研究費が止まりました
「追加審査を一時停止するそうです」
秋の第3月12日、朝。
ルカが読み上げると、麦穂亭の食堂から音が消えた。
夏の第二月から、四か月余りが過ぎていた。
市場は三回の試行後、出店者の判断で週一回にはせず、月二回相当を続けている。夜学も三回の試行後、任意共同箱と住民の持ち回り説明で月二回開くことになった。
水車は管理帳を付けながら稼働し、利用料は共同箱へ入っている。既存研究用二十四鉢と一般商品は、区画、道具、用土、棚を分けたまま観察を続けていた。
春の第3月27日から夏の第2月10日までに九候補群を調べ、六群を空間的な独立候補として選んだ。夏の第2月11日、テオが第一観察室へ追加棚を固定し、荷重と排水を確認した。材料と作業賃は信託研究費から払い、棚は信託所有備品として資産台帳へ載せた。
12日から18日までに、所有者と使用者の同意を得た六群を採取し、三条件十八鉢を別棚へ設置した。採取、搬入、鉢番号、棚位置を記録し、既存二十四鉢とは受け皿と道具も分離した。
香り葉草は共有親株から株分けし、月眠り苔、祝福、研究土を使わずに育てた。秋の初めには、乾燥葉を薬師向け原料として検査に出す相談まで進んでいた。
学院封印のある一通の封筒には、三枚の文書が入っていた。
一枚目は、ミューレ村で行う追加実験の安全性再確認。
二枚目は、審査手続きの一時停止。
三枚目は、貸与中の校正石三個を三十日以内に返却せよという通知だった。
「停止は不合格ではないそうです。」
アウレリアは書面を受け取り、署名と日付を確認する。
「再確認が終わるまで、提出を受理しないという意味らしいです」
「いつ終わるんです?」
マルタが尋ねた。
「期限は書かれていません」
それが、最も問題だった。
追加実験の期限は、来春である。
学院が受理を止めたまま期限を迎えた場合、アウレリアが提出しなかったことになるのか。停止期間を除いて期限が延びるのか。書面には、どちらも書かれていない。
通知は追加審査委員会の暫定決定で、委員長と学院安全審査室長が連署していた。文書番号、発行部署、署名者を記録する。不合格や合格取消ではなく、安全確認中の受理一時停止である。
安全性再確認の根拠資料の一つとして、主任教授ガスパル・ヴァルモンの意見書が添付されていた。ガスパルが単独で停止を決めた文書ではない。
月眠り苔の農地移植は、生態系と地脈へ予測不能な影響を与える可能性がある。
聖女の祝福を用いた未承認実験が、ミューレ村で再び行われた疑いがある。
研究と商業活動の境界が不明瞭であり、安全が確認されるまで関連成果の審査と外部利用を見合わせるべきである。
「再び、というのは、カボチャの件でしょうか」
ルカが言う。
「おそらく。ただし事故後の報告と補償、処分、再発防止規則には触れていません」
「嘘なんですか」
「祝福が使われたこと自体は事実です。書かれていない事実が多い」
だからこそ、短い文だけでは反論しにくい。
* * *
書簡が届いたのは、学院だけではなかった。
同じ朝、近隣三村の薬草を扱う商会からも、取引延期の通知が来ていた。
ミューレの共同育苗事業は、秋の初めに香り葉草の乾燥葉を試験出荷する相談を始めていた。食用ではなく、成分検査を受けた後に薬師向け原料として扱う予定だった。
まだ売買契約は結んでいない。
だが、商会は見本の受け取りと検査の予約を取り消した。
理由欄には、王立エルデ学院から安全性に疑義のある研究活動について照会があったため、と記されていた。
照会文そのものは添付されていない。発信日、部署、文書番号も不明だった。
「香り葉草に月眠り苔は使っていません」
イルザが言う。
「祝福も、研究用の土も、何も混ぜてない」
「記録上も分離されています」
アウレリアは答えた。
乾燥葉は共同育苗事業の共有親株由来である。既存研究用二十四鉢、追加実験十八鉢、M1、リンゴ園の苔候補、巨大カボチャ関連土、祝福とは、区画、道具、保管棚を分けていた。
「しかし商会は、ミューレ農場の管理責任者がわたくしであることを問題にしています」
通知には、月眠り苔だけでなく、ローゼンベルク嬢の管理下で生産された薬草原料、と書かれていた。
テオの工房へ相談していた外部の農場からも、一件、見積り保留の連絡がある。
村内と近隣の個人客は、これまでどおり市場へ来られる。
水車も止まらない。
夜学も、図書棚も、学院の許可で作ったものではない。
けれど、村の外へ販路を広げようとするたび、アウレリアの名前が扉を閉める。
「この通知を、ガスパル教授が商会へ送った証拠はありません」
アウレリアは言った。
「確認できるのは、商会が学院からの照会を延期理由として書いたことと、同じ日にガスパル教授の意見書が届いたことです。学院が実際に何を送ったか、延期の唯一の原因かは未確認です。推測と事実を分けます」
商会には照会文の写し、発信日、部署、文書番号を求める。学院にも、外部照会の有無と権限を書面で尋ねることにした。
ルカが、学院封筒一通、商会通知一通、工房宛て保留状一通を机へ並べた。
