トレビスの花嫁 前章 トレビスの戦乙女
「王都観光案内」の続編になる「トレビスの花嫁」前章です。
元々、トレビスは北方の大国アスケットの南部辺境であった。
そこは峻険な山岳地帯で、その南方の大国セレタスからはまともな街道も無いところである。
作物も豊かでなく、また地形から鉱物資源を得るのも難しい土地で、それでも入植者と遊牧民とが共存する平穏な地域だった。
しかし、こんな所であるにもかかわらず、アスケットは増税を通告してきた。
当時のアスケットは民衆への搾取を強め、一部で暴動や貴族の離反を招いていた。
トレビス辺境伯を兼ねたエスカール候ダールは、トレビスからの徴税を強化するため、三男ジェイルを代理総督として派遣した。
この年、ジェイルは東部国境での国境回復作戦で功を上げて帰還していた。
まだ25歳の彼は、民衆を敵に回す愚など犯さないだけの良心と見識を持ち、勇躍してトレビスに赴いて任務に就いた。
この時、以前従騎士として預けられていたカーミュ伯爵家の娘メイリスを妻に娶り、伴っていた。
従騎士時代に会った当時15歳のメイリスは、共に馬を駆り、剣で稽古をつけていたほどのおてんばであったが、19歳となった彼女は、美しさとその優美さで巧みに隠されて、更に凶悪化していた。
ところが、苦労してたどり着いたトレビスは、記録された10000人と言うのも全く確証の無いほど広大で人口希薄な地域で、一番大きな村で500人程度の規模しかなかった。
入城した砦でさえ、ジェイルのいた東部国境線の監視砦よりも小さい有様で、ジェイルとメイリスは意にも介さない様子であったが、同行した従者や使用人は悲嘆にくれた。
入植地は山間部の僅かに開けた土地に分散しており、その数は57ヶ所と記録されているが、その数字は5年も前のもので当てにならない。
しかも、人口の8割近くを占める遊牧民は居を安定させず、季節によって移動して歩いていたのである。
更に、ただでさえ農作物が豊かでないところに重税が科せられ、トレビス唯一の村は貧困に喘いでいた。
ジェイルは強制徴収の前に、まず私費で食糧を買い込んで送らせる必要に迫られたのである。
その後はまさに苦難の道だった。
まず、大きく8部族に分かれる遊牧民を、自ら全て訊ねて歩き、恭順を示すよう求めた。
それにはメイリス王妃も同行し、全く貴族らしくも無く、遊牧民には必須の山地での乗馬をこなし、民族衣装を着るなどして、融和に貢献した。
ジェイルは高圧的な態度は出さず、真摯に現状を話し、苦難があれば助け合うという決め事をすることについてのみ了解を求めた。
当時は寒波が例年より長く続き、不作と病気によってどの部族でも苦難していた。
食糧と医療の提供で、部族から渋々と同意を得ると、ジェイルはトレビス駐留の兵を帰還させたことを告げて、部族から若者を出してくれるよう求めた。
連れていった兵500人も養う術が無く、現地で徴募することにして帰還させたのだ。
自分たちの土地を守るのは自分たちである、とジェイルは全ての部族から若者を集めた。
部族間での交流が少なかったため、ジェイルは今後の統治が容易になるよう、一ヶ所に集めて若者同士が親交を深められるようにしたのだ。
当初は部族意識の摩擦でけんかが絶えなかったが、メイリス王妃のその見た目とは裏腹の積極的な行いに、徐々にいがみ合うことが少なくなった。
何しろ、山地での難しい乗馬をメイリス王妃が教えたり、食事では給仕をしたり、病気で臥せっていると看病したりと、ジェイルの意を汲んで自ら買って出て特に手厚く世話をしていた。
1年も経つと、これらから選抜される近衛隊は羨望の的となり、部族を頻繁に訪問するメイリス王妃の共をして出身部族に帰る若者は、高い誇りすら持つようになった。
この外、王国騎士団の教導団で学んだ仲間で、王都に残る人たちの助けを受け、不慣れな農業改革と統治に必要な行政の体制を整えていった。
そうして僅か2年で、自力で税の完納を果たした。
