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わたくしが溺愛されるのは当然です ― 薔薇たちの純愛革命 ―  作者: 入鹿なつ
第4章 わたくしが幸せになるのは当然です

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35.5輪 嵐と悲劇は突然に

「嫌になるくらいひどい雨ね」


 栗色巻毛のメイドは二階廊下の電灯を点けながら、うんざりと言った。その傍を横切った黒髪のメイドは窓へと駆け寄り、雨が吹き込む前に素早く鎧戸を閉めた。


「こんなに降って、ランブラー河が溢れないといいのだけど」


 懸念を口にしながら黒髪メイドは壁沿いに移動し、廊下の窓の鎧戸を次々と閉めていく。降雨だけでなく強風も吹いているので、飛来物で窓が割れるのを防ぐためだ。

 巻毛メイドも同輩のあとを追いかけるように近くの鎧戸を閉めた。


「お嬢様は、この雨で帰ってこられるかしら」

「そういえば今日は早くからお出かけだったわね。どちらにお()でか聞いている?」


 黒髪メイドが問いかけると、巻毛メイドは雨が降りかかった手を軽く拭いながら答えた。


「ご領地の奥様に電報を打つとおっしゃっていたから電報局と、その後は皇宮にいらっしゃるはずよ」

「皇宮に?」


 訝しんで、黒髪メイドは巻毛メイドへ顔を向ける。


「お嬢様が、皇宮になんのご用が?」

「もちろんジェイデン殿下にお会いになるためよ。他にありえないでしょう?」


 二階廊下の鎧戸をすべて閉め終わり、巻毛メイドは身を翻して三階への階段へ足を向ける。黒髪メイドもすぐに追いついて、会話を続行した。


「お嬢様の方から殿下に会いに行かれるだなんて、どういう心境の変化かしら」

「わたくしは前から言っているでしょう。一途で熱心な殿下に、お嬢様もついに心が動いたのよ」


 巻毛メイドはうっとりと言って、弾む足どりで階段をあがる。揃って三階へ着いたメイドたちは、まずは一番手前の客間へと入った。電灯を点けてから、奥の窓へと向かう。


 客間の窓はランブラー河に面していた。邸宅の裏門と街路灯の並ぶ白い舗道を挟んだ向こうに、雄大な流れを見下ろすことができる。普段は光を散らして揺蕩(たゆたう)う穏やかな大河は、今は茶色く泡立ちながら無数の渦を巻き、濁流となってどうどうと重低音を轟かせていた。


 現在ラガーフェルドの上空を覆っている黒雲が、上流でも雨を降らせたのだろう。舗道へ這い上がろうとするように石の河岸へぶつかる濁った飛沫を見て、黒髪メイドはぞっとしながら鎧戸へ手を伸ばした。


 鎧戸を半分閉じたところで、黒髪メイドは目の前の濁流を白いものが流れてくるのに気づいた。茶色い渦に揉まれて浮き沈みするそれは、より上流から押し流されてきたろう倒木などとは明らかにようすが違う。つい興味を引かれて目を凝らす。それが人だと分かった瞬間、黒髪メイドは悲鳴をあげていた。


「ねぇ、あれ!」


 別の鎧戸を閉めていた巻毛メイドが、声に驚いて黒髪メイドの傍へ駆けつけた。


「どうしたの」

「あれ! あそこに人が!」


 黒髪メイドが指差す方を見やり、巻毛メイドも悲鳴をあげた。


「たいへん! 誰か呼んでくる!」


 巻毛メイドは慌ただしく客間を飛び出し、足音を響かせて階段を駆け下りていく。その場に残った黒髪メイドは流される人の姿を見失わぬよう、窓から身を乗り出して必死に目で追った。


 人の姿は濁流に押し流されて、結局はすぐに見えなくなってしまう。それでも、下流の橋脚に流木と共に運よく引っかかったところを、集まった人々によってどうにか引き上げられた。


 引き上げられた男はすでに事切れていた。彼は身分を示すものを身に着けていなかったものの、ヘルツアス侯爵家で雇われている御者であることがすぐに確認された。同じ侯爵家で働く使用人が救助に参加しており、彼の顔をよく知っていたからだ。


 御者は制服である紋章つきのコートを着ていなかった。黒いコートのままだったならば、発見はもっと難しかっただろう。濁流の中で薄いシャツはあちこち裂けて全身に傷を負っていたが、少し調べれば死因はそれらでないことが明らかだった。水を飲んでおらず、溺死ですらない。


 泥水を吸ったシャツの胸を、焼け焦げた銃創が貫いていた。

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