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朝活動

 今日は遂にやってきた、頭髪服装チェックの一日目だ。

 現在、時刻は午前七時。生徒玄関に立って仕事を始めるのは七時半から。絶対寝坊しないようにと気合を入れていたら、心配とは裏腹な結果となった。勿論、教室には私しかいない。

 とりあえず自分の席で今回の活動要項をもう一度確認する。だけど、そわそわと落ち着かない。当然だ。委員会とはいえ、相沢くんと活動出来るのだから。

「……相沢、くん」

 呟いたその名前は、人気のない教室に少し虚しく溶けて消える。

 嬉しいけど、浮かれてばかりはいられない。だって、相沢くんのことだもの。適当な仕事をしようものなら絶対に怒られてしまうから。

 その時、徐に教室前方のドアが開いた。相沢くん、だった。

「あ」

「お、おはよう!」

 思わず立ち上がる。相沢くんは、ドアのすぐそばにある自分の机に鞄を掛けた。

「……おはよう」

 挨拶を返してもらえた。たったそれだけ。それなのにどうして、こんなにも嬉しいのだろう。私は内心、手を上げて飛び跳ねていた。

「早いんだね」

「えっ。あ、うん、早く着いちゃって」

「ちょっと意外だった」

 それは、どういう意味なんだろう。もしかして私、相沢くんに不真面目な人間だと思われてる? 確かに委員会決めの時とか、悪目立ちしちゃったよね……。

「立原くんの方は?」

「あ、まだみたい」

「そう。僕図書室寄ってから行くから、彼と一緒に玄関で落ち合おう」

 相沢くんはそう言うと、すぐに教室を出て行ってしまった。もう少し話したかったけど、仕方がない。

 それから、教室で恭平を待つ。でも、活動開始五分前になっても恭平が来る気配はなかった。さては遅刻だなと踏んだ私は、恭平を待たずに生徒玄関へと走った。

「相沢くん!」

 既にそこにいた相沢くんに向かって片手を上げながら、駆け寄る。相沢くんはこっちを見て顔をしかめた。

「彼は?」

「ごめん、たぶん遅刻だと思う」

「……そう」

 あからさまな溜息を吐いた相沢くんに、少しびくびくとしてしまう。私が怒られたわけじゃないのに。

「そろそろだね。行こうか」

「う、うん」

 靴に履き替えて、玄関前に立つ。私たちより早く、他クラスの委員の子たちが何人か立っていた。

「あの要項に違反していたら注意すればいいんだね?」

「うん。でも先生曰く、違反してる子なんて滅多にいないって」

 事前にそう聞いていた通り、登校してくる子たちの中に要項に背いた格好をしている子はほとんどいなかった。元々の校則が緩いこともあるのだろうけど、流石に進学校なだけあって真面目な子が多いようだ。たまに見かける違反者には、他クラスの子がやんわりと注意している。

 ここは一年生専用玄関で、つまりここから入っていく子は皆同級生というわけになる。自分のクラス以外の子はまだ全然分からないから、こんな子もいるんだなあと思いながら眺めていた。それくらいこの活動には余裕があって、この調子なら何事もなく終われそうだと、そう、思っていたのに。

「……来た」

 相沢くんは小さく呟くとつかつかと歩み寄って、とある子の肩に手を置いた。それは、恭平だった。

「きょ、恭平!」

 慌てて、私も駆け寄る。

「立原くん、今何時だか分かってる?」

「あー、悪い悪い。ちょっと寝坊した」

 笑いながら、悪びれる様子もなく恭平は言う。私は背筋が凍る思いをした。

 別に、私が相手ならこの態度でも構わない。腹が立つけどそれで終わりだから。いやもっと言えば、相沢くんが相手でなければ誰でもいい。でも今恭平が目の前にしているのは、相沢くんだ。まだ相沢くんのことをよく知らない恭平は、自ら危険な獣道を突き進んでしまったのだ。

 恭平の言葉を受けて、相沢くんは眉を寄せた。

「ちょっと? 立原くんの中では、十分の遅れがちょっとなんだ」

「……いや、ちょっとだろ?」

 恭平が、どこか不安気な目を私に送ってきて言う。

「少しもちょっとじゃない」

 でも私が言葉を返す間もなく、相沢くんが即答した。

「それに遅れるなら何で連絡をしないの。君、高倉さんの連絡先知ってるんでしょ?」

「お、俺、春花にメールしたぞ。遅れるって」

「高倉さん、それ見たの?」

 相沢くんに問われて、ぶんぶんと首を横に振る。二分前、ギリギリまで携帯を見て恭平から連絡が来ないかと待っていたけど、そんなものは来なかった。

「立原くん、メール送ったのは何時頃だった?」

「……七時半は過ぎてたな」

「活動が始まるのが七時半。君が送ったのは七時半過ぎ。そんなメール、高倉さんが見れるはずがないでしょ。何でもっと早く送ろうと思わなかったのか、全く理解出来ない」

 恭平の顔がだんだん苦々しいものへと変わっていく。でも口を挟めば私も怒られかねないから、黙っているしかない。元はと言えば恭平が自分で蒔いた種だ。失敗の責任は、恭平が自分で取るしかない。

