いていた。相沢くんの世界で、私という存在が少しでも特別なものになれたかもしれない。そう思うと、私は込み上げてくる喜びを噛みしめるのに精一杯だった。
***
相沢くんと私の二人で教室に戻る。ドアを開けた瞬間、クラスの皆のハッとしたような視線が私たちに送られた。
「み、皆……」
私が何か言う前に、相沢くんは歩き出す。そして呆然としている伊藤くんの前に立った。
「伊藤くん」
何を言うのか、と皆がその様子を固唾を飲んで見守っている。
大丈夫。相沢くんなら絶対、大丈夫。自分に言い聞かせるように、私はそう心の中で繰り返した。
「ごめん」
そう言って頭を下げた相沢くんに、伊藤くんだけでなく皆が目を見開いていた。まさかこれほどストレートに切り込んでいくなんて予想もしていなかった私も、思わずポカンとしてしまう。
「僕は間違ったことを言ったとは思わない。が、少し頑なすぎた」
「相沢……」
「皆なら出来るはずなのに何でやろうとしないのか、それが分からなかった。でも、もうそんなこと言ってる場合じゃない。だから邪魔にならない程度に僕もやるよ」
それから相沢くんはクラスの全員を見渡して、頭を下げた。
「お騒がせして申し訳ない」
相沢くんはいつだって真面目だ。正しいことを相手に求めるし、自分も正しいことをしようとする。多少なりとも自分に非があったと思ったら、逃げ出さずに謝る。相沢くんの姿勢は凄く魅力的で、見習うべきだ。
相沢くんに対し、皆の反応は様々だった。友達と顔を見合わせる子や、気に食わないと言いたげに顔を歪める子、申し訳なさそうに俯いている子もいた。人それぞれ受け止め方は違っても、相沢くんの言葉を聞いてくれた皆なら、少しは相沢くんへ抱く印象も変わってくれたんじゃないかと思う。願わくは、それが良い方向に転がっていますように。
「……はは。相沢に謝られるとか、調子狂うわ」
伊藤くんが額を手の甲で押さえながら言った。それから彼は、しっかりと相沢くんを見る。
「やろうぜ。お前の計画通りに」
「え?」
「出来るはずのものをやらねぇで俺らはその程度なんだって思われたくねぇし。死ぬ気でやれば何とかなるだろ」
伊藤くんの意見に、一班の他の子たちも賛成のようだった。ぎこちない微笑みを相沢くんに向けている。
皆が相沢くんの計画に従おうと言ってくれるなんて、流石に予想していなかった。相沢くんの言葉が、皆の考え方を変化させたのだろうか。
「それじゃ、駄目だ」
呟いた相沢くんに、再びクラス中が緊張に包まれる。
「駄目って、何でだよ?」
「今こうしている間に、時間を大きくロスしてしまった。最初の計画じゃもう間に合わない」
「それじゃ……」
「だから、僕がもう一度計画を立て直す。必ず間に合う、完璧な計画を」
自信ありげに相沢くんが言うと、一瞬置いて伊藤くんは笑った。
「今日中に仕上げろよ」
「十分あれば充分だよ。君は今の作業に戻って」
「はいよ」
相沢くんに指示された伊藤くんが、ぐるりと皆の顔を見渡した。そして先程の相沢くんのようにして、ぺこりと頭を下げた。
「悪い。迷惑かけた。皆、自分の作業に戻ってほしい」
伊藤くんは歯を見せて笑っていて、わだかまりも何も残ってはいなそうだった。皆も安心したらしく、それぞれ自分の作業に戻っていく。
良かった、本当に良かった。私は安堵した。すると自然に、頬が緩んでしまった。
「ありがとう高倉さん。相沢を連れ戻してきてくれて」
伊藤くんがわざわざ私のところに来て、そう言ってくれた。
「そんな、お礼言われるようなことじゃないよ。それに相沢くんは自分の意思で戻ってきてくれたの」
「そっか。……ちょっと待って」
伊藤くんは自分の鞄から何かを取り出して、私に渡してくれた。それは一粒の飴玉だった。袋にはレモンの形をしたキャラクターがプリントされていた。
「高倉さんにはいつも世話になってたし、お礼。ショボくて悪いけど」
「ううん、伊藤くんありがとう!」
伊藤くんの笑みが、目に眩しかった。
始めは不安しかなかった学級委員の仕事も、こうして僅かばかりでも皆の力になれているのだと思うと頑張れるし、やる気も出る。これから先も長いけど、出来る限り皆の力になっていきたい。そのやりがいも誇らしさも、今日知ることが出来たから。
「……何してんだよ」
私が心の中で密かに決意を新たにしていると、恭平が声を掛けてきた。どことなく不機嫌そうな声色に、ギョッとしてしまう。
「きょ、恭平」
「伊藤と何話してたんだ?」
「飴貰っただけだよ。ほら、これ」
「ふうん……」
「春花!」
玲奈が私に近づいてくる。その顔は疲れているけど、どことなく荷が下りたみたいにスッキリとしていた。
「玲奈。ごめんね、勝手に出ていったりして」
「いいのよ、ありがとう。春花が相沢を引っ張ってきてくれなかったら大変なところだったわ」
「えへへ、そんな。玲奈や皆のためになれたなら良かったよ」
お礼を口にされるのが恥ずかしくて頬を掻く。玲奈は、そんな私にグッと顔を寄せてきた。
「れ、玲奈?」
「一つ言っておくけど。伊藤くんたちが相沢を許したのは、相沢の言葉が響いたからじゃないからね」
「え?」
相沢くんじゃないなら、一体誰の。
「春花が出ていった後、立原くんがお願いしたのよ。許してやってくれって」
「恭平が!?」
驚いて恭平を見ると、恭平は私から目を逸らして変な方向を見てしまった。唇を尖らせて、つんとしている。
「べ、別にお前のためじゃねぇからな!」
「嘘だよ。恭平ね、高倉さんのためにも許してやってくれって言ってたし!」
「おい良! んなこと言ってねぇだろ!」
「言ったよ! 恭平は言ったって」
恭平は、横から入ってきた野際くんを思いきり叩いていた。痛い、と野際くんも恭平にやり返している。玲奈と私はきょとんとしてお互いを見合った。
何で恭平が私のために? いや、本人は否定してるし違うのかな。でも野際くんは嘘吐くような子じゃないし。
まあ、何でもいいか。たぶん恭平も恭平なりに学級委員としてやれることをやってくれたんだろうから。それだけで充分嬉しいし、ちょっと見直してしまう。
「ありがとう、恭平」
微笑みかけながらそう口にする。私を見た恭平は、不貞腐れたように頭を掻いた。
「だから、お前のためじゃねぇって言ってるだろっ」
「ふふ、誰のためでもいいよ。結果的に皆のためになったんだから」
一班の作業する方へと視線を向けた。そこには計画表と睨めっこする相沢くんと、相沢くんの隣で彼に喋りかけている伊藤くんがいる。もう二人の間に冷たい空気はない。
本当に良かった。これで皆、気持ち良く当日が迎えられる。
文化祭までラストスパート、皆で頑張りたいな。