きっかけ
朝の頭髪服装チェック週間が終わると、ホームルームではいよいよ文化祭の話題が上ってきた。
正直、恭平と相沢くんの間に立ってどうにかやり遂げた先週の疲れはまだ取れていない。私の気力はほとんど使い果たされてしまっていたけど、休んでいる暇はなかった。学級委員は文化祭実行委員のサポート役として、何とか文化祭を成功させなければならないからだ。
私たちのクラスは野際くんと玲奈が学校の選考会を勝ち抜いてくれたお陰で、第一希望だった飲食部門にエントリーする資格を得た。そこまでは良かったけど、さてどんなお店をやるのか。そこが決まらない。
「はいはい! 何かやりたいことがある人は挙手してくださーい!」
野際くんは実に楽しそうに進行役を務めている。だけどその隣の玲奈は、まるで野際くんに元気を全て吸い取られてしまったかのように疲れた顔をしていた。文化祭実行委員なんて大変だもん、仕方ないよね。
「そりゃメイド喫茶でしょ!」
一人の男子が、大きな声でそう発言する。
「メイドなんて嫌よ! 執事喫茶にして!」
この強気な女の子は、山口さんだ。
「立原くんが執事をやってくれれば入賞間違いなしじゃない!」
山口さんがそう言うと、一斉に女子組が歓声を上げた。当の本人である恭平は満更でもないようで、
「何々、執事ってどんなことすんの? お帰りなさいませとか?」
と楽しげに言っている。
しかしこれで面白くないのは、勿論他の男の子たちだ。口々に皆文句を言っている。もうしばらくの間、ずっとこんな調子だった。
まとめ役の野際くんはこの状況を誰よりも楽しんでいるし、玲奈の注意を促す声は小さくて皆に届かない。誰か別のまとめ役が必要だ。
「……恭平」
「あ?」
「あんた、何か良い案ないの?」
「あったらとっくに出してるっつうの」
頭の後ろで手を組みながら、退屈そうに恭平が言う。まあ確かに、言われてみればその通りなんだけど。でも、このままじゃ……。
仕方ない。私は意を決して手を挙げた。
「あのー……」
「はい! 何ですか、高倉さん!」
野際くんに指名されると、途端に教室は静まり返った。皆の視線が私に集中しているのが分かって、痛い。
「ふ、普通の喫茶店じゃ、駄目なんでしょうか……」
「何言ってんのよ高倉! それじゃつまんないじゃない!」
自信のない声で発言すると、真っ先に山口さんから非難の声が飛んできた。私の名前の呼び方もいつもの高倉さん、ではなく、高倉になっている。
「在り来たりすぎ! 捻りがねぇ!」
「他のクラスに埋もれちゃうよ!」
バラバラになっていたはずの男女が関係なく私に非難を寄せる。思わず震えあがってしまったけど、ここで引くわけにはいかない。疲れきった玲奈のためにも、何とかまとめなきゃ。でも、代替案も思い付かないのが現実。
「ねぇ、もう執事喫茶でいいでしょ! 決定!」
「はあ!? メイド喫茶だろうが!」
それに、皆は執事かメイドかで争っていて、他の選択肢を考えるつもりはないみたいだ。もう、どうしたらいいのやら。
というか。メイドだって執事だって十分在り来たりじゃない。そうよ、どうして私ばかり責められなくちゃいけないの? 理不尽、そう理不尽だよ!
ああもう。いっそのこと。
「だったら両方やれば良いじゃないですか! 男子は執事、女子はメイドで!」
立ち上がり大声で言うと、再び教室が静まる。誰も、何一つ言葉を発さない。
しまった、やってしまった。つい勢いで、変なことを……!
「……まあ、いいかそれで」
「高倉もたまには良いこと言うじゃない」
「え?」
いいの? 本当に?
気付いたら教室は落ち着いた雰囲気に包まれていた。何がなんだか困惑しつつも、ひとまず息を吐く。意外だったけど、なんとかこの場は収まったらしい。
「じゃあ高倉さんの意見に賛成の人は拍手!」
ワッと、拍手が沸き起こった。なんだか照れくさくなって、熱くなった頬を隠すようにストンと椅子に座り直した。
「なに、お前もメイドやるわけ? 似合わねぇだろ」
手を叩きながら、恭平は私に言う。
「恭平こそ執事って柄じゃないでしょ」
「俺はなに着ても似合うからいいんだよ」
「……ああ、そうですか」
もう恭平の相手をする気力すら残っていなかった私は、軽く受け流して話を終えた。学級委員とはいえ成り行きでなったわけで、目立つことには本当に慣れていないのだ。
ふと視線を動かすと、相沢くんも小さく拍手をしてくれていた。何だか彼に認められたみたいで、凄く嬉しい。
それに相沢くんの執事姿、見れるんだもんね!