「悪い、の言葉に少しの誠意も込もってないし」

「いやマジで、明日から気を付けるから……」

「何を今更当たり前なことを言ってるの。あと、そのズボン」

 相沢くんが、恭平の足元を指差した。

「裾が地面に付いてる。だらしない」

「はあ? 付いてないだろ?」

 私も見てみるけど、付いているか付いてないか、際どいところだった。

「一センチ弱は確実に付いてる」

「……分かんねえだろ、それくらい」

「それくらい?」

 顔をしかめた恭平に対して、相沢くんも不愉快そうな表情を浮かべている。相沢くんは怒っているわけではないのだろうけど、何か不快なものでも見るような、冷えきった目をしていた。もうこの場にいることさえ恐ろしいのに、私の体は動かない。いやむしろ、恐怖のあまり硬直してしまっていた。

 対峙している恭平と相沢くんと、そのそばで立ち尽くしている私。生徒玄関の隅で繰り広げられる奇妙な光景に、登校してくる子たちは皆一様に怪訝そうな表情を向けてくる。

「活動要項の始めに書いてあったこと、何だか分かる? まあどうせ読んでないんだろうけど」

「……そう思うなら聞くんじゃねえよ」

「“本学の生徒として相応しい格好、行動を全校生徒に徹底させる”、こう書いてある。君はズボンの裾が地面を引きずっていてもいいの? 恥ずかしいと感じないの? 僕なら恥ずかしいけどね」

 眼鏡のブリッジを右手の人差し指で押し上げながら、相沢くんが言う。それを聞いた瞬間に、恭平は怒りの表情を隠すことなく露わにした。

「君には学級委員としての自覚はある? ないよね、初日から遅刻してくる人には」

「てめっ……!」

 恭平が相沢くんに食ってかかろうとしたところで、朝のホームルーム開始五分前を告げるチャイムが響いた。ギリギリに登校してきた子たちがばたばたと急いで教室へ向かっていく。

「今日は全然仕事が出来なかったな。立原くん、君も学級委員なら他の生徒の手本となるような行動をしてくれないと困る。僕の時間を盗らないでくれ」

 相沢くんは最後にそう言って、さっさと教室に戻っていってしまった。私も相沢くんを追いかけたかったけど、流石に今の恭平を置いていくわけにはいかない。人の少ないここで恭平の怒りを発散させないと、後々面倒なことになってしまう。

「なんだよあいつ!? なんであんな偉そうなんだよ! ふざけんな!」

 相沢くんが去っていった方へ身を乗り出しながら叫ぶ恭平を、なんとか取り押さえる。危ない、私が押さえなければもう少しで鞄を床に叩きつけかねなかった。

「ちょっと、落ち着いて!」

「落ち着けるわけねえだろ!? くそっ、すっげえムカつく!」

「で、でも間違ったことは言ってないでしょ?」

 宥めるようにそう言うと、今度は私が睨まれてしまった。

「間違ってないにしても言い方ってもんがあるだろうが!」

「そうだけど……! と、とりあえずホームルーム始まるから、教室行くよ」

「チッ。俺、あんな奴とは絶対やっていけねえからな」

「はいはい」

 恭平の背中を後ろから押しつつ、教室へ行くことを促す。恭平は、鞄を肩に背負うようにして持ち直した。

「お前、あんな奴が好きとか馬鹿じゃねえの? 悪趣味すぎ。気が知れねえ」

「ほ、ほっといてよ。誰に何と言われようと、私は好きなんだから……」

「けっ。おい、明日からぜってえあいつを見返してやるぞ、春花!」

 なんで私まで、なんて言える雰囲気でもなく。私は、恭平と相沢くんの間で板挟みのような状態になってしまった。


『おい春花! さっさと児童公園に来い!』

 翌日の朝。恭平からのそんな電話で、私は叩き起こされた。

「今何時だと思ってるの? まだ五時過ぎじゃない」

『うるせえ、早く来い!』

 そう言って、恭平は一方的に電話を切った。溜息を吐いて、まだ眠い目を擦りながら起き上がる。

「……本当、極端なんだから」

 昨日の恭平の話。なんでも、絶対に相沢くんより先に学校へ行って見返してやるのだと言う。馬鹿じゃないか、と思うけど、ムキになった恭平は面倒臭い。流されているのが一番良い。私はだらだらと身支度を整え朝食を摂り、児童公園へと向かった。

