帰ってきた伯爵令嬢セシリアは、修羅場に遭遇する。王妃様の経歴がめちゃくちゃ凄いのですが、陛下との出会いはベタでした。
婚約式を数日後に控えた午後。
私、伯爵令嬢であるセシリア・アースキンは、婚約者である王太子アドリアン・レオポルド・ヴァルディエールとともに王妃様のお茶に招かれていた。
場所は王宮の奥にある、小さな庭園に面したサロン。
王族の私室に近い場所らしく、これまで何度か王宮を訪れている私も、ここへ入るのは初めてだ。
「正式に婚約する前に、一度ゆっくりお話ししてみたかったの」
王妃様はそう言って、柔らかく笑った。
夜会などで遠目にお姿を拝見したことは何度もあるし、婚約のお許しをもらう際にもお会いした。
けれど、こうして私的な場で向かい合って話すのは初めてだった。
アドリアン殿下とは、あまり似ていない。
「母上。セシリアを緊張させないでください」
「そんなつもりはありませんよ」
「この間も、外国からいらした大使夫人を質問攻めにしていたでしょう」
「あれは珍しいお菓子のお話を伺いたかっただけです」
「三十分ずっと?」
「興味深かったのですもの」
なるほど。
少なくとも、会話が途切れて気まずくなる心配はなさそうだ。
「セシリアさんは、アドリアンのどこを好きになったの?」
「母上!?」
紅茶を一口飲む前に、いきなり聞かれた。
やはり、少しは緊張しておいた方がよかったかもしれない。
「どこ、と申されましても……」
隣を見ると、アドリアン殿下と目が合う。
これ以上ないほど、期待に満ちた顔をしている。
「……いろいろございます」
「そこはもう少し具体的に!」
「アドリアン、本人が隣にいては言いにくいでしょう」
「母上が振ったんでしょう。僕は聞きたいです」
「私は言いにくいです」
「よかった。仲がいいのね」
王妃様が楽しそうに笑った。
そう見えるのなら、よかった。
その後は婚約式についての話や、王家に嫁いだ後の生活について、一つずつ説明してくださった。
思っていたより堅苦しくない。
公務についても、いきなりすべてを任されるようなことはなく、最初は王妃様について覚えていけばいいという。
「私も最初は何もできませんでしたから」
「母上が?」
アドリアン殿下が意外そうな顔をした。
「ええ。何も」
「でも母上、外国語も三つ話せますよね?」
「昔からです」
「魔法も使えますし」
「それも昔からですね」
「錬金術にも詳しいでしょう」
何もできない、とは。
私は少し考えてから尋ねた。
「王妃様は、ご結婚前からそのようなことを?」
「そうですね。実家でやっておりました」
まるで何でもないことのように答えた。
「私、姉妹の中ではあまり出来がよくないと言われておりまして」
「母上が?」
「そうなのですか?」
今度は殿下だけでなく、私まで聞き返してしまった。
「妹の方が可愛らしく、愛想もよくて。両親も妹をとても可愛がっていたのです」
最近、こういう話をよく聞く……姉妹格差というやつだろうか。
「私は家の仕事を任されることが多かったのですが、何をしても叱られてしまって」
「たとえば?」
「領地の帳簿に合わないところがあったので、調べたことがありました」
普通だ。
「七人ほど横領している者が見つかりまして」
前言撤回。普通ではなかった。
「七人」
「はい。ですが、勝手なことをするなと父に叱られました」
「……横領していた方々は?」
「処分されました」
「では王妃様は正しかったのでは?」
「そうなのでしょうか」
本気で首を傾げている。
「その翌年には、魔石を錬成する錬金術を開発しまして」
「開発……」
「その魔石が準二級でしたの」
「準二級!?」
アドリアン殿下が聞いた。
まさか、今では普通に流通している魔石が、自分の母親作だとは思わなかったようだ。
「ええ。おかげで市民に低級の魔石を流通させることができましたが、家の収益が減ってしまい……」
「母上、それは『少し』じゃないです」
「そうなの?」
「かなりやってます」
私も同意すると、王妃様は困ったように眉を下げた。
「当時は、私もよく分かっていなくて。私、何かやってしまったのでしょうか、と」
出た……無自覚な天才は、ご自分の才能には気がつかない。
「かなり色々となさっておりますわ」
「やっぱりそうだったのですね」
二十年以上を経て、ようやく納得されたらしい。
「それで、また叱られまして」
「なぜです?」
「妹が、私ばかりが褒められるのが嫌だったそうです」
ひどいご家族なのでは?という予感が、確信に変わった。
「それから、私はあまり人前に出ないようにと言われるようになりました」
「……まさか」
「しばらく蔵で暮らしておりました」
アドリアン殿下がカップを置いた。
「初耳なんだけど」
「言っていませんでしたもの」
「母上、公爵令嬢だったよね?なぜ蔵に?」
「妹が、私を見ると気分が悪くなる。と言うので」
ひどい……しかも、まだ終わりそうにない。
「婚約者もおりました」
「父上ではなく?」
「ええ。故国の侯爵家の方です」
「どんな方だったのですか?」