そう考えると、疲れは一気に吹き飛んでしまっていた。
***
「春花ありがとう……!」
ホームルームが終わった後、私の席へやってきた玲奈に手を握られながらそう言われる。
「いえいえ。お役に立てて良かった」
「本当に助かったわ。やっと一山越えたって感じよ……」
「ここからが本当の勝負だもんね、ファイト玲奈!」
「……ありがとう。考えただけで鬱になりそうだわ」
珍しく玲奈の愚痴が多い。本当に疲れていたんだな。
「大丈夫、出来る限りサポートするから!」
「春花が学級委員で本当良かったわ。相談しやすくて」
どちらかと言えばいつも私が玲奈を頼る側だから、こんな風に玲奈に頼られるのは嬉しい。もう、何でもしてあげたくなってしまう。
「ねぇねぇ宮部さん! 放課後どっかでお茶ついでに話し合いしない?」
「……え、ええ。分かったわ、野際くん」
「やったー! じゃあ放課後!」
飛び上がって野際くんは自分の席へと戻っていった。話し合いついでにお茶、ではなかったところが、野際くんの下心……もとい、素直さを表している気がする。
「野際くんとはどう?」
「どうって?」
「上手くやれてるかってこと」
そう尋ねれば、玲奈は肩を竦めた。
「今のところね。でも野際くん、全くマイペースでお気楽だから調子が狂うのよ」
確かにそんな感じはする。でもそんな野際くんが玲奈のパートナーだからこそ、仕事はきっちりやるタイプの玲奈もあまりプレッシャーを感じることなくいられるのかも。
「あ、先生来たわ」
玲奈が席へ戻るのと入れ違いに、湯川先生が入ってくる。帰りの挨拶を済ませて、今日も一日、無事に終わった。
***
おかしい。これはおかしい。
さっきまで、今日も一日無事に終わった、と思っていたのに。
今、私は放課後の教室に居残っている。恭平と……相沢くんと、三人で先週の委員会活動の総括をするために。私は所謂お誕生日席で、向かい合っている二人の間にいる形だ。
それにしても、この重い空気。何とかしてほしい。
「ええと、まず一日目は」
「立原くんが遅刻」
私の進行に相沢くんが答える。恭平は途端に噛みついた。
「そんなの書く必要ねぇだろうが!」
「全体の反省と整理のためにまとめているんだ。事実は事実として認めなよ」
「……チッ」
大人げなく、恭平は舌打ちをしそっぽを向いてしまった。先週で、相沢くんを言い負かすことは出来ないと学習したらしい。それは一つ大きな成長だと思うけど、不機嫌さをあからさまに態度に出すのはやはり子供っぽいものだ。相沢くんがそれを全く気に掛けないのが気に入らないんだろうけど。
「二日目までは違反者がいたけど、それ以降は見なかったね」
「そ、そうだね」
それは相沢くんの存在が大きかったと思う。とにかくじくじくと口撃するから皆の恐怖と反感を買っていると、玲奈がぼやいていた。
私は勿論、それが正論である以上注意された人は素直に認めるべきだと考えている。でもそれを玲奈に言ったら、そういうのを恋は盲目だって言うんだと返されてしまった。
「おい、早く書き終えろよ。帰りてぇ」
「う、うん。もう少しだから」
恭平然り玲奈然り、皆相沢くんを良く思っていないらしい。それが、なんだか悲しかった。
「本当鈍臭ぇな、春花は」
「ごめんってば」
苛々している恭平は丁重に扱わないとまずい。普段なら何か言い返しているところだけど、私は大人しくその言葉に従った。とにかく早く終わらせないと。何より、自分のためにも。
「何もしてないくせに、よくそんなことが言えるよね」
ピンと、再び空気が張り詰める。相沢くんの言葉には、場の雰囲気すら変えてしまう力があった。
「お、終わった! 終わったよ! さあ帰ろう?」
冷たく重たい空気を振り払うように、努めて明るくそう言った。
「じゃあ僕が提出する」
「あ、私も行くよ!」
鞄を持って立ち上がった相沢くんが私の方を見る。それだけで心臓が煩くなるのだから、本当にどうしようもない。
「そ、それで、もし良かったら一緒に帰りませんか、なんて……」
「はあ!?」
勇気を振り絞って伝えたこと。それに答えたのは、相沢くんでなく恭平だった。
「何でだよ、先に帰ろうぜ!」
「でもっ……」
「いいよ高倉さん。立原くんは僕が邪魔らしいし、僕もそんな人と一緒にいたくない。じゃあ」