しかし、翌年の税の引き上げには届かず、更に翌年も引き上げられた税を完納出来ないという追いかけっこになり、ようやく恭順を示した遊牧民から早くも不満の声が上がった。
ジェイルは、他の地域に比べて土地が痩せており、辺境の僻地であることを訴えて減税を求めた。
それに対する返答は、地位の剥奪と帰還命令であった。
宣撫のためにエスカール候領に赴いていたジェイルは、この通告に憤然として父や兄の説得を退け、王国からの脱退を宣言してエスカールの名を捨てた。
領地に戻ったジェイルは、直ちにトレビス王国の建国を宣言して、自ら国王を名乗った。
そして、領民に対しては、居住地を捨てて山間部に避難するよう命じた。
勝ち目が無いのを承知していたのである。
だが、王国に対して強い不満を持っていたのは、ジェイル以上に民衆と、そして遊牧民であった。
元々の現地徴募の兵500に加えて、遊牧民の老若男女を始めとする1000人ほどが参集した。
こうして、トレビス王国は幻から実体を得て、名実ともに王国として誕生した。
王国の紋章は黄金の山羊。
これはジェイルが霊峰アスタレートに赴いた際、頂きにいた1匹の金色に輝く山羊を見たことに由来する。
朝日か、あるいは夕日に照らされてそう見えたのだろうと言うのが定説であるが、この地域には山羊が多数生息し、遊牧民の一部では神聖視もされているものである。
ジェイルの目論見は、
そう大して得るものも無い辺境の山岳地帯に兵を出すことは無いだろう。あってもそれは少ないに違いない。
そう考えてのことであったが、予想は皮肉にもジェイル自身によって変えられてしまっていた。
香料や染料としてトレビス原産の高原植物を税の負担軽減のために市場に出していたのだが、その希少価値が失われると貴族の夫人や子女から訴えられたのである。
かくして、トレビスに至る唯一の街道がある峡谷入り口に、1万を越える遠征軍が到着したのは建国宣言から僅か10日後のことだった。
ジェイルはトレビス軍として1500を率いていたが、当然迎え撃つしか方が無かった。
峡谷深く、くびれて細くなった部分に丸太を組んで急ごしらえの砦を築いたのはその前後で、まさに間一髪であった。
遠征軍は、敢えてジェイルが隠さずにいた兵力1500というのを知ると、直ちに犇めき合うように峡谷に侵入を開始した。
地の利があるトレビス軍は、狭い峡谷で巧みに少ない兵力を地形で補って敢闘し、統制の取れない遠征軍を翻弄して3日間、峡谷中間点で互角の戦いをして戦線を停滞させた。
この間に遠征軍は更に兵力を増して1万3千となった。
兵数に物を言わせてただ力任せに襲い掛かる遠征軍に、さすがのトレビス軍も疲弊したか、徐々に戦線を後退させ、とうとう5日後には全面壊走の状態に至った。
突然の追撃戦となり、遠征軍はその日のうちに砦に迫った。
砦からの攻撃に一時停頓した攻勢も、翌早朝に兵力の集結を待つことなく全面攻勢に出た。
それとほぼ同じくして、峡谷入り口に潜んでいたトレビス軍の一部が峡谷を埋める森に火をつけた。
この部隊は20人程度しかなく、トレビス軍の動きに警戒して峡谷から戻っていた遠征軍の一部によって壊滅させられたが、峡谷にあった8割を超える遠征軍主力は、峡谷に吹き込む強風にあおられて燃え広がる火に追い立てられ、まもなくその炎の波に飲み込まれた。
そしてそれに乗じて、トレビス軍は擬態の撤退や防戦を捨て、砦から総攻撃に出た。
ジェイルは、親交の深い遊牧民の若者からなる近衛隊を自ら率いて、真っ先に突入した。
この際、メイリス王妃はジェイルの傍に付き添い、混戦状態にあっても常に夫の安全を気遣って、肉薄する敵兵には自ら剣を振るった。
白いドレス姿で、ジェイルよりも目立ったので近衛隊はメイリス王妃を守るのに全力を尽くさなくてはならなかったが、このこともあってトレビス軍の士気は旺盛だった。
メイリス王妃が白き戦乙女として呼ばれたのはこの時で、しかも、そう呼んだのは遠征軍だったと言われる。