到着時刻、配達人、封の状態を記録する。関係する事業者の同意のもと、マルタとイルザが立ち会い、それぞれの原本文書を読んだ。
学院の封筒と三文書の原本は、アウレリアの施錠書類箱。
商会通知の原本は、イルザの同意を得て共同育苗事業の書類箱。
工房宛ての保留状は、テオの同意のもと本人が保管する。
それぞれ写しを作り、誰がいつ照合したかを末尾へ記した。
「返事はどうする」
テオが尋ねる。
「学院には、停止の根拠資料、再確認の手順、担当者、回答期限、停止中の提出期限の扱いを書面で求めます。校正石は返却します」
「返したら、測れなくなるんじゃないか」
「携帯魔力計そのものはフェルナーの所有です。ただし、三段階の校正ができなくなります」
村内で作った固定台や外箱があっても、基準となる石がなければ、以前と同じ精度を保証できない。
「返さない理由にはできません。貸与条件に、学院の回収請求へ従うとあります」
「教授が間違ってても?」
「返却命令の名義は学院です。異議申立てと、借用品を保持することは別です」
アウレリアは、返却前の最終校正を、立会人とともに行う予定を書いた。
生値と補正値。校正石の傷、重量、封印番号。梱包から学院受領までの記録。
返却期限は冬の第1月12日。王都まで四日かかるため、冬の第1月5日までに学院指定の資産管理窓口へ公的便で発送する。三石の一覧と回収通知の写しを添え、到着後は番号入り受領書を返送してもらう。
最終校正は研究結果を増やすためではなく、返却時の器具と校正石の状態確認である。測れなくなるからこそ、最後の値を都合よく使ってはいけない。
* * *
午後、アウレリアは信託の出納帳を開いた。
温室修理。
水車と水路の専門作業。
賃金、補償、検査、工房の初期整備、夜学の試行費。
苗と市場から戻る金は増えた。水車の利用料も、共同箱へ少しずつ積み上がっている。
それでも、研究の測定費と外部検査費は、まだ信託へ大きく依存していた。
学院の追加実験費は、婚約騒動の直後から実質的に使えていない。今回止まったのは、存在しない金ではない。
止まったのは、来春第1月20日の期限に間に合わせるため確保していた外部検査枠だった。期限まで、残り百二十八日。
学院提携検査所の規則では、安全確認中の研究は私費でも受託しない。検査所が予約を保留したため、信託から支払う契約も成立していない。予定額は信託に残ったままである。
学院費は婚約騒動後から使えない。今回は信託の金そのものを奪われたのではなく、校正石と外部検査枠を使えず、研究を実施できる範囲が止まった。
アウレリアは、期限まで残り百二十八日の予定から、学院の認定が必要な検査へ線を引いた。
月眠り苔の別地域標本との比較。
土壌魔力計の中立校正。
追加報告書の外部確認。
どれも、今のままでは進められない。
「研究所を閉じるのですか」
ルカが、向かいの席から尋ねた。
琥珀色の目は予定表ではなく、アウレリアの顔を見ていた。費用の線を消すだけなら簡単でも、そこで働く者の仕事と、住民が覚えた測り方まで同じ線では消せない。
「第一観察室を閉鎖し、追加実験を中止すれば、少なくとも今後の生産物は、わたくしの研究と切り離しやすくなります」
「閉じれば、商会が取引を再開すると書いてありますか」
「書いてはいません」
「なら、それは仮説です」
自分の言葉を返された。
「可能性はあります」
「村を離れれば、もっと切り離せる?」
「はい」
「それも、誰にも確認していませんね」
アウレリアは答えなかった。
確認すれば、引き止められるかもしれない。
けれど、残ってほしいという感情と、残ることで生じる損失は別だった。
「わたくしの条件付き合格のために、村の販路を失わせるべきではありません」
「村の人たちが、何を失うか決める前に?」
ルカの声は穏やかだった。
「リンゴ園で、何を守りたいか聞かなかったときと同じです」
痛い指摘だった。
アウレリアは閉鎖予定表を伏せた。
「明日、説明会を開きます」
「閉鎖を伝える会ですか」
「いいえ。学院通知、取引保留、資金、続けた場合の危険をすべて示します。その上で、共同事業との関係、第一観察室への協力、商品の管理表示について意見を聞きます」
農場管理の辞任や契約変更は、住民だけでは決められない。住民の意見を添えて公爵家へ申請し、承認を得る必要がある。既存の雇用、貸与、事業契約も、説明会だけで破棄はしない。
「最初からそう言ってください」
ルカが言った。
責める強さはなかった。だからこそ、相談されないまま置いていかれそうになった痛みが、静かな声の奥にはっきり聞こえた。
その言葉を、ゲルト以外から聞くのは初めてだった。
窓の外では、水車が一日の運転を終える音がしている。
学院から来た三枚の紙だけでは、その音は止まっていなかった。
それでもアウレリアは、自分がいなくなれば守れるかもしれないものを、まだ数えていた。
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