 児童公園は私と恭平の家との間の、ちょうど中間地点にある。小学生の時も、遊び場といえばこの児童公園だった。

「遅えよ」

「恭平が早すぎるの!」

「行くぞ」

 大股で歩き出す恭平に慌てて付いていく。電車に乗っている間もずっと、見るからに苛々している恭平の地雷を踏み抜いてしまわないようにしながら、私は学校に到着した。時刻は、六時半。仕事まで一時間もある。

 しばらく私はぼんやりと携帯を眺めていたけど、その間恭平はずっとそわそわしていた。コツコツと恭平の踵が床を踏む音が鳴り続けて、私の耳につく。

「ちょっと、貧乏ゆすりやめてよ」

「貧乏ゆすりじゃねぇよ。武者震いだ」

「意味分からない……」

 本当に、言ってることもやってることも無茶苦茶だ。黙っていればイケメンなのに、とかよく言うけど、恭平は正にそのタイプだと思う。

「絶対あいつを言い負かしてやる」

「恭平には無理だよ……」

「なんでだよ!?」

 ああもう、すぐ噛みついてくるんだから。

「恭平にはって言うよりね、相沢くんを言い負かした人なんて見たことないもん。相沢くんはいつも全うなことを言うから、途中で言い返せなくなるの」

 噂では中学生の時、理不尽な教師だとして生徒の間で有名だった青山先生を言い負かしたらしい。大人も顔負けのレベルなのだから、恭平の頭と語彙力じゃ絶対無理だ。

「知ったこっちゃねえ!」

 恭平が思いきり机を叩く。その音は私以外誰もいない教室に木霊した。私は、肩を竦める。

「つうか、春花は俺の味方じゃねえのかよ」

「なんでよ。相沢くんの味方に決まってるでしょ」

「はあ!? マジありえねえ!」

「煩いな! 大体恭平は調子が良すぎるのよ。相沢くんにきつく灸を据えてもらうくらいが丁度良いんだから!」

「俺がいつ調子に乗ったって言うんだよ!」

「堂々と遅刻したり宿題やってこないで私の写したりとかしてるじゃない!」

 いつの間にかどんどん話が逸れて、全く関係のない応酬が続いていく。それに冷や水を浴びせたのが、教室前方のドアが開かれる音だった。勿論、そこにいたのは相沢くんだ。

「煩い。廊下中に響いてる。静かにして」

「あ、ご、ごめん。相沢くん……」

 私はあまりの恥ずかしさに俯いた。それとは対照的に、恭平はつかつかと相沢くんに歩み寄った。仁王立ちになって、相沢くんの前に立ちはだかる。しかし相沢くんは少しも表情を変えなかった。

「なに?」

「ちゃんと時間前に来たぞ」

「そんな当たり前のことを、よくも偉そうに言えるね」

 ふいと、恭平を見ずに言った相沢くんは、鞄から教科書を取り出し机の中に閉まっている。その様子を、恭平は思いきり睨みつけていた。

「昨日のお前の有難い言葉で反省したからな。お前より早く来てやった」

 有難い言葉、と言うけれど、全く有難そうな言い方ではない。相沢くんも眉をひそめた。

「別に有難いと思ってないなら嘘言わなくていいよ。それと如何に早く来るかは問題じゃない。時間に間に合いさえすればいいんだ」

 スラスラと流れるように相沢くんが言う。恭平は返す言葉が見つからないのか、言い淀んでしまっていた。だから相沢くんには勝てないって言ったのに。

「言いたいことはそれだけ? 高倉さん、行こう」

 突然、相沢くんに名前を呼ばれてハッとする。教室を出ていこうとする相沢くんを追おうとして、私は恭平に腕に掴まれた。

「恭平?」

「春花は俺と行く」

 睨み合う二人に挟まれて、私の頭は状況に追いつけず混乱していた。

 なにこれ、何が起こってるの。

 その時、以前お母さんの言ったことが頭の中を過ぎった。

 ――三角関係で春花の取り合いに。

 まさか。まさかまさかまさか。でも、でもこの状況は。

 一気に、頬に熱が集中するのが分かった。

 これでもし、相沢くんが私を引っ張ってくれたら……!

「そう。遅れないでね」

 でも、現実はそんなに甘くないものだ。それだけ言うと、相沢くんはあっさりと教室を出ていってしまった。緊張しきっていただけに、拍子抜けしてしまう。でもよく考えれば当たり前のことだった。そもそも、三角関係でも何でもないんだから。

「くそっ、あいつ……! おい春花、行くぞ!」

 そのまま恭平に引きずられるようにして歩いていく。この状態があと三日も続くと思うと、それだけで肩が重くなった。


 でも、そのまた翌日。

「おはよう」

 前日と同じ時間に恭平と登校すれば、そこには既に相沢くんの姿があった。恭平を見て、少し勝ち誇ったような顔をする。

 どうやら相沢くんは、結構負けず嫌いみたいだ。

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