「あっ」
それだけ言うと、相沢くんはすぐに教室を出ていってしまった。ドアがぴしゃりと閉じられる音が響いて、どことなく置いてけぼりにされた気がしてしまう。
「何だよあいつ」
「もう! 何であんな言い方するの!」
「何で? ムカつくからに決まってんだろうが。ほら、帰るぞ」
恭平はさっさと廊下に出て歩き出していく。少し慌てて、その後を追った。
「何か食って帰るか」
「どこで?」
「そんなんお前が考えろ」
「何でよ!」
押し問答を続けながら、結局私たちは学校近くのカフェに立ち寄ることとなった。
***
「で?」
プリンアラモードを口に運びながら、恭平が私に視線を向ける。昔からだけど、恭平は割と甘党だ。
「で、ってなに?」
「察しが悪ぃな。何で相沢なんかが好きなんだって聞いてんだよ」
で、だけでそこまで理解出来る人なんているのだろうかと思いつつ、レモンティーを飲んだ。相沢くんとの話を玲奈以外に打ち明けるのは初めてで、少し緊張した喉を潤すために。
「……中学一年生の時ね、同じクラスだったの」
「マジかよ。じゃああいつの家って、俺たちの近くにあんのか?」
「そうだと思う。どこだかは分からないけどね」
「当たり前だ。知ってたらストーカーだっつうの」
ストーカー、の単語に少し反応してしまう。中学の時一度、途中まで相沢くんを尾けたことがあったけど、今は黙っておこう。
「勉強も運動も出来るのにいつも一人でいた相沢くんが元々気になってたんだけど、きっかけはある時の数学の授業でね」
「数学だと?」
「うん。私、先生に指名されて黒板に解答書かなきゃいけなかったんだけど、答えが分からなかったの」
「流石馬鹿だな。で、恥かいたのか?」
「違うよ! 固まってた私に、その時一緒に指名されて別の問題解いてた相沢くんがこっそり教えたの。途中までのやり方と答えを」
「はあ? ……マジかよ」
恭平は心底驚いたように目を見開いた。
「あの相沢が人助け? 信じらんねぇ」
「ちょっと、失礼でしょ。……それからね、授業終わってお礼を言いに行ったの。そうしたら」
「そしたら?」
「僕の隣でいつまでも固まってるから見るに耐えなくて、って」
私がその時の相沢くんの言葉を口にすると、恭平は苦い顔をした。眉をひそめて、意味が分からない、とでも言いたそうだった。
「もう、何よ!」
「お前それで惚れたの?」
「そうだよ」
「……いや。お前本当、正真正銘の馬鹿なんだな。びっくりだわ」
「だから何でよ!」
私がどんなきっかけで人を好きになろうが、私の勝手なのに。
「だってお前それ、嫌味言われてるだけじゃねぇか。そこで惚れるか? 普通」
「でも助けてくれたのは事実だもん! 本当は相沢くん、優しいのよ」
「皆に煙たがられてる奴が優しいわけねぇだろ」
「私は煙たがってないもん!」
思わず、机を軽く叩いてしまう。
玲奈にこの話をした時もこうだった。好きになる要素が全く見付からないって。でも、それでも私は好きなのに。これは生半可な気持ちじゃない。もしそうだったら、飽きっぽい私が何年間も好きでいられるはずがないんだから。
「あーはいよ。今日の話はつまり、春花は馬鹿だってことだよな」
「違うってば!」
馬鹿はどっちよ。口許に思いきり生クリーム付けておいて。
「恭平、クリーム付いてるよ。見苦しいから取って」
「は? どこだよ」
「口許!」
手で拭おうとする恭平だけど、的外れな位置ばかりを狙っていて全く拭えていない。私は溜息を吐いて、横にあったナプキンを一枚取り恭平の口元を拭ってやった。
「ほら。もう、全く」
すると途端に、恭平が頬を真っ赤にして表情を変える。
「ば、馬鹿! それくらい自分で出来るっつうの!」
私からナプキンを引っ手繰ると、恭平は顔を背けてしまった。私に世話を焼かれたことがそんなに気に食わなかったのだろうか。だったら、最初からだらしないことしなければいいのに。
「……と、取れたかよ」
「うん」
恭平に、じっと顔を見つめられる。
「なに、どうかしたの?」
「な、何でもねぇよ! もう出ようぜ」
「待って、まだ私飲み終わってないのにっ」
「いいから!」
強引な恭平に連れられて、レモンティーを飲み干す間もなく私は外へと連れ出されてしまった。春の残り香のような空気が、外を支配していた。