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わたくしが溺愛されるのは当然です ― 薔薇たちの純愛革命 ―  作者: 入鹿なつ
第4章 わたくしが幸せになるのは当然です

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39輪 失わぬ矜持

 止まっていた馬車が、ゆっくりと動き出した。馬車は検問官と門衛らの間を抜け、皇都ラガーフェルドを囲う城壁の門へと進んでいく。分厚い城壁の下に入ると馬車の天井を騒がせていた雨音がやみ、今度は馬の蹄がたてる規則的な音が耳についた。


 その間、ロザリーは膝の上で両手を握り合わせ、ただじっと息を詰めていた。


 薄暗い馬車の中には、一見してロザリーしかいない。先ほどの検問所ではロザリーがにこやかに対応すると、軽く車内を見回しただけですぐに通してくれた。しかし実際には、彼女が座る座席の下の荷物入れに、男が一人、身をひそめていた――スカートで隠れる位置に作った座席の隙間から、ロザリーの膝裏に銃口を押し当てながら。


 馬車に乗っているのがロザリーでなければ、検問官は座席の下まで検めただろう。広く通る名と顔が、いかに諸刃の剣かがよく分かる。


 ロザリーが少しでもおかしな動きを見せれば、この脚は一瞬で使いものにならなくなる。馬車を走らせている御者も隠れている男の仲間なので、検問官へ表情や身振りで助けを求めることもできなかった。

 侯爵家の御者は、ロザリーを脅すためだけに目の前で撃たれた。彼らは人を殺すことにまるで躊躇がないのだ。


 ロザリーとて命は惜しい。今は従うしかない。それでも決して、考えることだけはやめなかった。


 膝を撃たれた程度では死なないかもしれない。けれど処置が遅れればやはりどうなるかは分からないし、後遺症を覚悟する賭けはロザリーの矜持(きょうじ)に沿わない。どうあっても命を賭けるしかないならば、見返りは五体満足でなければ。


 再び馬車の天井と窓に雨が降り注いだ。門を抜けたのだ。

 雨音を縫って、座席が内側からこつこつと鳴った。固い銃口でロザリーの膝裏が数度押される。立てということだ。


 狭い車内でロザリーは慎重に立ち上がる。座面がすぐさま持ち上がり、隠れていた男が身を起こした。外から見えぬよう低い位置に構えられた銃口は、油断なくロザリーに向けられたままだ。


「もう一度、こちらへ座れ」


 銃口を揺らし、男はやや高い声で指示した。ロザリーは鼻の尖った男の顔をじっと睨みながら、黙って彼と場所を入れ替わる。ロザリーが確かに座ったのを見てから、男も向かいの座席へと腰を下ろした。


「前向きの席を譲ってくださるだなんて、紳士的でいらっしゃいますのね」


 ごく低めた声でロザリーは皮肉った。それに対し、元宝飾店の主――盗品仲買人ソーンは、血色の悪い唇に薄らとした笑みを浮かべた。


「商人たる者、大切なお客様には礼を尽くすものと心得ております」


 ソーンの口調が急に慇懃になり、ロザリーは不快感で目を眇めた。

 ロザリーはソーンの店にあったブルーダイヤの首飾りを、皇后の遺品と気づきながら購入した。彼はそのことを言っているのだ。


 開店から十年と経っていなかったソーンの店は、ラガーフェルドにある高級宝飾店の中では比較的新しかった。ときおり舶来の異国情緒ある品を置いていたことから、とりわけ目立ちたがりや珍品好きの熱心な固定客がついていた印象だ。


 ロザリーの趣味とは違ったのであまり関心を向けていなかったが、おそらくそれらの品もいずれかの国で盗まれたものだったに違いない。


 皇后の首飾りも、舶来品として店頭に並んでいた。十六年かけて数多の国と人の手を経る間に、(いわ)れが失われたのだろう。皇太子の私室に飾られた亡き皇后の肖像画を記憶していなければ、ロザリーも疑惑を抱きはしなかった。


 大粒のブルーダイヤが異国で切り刻まれることなく、ほぼ完全な状態でノヴァーリス皇国へ戻ってきたのも幸運だった。


「素晴らしい心がけでいらっしゃいますわね。そんな方が、一体わたくしをどこへ連れていってくださるのかしら」

「着いてのお楽しみとしておきましょう。女性はそういう演出をお好みでしょう? ――余計なお喋りはそれくらいにしておけ」


 上品な店主の顔は消え、ソーンは構えたままの拳銃の存在を強調するように揺らす。仕方なく、ロザリーは唇を引き結んだ。


 ソーンは馬車前方の小窓を細く開き、御者と小声でやりとりを始めた。彼が進行方向に背を向ける席に陣どったのはロザリーへの気づかいなどではなく、御者と話しやすいから、というのが正確そうだ。


