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わたくしが溺愛されるのは当然です ― 薔薇たちの純愛革命 ―  作者: 入鹿なつ
第1章 わたくしが秘密を持つのは当然です

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7輪 ビターチョコレート

 銀縁の四角い眼鏡をかけて、ケイレブ・シューゲイツは左手に開いた手帳を眺めた。軽度の乱視があるので、細かな文字を扱うときには眼鏡があった方が疲れにくい。


 ペンをとり、手帳に書かれている内容からいくつか文言を選んで机上の便箋へと書き写す。眼鏡のずれをときおり直し、低く唸りながら、彼は丁寧な筆跡で紙面を埋めていった。


 早朝の黄色い光が差し込む皇太子の執務室は、ペンを走らせる音が耳につくほどに静まり返っていた。ケイレブの机から見て左手、部屋の奥にも大きなマホガニーの机が置かれているが、まだそこに(あるじ)の姿はない。動くものはケイレブ自身の他は、朝日の中できらきらと舞うわずかな埃だけだ。


 壁の絵画だけが見詰める一人きりの室内で、皇太子の侍衛はただ黙々と手を動かし続けた。


 近衛府所属のケイレブの職務は、本来であれば自分の机を持つようなものではない。しかし今の皇太子には、事務的な仕事をこなせる近侍が他にいないので仕方がない。それもひとえに、皇太子が自身で選んだごく少数の者以外を傍に置かないからだ。


 現在のところ、事務を司る官の中に皇太子のお眼鏡にかなう人物はいないらしい。となれば、ケイレブが秘書のような業務まで担当する他なかった。


 侍衛として皇太子の警護をしながら事務仕事までこなすのは、正直かなり多忙を極める。しかし皇太子が身辺に人を増やしたがらない事情を知っているケイレブは、甘んじて受け入れていた。警護計画については同僚のザックにほぼ丸投げの状態だが、彼も皇太子の選んだ精鋭だけあって、特筆するような問題が起きたことはなかった。


 手帳と便箋の内容を見比べ、大体こんなところだろうかと、ケイレブがペンを置いたときだった。


「朝から仕事熱心なことだな」

「うわっ」


 突然、耳元で話しかけられ、ケイレブはぎょっと身を引きながら振り向いた。いつの間にか背後に立った皇太子ジェイデンが、肩越しにケイレブの手元を覗き込んでいた。長いホワイトブロンドを(くく)らず流したままにしていることから、まだ仕事への切り替えをしていないと分かる。


 誰もいない内に作業を終わらせるつもりでいたケイレブは、ジェイデンの登場に驚いたと同時に、こういうときに限って早く出てくる彼の間の悪さにげんなりした。


「ジェイ……気配を消して近づくなって言ってるだろう」


 従兄弟の気安さで(たしな)めるも、返ってきたのは反省ではなく面白がる笑みだった。


「なにごとも娯楽性があった方がいいだろう? 驚きはもっとも手っとり早い娯楽だ」

「驚かす側にとっては、だろう。たまには驚かされる側の身になってくれ」


 苦情を言いながら、ケイレブはさりげなく机上の便箋を折りたたんで手帳に挟み込む。従兄のその動作を横目に見やり、ジェイデンは椅子の背もたれに手をついて体重を預けた。


「それで、なにをしていた?」

「公表用の公務日程の確認と書き出しをしていただけだ」

「ふぅん」


 ジェイデンは気のない声で返すも、その瞳は胡乱げだった。


 ケイレブは内心で焦りを感じていたが、書きつけた内容は多少見られても問題ないもののはずだと考えて平静を装った。行動を疑われることよりも、揶揄(からか)いの種として遊ばれるのを警戒してのことだ。


 ケイレブが動揺を見せずにいると、ジェイデンは興ざめしたように傍を離れていった。


 そのまま皇太子が向かったのは、執務室の入口近くに据えられた応接用テーブルだった。経年で磨かれた木目が光るテーブルの上には、蓋つきのバスケットが一つ乗っている。見慣れぬそのバスケットの前で、ジェイデンは軽く背中を丸めた。