火と、煙と、砦からの猛烈な攻勢にさらされた遠征軍は、8000人を超える遺体を残して撤退した。
この遺棄死体には、ジェイルの次兄と、エスカール候領の多数の兵士も含まれていた。
エスカールの、王国への忠誠と潔白を証明するため、最前線で参加していたのだ。
このことを知っていたのはジェイルとその周辺一部のみで、トレビス軍全体としては戦勝に沸いた。
だが、2ヶ月後、再び遠征軍が峡谷入り口に集結した。
兵力は前回より微増の1万4千だが、寄せ集めの貴族の私兵集団とは異なり、上級騎士が率いる正規軍である。
対するトレビス軍は、この2ヶ月間で4倍の6000に増加していた。
前回の戦いにおけるトレビス軍の活躍と、兵力不足からジェイルの身辺警護をするメイリス王妃の人気から、王国内外から義勇兵が参集していた。
義兵集団で名高い薔薇騎士団を初めとする、各地の反王国を掲げる武装組織や、身代金目当ての傭兵団である。
トレビス出身者も宣言を聞いて戻ってきた。
この当時の人口は、おそらく20000人を超えていたと思われる。
だが、猪突を避け、確実に前進をする遠征軍は、峡谷における戦いでは終始優位に立ち、砦の攻防戦においては双方にとっての最大の激戦となって、トレビス軍の死傷者は2000に達した。
森は焼け野原になって、火攻めはもちろん、地形による戦いが思うに任せなかったからである。
それでも、秩序を保って後退するトレビス軍は、追撃する遠征軍を数度撃退しつつ、王国の中心である城や村には向かわずに、山間部に広がるトレビス最大の森、アデレーの森に逃げ込んだ。
ここは有名な王国期のアルサレート遺跡のある森で、昼間でも陽の光が届かず、動物も棲まないことから遊牧民からも忌み嫌われるところである。
遺跡は第一層のみが探索され、その結果から第二層以下が存在することは確認されたが、進入路は見つけ出せず終いだった。王国期の記録や古文書から、魔術師にしか入れないものと判ったのであった。
その遺跡第一層は森のほぼ全域に広がるほど広大で、トレビス軍はその地下迷宮を利用して、追ってきた遠征軍に神出鬼没の攻勢をかけて、漸減作戦を行った。
当初12000人いた遠征軍は、これによって500余人の戦死者と、2000人に達する重軽傷者をだしたが、何より森で分断や誘いによって、実に5000人以上が迷子になってしまった。
森に誘導された愚を悟った遠征軍は、指揮下の3000人程度を取りあえず森の外に出し、直接村に侵攻することにした。
ところがそれこそがトレビス軍の罠で、森を出て姿をさらした遠征軍を、老人や女性からなる弓兵部隊2000人が襲い掛かった。
更に、砦に温存していた薔薇騎士団800人が出撃して、これをあっという間に撃破した。
薔薇騎士団は、困窮したり不平を持つ下級貴族やその子弟、亡命者による傭兵などが集まって作られた傭兵団で、その戦闘力は極めて専門的で高かった。
正規軍とは言え、昨今のアスケットの状況が、兵士に高い士気の維持を許しはしなかったのである。
ついに遠征軍が撤退したとき、その兵力は1000人に満たなかったと言う。
そして、捕虜は5404人だったと、公式戦記は伝えている。
トレビス軍は、傭兵団を含む6000人のうち、戦死者・行方不明者約2200人、重軽傷者約1700人と言う有様で、手放しで勝利を喜ぶほどの戦果ではなかった。
それでも、この戦いによって、なし崩し的に得た独立が現実化した。
これによって平和が訪れるか否かは、その時点では判断しかねた。
それも当然で、アスケットは3度目になる遠征軍の編成に着手した。
その目的は、トレビスに隣接するエスカール侯爵領で、口実はトレビスの兵站基地化しているエスカール討伐だったが、ジェイルの親族であるエスカール侯爵に対する報復に他ならなかった。
しかし、結果として、エスカールに対する侵攻は起こらなかった。
トレビスの勝利に迎合して、王都で反乱軍が蜂起したからだった。