「よく夜会で、『お前とは婚約破棄してやる!』と」
やはり……尋ねた直後、少し後悔した。
夜会で婚約と婚約破棄はセットなのだろうか。
「破棄されたのですか?」
「いいえ。翌日になると、そんなことは言っていないと」
「よく……とは、何度くらい?」
「さあ……五、六回でしょうか」
「そんなに!?」
「最初の頃は悲しかったのですが、三回目くらいからは、またかしら、と」
慣れるものではないと思う。
「それに、私はあまり優先順位が高くなかったようで」
なんだろう。
聞き覚えのある言葉が増えてきた。
「約束の日に来ていただけないことも多かったですし、妹の方が大切だと言われることもありました」
「その婚約者、ひょっとして妹君とも?」
「気がつけば、わたくしより仲がよくなってましたわね」
アドリアン殿下の顔が険しくなった。
「母上、よくそんな男と婚約続けてたな」
「家同士の決めたことでしたから。昔の私は、嫌だと言ってもよいのだと知らなかったのです」
王妃様は穏やかに言う。
そこだけは、少し胸に残った。
けれど、その余韻に浸る暇など与えてくれない。
「最終的には、妹に家を追い出されました」
「妹君に!?」
「お姉様なんて、この家には必要ありません、と。両親も一緒になり、そこまで言うなら、と」
ひどい……先ほどから、ひどいという感想しか出てこない。
何度ひどいと思ったかわからないほどだ。
「それで王妃様は?」
「出ていきました」
「そのまま、何も持たずにですか?」
「少しのお金と着替えは持たせてもらいましたよ」
それは、追放と言うのではないだろうか。
アドリアン殿下が額を押さえている。
「母上の実家の話、聞けば聞くほどひどいな……どおりで母方の実家と没交渉なわけだ」
「でも、そのおかげで陛下に出会えましたから」
王妃様の顔が、少しだけ柔らかくなった。
「国境へ向かう街道を歩いていた時でした。雨が降ってきて、私、どうしていいか分からなくなってしまって」
「そこで陛下と?」
「ええ」
ちょうどその時、サロンの扉が開いた。
「私がどうした?」
「父上」
陛下だった。
「仕事が早く終わったから来てみたんだが」
「ちょうど、陛下と出会った時のお話をしていたところです」
「ああ、あれか」
陛下は空いていた椅子に座り、当然のように菓子を取った。
「どういう出会いだったのですか?」
「道端に、ずぶ濡れの美人が座ってた」
「父上、もう少し言い方がありませんか?」
「事実だろう?」
「それで?」
アドリアン殿下まで身を乗り出している……どうやら殿下も詳しくは知らないらしい。
王妃様は少し恥ずかしそうに視線を伏せた。
「陛下が、馬から降りてきて……」
そこまで言って、陛下が笑った。
「見つけた。俺の花嫁」
私は陛下を見ると、アドリアン殿下も陛下を見た。
王妃様だけが静かに紅茶を飲んでいる。
「……初対面ですよね?なぜ花嫁だと?」
「一目惚れ」
「父上……」
「何だ」
「いや……」
アドリアン殿下が何とも言えない顔をしている。
王妃様は懐かしそうに微笑んだ。
「私も当時は、何を仰っているのか分かりませんでした」
「普通はそうですわ」
「でも行くところもなかったので、ついていきました」
「ついていったのですか!?」
「悪い人ではなさそうでしたから」
「判断が早い!」
「王子だったからな」
「身分の問題ではないと思います」
そのまま本当に陛下の国へ来て、いろいろあって結婚したらしい。
離宮にいらっしゃる側妃は、王妃様が体調を崩された際に迎えた方で、現在も特にわだかまりなく、良好な関係だという。
ずいぶん簡単、というか雑にまとめられた。
「殿下はやはり陛下似ですわね」
私が言うと、アドリアン殿下が即座にこちらを向いた。
「僕は初対面でそんなこと言ってない!」
「そうでした。『おもしれー女』でしたわね」
「それは魅了されてた時だろ!?」
「おもしれー女?」
陛下が反応した。
「父上はそこ拾わなくてください!」
王妃様が口元を押さえて笑っている。
私は紅茶を飲んだ。
今日一日で、ずいぶん多くのことを知った気がする。
婚約破棄。
虐げられ。
蔵。
横領摘発。
私、何かやってしまいました。
妹からの追放。
そして最後に、俺の花嫁。
王妃様、一人に詰め込みすぎではないだろうか。
お茶を終えて、私はアドリアン殿下と王宮を出た。
「母上の昔話、すごかったな……僕も知らないことが多かった」
「そうでしょうね」
「……セシリア?」
「少し疲れました」
「僕もだ」
庭園を抜ける途中、例の水槽の前を通りかかった。
数匹の鯖が、今日も元気に泳いでいる。
そのうち一匹がこちらを向くと、ひらひらと、ヒレを振ったような気がする。
私は見なかったことにした。
今日はもう、十分だった。
お久しぶりのセシリアは、やっぱり次々に修羅場に遭遇します。
また、短編を公開できればと思っているので、お待ちいただけると嬉しいです。
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