「これは?」

「昨日、ロザリー嬢から貰ったケーキだ」


 朝食代わりになるだろうかと持ってきたのだった。いずれにせよ一人で食べきれる量ではないので、分けるのならばやはり皇太子とであるべきだろう、という考えもあった。


 ケイレブの説明で警戒を緩めたジェイデンは、肩から落ちる長髪を片手で押さえながら、もう一方の手でバスケットの蓋を持ち上げだ。


「食べないのか?」

「そうだな。ナイフをとってくる」


 従弟の興味が自分からケーキへ移ったことに胸を撫でおろして、ケイレブは眼鏡を外しつつ立ち上がった。

 皇太子の執務室を出たケイレブは真っ直ぐに皇室の厨房へ向かい、銀のカトラリーと小皿を二人分拝借した。ついでに女官へお茶を申しつけて、執務室へとって返す。


 応接テーブルに食器とお茶が整ったところで、ケイレブはシャツの袖をまくってチョコレートケーキを切り分けた。ナイフをフォークに持ち替えて長椅子に腰かけ、皇太子より先に一口目を食す。


 ケーキは予想に反して甘さが控えられていた。舌の上でチョコレートが滑らかに溶け崩れ、ビスケットのざくざくとした食感があとを引く。少量入れられている干し葡萄の甘酸っぱさが、チョコレートのほろ苦さと合わさってほどよく味に変化を与えていた。


 ケイレブがじっくり咀嚼して飲み込むのを待ってから、左隣の肘かけ椅子に座ったジェイデンもようやくケーキへとフォークを刺した。


 侍衛が皇太子より先に食べ物を口にするのは、毒見のためだ。もちろん、ケーキの贈り主であるロザリーを疑っているわけではない。二人にとっては習慣と言うべき程度のものだ。


 ケーキを一口食べたジェイデンは、口の端をふと緩めた。


「相変わらず、製菓の腕は悪くないな」


 ケーキへの評価をしみじみと呟いて、ジェイデンはすぐに二口目を舌に乗せた。珍しく(くつろ)いだようすでケーキを食べ進める従弟の姿に、ケイレブも無意識の内に笑みをこぼす。


 やはりジェイデンは、元婚約者のことが今でも好きなのだろう。ケイレブの目には、そうとしか見えなかった。今とて、ロザリー手製のケーキに舌鼓を打つその表情は、普段よりずっと柔らかだ。


 ジェイデンは色素が薄く端麗な造作の容姿ゆえに、表情によっては生気を欠いた冷たい印象になりやすい。しかしロザリーといるときにはいつも眼差しに生き生きとした輝きが宿っていて、ケイレブはそんな従弟のようすを好ましく思っていた。


 ジェイデンの隣にはロザリーがいるべきだ。だから、二人の関係修復への協力を惜しみはしない。これはケイレブ自身の望みでもある。


 ケイレブが密かに決意を新たにしていると、自分のケーキを早々にたいらげたジェイデンが空いた皿を差し出した。


「もう一切れ貰えるか」


 よほど気に入ったらしい。一歳違いの従弟の子供じみた仕草に、ケイレブはつい苦笑した。


「これは、わたしがロザリー嬢に貰ったんだが」

「嫌ならいい」

「そんなことは言っていない」


 ジェイデンが引っ込めようとした皿を素早くとり上げて、新たに切ったケーキをのせてやる。幸福そうにおかわりを食べ始める従弟につられるように、ケイレブも自分のケーキを食べ進めた。