それから5年余り、荒廃を続けるアスケットとは対照的に、トレビスは平和だった。
人口は流入する民衆により30000人にも達するほどとなったが、だが、これはこの地域の許容量を越えていた。
開拓できる土地は限られており、また森を切り開き、草原を田畑に変える事に、遊牧民たちは強硬に反対した。
一時はエスカール侯爵領を併呑しようとも考えたが、ここは肥沃な平野が広がり、小さな森が点在するという「攻め易く守り難き」ところで、容易に決断できる問題ではなかった。
アスケットの国内情勢は、内乱と呼ぶには穏やか過ぎて、トレビスの侵攻がどんな結果をもたらすか計り知れなかったのである。
そこで、ジェイルはセレタスとの交易を思いついた。
アスケット方面での交易が絶たれた今、向かう方向はそちらにしかなかった。
以前から年に数回、旅商人が行き来していたが、セレタスとの交易路は山道のような険しくて細い未整備の獣道のようだった。
隣接するセレタス辺境はプレアート侯爵の属領で、広大な荒野と、トレビス山地から流れる大河に点在する少数の街しかない。
ジェイルは、交易の許可を求めて、使節団を送った。
その中に、メイリス王妃もいた。
ジェイルの反対はあったが、プレアート侯爵には面識があったので、交渉を有利にするためならば多少の危険を厭う場合ではないと強硬に主張した結果だった。
友好な使節だと言う手前、護衛も多くは連れて行けない。
プレアート領に親族がいるという部族の若者が近衛にいたので、その若者が王妃の護衛役となった。
その部族は、守り神「白き雌山羊」の使いであるとして、メイリス王妃には絶大の忠誠心を捧げていた。
アンジャック・モルケというその青年は、篤く信仰する部族の守り神の使いと言うその女性を、命尽きるとも必ず守り通して無事に帰還させると誓約した。
また、連れて行く他の人間も厳選させ、いざとなれば戦ったり逃げたり出来ることを要求した。
それに先立ち、街にはトレビスに友好的なところもあり、逃走や潜伏にも便宜は得られるよう、何人かを交易商人に偽装して先発させた。
山道には軍隊を配置できる余裕が無く、プレアート領にそれと悟られずに展開することは不可能だった。
ただ、山道にまで逃げ込めれば、僅かな兵でも阻止できる算段は立てられていた。
後はただひたすら逃げる。セレタスからトレビスに至るまで、軍隊が侵攻する事も不可能なのだ。
心配すればきりが無いと、使節団は厳冬期前に出発した。
使節団は、そうした心配をよそに、何事も無く辺境地区の代官府に到着した。
そこから、更に侯爵の元に早馬で書簡が届けられる。
数日経って、早馬が戻った。
辺境地区の街エルミッタにおいてのみ、交易の許可が出された。
そこで、使節団はエルミッタに交易事務所を開設するためにそこにしばらく滞在することになった。
数度トレビスと連絡を取り合ったが、エルミッタではそれが順調になるまで、メイリス王妃自身が周囲の反対を押し切って監督に当たった。
事件は、一月ほど経った晩に起こった。
エルミッタ駐留の警備隊の兵士が一人、水死体で見つかった。
その兵士が行方不明になる直前、街の酒場で、トレビス交易事務所の若者とけんかをしていたと言う証言が警備隊に届けられた。
警備隊は直ちに、その若者の引渡しとメイリス王妃の出頭を求めた。
この辺りで、一部に感情的な行き違いが生じたようである。
求めを拒否したため警備隊の兵士が乱暴を働いたとも、同行しようとしたメイリス王妃を助けようと若者が暴発したとも言われている。
いずれにせよ後の調査でも詳細は全く不明のままで、互いの証言も「向こうが先に始めた」としか伝えられていない。
ともかく、街は殺気だった喧騒に包まれた。
誤解によって取りあえず拘束を免れたメイリスは、まずトレビス国民の安全に配慮して、それらを引き連れて代官府に入った。
敵意が無いことを示すためであったが、代官の騎士は当日熱を出して寝込んでいた。
代理の騎士は代官の了承を得て事を収めようとしたが、不幸にも血気盛んな若者らが衝突して死傷者が出ていた。
