声を聞かせて
「夜中にさ、急に彼の声が聞きたくなる時って、ない?」
私が尋ねると、目の前の友人は「あるね」と答えてから、
「電話すればいいじゃない」
さらりとそう言った。彼女が飲んでいるミルクティーを見ながら、私は小さな声で呟く。
「それができないから、困ってるのに……」
「なんでできないの」
彼女はミルクティーにガムシロップを追加して、ストローでかき混ぜた。私は自分のカフェモカに口をつけてから、
「あんまり電話したら、重たい女って思われるかな、と思ったり……」
先ほどよりもさらに声を小さくして言った。客が少ないせいか、店内に流れているゆったりとしたテンポの曲が、いやに大きく聞こえた。彼女はミルクティーを飲み干すと、
「重いって思われるかな、と考えている時点で重いと思うんだけど。青春だなー」
笑いながらそう言って、ドリンクバーへと向かった。
例えば、深夜のファミレスで友人とお喋りするのは簡単にできる。というか、今まさにそれをしている。現在、二十三時。普段ならとっくに家に帰って化粧も落として、小説でも読みながらすごしている時間帯だ。
あるいは急に寂しくなって、彼の声が聞きたくなっている時か。
ドリンクバーから帰ってきた友人が持っているグラスを見て、私は首をかしげた。茶色といえば茶色なんだけれど、茶色とは言い難い妙な色をした液体が、グラスの中で揺れている。
「……それなに」
怪訝な顔をしている私に、彼女は笑った。
「抹茶とコーラを混ぜてみた」
「ちょっ……なにしてるのよ」
私が笑うと、彼女は誇らしげに
「ドリンクバーといえば、混ぜる!! これこそが、ドリンクバーの醍醐味!!」
そう言い放ってから、妙な色の液体を一口飲み、そして沈黙した。
彼女の眉間にしわが寄っている。若干、涙目にもなっている。
彼女がその液体を飲みこんだのを確認して、私は尋ねた。
「……どんな味だった?」
「――コーラに、ヨモギ大福を入れたみたいな味……」
二人で一瞬沈黙してから、お腹を抱えて笑った。
彼が夜更かししていることも、夜中に電話をかけても怒らない人だということも、分かっていた。なのに、電話をかけられない。たまに向こうからメールが届くこともあるけれど、私が欲しいのはメールよりも電話だった。
黒い文章や顔文字は、誰だって使える。
けれど彼の声は、彼にしか出せない。
彼の声が聞きたかった。一分だけでも、いいから。
帰宅したのは一時過ぎだった。私は大きな音をたてないようにゆっくりと自分の部屋へと向かい、ベッドの上に寝転がった。
――例えば、将来私はどうなるんだろう、とか。
どうすればいいんだろう、とか。
そういう重いことを考えてる時に限って、彼の声が聞きたくなる。
『重いって思われるかな、と考えている時点で重いと思うんだけど』
「それも分かってるんだよおー」
私は顔を枕に押しあてた。先ほどから握りしめていた携帯電話を開いてみる。着信はない。メールもない。私はため息をついて、アドレス帳を開いた。そして、もはや暗記してしまっている彼の電話番号を表示した。
一時過ぎ。彼ならまだ、起きているはずだ。
……五回。
五回コールして出なかったら、諦めよう。
私は何度か深呼吸して、ベッドの上に正座してから、震える指で通話ボタンを押した。
正直に言ってしまうと、これといって話したいことはなかった。
彼の声が聞きたい。それだけだった。
「……あ」
通話中を告げる虚しい電子音が、頭の中に響いた。
――五回だけコールしてみようと思っていた自分を嗤った。
コールどころか、通話中ではないか。
私は電話を切ると、またもや枕に顔をうずめた。
彼は今、誰と電話しているんだろう。
誰が今、彼の声を聞いているんだろう。
嫉妬というよりも、虚しさでいっぱいになった。
結局今日も、彼の声を聞けなかったんだ。
次の瞬間、まだ握りしめていた携帯が震えて私は飛び起きた。
慌ててディスプレイを見る。
彼から、だった。
もう一度ベッドの上に正座して、深呼吸してから、通話ボタンを押す。
それから、携帯を耳に押しあてた。
「……もしもし」
『あ、もしもし? さっき誰かと電話してた? そっちに電話したら、ちょうど通話中だったんだけど』
「…………」
『もしもーし? 泣いてんの?』
聞きたいと思っていた声をやっと聞けて、私は何故か安心していた。涙が次々と零れおちてきて、なのに言葉がうまく出てこない。
「……声、聞きたいと思った、から」
何とかそこまで言うと、彼は低く、けれども柔らかい声で笑った。
『もしかして、俺のところに電話してたの? だとしたら、すごいタイミング』
そう言ってから、囁くように付け足した。
『俺もさ。話すことは特にないけど、電話したくなったんだ』
声を聞かせてほしい。
ほんの少しでも、いいから。