「なあ、ジェイ」

「なんだ」


 呼びかけに、ジェイデンは食べる手を止めることなく返事した。ケイレブはフォークを皿に当てたまま従弟の表情を窺い、慎重に口を開いた。


「やはり、話すべきじゃないか」

「なにをだ」

「首飾りのことだ」


 ジェイデンのフォークが、ぴたりと止まった。


「……またその話か」


 吐息と共に吐き出された言葉は冷えていた。手元のケーキから目を上げたジェイデンは、冷淡な無表情で続ける。


「過去を掘り返したところで、責任の所在は変わらない」


 急速に輝きを失った眼差しを受けて、ケイレブはぞっとしたが、(ひる)まず言い募った。


「だとしても、なぜ君があれほど動揺したかを知れば、彼女だって――」

「ケイレブ」


 これまでになく強く、ジェイデンが遮った。眉間に明確な不快感が表されていた。


「それは君が考えるべきことではない」

「だが」

「余計なことはするな」

「…………」


 命じる口調で言われれば、配下であるケイレブは口をつぐむしかない。それでも納得はできず、目で不満を訴え続ける。


 ジェイデンはため息をついてフォークを置いた。


「もう一度言う。余計なことはするな。明かせば楽になるとでも思っているなら、それはただの君の自己満足だ。勝手なことをすれば、即座にわたしの近侍から外れて貰う」


 ジェイデンは一国の皇太子の顔で、一語一語はっきりと区切るように言った。切り口上で発せられた強い拒絶に、ケイレブはこれ以上の踏み込みを許されないことを悟った。湧き上がるやるせなさに唇を噛み、震える手でフォークを皿に置く。


 立ち上がったケイレブは、自身の従うべき相手に向かって深く頭を下げた。


「出過ぎたことを申しました」

「気をつけてくれ」


 抑揚ない声音で釘を刺し、皇太子は改めてフォークを持ち上げてケーキの残りを食べ始めた。もうこちらを見る気はないのだと分かるその横顔に、ケイレブは俯いた。


「――はい」


 間を置き過ぎた返事をして、ケイレブは俯いたまま座り直してフォークをつかんだ。

 ケーキに突き立てたフォークが、勢い余って皿へぶつかった。その甲高く耳障りな音にも、ジェイデンは振り向かなかった。


 すくい上げたケーキを、黙って口へと運ぶ。その味は先ほどよりも、チョコレートの苦みを強く感じた。




 ❃




 使用した食器を片づけにケイレブが出ていき、一人きりになったところで、ジェイデンは自身の執務机へと向かった。


 机上に積み上げられた書類には見向きもせず、据えつけられた金の把手の抽斗(ひきだし)を開く。そこには青い布張りの箱が入っており、それを開けばさらに深い色のブルーダイヤが現れた。大粒のそれを慎重にとり出せば、紺碧の輝きが手の平のくぼみにぴたりと収まる。


 新春の宴の際にロザリーが身に着けていた、皇后の首飾りだった。切ってしまったプラチナの鎖は、とっくに修復済みだ。盗品として流通する中で削りとられた皇室の紋章も刻み直されている。


 ロザリーがこの首飾りを携えてきたとき、我ながらよく動揺を隠し通せたと思う。それくらいジェイデンにとって――そしてケイレブにとっても、因縁あるものだった。


 皇后が流行病で亡くなったどさくさの中で、どのようにして首飾りが消えたのか。子細は速やかに闇に葬られたため、真相を知る者は限られる。そこに血縁者が関わっていることに、ケイレブはいまだ負い目を抱えている。


 だから、首飾りを発端としたジェイデンとロザリーの婚約破棄に対しても、ケイレブは自身に責任があるかのように思っているのだ。首飾りの紛失にも、皇太子の婚約破棄に関しても、彼自身はなにもしていないというのに。


「――馬鹿な男だ」


 現在進行形でケイレブの罪悪感を利用しながら、ジェイデンはそう思わずにいられなかった。自身に罪のない過去にこだわり続けるなど、あまりにも愚かだ。


 つい先ほどの従兄の(くら)い眼差しを思い返しながら、ジェイデンはダイヤの表面をそっと撫でた。硬質で繊細なカット面を指先に感じながら、ふと苦笑をこぼす。


「愚かなのは、わたしも同じか」


 修復の終わった首飾りを本来なら皇室の保管庫で管理すべきところ、こうして手元に置いてしまっているのだから。


 首飾りを丁寧に箱へ収め直し、ジェイデンは静かに抽斗(ひきだし)を閉めた。

お読みいただきありがとうございます。

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ぜひ引き続きお楽しみ下さいませ!

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