また、代官府が占拠されたというデマも流れた。
そのために、代理の騎士が警備隊の指揮官に話が通るまでの半日、無用な血が流されることになった。
メイリスは、既に白き戦乙女との名に恥じない勇敢で軽挙を戒める思慮深い女性として有名だったが、無礼にはそれ相応の報いを与えてきた。
女性を暴行した警備隊の兵士が引き連れられると、代理の騎士は慣例的に引渡しを求めたが、毅然として非を鳴らすメイリスの説明に、消極的ながら同意をして処刑を認めた。
そのことが巧く伝わらなかったために、代官府正門で警備隊とメイリス王妃の警護兵が衝突した。
正門争奪戦と呼ばれた数時間における戦闘で、互いに数名の死傷者が出た。
その際、騒動を収めようとしたメイリス王妃を庇って、アンジャックが警備隊兵士を殺害した。
アンジャックはたちまち至近から数本の矢を受け絶命したが、その時に、
私は死んでも、鷹となって王妃を守護致します
と言葉を残したと言われている。
メイリスは生涯彼に感謝をし、彼の出身部族には良くお忍びで訪れては、彼の親や兄弟と親しく付き合った。
また、メイリスが鷹を飼い始めたのもこの頃で、そのために鷹を狩ることがはばかられたという事である。
それはともかくとして、結局は泥酔して川に落ちたと言う結論で、この事件は落着を見たのだった。
双方合わせて50名以上が死傷した。
その後も状況が落ち着くまで、メイリス王妃はエルミッタに留まって、3ヶ月たってようやくトレビスに戻った。
交易は目立ったほどの量では無かったが、その効果は計り知れないものがあったのだ。
その後も、メイリスは2つ名に恥じない生き方をして、51歳で病を患って亡くなった。
ジェイルは更に12年生きて、王位を譲った後に親交のある部族とともに生活をして、居住地を移動する途中に子供を助けようとして崖を滑落して亡くなっている。
ちなみに、王位を継いだ長男リエールが結婚したのは部族出身の女性で、メイリスに次ぐ慣例として近衛隊の隊長となった。
病没した長男に代わって後を継いだリエールの次男で現国王アレキスの王妃も、セレタスの貴族から迎えられたが小柄でそうとはとても見えないのに、女性ながら騎士を目指していたと言う女傑で、当然の事ながら近衛隊々長としてある。
ところで、メイリス王妃の逸話は事欠かないが、人気のある反面、事実無根の噂話も多い。
その中でも、アデレーの森の戦いの際、女性兵士を率いて戦ったと言われているが、これは真実ではない。
実際にはジェイルの傍にあって、近衛兵と共に大盾を持ってまさに盾となって降り注ぐ矢を防いでいた。
また、女性は非常時にのみ徴集されることになっていて、しかも近衛には女性が登用されないという決め事(これは遊牧民側から出された)から、メイリスが女性兵士を率いたことは無かった。
もっとも、建国当初に遠征軍急襲の誤報で城が騒然とした時、手際良く男女の別無く使用人を守備隊にしてみせるなど、ジェイルの影響からか指揮官としての素養も持ちあわていた。
戦乙女としての名や、そうした素養から作り上げられた伝説であろう。
また、ジェイルの像と共にメイリスの像も立てられる計画であったのを断ったことについても、王と並んで立つなど恐れ多いという「謙虚さ」によるものだともっともらしく伝えられているが、事実は石像だと全身をじろじろと見られるので「恥ずかしい」と言う理由であったと、二人の子で第二代国王リエールが語っている。
その代わり、絵なら良いという事になって描かれたものが、現在の王城入り口ホールに掲げられている王妃の肖像画である。
これは「トレビスの花嫁」の設定と基本情報についてのお話です。
プロローグにあたる前章をいくつか公開した後、本編を開始します。
ブログからの転載時に修正される可能性があります。
ブログでは3年に及ぶ連載でしたので、かなりの文章量があると思われます。
のんびりと暇つぶしにでもご覧下されば幸いです。