 ひそめられた会話は雨音に紛れてしまい、ロザリーの位置からではいまいち聞きとれない。かろうじて「西」という方角は漏れ聞こえたが、ラガーフェルドの西門から真っ直ぐに伸びる街道を走っているので、さほど有力な情報ではなかった。


 このまま西へ向かった場合なにがあったろうかと考えながら、ロザリーはちらと窓の外へ目をやった。


 悪天候の影響で街道の人や馬車の姿は普段より少ないが、ラガーフェルドに近いだけあって往来が絶えるようすはなかった。灰色に(けぶ)る車窓を、外套にすっぽりと身を包んだ人影が都を目指していくつも通り過ぎていく。これだけ雨が強いと、やはり街を出る者よりも入っていく者の方が多いとみえる。


 人通りがまばらになるまでは、このまま街道を行くだろうとロザリーは予想した。なにせ侯爵家の紋章つきの馬車だ。ラガーフェルドの門を出るには都合がよくとも、逃亡に使うには目立ち過ぎる。貴人の馬車が街道を外れるところを目撃されれば、それだけで人目を引き、不審がられるのがおちだ。


 多数の上流階級を相手に表でも裏でも商売をしてきているソーンならば、それくらい百も承知のはずだ。必ずどこかで馬車を乗り換える。そのときにソーンの仲間が増えでもしたら、逃げ出すのがより困難になる確率が高い。できればその前に、突破口を見つけたかった。


 ゆっくりと息を吐いて、ロザリーは冷たい窓へと身をもたせかけた。


「もたれるな。真っ直ぐ座れ」


 すかさずソーンは警告して銃口を揺らす。

 ロザリーは恨めしく彼を上目に見据え、億劫に身を起こしながらこめかみに指を当てた。


「雨のせいでひどく頭痛がして……せめて少しだけ服を緩めてもよろしいですかしら」


 ソーンの眉宇(びう)が怪訝そうにひそめられた。こめかみを押さえて物憂く俯くロザリーを、観察するように見据える。焦れったく思えるほどの沈黙を置いて、ソーンはようやく、ふっと鼻を鳴らした。


「いいだろう。ただし、おれがやる。床に降りて膝をつけ。両手は広げて顔の横だ」


 銃口を手首で振りながら、ソーンは一つ一つの動作を短く指示する。

 ロザリーはソーンを睨みつけた。抵抗を試みたとしても、銃口を突きつけて急かされれば結局は言うことを聞かざるをえない。ロザリーは渋々と座席を降りて、ソーンの前で両膝をついた。


 その間にソーンは拳銃を持ち直して、利き手の革手袋を噛んで外した。膝をついたロザリーが指示通りに両手を顔の横へ上げると、彼もまた座席から腰を浮かせる。

 最初に、襟のリボンが解かた。


「触らないで」

「じっとしてろ」


 拳銃をロザリーの顔近くに添えて、ソーンは利き手だけで器用に上着のボタンを外した。脱げと言われるままブラウスの袖を抜けば、腰から胸までを覆うコルセットと白い肩が露わになる。ロザリーは恥じらい、顔を背けた。


 細く締め上げた胴を抱くようにソーンの手が背中へ回され、コルセットの紐を引いた。締めつけが緩み、ロザリーは彼の肩口で軽く息を吐く。そのままソーンが離れるかと思った矢先、脇の位置でコルセットの隙間に指を差し込まれた。


「やめて――」


 咄嗟に身をよじったロザリーの顎に銃口が触れた。凍りつく彼女に、ソーンは念を押すように囁く。


「手の位置は、顔の横だ」


 男の欲の表出は脅威だが、隙にもなるとロザリーは思っていた。ところがいくら注意深く見ていても、ソーンにまるで油断が生じない。いっそ力尽くでこられた方が策があるのだが。


 思惑が外れた予感にロザリーは唇を噛み締め、改めて両手の平を彼へ見せるように掲げた。


 緩んだコルセットをつかむようにソーンは人差し指から小指までを押し込み、レースの(ふち)どりに沿って滑らせた。まさぐる指の動きに肌が粟立ち、すぐにでも振り払いたい嫌悪感をロザリーは必死で呑み込む。


 膨らみを支える前の縫い目の部分で、ぴたりと指の動きが止まる。そこにあるものに気づいてロザリーがはっとした直後、コルセットへ手を深く差し入れられ、たまらず悲鳴をあげた。手は即座に引き抜かれて、ロザリーの目前へかざされた。


 片手で握り込めるほど小さな三角形のナイフが、ソーンの指に挟まれていた。


「やはり、高貴なお嬢様は物騒なものをお持ちでいらっしゃる」


 胸を押さえて顔を赤くするロザリーをソーンは嘲笑い、奪ったナイフをフロックコートのポケットへと仕舞った。


「隠し持っているものを全部出せ」

「……それ一つだけです」


 ソーンを睨みつけてロザリーは声を絞り出す。ソーンは無精髭の顎をそびやかして鼻で笑った。


「そうか」


 再びソーンの手が伸びてきた。反射的に体を引こうとしたロザリーの喉に銃口が押しつけられる。


 スカートとペチコートの紐を解かれた。ずり落ちる腰周りから滑り込んだ男の手が、シュミーズをたくし上げる。革の靴下止めを探り当てると、コルセットのときと同じように素早く手は引き抜かれた。


「これは?」


 短い問いと、手の平ほどの小型拳銃が、鼻先へ突きつけられた。ロザリーは口を結んで目線を逸らした。スカートの下から出てきたその拳銃もまた、ソーンはポケットへと仕舞った。


「座席の下にいる間、固いものが当たる音がしていた。どこに仕込んでいるかは大体分かっている。このまま全裸に剥いて調べていいのならそうするが、ご婦人には名節というものがあるだろう?」


 下着をまさぐっておいて名節を口にするのかと、ロザリーは瞳を怒らせた。


 ソーンは護身用の暗器に気づいた上であえて遊ばせていた。その誘いにまんまと乗ってしまった事実を知らされたのが、ロザリーにとってなにより屈辱だった。

 辱めるような形で下着の仕込みを真っ先にとり上げたのは、ロザリーの策を挫くと共に心身ともに制圧して従わせやすくするためだろう――羞恥心を利用して矜持(きょうじ)を折るのは相手を服従させる常套手段だ。


 ソーンの悪辣(あくらつ)さにロザリーは怖気立(おぞけだ)った。彼が皇太子主導の摘発から逃げ延びたのも、今日まで行方を眩ませていたのも、ただ運がよかったわけではないとみえる。

 ロザリーはやむなく、恭順を示した。


「……分かりました」


 ずれたコルセットを引っ張り上げてから、ロザリーはまず髪に手を添えてヘアピンを抜いた。


「ゆっくり動け。常におれから両手が見えるように」


 用心深いソーンの指示に、ロザリーは奥歯を噛み締める。鋭く尖ったヘアピンがソーンの手に渡った。


 続いてロザリーは膝をついたまま体を曲げて、つま先へと手を伸ばした。脱げかけたままのスカートの裾をふくらはぎまで手繰ってから、靴を引き抜く。体の前で捧げるように靴を持ち、靴底から薄刃のナイフをとり出した。


「とんでもないご令嬢だ。本当に脱がせて調べた方が早そうだな」


 次々と出てくる暗器を見て、ソーンが呆れてぼやいた。


「あなたのような方がいたのでは、これでも足りないくらいです」


 相手を刺激しない程度に、ロザリーは反論した。それは極限状態でぎりぎりの冷静さを失わないための、彼女なりの手段だった。


 不意に、馬車前方の小窓が叩かれた。ソーンはロザリーへ「動くな」とだけ釘を刺して座席へ戻る。小窓が細く開くと、御者がすぐに囁いた。


「後ろから騎馬の一団が。ご注意を」


 ソーンはロザリーを避けて素早く座席を移動した。後方の窓から外を確認した彼の眉間が、わずかに険しくなる。


「追っ手にしては早すぎる」


 怪訝そうに呟いて、ソーンは拳銃で小突くようにロザリーの肩を押した。


「服を着ろ」


 鋭い命令と共に、床に落ちたままだったブラウスがロザリーに投げつけられた。ブラウスの泥汚れを見てロザリーが顔をしかめていると、ソーンがまた肩を小突いた。


「早くしろ」


 コルセットの紐を結び直す猶予は与えて貰えそうになかった。しかし外から少しでも不審に見えればと、ロザリーはわざと袖を通すのに手間どる振りをした。


 もたつくロザリーにソーンが舌打ちする。彼はまた後方に目をやって、黒い外套をロザリーに投げた。


「それを着て座席に座れ」


 ロザリーは雨で湿ったままの外套を体に巻きつけられ、引っ張り上げるように座席へ座らされた。ソーン自身は扉にぴたりと背中をつけて、窓の下に身を隠す。


 雨音に、馬車のものよりもずっとせわしい蹄の音が混じった。複数頭の馬が後方から距離を詰めてきている。


 果たして助けとなるか否か。ソーンとは反対の意味での緊張で、ロザリーの呼吸も心拍数も早くなる。

 騎馬の駆ける音が近づくのに合わせて、ソーンが拳銃の撃鉄(ハンマー)を起こした。


「そこの馬車、止まれ」


 呼び止める低い声が聞こえ、ロザリーは呼吸を忘れた。

 雨音の間を真っ直ぐに抜けて届いたその声は間違いなく、ケイレブのものだった。

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